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【傑作ドキュメンタリー】映像のあわいに浮かび上がる「魂」 ーー武井杉作『与那国〜それぞれの四十九日〜』【当館にて上映】


勘違いが生んだ出会い(支配人・岡本)

 武井杉作『与那国』と出会うことができたことは本当に偶然だった。

 とある休日、崔洋一『友よ、静かに瞑れ』や高嶺剛『ウンタマギルー』といった沖縄映画に魅入られていた私は、新宿歌舞伎町にあるイベントスペース「ミズサー」で『与那国』なる映画が上映されるという情報をキャッチした。

 与那国、という3文字が喚起する亜熱帯な想像に胸を膨らませ、ミズサーの扉を叩いた私を待ち受けていたのはしかし、沖縄とは何の関係もない1時間程度のドキュメンタリー映画だった

 うわー間違えた、と後悔する間もなく始まる本編。お世辞にも綺麗とは言えない画質。

 しかし結果から言って、私は席を立つことができなかった。そういう強い磁力が『与那国』にはあった。

 友人の死から始まった本作の撮影。武井監督は初めこそ「事実の究明」によって死の無念を論理的に晴らすことに焦点を当てていたが、徐々に疑念を募らせていく。被写体の言動の虚実に明確な線引きを与えたところで、それが果たして何になるというのだろうか?

 彼はいつしか事実を愚直に追い求めることをやめ、被写体の発する魂のほうへと向かっていく。そしてそれら魂の交点上に、在りし日の友人の魂もまた影画のように浮かび上がる。葛藤と迷走のなかで少しずつ不可視のものが立ち上がっていく映画的ダイナミズムに私は打ち震えた。

 それから1年が過ぎ、ひょんなことから私は映画館の支配人となった。何を上映したいかと考えたとき、真っ先に思い浮かんだ作品の一つが本作だった。ほぼ1年ぶりの連絡にもかかわらず、武井監督は当館での『与那国』上映を快諾してくれた。とても嬉しかった。ありがとうございます。

 まだまだ語りたいことは多いが、これ以上野暮なことは言わないでおこう。

 真っ暗闇の中を迸る魂の燐光を、ぜひ当館で目撃してほしい。

『与那国 〜それぞれの四十九日〜』劇場公開に寄せて(監督・武井杉作)

 制作から17年ごし初の劇場公開、本当に嬉しいです。この映画の力を信じてきてよかったと思います。支持し続けてくれた皆様や、これから見てくださる方々に、心から感謝を伝えたいです。

 今でも振り返って思うのは、四十九日という時期に、被写体である菅谷の周りの人々のカメラにぶつけた想いが圧倒的なんですよ。それぞれの彼を悼む気持ちの表れ方に個性が際立っていて、各々を引き立てている。そんなシーンを撮らせてもらえてありがたかったです。

 それから、多くの感想を頂くのですが、一つとして同じ内容を聞いたことがないのもこの映画の特長かと思います。当時も今も曖昧なテーマを嫌う世の中で、ここまで感想に鑑賞者それぞれのプライベートなものを引き出す鏡のような映画が撮れたことを誇りに思います

 ぜひ映画館で、あなたなりの「与那国」を見つけてくださいね!

『与那国』制作日記2006(監督・武井杉作)

 以下は、映像制作は全くの素人の俺が、イチから撮影して編集していくなかで感じたことの記録だ。

 菅谷周が二年前の夏に亡くなったとき、彼を題材になにか作ろうという気持ちは、不思議なほど自然と湧いてきた。映画を作るのは本作で二度目、一度目は高校の頃。 まさしく菅谷と共に作ったコントだった。

 当時の俺は、暗く激しい渦巻きのようなカオスに支配され、押しつぶされそうになっていた。 菅谷は、そんな渦を共有できる唯一の人間だった。 彼といることで渦は幾分吐き出されて楽になった。 自分と似てるなあ、と思った。そして菅谷は俺の居場所になり、吐き出された渦をパッキングしようとコント映画を作ったのだった。 本作にも当時の映像は納めた。 もちろん映画と呼べるほど洗練されたものではないが、二人がいかに閉ざされた観念の世界で繋がれていたかがわかるはずだ。 内省的な狂気の匂い。

 その後、映画作りはいずれ再開しようと言いつつ二人は疎遠になり、俺は大学に進学した。 四年の月日が流れ、 頭の渦は徐々に静まり、安定した生活を送っていた。 だが菅谷は違った。 統合失調症に犯され、荒廃した生活を送っていた。 死因は盲腸の破裂だが、大量の酒と薬で肝臓が衰弱していた。

