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0と1だけじゃ物足りない。

みなさんこんにちは。インディゴです。

最近フィルムカメラを使うようになって、スマホで写真を撮らなくなった。なぜだろうか。

それは、いわゆる『エモさ』(個人的には何かが違う感じがする単語である)のようなものはさることながら、その保存性にあるような気がする。

知っての通り、デジタル画像は0と1の塊である。その0と1の塊に、我々現代人は全てを預けている。

確かに、デジタル写真は簡便に撮れ、いくらでも編集できる。そして、一枚あたりのコストも0に等しい。

だが、私はあえてフィルムを使いたい。あの時描いた夢も、大切な思い出も、すべて0と1なんて、あまりにも、なんというか、なんだか寂しいじゃありませんか。

こんなことを言ってしまったら、デジタルの技術者たちは怒り出すかもしれないが、有史以来未だなかったほどの特異な簡便性ゆえに、デジタルのデータはとても脆弱で、いつ消え去るともわからないものだと思うのである。

想像してもみてほしい。ビデオ・テープやCD-Rの寿命は長くて約30年である。つまり、簡便なビデオ・テープなどのメディアに頼り切ってしまった人々の思い出や貴重な当時のテレビ映像は、もう消えつつあるものが出てきているということである。

引用元・『しゃしんのピュア』様

さらに、今知ったのだが、スマホで撮った画像は、内部ストレージというところに保存されているらしく、一度消してしまえば、ほとんど復旧できないそうなのである!!

引用・『データスマート』様ホームページ

なんということだろうか、、、

もっとも、スマホで撮った画像も、一部はデータ集積所のようなところで保存されているものもあるだろう。

それでさえ、私は不安なのであるから困ったものである。
映画『フリー・ガイ』の最終場面のように、その集積所に、斧を持った人が現れ、機械を破壊したら。
もちろん天災で壊れる場合も多分にあるだろう。

スマホで一生に一度の記念を撮る。保存する。CD-Rに焼く。

ここまでする人すらあまりいないのだろう。だが、これでさえ私は満足できなくなってしまった。

デジタルと距離をとって、私は気づいてしまった。そう、デジタルの脆弱さに。


以前、古いSDカード式のビデオ・カメラで撮影していて、通りすがりの人から『かわいそう』と憐れまれた。
彼らは、最先端のデジタルは完全だと信じきっていて、10年前すら時代遅れと思っているのかもしれない。

フィルムは、確かに高いし、日常に即したメディアではないかもしれない。しかし、だからこそ私は声を大にして言いたい。

大切な思い出は、フィルムの上に焼き付けよう。と。



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