Bounty Dog 【Muchas gracias. Te amo.】 28

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 ナスィルとジャックが家の外で関わった命達は、向日葵以外の全てがその日の内に喪失した。
 町の真面な警察官達がタラルとビアンカの夫婦を見付けた時、余りにも悍ましい光景を目の当たりにした。目の前に広がっていた現実は、幻想であると勘違いしたくなる程に悲惨極まりないモノだった。
 タラル・カスタバラクは、ジャックに誘拐されたと思い込んでいるナスィルへの過剰な執着が完全に暴走していた。町の至る所を手当たり次第に軍用の爆弾と銃火器で破壊しては、目に映る”息子以外”の存在を皆殺しにしていた。
 殺された人間達の中には、先程公園で逃した子供達も1人残らず居た。あのナスィルの顔を見るなり速攻恋愛関係を解消したモブカップルも、2人ともショットガンで首から上を粉砕されて、仲良く並んだ状態でうつ伏せに倒れていた。
 ジャックはこの時だけ、死を免れた強運の持ち主だった。タラルの部下の警察官達は、暴走している上司を射殺する為に拳銃を抜いて応戦したが、警察官達も1人残らず返り討ちに遭って、呆気なく此の世を去った。
 警察官を殺したのは、殆どがビアンカだった。タラルはどんな時も己も忠義を尽くす妻を引き寄せると、愛情たっぷりに濃厚なキスをした。

 『此の世で唯1人しか居ない息子を、あらゆる脅威から護って安全に過ごさせてやりたい』。ナスィルの両親であるタラルとビアンカは”保護”と”正義”が歪み歪んだ末路だった。
 勿論当時のナスィル本人は、そんなエゴなんて微塵も望んでいなかった。唯、エゴイスト・タラルによって幼少期から繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返しロッキングチェアの上で毎晩のように同じ言葉を言われ続けていた。
「この家の外に、お前を誘拐しようとするエゴイスト達がウジャウジャいる。皆んな美人のお前を悪い事に利用しようと狙っている。父さんは警察官だ。父さんが居るこの家の此の部屋に隠れていれば、お前は必ずエゴイスト達から護られる」
 鍵が大量に付いた部屋の扉を、危険を顧みずに外して己に会いに来て、悪い事をする所か一晩中遊んでくれて、見たことの無い家の外に出たいと強請った己を喜んで外に出してくれたジャック・ハロウズを、ナスィルは誘拐犯だとも全く思わなかった。
 ナスィルは両親よりも遥かにジャックの方が好きだった。だがナスィル・カスタバラクはタラル・カスタバラクの実の息子である。
 父子は非常に似た性格だった。思い込みが非常に激しく、好きだと思ったモノに対しては執着心を非常に抱き易い性格だった。

 町はたった2人の暴走した人間達によって半ば崩壊していた。しかも犯人の片方は役職付きの警察官であったが、辺境にある小さな町の事件だったので、国の新聞社によって祖国中にこの悲惨な事件が広まる事は”表沙汰”には一切無かった。
 例え幾つかの新聞社がスクープとして取り上げても、祖国の行政機関という最も上の存在が”国民が我々の与えている世界一の自由を実行しているだけ”という歪んだ理屈を振りかざして、正義としては極めて小さな存在である記者が書いた記事なぞ瞬く間に焚書して真実を闇の中に葬ってしまう。正義としての権力がそこそこある警察ですら、そんな祖国の狂った”自由”に何時も邪魔されては捜査の権利を握り潰されていた。歪んだ正義は国民が持つ祖国への愛国心も歪ませて、此の国の民が最もなりたがる人気の職業が、人殺しを大量にする”軍人”になってしまっている程だった。
 タラル・カスタバラクも例外では無かった。本来の彼は美しく素晴らしい家族愛と正義感を持っていた。だがこの狂った”自由”を掲げる産まれ育った国と、国を狂った方向に舵取りして支配するエゴイストの人間達によって、正義感も家族愛も、無意識に歪み歪んで狂い果ててしまっていた。

