「日本の医療の不都合な真実」コロナ禍で見えた「世界最高レベルの医療」の裏側、 からの提言を読み解く

現場の医療従事者の使命感のみに支えられてぎりぎり成り立っている、今のコロナ禍の医療。泣きながら職務を遂行している看護師がいるとも聞きます。

そうなのでしょう。未曾有のパンデミックの現場に突然放り込まれ、心身とも限界までの対応をせまられる状況になったのですから。

ましてや重責を担っているコロナ対応の医師の先生方の身体的精神的疲労はいかばかりのものでしょうか。

現場を知らない部外者が軽々とコメントできることではないですが、何とか休める時には休んで欲しい。そんなことしか私には言えないです。

私たちのためにそのような過酷な状況にある人たちに少しでも休息の時間を、と願うだけです。

だけど、これが日本の医療なのでしょうか?
日本は医療先進国、世界最高レベルの医療技術がある国なのではなかったのでしょうか?
未曾有のパンデミックだから仕方がない?

メディアでは連日、感染抑制第一か経済重視かの議論が続いています。
このまま強力な感染抑制策を打ち出さないと、重症者数、ひいては死者数が増加すると。

一方で、そのような政策では経済が回らなくなり自殺者数が増加すると。

誰も正解を持っていないことだから議論が終わることはなく、市民は不安になるばかりです。

森田洋之先生著「日本の医療の不都合な真実」コロナ禍で見えた「世界最高レベルの医療」の裏側、との出会い

そんな時に出会ったのが森田先生の著書「日本の医療の不都合な真実」コロナ禍で見えた「最高レベルの医療」の裏側、でした。

経済学部出身であり医師でもある医療経済ジャーナリストの筆者が、本書で訴えたい事としてこう述べています。

「新型コロナ及びその他医療業界全体のさまざまなデータを事実としてしっかり認識し、それらをマクロな視点で評価・分析することで見えてくる、日本の医療の構造的な問題」であると。

本書全体を通し、筆者は常にデータに基づいて論じています。

本書要約

以下は本書の要約として、各章の主要ポイントを私の独断でピックアップしました。(要点の選び出しという点で、筆者の意図と沿ってない可能性があります。)

はじめに
・日本では超過死亡はほぼ発生していない。(第1波最高潮の4~5月データ)

第1章
・アジア各国の死亡率が低い要因として、BCG仮説と既存のコロナウイルスによる交差免疫(仮説)の可能性が残る。
・コロナ対策病床は全病床のわずか1.9%だった(本書執筆時)。

第2章
・日本人は検査を好む性質があり、検査することで安心できる。
・ウイルスすべての駆逐は不可能である。
・最終的にウイルスを殺してくれるのは自分自身の免疫である。

第3章
・イタリアで一時医療崩壊が起きたが、医療崩壊しなかったら、日本や東アジア各国のような低い死亡率でこれらの死亡者を救えた、とは考えにくい。

・ヨーロッパの国々では、「その人にとって尊厳ある人生とはどういうものか」を非常に重視する傾向にある。

・心・体だけでなく「社会」も見るのがプライマリ・ケア。

・多くのヨーロッパの国々では、病院のほとんどは自治体の運営による「公立」であり、病院・病床の柔軟な運用が可能だった。

・迅速な危機対応と体制整備が求められるパンデミック時において、自主独立を担保された民間病院が多い日本のシステムは、その弱点を露わにしてしまった。

第4章(コロナ禍以前からの日本の現状について)
① 病床数と平均寿命の関連性は低い。

② 病床数が多い都道府県ほど一人当たりの医療費もかかっている。

③ 医療費の膨張を抑えるために医師数と診療報酬が制限された。

→診療報酬が低く抑えられたために、患者を多く集めて薄利多売する事でしか病院の収益を維持できなくなった。

→病床数は世界一にもかかわらず、各病院が(診療報酬を削られた分、普段から)満床を目指しているため救急車を受け入れる余裕がなく、たらい回しが生じる。

→医師数も制限されたため、医療の提供量・需要量がずばぬけて多い日本では、必然的に医師が忙しすぎる(ブラックな労働環境)。

④ 医療市場の失敗:医療においては市場原理が働かない(病院が過剰に増えても淘汰されるのではなく、医療需要量と供給量が増えてしまう。つまり病床の数だけ入院患者が生まれる)

