Bounty Dog 【14Days】 98-100

98

 十数分歩いただけで、ミト・ラグナルの自室に問題無く辿り着いた。ローグが先程まで滞在して内部を物色していたらしく、散乱しているスナック菓子のチーズ味だけが食い散らかされている。
 ローグの歯と味覚に合わずに放り捨てられていた海苔付きの醤油煎餅を、歯と舌に絶妙に合って好物となっているヒュウラは拾い集めて腰のポケットに3枚収めた。1枚を口に入れて齧り食うと、菓子袋の下敷きになっていたテレビのリモコンを見付ける。
 拾おうとして、デルタに先に拾われた。不機嫌そうな顔をしながら手渡された小型機械を、ヒュウラは無表情で受け取る。併せて渡された巨大な片手斧も、同様の態度で受け取って背負った。
「お前の護身用だ」呟いてから、デルタは険しい顔をしたままヒュウラに言った。
「さあ、これでお前の我儘は叶えてやった。本当は俺の部屋にある濁酒もしこたま取ってくる俺の我儘も聞けと言いたい所だが、良い加減に建物から脱出するぞ。リングは何も要らないのか?」
 汚部屋の端で胡座を掻いて座り、持ち上げた靴履き足の先で頭を掻いていたリングは、ゆっくりと立ち上がってから一声鳴きして答えた。
「ニャー。ニャー、ヒュウラ、付いてきた。それだけ」
 リングはヒュウラの真横に移動する。ヒュウラに『テレビを持っていくのか』小声で尋ねる。ヒュウラに大きく被りを振られて、承知したと鳴き声で伝えた。
 デルタは成り行きを見守ってから、リングに言った。
「よろしい。ではルートを確保するから、俺に付いてこい。此処からは脱出だけに専念して貰う」

99

 ミトの部屋を出て直ぐに爆発音が連打で聞こえてきた。轟音が徐々に近付いてくる。
 ローグの挑発に耳と神経がすっかり慣れたデルタは、ヒュウラとリングを己の背に引き連れて通路を右折した。白銀のショットガンを左腕で構え、右腕で負傷している赤い丸太のような右足を掴み支える。
 背に乗せる為に前方に回り込もうとしてくるヒュウラを肩を掴んで引き戻すと、苦笑いをしながら2種の亜人に向かって口を開いた。
「ヒュウラ、リング。お前達は身が軽いから、何かあっても俊足で動くのが容易いだろうな。だけど俺はこの通り、足にハンデがある。最悪は見捨ててくれて構わないとだけ、先に伝えておく。命令として聴いてくれ」
 リングは鳴きながら首を縦に振った。ヒュウラは反応しない。デルタは通路の一角を見つめると、話を続けた。
「ローグに見付からないようにしながら、最短ルートで移動する。まずはその為に必要な支部の見取り図を」
 斜め奥の扉に視線を移す。『小会議室A』とアルミ板に人間の文字で案内が彫られた部屋を凝視しながら、デルタは言った。
「あの部屋から取ってくる。此処で少し待っていてくれ」

 ヒュウラとリングを通路の一角に置かれている消火器の陰に伏せさせると、デルタは単独で会議室に侵入した。照明を付けずに暗闇のまま部屋の中を物色する。
 10畳程の室内は、中央にアルミ製のテーブルと椅子が4脚置かれており、同じ素材の棚に隠されている所以外の打ちっぱなしのコンクリート壁に、様々な紙が貼り付けられていた。『世界生物保護連合』の紋章を印刷したポスター、絶滅危惧種の今月の保護目標と保護予定種の情報が書かれた資料、世界に散在する絶滅危惧種達の生物素材を密猟して取引する人間達の取り締まり情報を記載した資料。通路に待機させている、特別保護官兼『超希少種』と特別保護官兼『超過剰種』の亜人2体の写真も、各亜人の情報が書かれたメモと一緒に貼り付けられている。
 リングの情報メモに『世話好き。食べる事が大好き』、ヒュウラの情報メモに『超偏食。ポーカーフェイス。寡黙』と書かれている。デルタは背に抱き付いて笑っている猫の亜人を無表情で放置している狼の亜人の写真を暫く眺めてから、メモを黙読して口角を緩ませてから、踵を返した。
 棚の横にある、壁に張られた支部の見取り図を手で引き剥がそうとして、爆発した。……部屋から近い場所が。
 デルタの体が大地震に遭遇したように激しく揺れた。煙は漂ってこないが、驚愕して身が動かせなくなる。
 金縛りは10秒程で解けた。見取り図を壁から剥がして入手し、元々動かない右足を引き摺りながら部屋から出る。消火器の側で海苔付き煎餅を仲良く食べていた亜人2体に接近すると、破裂しそうな程に心臓が鼓動している胸部を手で押さえながら話し掛けた。
「待たせたな。行くぞ、取り敢えずあの通路に」
 ヒュウラから視線を移したデルタが進行方向を凝視すると、また爆発した。今度は場所が遠く、衝撃は起きず黒い煙も漂ってこなかった。
 デルタはヒュウラを再び見て言った。
「奴は居ない。だが何処に潜んでいるか分からない、迅速に移動しよう」
「御意」
 デルタに向かって返事をしてから、ヒュウラは己の側に置かれている消火器を観察した。アルミと鉄で出来た赤い筒の中に入っているガスと粉を吹き掛けると炎を消す事が出来る人間の道具は、道具が置かれた場所の直ぐ後ろにある壁に、文字や文章が器用に読めない幼い子供でも使い方が分かるように、人間のような服を着て二足歩行をする、動物に極めて近い容姿をした空想の亜人のイラストが描かれた案内看板が貼り付けられている。
 ヒュウラは絵を”黙読”してから、消火器を掴んだ。レバーの下側を持ち、安全ピンを外す。そのまま暫く繁々と観察すると、
 消火器を其の場に放置して、デルタとリングに連れられて通路を去った。

