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楽しかった、そして少し複雑な気持ちになった

先週
発達障害の当事者会に参加させてもらった


私は、自分が発達障害なのか
診断も受けてないし
どんな発達障害があるのかさえも
わからない


だけど
生きづらくて仕方なかった世界に
手をさしのべてくれた人が居てくれて
本当に感謝しかない


緊張しながら参加した当事者会は
Twitterのスペース機能で配信されていて
この日のために
何年かぶりにTwitterのアカウントを作った


スペースに入れたけど
次はお話する設定に上手くできない…


困って、焦っている私に
参加メンバーさん達が
優しく声を掛けてくれて
方法を教えてくれて
安堵感をくれた


私をホッとさせてくれた


この「安堵感」が
私にとってどれほど
次のステップへ誘ってくれた事か

瞬時に
私の中の「安心アンテナ」が
Maxになった



みんなのおかげで
無事、お話できるようになり

みんなのお話を聴けて
「なるほどね…」

「あっ、そうなんだ!」

「へぇ、そう思ったらいいんだ」

日々の中のヒントを
たくさんいただいた


みんなのあるあるが
私のあるあるでもあり
愛おしくって
クスっと笑ってしまうとこも
また愛おしい


時間はあっという間に過ぎ
来月が楽しみになった

このような
居場所を作ってくれて
教えてくれて
感謝が溢れる



後日、お仕事しながら
あの日のことを考えていた


なぜだか
ひとつの疑問が湧いてきた


「自助会って
     誰のために何のためにあるのだろう…」


当事者が生きやすいための会なら
「うんうん」と納得するのだけど


生きやすい…と言うのは
どこに焦点を当ててのことなのだろうか


定型発達の人の中で
うまく生きていくことに
焦点が当たっているのかな…


そんなにも
定型発達の人達の世界に
合わせなきゃいけないのだろうか


「みんなちがってみんないい」は
どこで寄り道してるんだろう


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