Bounty Dog 【And end run.】 13-15(了)

13

 立蜥蜴族の再捕獲任務は、余りにも呆気無く終わってしまった。ホウレンソウは全く不要のまま、またヒュウラが単独で片付けてしまった。
 デルタは、ルキスと現場にやって来た亜人課現場保護官の数名と共に、トカゲの亜人を連れて戻ってきた狼の亜人を広場で迎え入れた。外れている首輪型発信機を右手に掴んでいるヒュウラは、無表情でトカゲが保護官達に用意されている鉄の檻に入っていく様子を観察する。
 檻の出入り口を閉められて、中に収容されたトカゲは鉄格子を両手で握った。鉄の棒を粘液でヌルヌルにしながら目を360度クルクル回してヒュウラを見ると、威圧感を未だに放っている狼に話し掛けた。
「コレでうっち、死なない?」
 目を潤ませながら生を懇願する亜人に、ヒュウラは返事も反応もしない。人間の保護官達がデルタも含めて代わりに真顔で頷いてやると、トカゲは安心して泣きながら喜びに浸った。
「念の為、密猟者への自衛等々の為に、彼に教育を施してあげた方が」「そうだな。酷いもんな」人間の保護官と班長が会話をする。ヒュウラは無表情のままトカゲが入っている檻に歩み寄ると、茶色い手袋を付けた左手の指を揃え、手の甲側をトカゲに見せて親指以外の指を纏めて内側に曲げて伸ばしてを繰り返した。
「イエス、お犬様」
『檻から顔を出せ』とジェスチャーされていると察知したトカゲは、忠義を誓って返事をしてから、己の王である狼の指示に従う。トカゲの頭が鉄格子から飛び出た。トカゲの脳内で百獣の頂点に立つ犬になっているヒュウラと向き合うと、ヒュウラはニッコリ笑ったトカゲの無邪気な笑顔を見つめて、
 仏頂面のまま、掴んでいる首輪で相手の頭を力の限り殴った。
 無表情でされた突然の暴行に、トカゲは意味が分からなかった。人間の保護官達も、誰も全く意味が分からなかった。
 ヒュウラが仏頂面のまま、静かに暴走する。特注の首輪型発信機が唯の鈍器にされた。トカゲは頭を滅多に殴られて、舐めてしまった毒よりも暴行で殺されると感じて酷く恐怖した。
 デルタが狼の亜人に声を掛ける。
「ヒュウラ、止めろ!何故ターゲットを殴っている?!」
 返事も反応もされない。ヒュウラは、また指示を無視する。
 殴る。殴る。トカゲを殴る。首輪を振り上げて、力の限り頭に振り下ろす。目の中に星模様が現れたターゲットの頭部から紫色の血が噴き出したので、デルタが慌てて声を張り上げた。
「ヒュウラ!俺の言う事を聞け!!首輪は付ける物だ、殴る物じゃない!!」
 無視される。静かに暴走を続けるヒュウラは首輪に付いているアンテナを掴んで、限界まで伸ばした。20センチほどの長さになった金属の棒を指で数回弾いて揺らすと、鞭のように左から右に高速で振る。
 アンテナで頬を激しく叩かれたトカゲを見るなり、デルタは絶叫した。
「ああああ!何て事だ!!ヒュウラ止めろ!!アンテナはビンタをする物じゃない!それは本当は全く要らなかったが、俺が仕様のロマンとして知人に頼んで付けて貰った、大事な物だああ!!」
 デルタの背後で様子を見ていたテセアラ・ルキス保護官は、上司が放った言葉に耳を疑った。
 彼はデルタ・コルクラートを尊敬していた。ルキスは殉職率が全課の中で最も高い3班では珍しい古株の保護官であり、デルタの双子の姉シルフィ・コルクラートも勿論知っていたし、半年前まで前上司であった彼女の指揮下で任務を行なっていた。故にデルタの姉が持っている独特かつ”歪んでいる”思考も知っており、彼女を全く信頼していない。デルタに相談したら勿論同意してくれただろうが、ルキスは一度も相談した事は無かった。
 現状で充分満足していた。今の班長であるコルクラートの弟は理想の上司であり、部下を思い遣った慎重な対応をしてくれる。実質、彼が赴任してから半年間、亜人課の現場部隊では保護対象の亜人や密猟者等に殺害されて殉職する保護官が激減していた。
 しかし、今この時は、ルキスのデルタへの信頼が揺らいでいた。自分達部下にはあの超希少種の亜人に対して『ペットじゃない』『甘やかすな』『良いように扱うな』『野生種だ』と散々注意する割に、ロマンと称する無意味な部品を勝手に特注品の発信機に付けさせたり、没収された酒を盗ませようとしたりするのか、全く理解不能だった。
 半狂乱になったデルタに羽交い締めにされて、ヒュウラはトカゲへの攻撃を強制的に止めさせられる。トカゲは気絶していた。脱走したターゲットへの保険処置と応急治療が終わると、ヒュウラとデルタの緊急任務が完了した。

