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原稿は書き続けないと書き方を忘れる
ライターの仕事を始めたばかりの頃、当時のボスに「書く仕事は、年を取れば取るほど、つらい仕事だぞ」と言われたことがある。自分の原稿が雑誌に載るだけで楽しかった私は、「そういうものか」と聞いていたけれど、40歳を過ぎた頃から、ボスの言葉が身に染みるようになった。
まず、人の話を聞いたり、原稿を書くときには、集中する体力がいる。村上春樹氏が小説を書き始めてから、マラソンを始めた気持ちがよくわかる。
そして、体力の低下以上につらいのが、何年、書いても上手くなった気はしないし、少しでも執筆の間が空くと、書き方がわからなくなってしまう。文章の流れとリズムが悪いのはわかるのだが、それを読みやすく整えるのに、「これだ」という道筋が見つからず、四苦八苦するのだ。
お金をもらって書く文章と、noteなどに気ままに書く文章は、自分のなかで明らかに違う。プライベートで書く文章は、つらつらと思いつくまま書けばいい。しかし、お金をもらう原稿では、そうはいかない。とくに紙媒体が多い私の場合は、伝えたい内容をどう構成するか、限られた文字数にどうやって収めるか、頭のなかで文字のテトリスをする必要がある。執筆の間が空いたり、もっとゆるく書いてもいい原稿が続いたりすると、脳のテトリス回路がところどころ途切れ、錆びてしまう。そうなると、それほど多い原稿量でもないのに、悩む時間のほうが多くなってしまう。
パソコンの前に座るたびに思う。執筆も自転車の乗り方のように、一度、身体で覚えたら、すぐにカンを取り戻せるといいのになぁ、と。
執筆は経験の積み重ねができない。ある程度はテクニックでカバーできるのだが、自分なりの到達ラインをつねに超え、上を目指すには、執筆の間隔を空けることなく、書き続けることしかないのだ。
仕事に関するもの、仕事に関係ないものあれこれ思いついたことを書いています。フリーランスとして働く厳しさが増すなかでの悩みも。毎日の積み重ねと言うけれど、積み重ねより継続することの大切さとすぐに忘れる自分のポンコツっぷりを痛感する日々です。