ばぁば


「飯はまだか?」


このフレーズを聞くのは今日で既に10回目。


何度も何度も「さっき食べたよ」と言っても、5分後にはもう「飯はまだか?」と言ってくる。


それがとてつもなくしんどくて、どこに吐き出せば良いか分からないストレスが蓄積していった。



ばぁばは認知症だった。



ばぁばのぼけが病気だとしっかり認知できだしたのは、10歳のころ。


「そういう病気」があることを知ってからは逆に辛かった気がする。


いくらばぁばが変なことをしても病気だからしょうがない。


そう。しょうがなかった。


ばぁばというのは、父方の祖母である。


子供あるあると言っていいのか分からないが、
母方の両親と父方の両親に対して、態度が違くないか?
これは私だけなのか?


どちらも大好きだ。


が、その中で1番喋らなかったのがばぁばだった。

というか、私が自分から避けていた。

なぜなら、何度話してもまた同じことを聞いてくる。

話すだけ無駄だと。


そう思っていたのはまだ幼かった小2の私である。


ばぁばの家は自分の家から山に向かって1時間ぐらい進んだところにある。

スーパーもコンビニもないど田舎だ。

畑と田んぼとカブトムシしかいないそんなど田舎だった。

時には猪に車を壊され、時には遠くにある商店めがけて何キロも走った。

川に飛び込みもしたし、川下り中に日本一周している人に出会ったこともあった。


星と海がきれいな


そんな町だった。


学校の先生はよく私たちにこう質問する。

みんなの住んでる町の良いところってなぁに〜?

と。


そこで決まって私たちは行き着く答えがあった。


それは "自然がある" だ。


なぜこうなるかというと、私が住んでいる町は、ばぁばのとこほど田舎でも無いし、かといって都会でもない。

"都市の条件"は満たしているのだが、私たちの頭の中で想像する都市では、ぜんぜんない。

どちらかというと田舎よりだ。

別に住んでいて不便なところはないし、欲しいものも手に入る。

でも可愛いカフェは沢山ないし、遊べる場所も思い浮かばない。

もし、都会で同じ質問がされたら、答えるのはカンタンだったと思う。

"可愛いお店がある" とか、

"交通便がいい"とか。

色々ある。それでいい。

それに比べてこっちは新幹線も通っていない。

かといって、観光名所になるほどの自然などもなかった。


自然?


じゃあ自然ってなぁに?