 デルタは、どうしようかと困り果てた。特訓がてらの任務だった筈なのに、特訓が全く出来なかった。
 保護施設へのトカゲの護送を担当する為、ルキスは他の保護官達と一緒に広場から去っていた。何故か去り際に彼から白い目をされたが、デルタは己の愚行のせいだと勘付かなかった。
 特別保護官兼超希少種の亜人と相手の護衛担当官である班長の2人きりになった広場は、夕焼けに染まっていた。特別任務で随分と時間を食われたので、再び過ごすデルタの自由な時間は、残り少なくなっていた。
 亜人と人間の青年が、広場の中央で向かい合わせになって胡座を掻いて座っている。ヒュウラは首輪を手に持ちながらデルタを見つめてきた。顔は相変わらず仏頂面だったが、今は狂暴性が完全に消えている狼は首を大きく傾けてきた。
 首輪を差し出してくると、ヒュウラは口だけを動かして尋ねる。
「どうする?」
 デルタは相手が尋ねてきている質問を、単語のような言葉と動作をヒントにして理解した。差し出された首輪を一瞥してから、ヒュウラの顔を見る。
 腕を組んで暫く考えると、銀縁眼鏡を指で調整してから数回頷いた。納得したように微笑みながらヒュウラを見る。不思議そうに見つめ返してくる金と赤の不思議な目の持ち主に向かって、デルタは笑いながら言った。
「まあこれも相談だな。予定外だが、コレでホウレンソウの訓練をしよう」
 デルタは首輪の取り付け方をヒュウラに教えた。首輪の金具を外して広げて首に当てて装着するまで、デルタは一切手を貸さずにヒュウラに全部やらせた。ヒュウラは、やり方が分からなくなる度に都度都度にデルタに報告・連絡・相談しながら言葉の助力を得た。時々繁々と開いた首輪を眺めながら、30分程掛かって元通り首輪を己の首に取り付けた。

