Bounty Dog 【清稜風月】180-181

180

 今は耳の中から音が一切しなくなっていた。最後に聴こえていた音は、己が穴の外を目指して土を掘り出している音だった。
 ーーあの山の一角で、何処までも深い穴の中に生き埋めにされたのは、生まれて9年経った時だった。人間と人間の道具に興味を持つ事を何時迄も辞めなかったからだと、穴を足で潰し掘った”犬達”が埋めてくる前に呟いていた。犬達にも厄病神扱いをされていた。守ってくれていた存在が1つだけ居た。”あいつ”も厄病神扱いだったが、力があったので犬達を力で捩じ伏せていた。
 産まれた土地から遥かに遠い場所にある、麓に行けば人間達に殺される狩人の山に、あいつの目が離れた途端に連れて行かれて捨てられた。同種に見捨てられたのは俺もだ。デルタにもミトにもシルフィにも、他の人間達にも相棒の猫にも、子分モグラにさえも誰にも教えていない。教えてはいけないモノだと思っている。それ以前に……。ーー
「忘れていたんだ」
 ヒュウラは呟いた。日雨が微笑みながら頷くと、己の寝室で寝かせている青年の体に和式の掛け布団を被せてから応えた。
「きっとヒュウラさんの中に宿っている八百万の神様の霊が思い出させてくれたんだね。もうくわばら(恐ろしい)な想いはしないよ。思い出したんだから」
 ヒュウラは返事も反応もしない。眠気を感じた。日雨は笑いながら言葉を続ける。
「物は全部、一生の内で果たさないといけない使命(さだめ)を神様と霊に与えられて生まれてきてる。生き物だって全部が皆んなそうなんだよ。ヒュウラさんはね、誰に促されても”歪み”になっちゃ駄目なんだよ。それがきっとね、ヒュウラさんが生まれた時に空の神様と霊から与えられた使命」
 幻聴を止めてくれた2本の触角が揺れていた。日雨は他の部屋よりも少し広い寝室の端に移動してから戻ってくると、ヒュウラが寝ている布団の中に何かを入れた。
 “其れ”も『歪んではいけない』という使命を与えられている存在だった。微塵も動かない小さな小さな”其れ”について日雨が紹介している間に、ヒュウラは強くなった眠気に従って夢の中に意識を沈めた。

 コノハが日雨の家にやって来たのは、ヒュウラが眠ってから数分後だった。ノウと渾名を付けられている『NO』が口癖の人間の女保護官は、2つある赤い点の何方がマイダーリンなのかの判断に時間が掛かってしまい、結果としてマイダーリン救済に全然間に合っておらず、護衛役として役立たず、即ちNOになってしまっていた。
 ノウの渾名に相応しい見事なNOになってしまっているコノハは、居間に到着するなり保護対象が両方無事でいる事を確認してYESだと思った。状況はYESだが仕事の成果は現在NOである無能保護官は、”私の希少種”ヒュウラが日雨の布団で寝ている事に違和感を覚える。”女の勘”という霊的能力を無意識に発動させた。だが女の勘は霊を操作して行う術としては、時折大きく外れるので最弱の能力ともいえる。
 疑惑の女は、マイダーリンと同じ超希少種の亜人だった。虫だが同じ雌として疑惑に勘付いたのか、首を大きく横に振ると、布団の中に入っている”其れ”を指差した。コノハが”其れ”を認識して最弱の霊的能力が瞬く間に喪失すると、疑惑も喪失した人間好きの虫の亜人は、ニコニコ微笑みながらコノハに言った。
「あのね、お願い。ヒュウラさんを揺らがせないで。着物を着せて、チョコレートも食べさせて。それがね、この人がしないといけない使命」
 同種に捨てられてから人間と同じように生きている虫の亜人は、笑顔から真顔になって、至極寂しそうな顔になった。ヒュウラが寝ている布団の中から”其れ”を取り出して、寝室の隅に戻す。コノハは虫の亜人の動作を観察しながら考えた。幾ら考えても、虫の亜人が頼んできたお願いの意味が分からなかった。
 日雨から温かい櫻國茶を湯呑み1杯分貰った。人間の保護官は淑やかに一気飲みすると、マイダーリンを寝かせたまま、日雨に睦月と帝族と”K”についての現状を話した。

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