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かしましかしましまし Vol.15(藤居)  ~愚か者になろう!〜 最終回

コーネリアスといいオザケンといい僕のアイドルが連続して炎上している昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。

論点は様々あるみたいですがその一つに90年代サブカルにケジメをつけるときがきたみたいな論調もしばしばみられますね。

やはりそうなって来ると外せないのは「シン・エヴァンゲリオン劇場版」上映による「エヴァンゲリオンシリーズ」の完全終了でしょうか。

まあオザケンの炎上は内容が個人的におもろすぎたんでこの際90年代絡ませたのもただの当てつけなんですけど、コーネリアスの件に関しては当時のお下劣ブームみたいな出版界の流行りのようなものも一枚噛んでると言われていますね。(内容をブームの方向に過度に装飾したりとか)

僕はこれに関して、「いじめは良くない」とか「罪と向き合うべき」みたいな一般論ももちろん言われて然るべきだとは思うのですが、やはり最近はSNSによるこういうわかりやすい絶対悪への糾弾って過度にヒートアップしすぎてると思います。

決して加害者を擁護したいわけじゃないのですが、加害者、今回で言えばコーネリアス、小山田圭吾さんに対して何か物申そうというのであれば、その発信者は自分の感情だったりその場のSNSのテンションを一回俯瞰する時間が必要だろうと思います。

いつからこんな刺々しい言葉の応酬が当たり前だと思うような世の中というか社会になってったんやろうなあと思います。奥ゆかしさなんて全く縁のない世界ですよね。

僕はこういう今の世の価値観において絶対受け入れられんのやろうなと思うアニメをこないだ見ました。

機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」と言います。

一ヶ月ほど前から全国の劇場にて上映している「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」のトレーラーがあまりに面白そうだったために、それを見るためだけにガンダムシリーズを追い続けて、結果、映画を観た後もガンダム熱はおさまらず気づけばOVAである上記作まで手をつけている次第です。

ちなみに1991年の作品で、図らずともこれも90年代のサブカルチャーですね。

結論から言うとこちら、かなり男臭い作品です。いや「漢」と表記した方が正確かもしれません。

主人公はコウ・ウラキと言う青年でいわゆるモビルスーツパイロットなのですが、これとほぼ同等に重要な人物として、敵軍(ジオン軍)のパイロット、アナベル・ガトーという人物もおります。

この物語は戦争ならではのいろんな政治的な思惑やしがらみに絡め取られながらも、己の大義を全うしようとするガトーとまだ精神的に幼く、人との出会いやガンダムに乗ることで男として成長していくコウに徹底的にスポットを当てたお話なのですが、これ、本当に清々しいほど古臭いアニメなんです。

とにかくこの二人は平和だったり他人の幸せみたいな部分には全く無頓着で、ただひたすら自分に与えられた大義だったり自分の思う「正しさ」に向かって全力疾走していきます。

最初コウは頼りなく、ただ無鉄砲なだけの明確な意思を確立できていないいわば「子供」なキャラでした。それに対し、敵軍のライバル、ガトーは自分がなすべきことをはっきり認識しており、確固たる意思でそれをやり遂げようという気概を見せ続けます。コウはこんなガトーに対し、敵味方を超えた感情を抱き徐々にその背中を超えることに躍起になっていきます。まさに「父と子」の関係性です。

なんかここまで聞くといい感じに聞こえますね。ただコウもガトーもこの大義を全うするために、その身を案じてくれる女性を無下にするのです。怪我がなければいいじゃない、もう戦う必要なんてないじゃないとかって言ってくれる可愛いお姉さんに対して全く聞く耳を持ちません。ただコウは、その演出上仕方ないんですけど、何度も慰めてもらったり無事を本気で喜んでくれたりと、「女性性の持つ温かみ(母性)」みたいな部分だけはしょっちゅう享受しています。

