「サタンもしくはルシファー」第4話
俺は、アメリカ国内にしばらく滞在した。
モサドは、次の訪問地を、イタリアに指定してきた。
俺はローマ法王に会うため、ローマ内にあるバチカン市国に飛ぶことになった。
教皇庁を訪れ、ローマ法王、ヨハネ・パウロ2世と面会した。
パウロ2世は「ようこそ藤堂君。モサドから話は聞いている」と切り出した。
カトリックの総本山で出会った彼は、思ったよりも物腰の柔らかい人物だった。
「藤堂君は知っているだろうか。イエス・キリストの実像を」と、パウロ2世は語り始めた。
彼の説明によると、イエス・キリストは、絵画や彫刻などでやせ細った弱弱しい姿で描かれることが多いが、元々は筋骨隆々の大男だったと言う。バプテスマのヨハネから洗礼を受けたのち、精霊によって荒れ野に誘われ、40日間の断食をする。その後悪魔の誘惑に打ち勝ち、人の子・イエスが神の子・イエスに成長する。この断食によって、逞しい身体から、やせてやつれた姿に変貌したとされている。
パウロ2世は続けた。「ユダヤ教では、メシア(救世主)の到来を今か今かと待ちわびていたが、ついに現れたイエス・キリストを救世主とは認めず、こともあろうか十字架に架けて、殺してしまった。このことから、ユダヤ人は『神殺しの民族』の汚名を着せられ、2千年もの長い間差別を受け、ディアスポラ(大離散)の憂き目に遭ってきたというわけなんだ」
彼の分かりやすい解説に、俺はイエス・キリストへの理解を深めた。どうやらパウロ2世は、宗教講義を始めたいらしい。モサドがバチカンに俺を招いた意味が分かった。
「藤堂君は、宗教の持つ意味と役割を考えたことがあるだろうか?」。パウロ2世は講義を続けた。
――イスラエルの首都・エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の世界三大一神教にとって、共通の聖地であり、今もこの地では各々の信者が、それぞれのスタイルで祈りを捧げている。
この三つの宗教は、成立や経典を異にするが、実は同じ神様を信じているのだ。ユダヤ教とキリスト教では、ヤハウエ(キリスト教では、信仰する神様に対し、父と子と精霊の三位一体説を取っており、父がヤハウエ、子がイエス・キリストとの立場を取っている)、イスラム教ではアッラー(実はヤハウエのこと)をそれぞれ信じている。
ユダヤ教は、ヤハウエが選民としてユダヤ人を執り成し、神を求めて流離う苦難の歴史を描いた民族宗教で、その様子を記した旧約聖書では、様々な奇蹟と多くの預言者から、やがて現れるメシア(救世主)を待望する。
しかし、ようやく現れたメシア、イエスを十字架に架けて殺してしまった。このイエスの死の意味を考えてみよう。
ヤハウエの計画では、肉体を持って生まれた神の子、イエス・キリストの登場で、悪魔が支配するこの世に終止符を打ち、地上天国を実現する腹積もりであった。
ところが、イエス・キリストを頑なに拒み続けたパリサイ人やサドカイ人(当時のユダヤ教を指導した支配層)らの罠に落ち、群集心理を巧みに利用して、イエスを磔刑に処したのである。
この時のヤハウエの嘆き悲しみは、いかばかりであったろうか?
