映画『ウエスト・サイド・ストーリー』
「アメリカ」、「マンボ」、「トゥナイト」に代表される『ウエスト・サイド・ストーリー』の名曲には時代や人種を超えて受け入れられる普遍性がある。1961年版映画のエンドロールでソウル・バスは「keep right of street」というメッセージを掲げた。「正しさ」をめぐりかつてない分断が世界中で起きているいま、本作が製作された意義は非常に大きい。
これはただのリメイク作品ではない。60年の歳月はキャラクターに新たな視点を与えている。ジェッツはウエストサイドの再開発により今まさに居場所を失おうとしている。シャークスと違い定職を持っていない彼らは、アメリカ都市部の再開発、家賃上昇に伴う立ち退きや失業する白人労働者の現状そのものである。ただの街の不良ではない、時代に翻弄される労働者階級としてを描かれ、「ジー、オフィサー・クラプキ」で彼らの厳しい境遇が強い説得力と我々の共感とともに歌われる。
本作の女性描写についても触れておきたい。劇終盤の薬局でのシーン、ジェッツの女性達は暴行されたアニータを助けようと人種を超えて連帯し、バレンティーナはレイピストという強い言葉を用いて男性達を非難した。これは近年ハリウッドの映画プロデューサーによる性的暴行とMe Tooを想起させる。1961年版では決して出来なかった描写だろう。
そしてエニボディズは生まれ変わった。ジェッツに「相棒」と呼ばれ誇らしい笑みを浮かべるが、演じるエズラ・メナスはノンバイナリーを公表している。このことから理解できるようにエニボディズは本作ではLGBTQとして描かれ、その名の通り何者でもないキャラクターが自らのアイデンティティを60年かけてを獲得したようにも見える。
われわれの価値観は時と場所、人によって変わる。そしてそれはうつろいやすい。正しさをめぐる対立は続いており、60年前と何ら変わりはない。しかしソウル・バスのメッセージに本作の回答があるとするならば、対立ではなく、対話の中でしか「正しい道」は生まれないということだろう。リタ・モレノの歌う「サムウェア」は模索し、さまよう我々に希望を与えてくれる。
最後に本作は一流のエンターテイメント作品であると言っておきたい。『シンドラーのリスト』以降、タッグを組むスティーブン・スピルバーグと撮影監督ヤヌス・カミンスキーは、舞台の持つ躍動感を見事にスクリーン上で表現し、この普遍的な名作を蘇らせた。本作を劇場で鑑賞する事はこの上なく貴重で贅沢な映画体験となるだろう。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?