『エモい』以外のフィルムの魅力
最近、博多のヨドバシカメラに行く機会が何気に多い。
毎回、あそこのフィルム・コーナーの気さくなお姉さんに会うのが何気に楽しみだったが、いつの間にかいなくなっているので少し寂しい。
しかし、それにしろあそこのフィルムコーナーは、35mm判はもちろん、120判、モノクロからポジ、100ft長巻缶に、高っかくてまだチャレンジできていないシネスティルフィルムや8mmフィルムまで全てがあるのである。使わない手はない。
そこにたびたびフィルムを買いに行くのだが、途中で、デジタルカメラのコーナーを少し見ることがある。
しかし、なぜかどれも無機質なのである。
どれも同じ黒くてプラスチックのボディに電子機械の塊と言う感じで、どうも味気ないように感じてしまう。
確かに、利便性という面ではデジカメが圧倒的に上だろう。
だが、フィルムカメラのように、露出を勘で算出して現像して、現像が上がったネガをみる楽しみはないし、いくらでも撮れてしまう。
、、、これに関しては個々人の嗜好の問題なので、なんとも言い難いが、私からすると、どうも満足がいかないのである。
果たして、今作られているカメラが、100年先も満足に写るだろうか。
部品は金属削り出しはおろか、プレス金属でもないし、あちこちに電子基盤が張り巡らされていて、電子パーツが劣化すればどうなるか知れたものではない。
確かに、今のデジカメは、昔のカメラからすると安いかもしれない。いや、とても安い。1950年代のカメラは少なくとも当時の感覚で500000円くらいはしたようだし、戦前の二眼レフともなれば、家が一軒買えるくらいの価格がしたそうだ。(当時、双葉山という売れっ子力士が購入して新聞記事に載るほど話題になった)
それが上のコンタ・フレックスというカメラである。当時の現金正価が2450圓だそうで、現在価値に直すと約24500000円。
今のデジカメを見るに、一眼レフレックスが17万円ほどなので、前よりは随分安くなったと言える。
しかし、1960年当時、約40000〜80000円くらいの感覚で売られて、一瞬で売り切れたキャノネットというフィルムカメラを持ったことがあるが、そちらの方が質的には良かった気がする。
何より、発売から60年経っても、最初はまともにシャッターが切れていたのだ。(私が雑に強く巻き上げたせいで壊れてしまった。申し訳ない)
また、デジタルカメラは、どうしても『使い捨て』という側面を孕んでいる。
デジタルカメラは、日々進歩する。そのため、ガラケーのカメラが時代遅れであるように、せいぜい20年ほどで退役してしまうものがほとんどだ。
その点フィルムカメラは、どんなに安いトイカメラでも、写りに違いはあれど使えてしまう。綺麗な写真が撮れてしまう。
また、デジタルカメラは画質をよくしたりはできないそうだ。フィルムであれば、劣化していない限りはいくらでもデジタルリマスターができるが、SDカードに入っていれば、その画質からは変わらない。
確かに、日常に即したメディアという面では、フィルムは圧倒的に劣るだろう。
しかし、フィルムカメラのフィルムであれば、あくまで文書接写用のマイクロフィルムの話だが、100年から500年は保存できる。それに、CD-Rなどを閲覧できる機器がなくなっても、フィルムは銀河系に太陽がある限り、すかして見ることができる。
長い長い時間が経ち、私の魂だけが世界を見守っているような頃になっても、フィルムが、カラーフィルムが、僕のことを伝えていってくれる。
僕はフィルムに、そのような時代を超越することの魅力をも感じているのだ。
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