100

 2種の亜人と人間の保護官は、支部の最奥にある班長室まで移動した。移動中も通路の彼方此方で爆発が起こった。奇襲される場所が近くなったり遠くなったりする。
 班長室に入って、デルタは直ぐに扉を閉めて施錠した。椅子に座って、悲惨な状態になっている右足を漸く休ませる。執務机の上に、会議室で取ってきた支部の見取り図を広げると、ヒュウラとリングが机に両の掌を乗せて見取り図を観察した。デルタは机の引き出しからペンを1本取り出し、アルファベットと数字を組み合わせた指標を記していく。
 建物の隅々を一定間隔で数字とアルファベットを用いて振り分けた地図をペンの尻で叩きながら、デルタは作戦指示を始める。
「この部屋を見取り図でのC16とする。C1がお前達を拾った洗濯室、C2がさっきローグが待ち伏せをしていた場所だ。念の為に違う非常口、C47まで俺がお前達を護衛しながら移動する。出口まで長いぞ。俺がお前達を守るが、気を引き締めて行け」
 爆発した。部屋の目の前の通路が爆発する。子供の甲高い笑い声が聞こえてくる。狂気に満ちた声が鼠のような独特の鳴き声と共に近付いて、大きくなって、徐々に小さくなって遠ざかっていった。
「一応、此の部屋には防火処置が施されている」
 黒煙が扉の隙間から侵入してくるが、デルタは余裕綽々に説明をしてきた。一時的だが安全地帯である此の場所で、見取り図と指標をヒュウラとリングに覚えさせる時間を設ける。
 横並びになって紙を凝視する2種の亜人を見守りながら、デルタはポケットから通信機を取り出す。
「ついでにしておこう」
 呟いて、通信機を操作してから耳に当てた。

 コール音が数回響き、支部の外に居るミト・ラグナルが応答してきた。
『ラグナルです。リーダー、突然居なくなっていたので。無事で良かっーー』
「ラグナル保護官、其方の状況は?」
『リーダー……他の保護官達と、支部と輸送場の間にある広場にいます。亡くなった門番係の2名以外、保護官達は全員居ます』
 全ての部下が支部の外に脱出している事にデルタは安堵した。直ぐに気を引き締めて、ミトに指示をする。
「了解した。私はヒュウラとリングと支部の中に居る。何故こうなっているかの理由は察してくれると思うが、これから2体を護衛しながら脱出する。外にローグ捕獲の為の応援を呼んでおいてくれ。応援が来るまで、君は支部に絶対入るな」
『了解しました、リーダー』
「後、ヒュウラには保護施設に送る前に、私と君の2人で念入りにデコピン付きの説教をしよう。私はこいつの我儘で命懸けのリモコン回収をした」
『勿論了解です!リーダー!!』
 やり取りを盗み聴いていたヒュウラが、目を大きく見開いた。極めて静かに驚愕している馬鹿犬に対して返事も反応もせずに、デルタは折檻命令を快く了承したミトとの通話を終えると、見取り図を机上から回収して折り畳み、ポケットに収めた。
「そろそろ行くぞ。此処にこれ以上居ても時間稼ぎすら出来ないだろう、のんびりしていると見付かる」

 ミトは上司との通話が終わると、直ぐに手持ちの通信機で別の場所に連絡を入れた。1回もコール音が鳴らずに3班・亜人課の情報部に所属している女性が電話に出てくる。苗字すら名乗らずに開口早々に要件を促してきた相手に、ミトは班長の代行として支援要請を行った。
 女性は何を言っても相槌の言葉だけを呟いてくる。女性の声は班長のデルタに非常に似ていたが、性別が違う為に音程は高かった。
 冷淡な態度を貫いてくる無機質な相手に、ミトは怒りを感じて声を荒げる。
「以上が、リーダーより申し伝えられた支援要請です!御対応を!!可能な限り多く、情報部からでも他の課の現場部隊でも良いので、至急で支援を送ってください!!支部の中に、ヒュウラとリングとリーダーがいます!!」
 機械の奥にいる女が、初めて感情的になった。
『何ですって!?あの子、負傷しているのに……了解したわ』
 ミトは、相手が言った“あの子”がヒュウラじゃない事を雰囲気で察した。再度念を押して、絶滅種ローグの捕獲及び超希少種を含む亜人達と上司を救出する為の支援を送るように指示をしてから電話を切ろうとすると、機械の奥にいる女に『切るな』と命令された。
 幾分間沈黙されると、女が漸く口を開いた。
『非常に遺憾に思うでしょうが、伝えておくわね。ローグ保護を中止した時に上層から命令されたの。3班から救援要請があっても、何処からも支援を送る必要は無い。班長が組織の幹部命令に背いた罰として、ローグの捕獲は3班の現場部隊だけで対応しろとね』
 ミトは耳を疑った。女が嘲笑してから呟く。
『”忘れて”いるわ。想定内よ』
 機械の奥から慌ただしい音が聞こえてきてから、通話を切られた。