14

「後の時間は、夕飯まで俺と遊ぼうか」
 支部の屋上に設置されたベンチに並んで腰掛けているヒュウラに、横に座っているデルタは上機嫌で話し掛けた。
 身に付けている西洋鎧の隙間に手を突っ込み、青い迷彩服の胸ポケットから『任務中は絶対、酒に逃げない』という暗示を己に掛ける目的で持ち歩いているウイスキーの小瓶を取り出して、ベンチの脚の近くに置く。その直ぐ傍に置いていた小さな段ボール箱を引っ張り出すと、情報部所属時代に統括部の広報担当者から頻繁に送られてきていた、組織の認知度向上の為のイベントで使う販促品の植物樹脂製風船を取り出した。
 『世界生物保護連合』の紋章が描かれた赤い風船に息を吹き込んで膨らませる。結んで大きなボールのようにすると、ヒュウラに向かって投げ渡した。
 ヒュウラは、突然放り投げられた赤くて丸い謎の物体を見つめる。無表情で両手を広げて、風船が手と手の間に来るのを待ってから、
 両手の平で力の限り風船を叩き潰した。風船は勢い良く破裂音を出して割れた。
「絶対にすると思った」
 想定内だったが珍対応をされて、腹が痛くなり掛けながらデルタはヒュウラに萎んだ風船を数個与えた。狼の亜人は、生まれて初めて貰った人間の玩具をデルタに教えられて己で膨らませる。
 膨らんだ丸い物体をベンチから離れた場所の床に置いてから、足で力の限り踏んで割って瞬殺させる。床にも拳大の穴を開けると、ベンチに座り直してから次の風船を膨らませた。
 3個目の丸い物体は、目一杯膨んで凄く大きな丸い物体になる。口を結んでからヒュウラは物体を繁々と観察した。伸びた国際保護組織の紋章を眺めてから結び目を手に掴むと、横に座っているデルタの頭を風船で殴った。
「だから何故、取り敢えず攻撃しようとするんだ」
 デルタは笑いながらヒュウラに抗議した。ヒュウラは無表情のまま風船でデルタをバシバシ叩きまくる。バシバシはボヨボヨの方が擬音として正しかったが、デルタは亜人からされる理不尽極まりないが全く痛くない風船連打パンチを、自分で膨らませていた風船という最弱武器による全く痛くない連打パンチを返して対抗した。
 産まれて初めてする風船遊びを、ヒュウラは楽しんでいるようだった。人間を最弱武器で殴る事を辞めて、最弱武器から玩具に戻した風船を鞠のように投げて掴んでを繰り返す。人間に飼われている犬も時々遊ぶ人間が作った玩具で遊びながら、亜人の青年は口角だけを上げる不器用な笑顔をして、デルタを見つめてきた。
 デルタは満面の笑みを返してやった。風船で遊ぶ狼の亜人を見守りながら、亜人種を調べに調べ尽くしている勤続10年のベテラン保護官は、心の中で呟いた。
 ーーこいつは亜人で、人間では無い。獣犬族の19歳は、体が成体になったばかりの成長期の只中で、
 心は親や友達と遊びたがる、未だ幼い子供なんだ。ーー

 夕飯が済んで、諸々のナイトルーティンをこなして、ヒュウラが寝る為の準備もアレコレ手伝ってベッドに入る前に、デルタは酒を今日は一滴も飲んで無い事に気付いた。
 ーー俺が酒を飲む理由は、味が好きだからでも楽しいからでも無い。故に、支部の自室や情報部にあった自室にバーカウンターを作ろうと思った事が無い。実家の両親は俺が大酒を飲む事を知らない。酒を飲むようになったのは成人して直ぐからだが、酒飲みが大酒飲みになったのは、ストレスが多過ぎるこの職場で勤め始めて3年程が経ってからだった。
 姉さんがこの胸糞の悪いエゴ組織で10年働いているのに、紅茶だけでメンタルを保っていられるのが、未だに俺は信じられない。ーー
 デルタは、酒に頼らずに済ませてくれた存在がベッドの側で何やら動作を始めたので観察した。
 信じられない動作をしていた。観察しながら笑いそうになった。
(ヒュウラが、俺の実家の犬と同じ事をしている)
 ヒュウラは無表情で、デルタから奪い取っている草臥れシーツを両腕で掘っていた。掘って、掘って、掘って腕に絡めて丸めて、上半身を伏せてシーツに潜って、シーツで身を包んでからベットに乗ってきた。布団とシーツの間に入っているデルタの上に乗ると、横向きにくの字になって倒れた。
 謎の犬動作を終わらせて、ヒュウラはデルタの上に乗ったまま寝てしまった。
(やっぱりこいつは犬なのか?)
 デルタは心の中で湧いた疑問を、被りを振って喪失させる。ヒュウラを身の上から下ろして己の横に置くと、己の私物になっている贈呈品の高級羽毛布団を掛けてやった。
 添い寝のような形になっているが、悪い気はしなかった。寝息ひとつ立てずに大人しく寝ている狼の亜人の頭を撫でてやる。伸びてしまっている首輪のアンテナを縮めてやってから、電灯を消して就寝した。

