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【8月の雑記】「俺はこういうのが好きだけど、お前らはどうだ!?」のスタンスで生きたい。

「俺はこういうのが好きだけど、お前らはどうだ!?」のスタンスで、マイペースに生きていきたい。このnote然り。ロッカロックという漫画のセリフを引用した。プライドは一丁前に高いけど自己肯定感は賃貸のキッチンよりも低いので、何事に相対してもお伺いを立ててへりくだりがちな情けない自分に、この言葉を繰り返し読み聞かせたい。

noteに載せたイラストの受けがよくなくて凹。ああいう絵が好き。




僕はこういうのが好き、異論は認めない。

本当の自分とは何か?自分軸で生きるとは何か?そういう暇だから考えてしまうことを忙しい時ほど大切にしたい。「お前の価値観は間違ってる、俺の価値観の中で生きろ」と、わがまま言ってくる人間が世の中に放し飼いすぎるから余計にそう思う。自分は自分、他所は他所。相手がパーソナルな境界線をガンガン乗り越えて、土足で頭の中に上がり込んでくる。その景色、別に見たくないんですけど。大学然り、バイト然り。まあ僕が人のこと言える立場じゃないけども。とにかく、マイペースに生きることに必死こいてる。「僕は集団が苦手だし、1人が気楽だし、傍から見たら無為な人生でも、それを噛み締めてニヤニヤするのが至福なんです!」と。



嫌いなモノばかり数えても良い

僕は嫌いなモノを半永久的にnoteで書き続けることができるが、好きなモノを全然語れない(いきなり矛盾)。ヤバい、好き、などの語彙で終わる。それは別に悪いことだとは思っていない。嫌いなモノをどう嫌いなのか言語化し続けることを辞めたら、好きなモノが何なのかすら分からなくなるだろうから。だったら、嫌いなモノが好きなモノに混ざり込まないように線引きし続けてもいいじゃないか、と思う。人を傷つけない範囲で。「僕は、孤独になりましょうとか丁寧な暮らしがどうとか綺麗ごと抜かすエッセイがすこぶる嫌いだー!都合が悪くても人間の汚いところを誤魔化さないで!その作業が何よりも大切なのだから」と。



ハッキリした物言いが好き

僕は白黒はっきり区別するのを好む。つまり、遠回しな表現や行間を読むことが得意ではない。僕は浅いところで満足して、けれど深いところで盛り上がってる人達を遠目で眺めて、一生関われない世界なのかな、と自己嫌悪する。

ちょっと話が変わるけど、巷で「本当に頭の良い人はバカでも分かる言葉遣いでモノを説明する」という意見の人がいる。そんなわけないだろうに。今まで学んできたモノが多ければ多いほど、同じようにして知識をつけた他者との間に「共通認識」が増えていくのだから、説明せずとも伝わるモノはどんどん省いていった方が良いに決まってる。ただ、それに胡坐をかいておちょくってくる三流を許してはならない。もっと勉強して、その人を上から押しつぶしてやらないと。そして断末魔を聞かせて欲しい。

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