⑤ 病院の統廃合は地域医療の切り捨てではなく、むしろ救急車のたらい回し解消に寄与する可能性がある。

⑥ 公立か民間かを問わずすべての病院は「公的存在」であるべき(医療機関の原資はほとんどが健康保険・税金などの公的資金なのだから、医療とはそもそも公的存在であるべき)。

⑦ 終末期医療に正解はない。常に起点にすべきは患者本人の思い。

第5章
医療崩壊した夕張で起きたこと。

終章
・これまで私たちが見てこなかった、軽視してきた、たくさんの死がある。
・今回のコロナ禍は「医療的な恐怖で世界を動かせる」ことを図らずも証明してしまった。

二つの提言:「医療構造の変革」と「プライマリ・ケアの拡充」

本書全体を通して森田先生が提言されていることは、以下の①医療構造の変革と②プライマリ・ケアの拡充の2つに集約されると私は考えます。
(私見であり、著者の意図と異なる可能性があります)

平時から、
① 民間病院を含め、医療機関は公的存在であるという認識を国民全体に醸成し、指揮命令のもと、迅速な病院間の連携を可能にするなどの機動的運用ができる医療体制を構築しておくこと。

② プライマリ・ケアを拡充すること。

そうすれば有事にも、
① 一部の医療従事者のみが身を削るような犠牲的労働を強いられることもなくなる。

② 患者に寄り添う治療を提供し、患者本人が望む形での尊厳のある最後を迎えることが可能になり、図らずもそのことが、医療のひっ迫を緩和する可能性すらある。

①医療構造の変革

「そんなこと、パンデミック真っ只中の今言うな!」「聞く耳もたぬ!」
そんな怒りの声が、医療従事者からも、行政に携わる方々からも聞こえてきそうです。

当然でしょう。このような、大掛かりな構造転換が必要な話をされても、心身ともにぎりぎりの状態で、今日明日の一瞬一瞬を必死に患者を助けようと携わっている人には、今何を言っているのだ、と思われるはず。

でも、なのです。まさに有事を体験している今だからこそ、このような根本的な課題があることを理解できるのではないでしょうか。

「日本の医療の裏側にある構造的な矛盾や問題点」に気づいていた筆者も、今回のコロナ禍を機に、それらの矛盾や問題点が、日本の医療全体ひいては国民生活におおきくのしかかるのを体感したこと、そしてそれが世間でまったく認知されていないことを感じ、本書を執筆したと述べられています。

以前から日本に当たり前のようにあった構造であるため、一般の私たちにはそれが問題であると感じることのなかった医療の構造について筆者は問題提起しているのです。

「今、そんな問題提起されても考える余地などない」と思われる方がほとんどでしょう。特に医療の現場、行政の立場でお仕事をされている方々はそう思われるでしょう。

でも、今だからこそ、そうした問題を提起されて、「あぁ、もしかしたらそうなのかもしれない」と頭のどこかで感じることができるのではないでしょうか。
今、パンデミックのただなかにいるからこそ理解できる問題提起なのではないでしょうか。

今すぐ動けなくとも、問題を感じ取ることができた人々がそれを記憶し、少し落ち着いてからでも構造変革への動きが始まれば本書の意義はあったと思うのです。

②プライマリ・ケアの拡充

森田先生は本書の中で、プライマリ・ケアとは心・体だけでなく「社会」も診ると繰り返し述べられています。
そして、プライマリ・ケアは「患者さんの思いを傾聴し、人生に寄り添うこと」であると。

