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生きる意味なんてない

生きる意味というものについて皆さん1度は考えたことがあるんじゃないかと思う。特にnoteにいるような人たちは。現に生きる意味についてのnoteも沢山見た。一応ここに自分の思う生きる意味について書こうと思う。

一言で言うと「そんなものはない」のだ。物事全てに意味を求めすぎな気がしてならない。自分自身に関係する物事に対しては特に意味を求めてしまう傾向があると思う。自分もそうだ。何でもかんでも意味を求めすぎると生きるのがだんだん苦しくなってくる。

正確に言うと、生きる意味は普遍的に考えてないと思っている。普遍的っていうところがミソだ。普遍という言葉の意味を調べると、「全体に広く行き渡ること。例外なくすべてのものにあてはまること。」と出てきた。つまりみんなに共通するような生きる意味はない、ということを自分は言いたい。

逆に個人個人にとっての生きる意味はそれぞれ勝手に持っていてくれていいということも言いたい。普遍的な生きる意味はないと思うけど、各々が思う生きる意味は自由だ。あってもいいし、なくてもいい。どんな生きる意味があってもいい。自分自身で決めた生きる意味に自分自身が苦しめられなければ生きる意味があっていいと思う。

生きる意味について考えてしまうのは自分が生きていい人間、存在価値がある人間だと思いたいからじゃないかと思う。ただそんなことを考えるようになったらYouTube見て時間を溶かした方がいい。存在価値なんてみんな等しくそんなものは無いのだ。しかし生きる権利はある。何も考えずただ目の前のことを楽しめばいいと思う。あんまり先のことを考えたら精神衛生上良くないことが多い。ただ生きてるだけでいい。

ちなみに自分にとっての生きる意味はない。何も思いつかないからだ。ただ今日飲んだスタバの新作?のピスタチオのやつが美味しかったし、明日は映画を見に行くのが楽しみだ。クリスマスだけどもちろん1人で。こういうのが生きるってことなんじゃないか。こんな感じの小さい小さい幸福感を積み重ねて生きたいと思ってる。そうしないと疲れちゃうから。何でも一気にやろうとすると大概良くない。ちょっと頑張ってちょっといいことがあってちょっと嫌なことがあって…というのが一番ちょうどいい。全部に疲れた時はただ生きてるだけでいい。時がすぎるのを待つ。

どうせ将来の自分にいずれ病み期が来ると思うから、その時用という意味でも書いておいた。みなさんは明日どこに行って何を食べるのでしょうか。他人の生き方をちょっと覗き見してみたいこの頃です。

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