15

 ヒュウラの猶予期間の期限まで、残り6日になった。今日は朝から晩まで予定と亜人保護任務で埋まっていた。
 自室の椅子に座っているデルタは、机の上に置いているノートパソコンを操作して予定表を確認する。午前・定時集会(集会場)。集会終了次第、保護任務。場所は中央大陸。保護対象(ターゲット)は、Cランク『警戒種』陸鮫族(くがきょうぞく)。3体捕獲して、保護施設へ直ちに護送する予定になっていた。
 デルタはヒュウラを、自分の膝の上に乗せて背中から抱えていた。ヒュウラは無表情で、人間の文字が大量に並んで表示されている機械の画面を眺めている。
 抱えている亜人が何時も以上に大人しい事に安心して、デルタは予定表のデータを閉じた。直ぐに自作のセキュリティソフトでパソコン内部に汚染が無いか確認してから、ハードディスクの奥底に置いているプログラムデータを立ち上げた。
 ヒュウラは首を傾げる。莫大に増えた文字の羅列を繁々と観察した。デルタはブラインドタッチで手早くパソコンのキーボードを操作して検索を掛けると、画面に今日保護する予定である亜人種の情報が表示された。

 『陸鮫族(くがきょうぞく)』
 保護重要ランク:C
 生息場所:中央大陸(固有種)
 特徴:低身長(成体で約110センチから130センチ)。
 瞼の無い黒い硝子のような眼。
 うねりの強い黒髪。
 灰色の、鮫のような質感の肌。
 耳まで裂けた口。
 鮫と同じ、鋸のような形状の歯。
 歯は折れても割れても口を開閉すれば、無限に新しい歯が生えてくる。
 肉食。目に写った動く生き物は同種以外全て餌だと本能的に思い込んでいる。食欲本能は極めて原始的だが、知能は高い。餌を捕食する為に餌を巧妙に騙す。群れを形成するが、基本的に狩りは個々が単独で行う。
 エラ呼吸だが陸上でも問題無く機能する。陸に生息している為、泳げない。天敵も亜人種で、種名は『喵人』。ーー喵人の文字に、対象の情報が閲覧出来るようにリンクが貼られていた。
 亜人の写真画像と骨格、寿命、行動パターン、罹りやすい病気、食べさせてはいけない飲食物、適切な生育環境等の詳細情報が『世界共通語』の箇条書きの文章で羅列されている。文章の最後の欄に、対象の絶滅危機理由が書かれていた。
 中央大陸に居住する人間達の、独特の食文化による乱獲。

 プログラムは組織が保有している物ではなかった。デルタは自作の亜人情報集を閉じてから、膝の上に乗せている小柄な超希少種の亜人を見下ろす。
 ヒュウラは仏頂面でパソコンの画面を眺めていたが、プログラムにも保護対象にも興味が全く湧かなかったらしく、小さく欠伸をしてから、写真立てを倒しては起こしてを繰り返して遊び始めた。
 デルタは笑いながらヒュウラの頭を撫でる。ヒュウラは机上に乗っていた酒用のロックグラスを手に取ると、硝子で出来た人間の道具を両手で持ちながらデルタの顔を見上げてきた。
 グラスには、ウイスキーの雫が付いていた。グラスを置いていた場所の側に、半分以上濡れた細長い紙が数枚置かれている。
 ヒュウラは仏頂面のまま口だけを動かした。
「デルタ。嫌か?」
「急にどうした?ヒュウラ」
 ヒュウラは空の酒用グラスを暫く眺めた。伏せた顔を再び上げると、金と赤の目を吊り上げて言った。
「潰すか?」
「絶対に止めてくれ。俺はこの仕事が天職だ」
 デルタは笑った。ヒュウラからグラスを取り上げて元の場所に置き、パソコンの電源を消した。機械を折り畳んで、背面に貼り付けている機械系趣味を持つ人間特有の癖である大量に貼ったストリート系のシール達を見つめた。
 ーー正直に言ってしまうと、自分の天職は情報部での誘導(ナビゲーション)だ。現場はやはり姉さんには敵わない。
 俺は彼女のような非人道的な考え方だが即座に動ける行動力と決断力、極めて無茶苦茶だが大胆で破天荒でもある動き方が出来ない。姉さんには余り宜しくない二つ名があるが、それも彼女の逸脱した決断力と行動力、超人的な思考によって名付けられているモノだ。
 現場部隊の班長なんて俺は本来不向きだが、部下達は俺を信頼して指示に従ってくれる。それに俺は現場部隊の班長になったから”この子”に出会えた。見た目は粗方成長しているから、彼は殆どの人間から充分大人だと思われる。だけど亜人側から見ると、未だ保護者が不可欠である成長期真っ最中の幼い子供だ。その事実をせめて、歪んだ人間のエゴ的思想に染まっていない新人のラグナル保護官には、何時か伝えておきたい。
 このまま任務と訓練を重ねたら、こいつは優秀な忠犬になるのかも知れない。だが俺は望まない。ヒュウラはペットじゃない、亜人だ。絶滅危惧種の、人間では無い、人間の世界の外に住んでいる生き物だ。……だが、
 1番こいつを甘やかしているのは、俺なのかも知れないな。ーー

