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高校教員が論文博士をとるまでの話 研究過程をまとめてみた

以前のnoteでは、高校教員が社会人生活を送る中でどのように論文博士を取得したかを書きました。

今回は研究という側面から、少し専門チックなことを含めながら、私の博士号取得課程をお話しします。

修士課程では、学部時代のゼミの本を継続して講読し、読み終えた頃に論文を読むようになりました。最初は師匠から紹介されたものを読んではゼミで紹介するのを数本やりました。そのうち自分で見つけた論文の結果を拡張できるのではないかと考え、一変数の結果を多変数の結果に拡張する事に成功しました。修士論文ではその結果をまとめました。

その後高校教員になり、10年ぐらい経ってから修士論文の結果をさらに単著論文としてまとめ直し、投稿する運びとなりました。学校の先生をしながらなので誰かから直接指導を受けることもできず、(数学ではLaTeXというソフトを使いますが)パソコンでまとめる作業にもかなり苦慮したのを覚えています。何度かやり直しをしたのち最初の論文の掲載が決定しました。エディターには大変迷惑をかけました。
2本目、3本目は1本目の結果をさらに応用したものを書き、こちらも何度かやり直しをしたのち掲載されることになりました。特にこの2本も単著論文で、日本数学会の雑誌と(初海外の)韓国の雑誌に掲載され、自信がついたのを覚えています。
さらに論文を増やして、母校であるH大学で博士号を取れないか師匠と試みますが上手くいかず、さらに師匠が急逝してしまいます。

その後兄弟子であるYさんとコネクションができ、G大学の工学部で工学博士の話が出ますが、論文博士の要件が論文4本という事で、1本足りない!ということになり、こちらも断念します。
そんな最中、師匠の遺稿が見つかり、学生時代にお世話になった兄弟子Sさんに指導していただき、師匠とSさんとの(初めての共著!)論文が完成し、こちらは一発で掲載が決定します。Sさんにはこの後も大変よくしてもらいました。

4本の論文が完成する頃に、Yさんの紹介で名古屋にある名城大学の鈴木先生の指導を受けることができることとなりました。こちらでは「博士(理学)」を取得できるとのことでこちらでお世話になることとなりました。初めて行く名古屋でのセミナー、共同研究を経て、2本め以降の論文の内容を中心に博士論文をまとめました。公聴会を経て、審査に合格し、たった一人でありましたがコロナ禍の中学位授与式を挙行していただきました。

高校教員をしながら論文を書いていた訳ですが、どうやって書いていたか、あまり覚えていません!寝る時間は多少削った気がしますが、次の日に障るほどやっていません。数学を自分で創っていくこと自体と間違えてはいけないという緊張感を両方楽しんでいたんだと今になって思います。

次の目標は論文二桁!まだまだ数学を楽しみます!

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