戦争ものってこういう構図はつきものですよね。ガンダムシリーズに関してはもう完全にテンプレートです。男の役割、女の役割がそれぞれある。それだけに終わらず、男は家庭ではなく大義のために命をかけるし命を奪う、一方で女はそんな男についていけないと悪態をつきつつもしっかり慰めてあげるし男を成長させるために死んでいったりします...(構造上の話ではありますが)

ま〜わかりやすいですよね。もう何十年前の価値観やねんと思います。ただ何故でしょう。僕は毎回ガンダムを見るたびにこういう漢臭さ、古臭さに胸を打たれてしまうのです。

今じゃとてもこういう男!女!みたいなわっかりやすい役割分担がある作品って喜ばれないですよね。どっちかというと逆方向というか、男も女も価値観が抽象的になっていって性別や体を含めどうカスタマイズしてもいいじゃないですかって感じだと思います。

間違いなくそれっていいことだとは思います。世の中いろんなタイプの人がいて、そのどんな人でも、権利を享受できて主張ができてそれを侵されることもなくて...って素晴らしいことなのは間違い無いです。

ただ!やはりその中の一つのパターンとして、古きから伝わってきた「男らしさ」「女らしさ」みたいな部分の美しさ、精悍さ、それらを伴って育まれた文化は残っていてほしいし、無闇に蔑まれるものじゃ無いようなきがするんですよね...

ここにもやはり先に述べた、SNSに顕著な感情に身を任せた浅はかな攻撃だったり、正しさを振りかざすだけの言葉の暴力性を発現させる前に、一旦俯瞰で見ていただければいいなあと思います。多分叩くだけならマジでいくらでもできると思うんですよね、歴史の表面をただなぞった時に。

話がそれに逸れまくってしまいよく読めば全然前後の文脈が繋がってないこともバレてしまうかも知れませんが、僕も愚か者です。get stupidしてるので許してください。歌詞解説行きます!

今気づいたんですが、この我らが新曲(もはや旧曲)の「Get Stupid」歌詞解説ですが、前回のVol.14で全編解説が完了しちゃってるんですよね。

つまり厳密にいうと最終回は前回ということになります。

今から工作して前回のタイトルを書き直してもいいのですが、こっそり最終回するのも悲しいので改めてここでさせてください...

6回にわたる歌詞解説いかがだったでしょうか。正直このnote企画を始めて以来、文章に推敲を重ねたり校閲したりっていうような時間をかける作業は全くしておらず、もうほとんど常にタイピングしてる状態なので、乱文の嵐であることは疑いようがありません。すみません。

ただ本当に嘘じゃなく、この回が良かったとか、この文章がなるほどってなったみたいな嬉しいコメントも多数寄せられており、もっと真面目に時間をかけてやってみるのも悪く無いのかなとも思います。ただ、時間をかけなきゃいけないみたいな縛りを課すと書くのが嫌になってしまう可能性がめちゃめちゃ高いので、おもろい文章を速記する方のスキルを高めていけたらと思います。

今回「Get〜」を書き終えてふと前作「Full Swing」の歌詞解説を見直してみたのですが、自分で書いてるくせに他人が書いてるようななんか自分の手から離れていってる感覚がしました。

それだけ気持ちが移ろうのが早いってことなんでしょうかねえ。

内容に関してもこれら二作品は結構比べて面白いところも多いような気がします。本当は歌詞を書いてた時期とかのお話も雑談できればいいのですが、なんかそういうのって自然に盛ってしまいそうで怖いです。無駄に理由付けしたりとか。

Full Swing」、「Get Stupid」の2曲はいつでも聴けるような、結構いい感じに仕上がったと思いますので、これからもガンガン愛聴していただければと思います。

そしてこの「歌詞解説」をガイドに添えていただけるともっと曲を好きになってもらえるのでは無いかとも思ってます。

だらだら引き延ばして来ましたが、この辺で一旦最終回として締めくくらせていただきます。「愚か者になろう!」読んでくださりありがとうございました!

それではまた次週で!

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