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映画『Ribbon』、のんは天才?


「絵描いてたんだよ!」
コロナウィルス蔓延により美大の卒業作品展の開催が中止になった。主人公いつかは、立ち入り禁止の大学で制作を続ける親友・平井の身勝手さを責める。しかし、平井の答えは表現を奪われた者として当然の怒りのように聞こえた。

『Ribbon』は怒りを原動力にしている映画だと思う。平井がいつかにぶつけた瞬間的な感情の爆発、言葉の力、その最大瞬間風速は計り知れない。ふたりの争いに正しい、間違いはないだろうし、その怒りは正解のないコロナ禍を生きる者のやり場のない怒りのように思える。この怒りを見過ごすことなんて誰も出来ないだろう。ふたりはわたしたちの怒りを吐き出してくれたのだから。

のんが演じるいつかのキャラクターが好きだ。彼女は良く言えば「純粋で天真爛漫」、でなければ「わがままな子供」だ。しかし、彼女がコロナ禍でも子供のままでいられるのは、彼女を守り、愛を与える家族の存在があるからだ。おかしくて、ちょっとウザくて、けんかもする。それが家族だ。当たり前と思っている日常が、いかに尊いものなのか改めて考えさせられる。愛されキャラを演じさせたら、のんの右に出るものはおそらくいないだろう。のんはそうした自らのパブリックイメージを的確に理解した上で演出し、見事に演じている。

のんは能年玲奈という名前を奪われた過去を持つ。今回のコロナウィルスでは「創作あーちすと」としての表現の場も奪われた。それでもなおのんが輝いているのは、彼女を愛する者たちの存在があるからだ。『Ribbon』はそんな愛されキャラの彼女だからこそ作ることが出来た作品であると思う。コロナ禍の先、彼女はいったい何を表現するのであろうか。

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