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0:00に誕生日を祝ってくれる友達

誕生日を祝ってくれる人なんてそんないない。自分は友達は少ないし、LINEをくれるのは家族ぐらいだ。しかしそんな自分にも誕生日に0:00ちょうどにLINEをくれる友達が1人いる。そんな彼について書いていく。

彼と出会ったのは小学生の時だ。どうやって仲良くなったかとかは覚えてない。気がつけば一緒に休み時間遊んでいたし、よく喋っていた。何を喋っていたかなんて覚えてないけど、あまり他の人から感じたことの無いユーモアがその時からあった。

中学校も同じ学校で同じ部活だった。同じクラスの時は休み時間に何か中身のない会話をしたり、部活では顧問がいない時にふざけ合ったり、祭りの日には仲の良いグループで遊びに行ったりとか普通の楽しい日々を過ごしていた。ただ楽しかった。その日々の中には彼がだいたいいた。

高校はそれぞれ違う高校に進学した。中学校の頃みたいに毎日喋ることはなくなったけど、祭りの時とかは相変わらず中学校のメンツで行ってた。自分は高校で大して友達はできなかったけど、彼は友達作りに苦労しないタイプだった。「俺の友達にならない?」と相手にはっきり言えてしまうような人間だから。とてもじゃないが自分にはできない。

そしてお互い大学生になって今に至る。違う大学で物理的な距離も離れているし定期的に連絡を取ることも遊びに行くこともない。

こうやって書くと普通の友達みたいだし実際そうなんだろうけど、自分にとってはとても大切な友達なのだ。付き合いが長いとか一緒にいた時間が長かったのもあるけど、歳を重ねるごとに彼の人間性に良さに気づけてきたのが大きい。シンプルに良い奴だ。

大学2年の頃に1回彼の家に遊びに行ったことがある。ラーメン食べに行ったり温泉入りに行ったりして楽しかった。久しぶりに会ったこの時に急にコイツすげえなと思い始めた。なんというか基本的に欠点が見当たらないのだ。店員にもちゃんとお礼を言うし、運転も上手いし、器も大きいし、愛想も良ければコミュニケーション能力もある。正直人間性的に自分が勝ってるところが無さそうだ。人間性に勝ち負けなんてないと思ってるけど、彼は世間一般的にどこでも受け入れられるような良い性格をしてる。

ではなんでそんな風に彼を見るようになったかというとやっぱり距離ができたからなんじゃないかと思う。距離が近くなったら相手の欠点ばかりが目につくという現象を恋愛とかでもよく聞く。そんな感じで距離が遠くなった分良いところが際立って見えるようになったのかなと思う。まぁ距離が近かった時から彼を悪く思ったことは無いけど。

あとは昔の自分は人間をスペックで見てた節があった。同じ学校で同じ部活だとどうしても比較してしまう。事実自分の方が勉強はできたし部活の試合にも出れてた。彼に限らず他の友達に対してもそんな視点から見てたと思う。距離ができたからか、ある程度自分が大人になったからかそんな視点がいつの間にか無くなって1人の人間として向き合えるようになったんじゃないかと思う。そうであって欲しい。


今振り返ると、彼にデリカシーの無いことを結構言ってたんじゃないかと思う。今更あの時ごめんみたいに言うのもなんか違う気がするけど、今後そんなことが無いようにしたい。前家に遊びに行った時にやらせてくれたゲームを本当につまらなさそうにプレイしてたのもきっとバレてるし申し訳なく思っている。


彼と出会えて本当に良かったと思っている。彼と出会えた自分は運が良い。そして彼には幸せになってもらいたい。自分がそんなこと思わなくても彼は幸せな人生を送れるだろう。アイツが幸せになれないわけがない。今まで彼と女の話をしたことがあまり無かったけど、普通に結婚して子供もできて良い家庭を築けると思ってる。そうなってもできればたまには会いたい。その時に子供にサッと小遣いをあげれるような子供にとって都合のいいおじさんになりたい。そのためには自分もしっかりしなくちゃいけない。アイツの未来を見るために。

彼の好きなところとして自分のことを名前で呼んでくれるところがある。自分は人を名前で呼ぶのがなんとなく苦手意識があって、友達相手でもお前とかあなたとかと言ってしまう。でも人から下の名前呼び捨てで呼ばれるとなんか嬉しい。だから今度会えた時にはできるだけ名前で呼びたい。そしてその時を楽しみたい。

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