今日もテレビからは、過去最多の感染者数、重症者数のニュースが流れ、第3波の収束の兆しも見えない、まさにパンデミックの真っ只中にあります。

強力な感染抑制の措置を取ると、痛ましい自殺が増えるという、誰も経験したことのない、誰もが手探りの状況にいます。

誰一人、日本経済が、日本の医療が崩壊していいなんて思っている人なんていません。それぞれが正しいと思う事を、良かれと思って主張し、ぶつかり合っているのです。

政策のかじ取りのみならず、PCR検査についても、ワクチンに関しても、マスクの効用も、新型コロナそのものについてすら議論が分かれています。
歴史として振り返った時、解明されることが多くあるでしょう。

私が、この混沌の状況の中で、本書を読んで希望を見出したと感じたことがあります。それは、森田先生が繰り返し述べられているプライマリ・ケアの大事さにつながることでもあります。

森田先生は、心身も社会も診るのがプライマリ・ケア医であると述べられています。そうであれば、今回のようなパンデミック時にこそプライマリ・ケア医が必要なのではないでしょうか。

例えば、感染抑制のために自粛要請され、収入が激減したり失職したりすれば、精神的にも身体的にも追い込まれることになりかねません。

細分化された専門医が多い現在の医療体制では、医師は、患者の不調の原因となった社会的経済的要因に同情はすれども、医師自身が各患者の社会問題に関与することはなく、その不調に対して「お薬をだしときましょう」で終わってしまっています。

寄り添ってもらえる診療にはなっていないのです。薬よりも傾聴がより治療的効果が高いかもしれないのに。

でも、現状の薄利多売のシステムの中で業務をこなさなければならない医師にそれを求めるのも酷であります。

患者は、心身の不調の原因となった社会的経済的問題の解決の糸口をみつけられなかった時、自殺という選択が頭をかすめるかもしれません。

もしそんな時に、医師という医療の最高の専門家に自分の人生に寄り添ってもらえていたら、そんなプライマリ・ケア医が身近にいれば、今回のようなコロナ禍のような状況でも自殺者が減るのではないかと、そんな希望を持ちたくなります。

この事は著書の中では言及されていません。無知な一般人の私の夢物語と笑い飛ばしてもらって構いません。でも、正直に、そのようなプライマリ・ケアの拡充された日本になれば、と願っています。

逆に、経済を回すための施策の結果として感染者が急増した場合でも、人々に普段から人生に寄り添ってもらえているプライマリ・ケア医がいれば、(感染症の分類によりますが)そもそも入院という選択は今よりは少ないでしょう。その結果、医療ひっ迫の可能性も低く抑えられると考えられます。

ですが、プライマリ・ケア医を増やすと言っても、一朝一夕に実現できるものではないのは明らかです。

「無理難題を言うな」と言われそうですが、暫定的にでも今、そのような役割を担える先生がおられるなら、その助けが、今苦しみの中にいる人に届いてほしいです。

さいごに

今回のパンデミックは私たちの生活と健康に多大なダメージを与えました。まだまだ終わりが見えません。医療ひっ迫をもたらし、医療崩壊の可能性すら報道されています。

ですが、センセーショナルな報道から少し離れて日本の医療体制を俯瞰した時、医療提供の構造が今とは少し違っていたら、医療資源が適時に適切に利用できるようなシステムが整っていれば、日本の医療がこのようなことで簡単に崩壊しないのではないかと、森田先生の著書から教えられました。

経済を止めて血を流す前にやるべきことがあるはずと。それはまた、患者の思いと尊厳を守ることでもあり、一部の医療従事者に犠牲を強いる今の状況を改善するためでもあります。

今まで目を背けてきた、いや、当たり前と思い気づくことのなかった医療構造の問題に、コロナ禍の今だからこそ向き合えるのではないでしょうか。

この書籍レビューで伝えきれないことがたくさんあります。行政に携わる方々、医療従事者の皆さま、一般の多くの人々に読んで頂き、この問題の認知が広まることを願ってやみません。

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