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【6月下旬の雑記】共感されにくいこと

※今回はガッツリ、ネガティブ寄りです。



あの時頑張れたから

「あの時頑張って乗り越えた壁に比べたら、他のどんなに辛いことも些細に思える」と、中高大の受験体験記、大学生の就活談みたいなので見て、ホンマかいなと疑いの目を向け続けて今に至る。

自分は、ストレス蓄積タイプで、大小関わらず自分の身体や心が削られるとそれが古傷となって癒えることはない。一度折れたら折れっぱなし。それよりも小さなストレスが来ようが、過去のストレス(大)と比べたところで何の糧にも壁にもならず、「あの時乗り越えられたぜ」ATフィールドを素通りして、メンタルをダイレクトに抉られる。

「あの時を乗り越えた」当時の自分は確かに凄い。けど、当時と同じ強さを今現在も再現できる保障はない。



僕の居場所

自分の居場所が欲しいとは思わない。実家、昔からの友人の存在は一旦脇に置いて、公私のコミュニティについての話。ハスってる訳ではなくて、自分がコミュ障過ぎて人と話すのが億劫だから。億劫ゆえに人間嫌いだし、1人でいる方が断然息してる。独りは寂しすぎる生き方だと我ながら可哀そうに思うが、上手くやれている世界線が全く想像できないのも事実。ただ、アパートには引きこもりたくない。だから、キアヌ・リーヴスの少年時代~現在をマネて電車でウロチョロ出かけている。自分が知らなかっただけで、そういう生き方の選択肢もあったのだ。そこが僕の居場所。あとnoteも。忘れてた。



強い人間になりたい

僕は本当に弱い人間だ。外野から、やいのやいの言われただけで脆く崩れ落ち、立ち直るのにそこそこ時間を要する。僕が思うに、「強い人間」は誰かとコミュニケーションをとる以前に、「予め答えを論理の隙間なく組み立てて考えていられる人」な気がする。岡田さんみたいな。そこで、だ。ひとり録音と読書感想文の時間を今以上に濃くしてみる。発話と読み書き、によるアウトプット。「田舎と都会、どっちで暮らすべき?」というテーマに関しては、自信をもって語り合える。3回も録音したからね。強いなあ。



見返す

「いつか見返してやる」という言葉が好きじゃないので、使用を控えている。「見返す」には、相手が格上であると認め、自身は劣位に甘んじる、というニュアンスが言外に含まれる。わざわざ相手を持ち上げ、自分自身を風下に置く、言わばセルフ負け顔。それよりかはハガレンみたく「立てよド三流、格の違いってやつを見せてやる!!!」と、強く大きく出た方が良い意味でイキってて景気が良さげで気に入っている。

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