 病気・ひきこもり・いじめ・過食アル中自殺未遂など、卒業後の彼が抱えていた問題を聞き知るにつれ、ふつふつと湧き上がってきたのは「何が彼を殺したんだ?」 という疑問だった。 そして俺はカメラを手にした。

 とはいえ、映像のテクニックなどなにもない。 衝動のみで彼の身内にインタビューしまくった。 カメラはブレまくり、 マイクはつけ忘れ、字幕を多用するはめになった。撮影は三日で終わった。 みんなが菅谷への想いをカメラの前で噴出するように語ってくれた。 それはあまりにも圧倒的だった。

 家族や友人はそれぞれ菅谷に対し違った見解を持っていた。しかし彼らの話に冷静に耳を傾けて編集していくうちに、それらの解釈の奥に潜むものを感じた。 つまり、自分の中で菅谷という存在を位置づけることは、彼の死を受け入れるための手段だったのだ。 自分の中の菅谷周を語ることは、実は自分自身を語ることだった。 そこに 「答え」は存在しない。

 独善ともいえる当初の撮影目的は失せ、俺の解釈も相対化された。 撮影をはじめたとき、俺は高校時代に感じていた孤独やもやもやを菅谷に投影し、彼を殺した何かに深い憤りを感じていた。 菅谷は、現実と自分自身のすり合わせができず、居場所がなかった俺自身の鏡だったのだ。

 そして目的は変わった。 原因究明は既に意味を成さなくなった。 しかし彼らが菅谷を語るとき、そこにはそれぞれの想いがあった。 学校が菅谷の抱えている問題に理解を示さなかったと涙ながらに訴える母親、いじめていたことを深く後悔する友人・・・ とても言葉では表現できない、 圧倒的な想い….. それは「魂」 だ。 俺の目的は「答え」 ではなく「魂」を伝えることだと思って編集を進めた。 最も伝わると感じる瞬間を、 思い入れたっぷりに並べていった。

 できるだけ演出せずに、 不明瞭な部分すら大切に編集してきた。 ワンフレーム単位で偏執的にこだわり、 一年くらいかけて、ようやく二時間程度にまとまった。 いるはずの人がいない空間を、うまく切り取れたと思った。

 上映したときの反応は・・・ 「長い」。 失意の中また半年くらいかけて、身を切るように一時間半まで削ってふたたび上映。 その空間に共鳴する人は感動していた。 それ以外の人は「テーマがわからない」と言っていた。 何かが足りなかった。 それはただの記録映像に過ぎなかったのだ。

 「過去の自分を菅谷に投影する武井杉作」という人間を意図的に作り出せたことは、俺自身の成長だろう。だが 「彼」 は、 なんの留保もなくそこにいて、他の登場人物と同様、 菅谷への想いをとりとめもなく語っていた。 足りないのは、「そこから成長し、それぞれの『魂』に胸を打たれる、編集時の武井杉作」の視点だった。 それがあって初めて、客観的な視点が成立する。

 もしかしたら、素材が圧倒的過ぎて、 自分のフィルターを通すのが怖かったのかもしれない。 彼らの「魂」と対峙することや、自分自身と向き合うことから逃げていたのかもしれない。 しかし何度も何度も見直しては考えていくうちに、そこを超えて第三者として見られるようになった。 「武井杉作の成長」 という流れに添って編集し直したら、 それからはあっという間だった。

 流れはくっきりと輪郭を帯び、 テーマは伝わりやすくなり、空気感を濁すこともなく、贅肉は削ぎ落とされた。 たった一週間の編集で一時間強にまでなった。それは撮影開始から二年近く経って俺がようやく辿り着いた境地だった。

 というわけで、この映画は高校時代から撮影開始を経て今までの、俺の成長記録でもある。 作品の編集とは、まさしく自分を見つめる作業だと思う。 自分の変化が、そのまま反映されていく様はエキサイティングだ。

 この映画を見た方に、少しでも 「魂」 が届けばと思う。

上映情報

☆場所
川口映画館&バー「第8電影」
埼玉県川口市栄町3-9-11 リーヴァ第一ビル2F

☆上映スケジュール
5/31(金) 19:30~
6/1(土) 19:30~
6/2(日) 19:30~
※各上映終了後、監督を交えての交流イベントも予定しております!

(文責:「第8電影」支配人・岡本&『与那国』監督・武井杉作)


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