考えてみて


と先生に言われる。


これが、答えに悩むランキング5位には入るとても難しい質問だ。

分からない。

住んでいて死ぬほど自然を感じる訳でもない。

でも結局他に良いところはというと、それはそれで思いつかないので、理由も分からないまま

"自然がある" になる。


そんな町に私は住んでいた。


だから、自然すぎるところに住んでいるばぁばの家に行くのは、新鮮で、楽しみだった。


今のばぁばと言うと、老人ホームに入っている。
施設に入れられてすぐの頃は、「家に帰りたい、家に帰りたい」と介護士の方にしつこく言っていたのらしいのだが、


今はもうその覇気もないほど弱ってしまった。



1年ほど前に家族でお見舞いに行ったことがある。

ちょうどコロナ禍真っ最中で、20分くらいしか面会できなかったのだが、

20分も必要のないと思えるくらいの面会だった


ばぁばはもう誰のことも覚えてなかった。


息子であるパパのことも覚えてなかった。

見た目は元気そうで、だからあのばぁばなはずなに、


ばぁばじゃなかった。


ばぁばは、知らない人が来た みたいな反応で気まずそうだった。

まるで自分の中の不尽さと戦っているような、

そんな顔をしていた。


そのとき、お見舞いなんて所詮自己満だと思った

ちょっと顔を見ておこう

とか

会いに行ったらばぁばが喜ぶよ

とか

そんなの、こっちが「お見舞いに行った」
という事実だけが欲しいだけで、

相手の様態が悪くても、それは悲しむことじゃなくてそれはしょうがないこと。なのである。


そう。しょうがない。



私は歳を取りたくないと思った。


もし私が認知症になって、75歳の誕生日を施設で盛大に祝われたとしたら、それは、表向きは賑やかな老人ホームになるのだが

当の本人は明日にはそれを忘れているのだ。

飾り付けで使ったピンクのバルーンも、

次の日の自分からしたら、何も覚えていないのだから

ただのゴミでしかない。


人の善意すら忘れてしまうのなら、死んだ方がマシだと思った。

大切な記憶が無くなったのに、辛いと感じられない人生なんて、生き続ける意義がないと思った。

不思議な世界を毎日送って、気づいたら次の日になってる世界は、


どんなに辛くて、


それはどんなに孤独なのだろうと思った。



ばぁばはよく「とおさん」「とおさん」

と言っていた。

それは認知症になって数年たっても変わらなかった。

なんなら「とおさん」「とおさん」しか言わなくなった。

「とおさん」と言うのは、私からしてじぃじのことであり、ばぁばからしたら夫だ。

じぃじが畑に行って、見えなくなった瞬間、

その

「とおさん」「とおさん」攻撃は始まる。

不安になるのか分からないが、
「とおさんはどこだ」と言い出す。

「じぃじは外よ」と言うと、

「そうか」と言ってまたテレビを見出す。


ある時、家からばぁばが居なくなったことがある。

いわゆる認知症患者の失踪だ。

皆で探し回った。あちこちを探し回った。

ばぁばが何をしていたのかというと、じぃじを探し求めて道路の真ん中をずっと歩き続けていた。

車が少なくて良かった。

田舎で良かった。そう思った。

でも、「とおさん」「とおさん」と追いかけているばぁばの後ろ姿は、まるで赤ちゃんみたいで

なんだか 可愛かった。


私のことを可愛がってくれてたあの頃のばぁばは
もうそこにはいない。


前方に『ばぁばとはあまり喋らなかった』と書いたが、一応孫なのでそこに最低限の会話はあった

思い出してみる。



某月某日

じぃじとばぁばと私たち家族でスシローに行った時、ばぁばが後ろを向いていたので何をしているのかと覗いたら、

まだ2歳ばかりの子をあやしていた。

とても下手な笑顔ででも楽しそうに赤ちゃんをあやしていた。

ばぁばは子供が大好きだった。

申し訳ないなと思いながら、ばぁばがあまりにも楽しそうなので止めなかった。

すると赤ちゃんはそれを見て大声で泣き出した。

ばぁばはあらあらと言いながら、さらに怖い笑顔であやしだした。

流石に赤ちゃんに悪いと思い、そこら辺で止めといた。


某月某日

私が中学のバスケ部のキャプテンをしていた時、最後の試合にじぃじとばぁばが来てくれたことがあった。

試合に勝ったら、商店に連れて行ってくれた。

「好きなだけ買ってええぞ」

そう言ってくれた。

お金ないくせにとか思いながら、

でもそれが嬉しくて

沢山入れてしまった。

駄菓子なので心配する必要はあまり無いのだが


ばぁばからのお疲れ様は無かったが、

ただ微笑んでくれた。



某月某日

ばぁばの家に行った時、またばぁばが見当たらないことがあった。


ばぁばは2階の寝室で隠れるように


煙草を吸っていた。


私は今までばぁばが煙草を吸っているところを1度も見たことがなかった。

そしてばぁばが昔吸っていたかどうかなんてことも知る由もなかった。

もし昔吸っていたとすると、

認知症って昔してた行動とかは覚えてるんだ

と思って

それに感動して

それが情けなかった。


某月某日

じぃじたちは犬を飼っていたのだが、ばぁばが餌をあげすぎてぶくぶく太らせてしまった。

名前はミルと言うのだが、

「ミル、ミル、ほらご飯食べんしゃい」

と言って、10分前に餌を食べ終わって綺麗になったはずのトレイは

山盛りのドックフードが盛られていた。

馬鹿なチワワはもう既にお腹いっぱいなはずなのにそれをまた食べた。

それに危機感を覚えた私と兄はミルを散歩させた。

めちゃくちゃ走らさせた。

一緒に走りながら、

もうこれ増量ダイエット中のボディビルダーやんけと思った。



なんや、思い出してみれば結構エピソードがある

それもぜんぶ可哀想な面白さだ。


あーおかしい


面白いばぁちゃんだった。

元気で明るいばぁばだった。

今はもうその面影すら無くなっている。


ばぁばは今何をしているだろうか。


もう一度昔のばぁばに会いたい


家に行ったら嬉しそうに出迎えてくれるばぁばに会いたい


もう子供じゃないのに 髪乾かそうかとドライヤーを持ってくるばぁばに会いたい


もう一度


あの下手な笑顔を、


あの一見怖く見える


優しい笑顔に



私はもう一度会いたい。













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