藤堂君も想像力をたくましくしてほしい。
ヤハウエは、民族宗教であったユダヤ教からシフトし、キリスト教を世界宗教にする計画に切り替えた。イエスの死後から約2千年、ゴッドプラン(神の計画)は見事に成就し、カトリック、プロテスタントを合わせて24億人を数える、世界最大の宗教へと成長したのである――。
「なるほど」。俺はキリスト教の持つ意味合いを、初めて知った。
「疲れているところを申し訳ないが、もう少し話をさせておくれ。次は聖書の世界についてだ」。
パウロ2世は続けた。「旧約聖書の創世記のくだりから説明することにする。アダムとエバの話だ。創世記に描かれている部分と、かなり突っ込んだ私の推理を織り交ぜて、解説する」。
――ヤハウエは、アダムとエバにこう言った。『このエデンの園にある木の実を好きなだけ食べてよい。ただし、善悪を知る木からだけは、木の実を取って食べてはいけない』
ところが、蛇がエバをそそのかす。『善悪を知る木の果実を食べれば、神の力を得られますよ。ぜひ召し上がれ』
蛇の誘惑に乗って、エバは禁断の果実を食べてしまう。ヤハウエに背いたエバは怖くなって、アダムにも果実を食べさせる。
すると2人は、それまで裸でいることが平気だったのに、急に恥ずかしくなり、イチジクの葉っぱで秘部を隠してしまう。
ヤハウエは、言いつけを破った2人を、エデンの園から追放する――。
以上が聖書に書かれてあることをはしょったストーリーである。
ここからは、私の推理・推測で読み解いたお話である。
――ここに登場する蛇とは、ヤハウエの信頼も厚い、天使長のルシファーのことである。ルシファーは最初、ヤハウエにアダムとエバの養育係を命じられ、それなりにこなしていたが、徐々にエバの魅力に引き込まれ、アダムに嫉妬するようになった。
(何で眉目秀麗で、頭脳明晰の俺様が、人間の世話をしなきゃいけないのだ?アダムより俺の方が魅力的に違いない)と、ルシファーはヤハウエに背く決意をする。
ある日、ルシファーはエバを誘惑する。エバはルシファーの魅力の虜となり、アダムの許嫁であるにもかかわらずルシファーに心を許し、遂にはルシファーと性交してしまう。純粋無垢だったエバは、恥じらいを覚えると同時に、神に背いた罪の意識を紛らわす為に、今度はアダムを誘惑し、アダムとも性交を重ねてしまう。
この裏切り行為がヤハウエの逆鱗に触れ、『ルシファーよ、お前は何ということをしたのだ。地を這う蛇となって生きよ』と命ずる。堕天使となったルシファーは、悪魔の長・サタンに姿を変え、永遠にヤハウエに反逆する決意をした挙句、天使族の3分の1を引き連れて悪魔(デーモン)族を形成し、闇の世界を作った――。
「聖書に描かれていない世界か、なるほど。それにしても、禁断の果実が、セックスを意味していたとはショッキングだ」
俺は改めて聖書への認識を新たにした。
「ところで藤堂君、ユダヤの秘密組織・フリーメーソンを知っているか?」
「ああ、聞いたことはあるよ」
「フリーメーソンは中世のテンプル騎士団が起源だ。テンプル騎士団は、十字軍がイスラム世界から、エルサレムを奪還した後に誕生した。今の銀行システムの基礎を作り、金融業で莫大な富を築いた。その後、当時のフランス国王フィリップ4世の弾圧を受け、生き延びるために海賊になりすました。さらに石工職人に姿を変えて、今のフリーメーソンが誕生したというわけだ」
パウロ2世はさらに続けた。
「フリーメーソンの陰に隠れて、イルミナティという秘密結社が存在する。一種の悪魔崇拝を掲げており、『新世界秩序』と題した世界政府の実現を謳っている」
「どうしてそんなことを俺に説明するんだい?」
「実は、カトリックの総本山のバチカンで、イルミナティに属する司祭が、大部分を占めているという事実を、君に教えたくてね」
「カトリックが悪魔崇拝?」
俺はブラックジョークにしては出来過ぎの話に、思わず苦笑いを浮かべながら、聞き入っていた。
「バチカンの実態が世間に知られたら、私の立場も危うくなる。だから、反フリーメーソン、反イルミナティを掲げているのだよ」
「なるほど、それは公にできない話だな」
俺は興味深げに聞いていた。
「ユダヤ教とカトリックが、こんなところでつながっているのか?」
俺はますます興味を持った。
「何か質問はあるかね、藤堂君」
「モサドの連中から聞いたことだが、イエス・キリストの再臨が、どうも俺らしいという情報は、バチカンにも入っているのか?」
「もちろんだとも。君がメシアの可能性が高いとの報告を受けているよ」
