掌編小説:オーバーサイズTシャツ

テーマ:ありがとう
「ありがとうございました。」
感謝の気持ちなんて、全くない。会社はお客さまに対しての感謝を強要してくる。
俺にそんなものを押し付けないでほしい。ただのバイトの俺に。
そもそも、ありがとうの語源は、仏教の言葉で、生命の驚きと感動を伝える言葉なんだよ。「有ること」が「難しい」というって意味で、滅多にないことや貴重であることなんだよ、ありがとうは!さっき調べたけど。
コンビニのバイトは、とにかく、やることが多い。品出し、レジ打ち、宅急便の対応などなど。しかし、慣れてしまえば、毎日は単調。バイトの自分には昇進があるわけでもないし、血が沸るようなプロジェクトもない。心踊るような出会いもない。バイトの女子高生には、冷めた目で見られる。「その年でバイトとかあり得ないっしょ。」言葉で言われた方がいい。態度だけで人を値踏みされるのは、耐え難い。
もちろん、こんな日常だと、驚きと感動なんてない。滅多にないことなんとなんて起こらない。「ありがとう」という言葉なんて使いたくない。

「キャハハ、もうやだ〜。」
カップルが入店してきた。男はジャージ姿だ。上のジャージのジッパーは、胸元まで下げられている。インナーは着ていない。女の方はオーバーサイズのTシャツだ。インナーは着ているのか?というか、こいつら俺のアパートの上の階の奴らだ。イチャイチャしやがって、セックス後にコンビニ来てんじゃねーよ。恥ずかしげもなく、ゴム買ってんじゃねーよ。猿が!
「ありがとうございました。」
また、言いたくもないありがとうを言う。

「お疲れ様でしたー。」
「お疲れさま」
小さい声で答える。
帰り道はいつも天を仰ぐ。疲れた。本当にお疲れ様。おれ。
ずーっと立ちぱなしで疲れた。フラフラになりながら、ようやくアパートに着く。
ガチャ。
上の階の扉が開く。
「もう知らない!嫌だって言っているのに!」
先ほどコンビニに入店したカップルの彼女の方が、出てきた。階段を降りてくる。
声に気づき、上を見上げる。そこに太陽と一つの筋が見えた。彼女はコンビニに入店した時と同じ格好だった、オーバーサイズのTシャツが「一枚」。
太陽と一筋の筋。その時、私は驚きと感動を感じ、感謝せずにはいられなかった。「ありがとう」と言いたい。
彼女と目が合った。私の表情を見て、何か悟ったのか、また、上の階へ戻っていった。
大したこともない日常に花が咲いた。こんなことで、少し元気になるなんて。
逆に、少しの喜びでもう少し頑張って見ようと思える。
自分が見えていないだけで、日々、驚きや感動がある。そのことに感謝しなければいけない。日々、生きることに感謝すること。なんでもない日常に見方を変えていこう。久しぶりに履歴書でも書いてみるか?コンビニ弁当の廃棄を電子レンジに入れて、埃を被った履歴書を取り出してみる。
<了>


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