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夜道に後ろを歩かれる恐怖

人気のない住宅街の夜道を歩くとき、家と家の間に魔がいるのではないかと私は恐怖する。その魔というのは、幼いころはお化けだったり怪物だったりしたのだが、成人してからは心霊的な存在が一切信じられなくなり、考え方がガラリと変わった。住宅街の隙間に潜む魔というのは自分の精神が作り出す幻であって、つまり実際には魔はそこに存在しておらず、自分の精神の隙間にこそ潜むのだと思うようになったのだ。

そして数日前、ついに私は魔に遭遇した。会社の飲み会に参加した帰り道、後ろから「コツ、コツ、コツ」とだしぬけに足音が聞こえてきたのだ。振り返ると、黒い鞄を手に持ったスーツのサラリーマンが歩いてきた。

あれはどう見ても私の想像してきた魔ではなかった。人の形をしているし、働き盛りの頑健な歩き方だったし、どうみても早く家に着きたいだけだった。それに家々の隙間には潜んでおらず、道路をまっすぐ歩いてくる。あれは幻ではなくただの通行人だ。

しかし私は今までになく恐怖した。私の理性はさっき言ったような冷静な分析を伝えてくるのだが、本能が「今すぐ走り去ってアレから身を隠せ」と命じてくるのだ。夜道に後ろを歩かれるのはこれほどの恐怖なのかと驚愕した。サラリーマンには悪意が全くないはずなのに。

それになんということだろう、私が住んでいるアパートに着いたら、スーツの彼は上の階の部屋に帰っていったのだ。彼はいわば上階のお隣さんだった。なんて気まずいことだろう。無駄に神経をすり減らしただけだった。





私は常々、夜に女性の後ろを歩く男性に同情してきた。彼らはなんの悪事も働いていないのに、ただ後ろを歩いていただけで恐怖され、女性から睨まれ、気を使って寄らなくてもいいコンビニに避難したり、そっと追い越して距離をとったりして、彼らなりの無害アピールを強いられるのだ。なんとも不憫なことだ。

もちろん女性側の恐怖も理解している。女性が男性に後ろを歩かれるというシチュエーションは実際かなり危険だ。自衛のために要らぬ警戒をしてしまうのも無理はない。それに、警戒を怠って襲われでもしたら、なんだかんだで「夜に女一人で出歩くなんて不用心。襲われたのは自己責任だ」などとネットで心無いことを言われてしまうだろう。

だが男性側の気持ちもよくわかるのだ。近年は国民総発信時代であり、「女性に警戒されるのは傷つく」とか「日本は安全なんだからそこまで警戒しないでほしい」とか、男性もそうやって傷ついた心を耳目に晒すようになった。まあ、女性が警戒しなければそれはそれで彼らは文句を言う気もするのだが。

しかし今の日本人は誰も彼もが精神的に疲れきっている。不景気な社会に虐待され、いつも何かと戦って、つねにイライラを募らせながら街を歩くのだ。そうすると、そういう精神的苦痛に耐え抜く余力がもう残っていない。夜道に後ろを歩かれるのはたまらなく怖いし、後ろを歩く側もたまらなく辛い。だからどんな印象論を振りかざされても、結局は互いに警戒しあうしかないのだ。

だが、私は警戒される側の性別でありながら、後ろを歩かれる本能的恐怖を知ってしまった。だからここはひとつ、女性に警戒されてきた男性諸君も、夜道を一人で歩いてみてはどうだろうか。急に後ろを歩かれるのはけっこう怖いものだ。

それか、私のように自分の精神に潜む魔に対峙してみるといいかもしれない。結局のところ、自分の思い込みが一番恐怖を掻き立てるのだ。

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