見出し画像

繊細な自分としっかりしている自分とのギャップ

繊細な自分と刺激を求める(しっかりしてる、やる気のある)自分とのギャップに苦しんでます。

HSP(繊細さん)という言葉は知っていたし、本も読んだり、診断をしたりしたりしたけど、どうしても当てはまらない項目もあり、自分が繊細なんだと今ひとつ確信が持てませんでした。

周りの評価は、しっかりしている、飄々としている、淡々と仕事をしている、やる気のある、安定しているなど言われます。
でも、心の中では、いつもビクビクしていて、怖いことでも、何だかんだでできてしまったりして、今の職場でも評価してもらってますが、心の中では辛いなといった感情が年々強くなってきてるなと感じています。

会社のために頑張ろう、期待に応えようといった気持ちが強くて、それが自分のやりたいことなんだと思ってましたが、いつの間にか、自分のモチベーションがカラカラになってしまっていることに気づきました。

やりたいことの見つけ方という本の自己理解プログラム(無料)を受けて、自分は共感性、調和性やら、責任感が強くて、自分を満たすことよりも先に、周りにどうしてあげようかと無意識に先に考えてしまい、心が疲れてしまっていることがわかりました。

最初は好きでやっていたことでも、それがやる気があると見られて、色々と頼まれるようになって、自分も人の期待に応えるのが好きだから、頑張ってしまうところがあって、それがどんどん重荷になってるんだなとわかりました。

あと、自分には矛盾した感情が沢山ある事に気づいて、
例えば、
慎重なのに、チャレンジしたがる
仲間を求めるのに、社交性がない
他人の成長させるのが好きなのに、自分の成長を優先したい気持ちがある
ポジティブなのに、ネガティブで慎重
男らしくありたいけど、可愛いもの、曲が好き

繊細さと力強い自分のギャップがありすぎて、ふとしたときに、心が分裂しそうになって、苦しくなる時があります。

今思えば、幼い時から、自分は泣き虫で繊細な一面がありました。人前で発表するときに泣いてしまったり、意地悪な子に、ちょっと小突かれただけで、すぐ泣いてしまったりしたのを思い出します。

年の離れた下の弟ができてからは、兄としての自覚が芽生えたのか、泣かなくなり、思春期に近づくにつれ、男らしさという鎧を着るようになっていったたのだと思います。
逆に自分の感情の出し方も下手になり、繊細さを隠して生きてきたのだと思います。

今は、弱い自分を見せれる人はできて、そういう自分を好きでいてくれる人もいることがわかりましたが、
社会は厳しいものですし、弱い自分では生きていけないので、なんとか自分を奮い立たせて、無理をして仕事をしているのかなと考えました。

繊細さを隠して、無理して生きてる男性もいるんじゃないかなと思います

繊細なら大人しくすればいいのに、やたらと何かやりたくなるのが、矛盾した感情にがんじがらめになって苦しい






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?