 デルタはヒュウラを背中から抱きしめた。見た目が大人になっている子供の亜人は、無表情のまま一切抵抗しなかった。
 デルタは愛おしそうにヒュウラの頭を撫でる。相手の肩に顔を伏せると、世界でヒュウラを含めた7体しか確認出来ていないレッドリスト記載の亜人に約束をした。
「お前の親になってくれる大人の同種を、早く見付けて保護する。何処かで生きてくれていると信じよう。ヒュウラ、俺はもう此処を出るから、テレビでも見てこい」
 ヒュウラは反応した。顔を上げたデルタを無表情で暫く見つめていたが、暫くすると口角だけ上げて返事をした。
「御意」
 デルタが解放すると、ヒュウラは彼の膝から降りた。一度も振り返る事なく己の保護条件として提示した、居住していた山に建っていた密猟者の簡易小屋から運ばれて設置されているテレビを見に、ミトの部屋へ去って行った。
 デルタも退室の準備を整えた。軽く体操をしてから、壁に立て掛けている白銀のショットガンを掴んで背負う。
 ヒュウラのお気に入りとなってしまっている己の草臥れ支給品シーツは、ヒュウラにそのまま貸しておく事にした。床に丸められて放置されているシーツを畳んで置き直すと、デルタは心の中で独り言を呟いた。
 ーーヒュウラの猶予期限は残り6日。だが切り札(カード)としてあいつを使った任務で稼ぐポイント次第では、延長は幾らでも可能だと思っている。
 俺は後どれだけあいつの傍に居てやれるだろう?あいつを守ってやれるだろう?父親代わりにはなれないが、あいつが何時でも安心して頼れるような存在にはなりたい。
 「お前は俺の何だ?」と、猶予期間1日目の、姉さんが本部から支部に来てヒュウラと直接交渉した日の晩にヒュウラに尋ねられた。”子供の”あいつが理解出来るよう、その時俺は「友達になれたら良い」と答えた。「お前を保護したミト・ラグナルもそうだ」とも、あいつに伝えた。
 あいつが今、俺達をどのように思っているのかは分からない。ーー
 この仕事は任務の度に命懸けだった。己の所属する3班・亜人課は特に、殉職率が全課においても圧倒的に高い。
 デルタは腰ポケットから通信機を取り出した。機械の画面を操作しながら、再び心の中で独り言を呟く。
 ーー今は班長の俺が、常にあいつの護衛をしている。だが万一俺が喪失(ロスト)して居なくなってしまったとしても、あいつを守ってくれる強力な存在を出来る限り多く、この部隊の中に用意しておかないと。ーー
 液晶画面に写ったカレンダーを見た。赤い丸印が付いている、ヒュウラの保護施設護送予定日を確認して、
 デルタは何時かヒュウラを実家の犬と遊ばせてやりたいという、突拍子もない事を考えた。