 ジャックはナスィルに連れられて向日葵畑に行くまでの間に、建物が燃え盛る光景と、人が人では無いグチャグチャの姿になって殺されている様子を何度も見た。戦争地帯で起こっているような地獄のような惨状は紙袋を頭に被って己の手を引いている少年が原因なのだと微塵も勘付かず、ジャックは逆にナスィルを、こんな卑劣な事を平気でする極悪非道で許せない存在から護ろうと動き出す。
 ナスィルに引っ張られていた手を、ジャックは逆に引っ張った。何もかもが昼間と違う灼熱と爆発音に包まれた地獄の町の中を2人で走る。ナスィルは明らかに動揺していた。
 ジャックに向かって尋ねてくる。
「ねえ、ジャック。コレって俺が外に出たから、エゴイスト達がしたの?」
「ナシュー、そんな訳が無いだろ!?そんな滅茶苦茶な事、一体誰に言われたの?!」
 ジャックは激怒した。親友が突然鬼の形相になって叫んできたので、ナスィルは驚愕と恐怖を同時に感じる。だが其れでもジャックを怖いとも嫌いとも思わなかった。
 ナスィルにとってジャックは己の両親よりも、誰よりも信頼している、愛しているメホル・アミーゴ(親友)だった。ナスィルはジャックに、己を7年間”洗脳”していた相手を正直に告げる。
「父さん、父さんが毎日言ってきてた。あの家の外には、俺を狙うエゴイストがウジャウジャ居るって。父さんが守るから、屋根裏部屋から一歩も外に出ちゃ駄目だって」
 ジャックは目を限界まで見開くと、パーカーのポケットからタラルに貰った手錠を出して、乱暴に放り捨てた。
 ジャック・ハロウズの夢は、真の正義の下であらゆる悪を成敗する国際警察官だった。正義を真っ当する警察官に貰ったと信じていた物が、事実は正義を悪用する者が使っていた物だとナスィルから聞いた瞬間に、憧れの手錠は極めて気味が悪い、悪人の道具に認識が変わった。

 “毒親”という言葉は、此の世界では遥か昔に人間達の間で流行ってから後に飽きられて死語になり、今は人間達の記憶からも完全に喪失して、初めから無かったような扱いにされていた。其れでもジャックはナスィルの両親を、そういう存在では無いかと”毒親”という言葉は全く知らないが、この時から強く疑い始めた。
 己の義母でナスィルの実母である、ビアンカが作ってくれたオレンジ三昧料理もそうなのかは、ジャックには分からなかった。オレンジはナスィルが”かつて”大好きだった果物である。家族の大好物を出来るだけ沢山食べさせてやりたいと思うのは、愛する存在に対してする極々普通の愛情表現だった。養子である己の食事にも毎食毎食入っていて飽き飽きしていたが、ビアンカの作る料理とお菓子は毒や変な薬は一滴も入っていない、とても美味しいモノばかりだった。
 タラルは確信犯だが、ビアンカは未だ”良い人”だと思っていたジャックの希望が、瞬時に砕けた。ジャックとナスィルの目の前で、青い制服を着た人間が1人射殺された。
 吹き飛んで絶命した大人と逆方向、銃が撃たれた側に2人揃って振り向くと、長い黒髪をポニーテールにしてTシャツとデニム姿をしたビアンカ・カスタバラクが、ショットガンを握って遠くに立っていた。
 ショットガンの銃口から白い煙が出ている。ビアンカは紙袋を被った少年と半泣き顔をしている茶髪の少年を順番に見ると、一瞬だけ哀れむような視線を2人に向けてから、大声を出した。
「あなた!ジャックとナスィルがいたわ!!早く来て!!」
 遠くから足音が響いてくる。ジャックはナスィルを連れて、ビアンカから走って逃げた。
 ビアンカは何故か追いかけてこない。夫のタラルと合流すると、ジャックとナスィルが向かっていった向日葵畑への道を指差した。