#47 コーヒー

エッセイを手にとるようになってから
読書の習慣がさらに身についた気がする
これまでも本は読んでいたが
教育書や自己啓発的なものが多く
読むというよりは
読まねばというような感覚だった
「さらに」ではないな
「初めて」なのかもしれない

エッセイを書く方たちは視点がぼくと全然違う
常に視点を意識しながら
主人公であったり
情景であったり
まだまだぼくには日常を見る視点が足りないなって
ある意味生きる意味を教えてくれるものになっている

うちに全自動コーヒーメーカーがやってきてから
コーヒーがすぐに飲めるようになった

でも,マシンが来る前の,ミルにコーヒー豆を入れて
ガリガリ回しながら砕くあの時間や
お湯を少し入れては待ち,周りに注いで待つという
あのワクワクを
マシンはその手軽さと引き換えに,ぼくから奪っていったような気がする

マシンでひいた豆
自分でひいた豆

同じ豆なのに
ふと,いま,コーヒーにおいしさを感じない自分がいた

おいしさというのは
それまでにかけた時間と比例するのかもしれない

「無駄だと思えることに,あえて時間をかけることで,新しい発見や深みが見えてくるもんだよ」

いつしか父がそう言っていたのを思い出した

そういえば,教職を休む前
プリンターから出せばいい掲示物の見出しを
わざわざ筆で書いたことがある
時間は何倍もかかるのだが

その見出しを
黒板に貼るあの瞬間の
あの心の温度と
それを見た子供の
あっという声のぬくもりは
多分,パソコンでは出すことができないものであろう

そう書きながらも
ぼくは再び豆をガリガリしようとは思わない
でも,ガリガリしていたという思い出は
思い出すたびに,ずっと心をあっためてくれるような
そんな気がする

ー記事の解説ー
・ 時間をかけた方が価値を感じるものもある
・ 環境が変わって初めて,それより前のことを思い出す
・ 苦労したことが心の中にいい思い出として残ることもある

○ 笑顔な人を増やす
○ 自分の価値観に自信をもてる人を増やす

この夢,目標を,ぼくのどんな具体で表現するか
日々探している

人って,難しい