 5日と18時間と42分後だった。デルタ・コルクラートは支部の武器保管室で、28歳の生涯を殺害という形で閉じさせられた。死因は頭部爆発による即死。ヒュウラの目の前で、彼の一生は突然終わった。
 デルタを殺害した犯人は亜人・ローグだった。性別も年齢も一切不明の、幼い子供の見た目をした鼠の亜人だった。
 ローグはデルタ個人には何の恨みも無かった上に、お互い面識すら無かった。犯行理由は『人間だから』。ローグは相手が『人間』であれば、自分に優しくしてくれた都合の良い存在以外は、誰でも彼でも手当たり次第に、世界中で大量に爆発させて殺していた。
 デルタの双子の姉であるシルフィ・コルクラートは、本部から弟の救援に向かったが、間に合わなかった。だが貸し物を返還され、借り物を得た。貸していたのは3班現場部隊と、白銀のショットガン。借りた物は、
 デルタが趣味兼、姉の援助の為に私物のノートパソコンの中に密かに作り上げていた『絶滅種』『超過剰種』を含んだ、此の世界の全ての亜人種達の”ほぼ完璧な”分析情報集だった。

 表向きは青年が幼児を虐待していたように見えていたローグ戦だが、人間の価値観を外した事実は、亜人の子供同士がしていたエゴのぶつけ合いだった。片方は自分以外の同種全てを人間に殺されて、人間も死ねと駄々を捏ねていた。もう片方は親のように慕っていた主人を殺されて、お前も死ねと駄々を捏ねていた。
 銀髪の頭から生えている黒い獣の耳を上下に振って、鼠が高笑いをする。七色に変わる瞳孔の濁った大きな目が、半壊した支部の通路に浮かぶ鼠以外には見えない物質『原子』を見た。
「原子はボクに味方する!壊れちゃえ!!あははははははは!!」
 ダボダボの大き過ぎる黒いローブ服から伸ばした手の指が、空気を叩いて文字を書き、親指で押さえて、弾かれる。『原子』は爆弾になって空間を燃やし、雷となって電撃の矢を放ち、重力の球となって人間が作った無機物達を生き物の命を奪う凶器の塊に変えた。

 武器保管部屋に作られた箱型のシェルターの手前で、首から上が砕けた人間の男の死体が仰向けに倒れている。やや湿った白いシーツが、喪失している首から上に被せられていた。死体の側にあった白銀のショットガンは無くなっていた。
 焼け焦げた通信機と、フレームが曲がってレンズが割れた予備の銀縁眼鏡も、死体の遥か遠くに落ちていた。少し遠くの、とある部屋から鈍い銃声が何度も響いた。硬い物体が砕けるような音がして、同じくらいの時刻に違う場所から激しい爆発音が聞こえた。

 支部から遥か遠くの国にある小さな村に住む、ローグ以外の誰も会った事が無い1人の人間の少年にヒュウラは救われた。少年の代わりに大量殺人テロリストを成敗したが、少年は生涯、その事実を知る事は無かった。
 ヒュウラはローグの頭を鷲掴みにして、顔を何度も何度も何度も何度も殴った。中性的な可愛らしい顔に、拳がぶつかる生々しい音が響く。
 虹彩が金色で瞳孔は赤色をしている、宝石になる不思議な目を人間に狙われる絶滅危惧種の亜人の心は、時期に喪失してしまうまで怒りで燃え上がっていた。
「俺は人間に何も思わない」
 ローグに挑発されて、ヒュウラは答えた。彼の誠の考えだった。
 力の限り、鼠の顔に拳をぶつける。鼠が泣きながら悲鳴を上げると、ヒュウラは引いた腕を振り下ろして無慈悲に殴り続けながら、大声で叫んだ。 
「だが、友は違う!!」

 ヒュウラがリングとミトに称する『友』は、友達という、そのままの意味だった。
 デルタに称する『友』は、己の主人という意味だった。

【And end run.】了