「俺がエルサレムで啓示を受けたのは、事実に違いない」
改めて、自分の置かれた境遇に、言い知れぬ期待と不安が交錯した。
その夜、考え事をしていた。悪魔と天使に対する考えだ。パウロ2世の講義も併せて俺なりに解釈していた。
ユダヤ・キリスト教の世界では、悪魔と天使は付き物である。西欧世界ではありきたりの事であるが、日本ではなじみが薄く、いまひとつピンとこない。
聖書でもおなじみの天使、ミカエルやガブリエルを始め、ラファエル、ウリエルなど紹介すれば何千と名前が出てくる。一方、悪魔の方も、サタンを筆頭にベールゼブル、デビルと、これまた何千のデーモンを羅列することが可能だ。
少し哲学的な物言いになるが、どうしてこの世に悪がはびこっているのだろうか?どうして戦争はなくならないのか?いつになったら世界平和が訪れるのか?などの疑問。
それは、先ほども述べたように、天使の長・ルシファーが率先して罪を犯し、エバを抱いてしまったように、人間のエバ、アダムも次々と罪を犯した。この時点で、『善』しかなかった世界に『悪』が入り込んでしまったのである。
この結果、ルシファーは自ら堕天使となり、悪魔の長・サタンに姿を変え、デーモン一族を引き連れて神・ヤハウエに叛逆する道を選んだ。一方、楽園で悠々自適な生活が送れるはずだったアダムとエバも、楽園を追われ苛酷な労働を強いられると同時に、女性は出産の苦しみを味合わされるはめに陥ってしまったのである。
つまり、ヤハウエは人間を作った時点で、予想すらしなかった失敗をしてしまったのだ。以来、人間の歴史は悪魔が支配する言わば〝偽りの歴史〟にならざるを得なくなった。
もちろんヤハウエも手をこまねいて見ているわけではなく、天使や精霊を総動員して、人間界に聖人・君子を送りこみ、善の世界に変わるよう働きかけてきた。
この世界は、善と悪が共存している。実を言うと、われわれ一人一人にも天使と悪魔が住み着き、両者が常に働きかけているのだ。ふだん大人しい人も、何かのきっかけで人が変わったように怒り出すこともあるだろう。この例で言えば、大人しい人格は天使が働いているからで、怒り出す人格は悪魔が働いているに違いないのである。
仲の良い兄弟が、酒の席で口論になり、カッとなって刃物で相手を刺し殺す―などの事件も時折見られるが、冷静になって「我に返る」と何で殺人など犯したのか?「魔が差した」としか言いようがないと後悔しても後の祭りである。この場合、我に返ると大人しい天使の人格なのに、魔が差すように、悪魔の人格が邪魔をして、ときとして災いを起こすのである。
哲学で、人の性分を大別して「性善説」とする哲学者と「性悪説」とする哲学者に分かれるが、上記の通り俺は「善悪両性説」を提唱する。
以下に述べることは、ふだん俺が考えていることに加え、パウロ2世から得た知識を織り交ぜたものだ。
すなわち、ユダヤ教の意味することは、ヤハウエとイスラエル民族が交わした契約をベースに、サタンの支配するこの世界を神・天使の側に取り戻すために、ヤハウエが仕組んだ民族宗教であり、壮大なゴッドプランである。
旧約聖書に描かれている世界は、多くの預言者にヤハウエの言葉を託し、将来必ず現れるメシア(救世主)を待ち望む、一大叙事詩だ。そうして現れたイエス・キリストは、待望のメシアだった。
一方、イエス・キリストの出生については、未だに謎が残る。父ヨセフ、母マリアの間に生まれたとされるが、ヨセフはマリアと婚約したものの、マリアを知らないまま、マリアが懐妊した。ヨセフはマリアの不貞を疑い、秘かにマリアとの婚約を解消しようとする。ところが、ヨセフの夢見に大天使ガブリエルが現れ、「マリアを疑ってはならない。マリアは精霊と交わり、妊娠したのだ。この子は世の中を治め、世界を変える人となる。生まれたら、イエスと名付けなさい」と啓示する。
満を持して現れたイエス・キリストだが、新約聖書に描かれているように、ユダヤ教の長老や祭司、律法学者たちは、はなからイエスを疑い、あらゆる手段で彼を貶めようとする。イエスは長老や祭司、律法学者たちの腐敗や堕落ぶりを鋭く指摘し、彼らを論破する。面白くない長老や祭司、律法学者たちはユダヤ教の大御所である立場を忘れ、イエスの揚げ足取りに終始する。
すなわち祭司長を始めとする特権階級、中上流階級は、イエスを救世主とは認めなかったのだ。一方、イエスの支持者は弟子を含め下層階級ばかりだった。
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