Bounty Dog 【14Days】 3-4

3
 
 ライダースーツのような黒い服の腰部に厚手の赤い布を巻いた茶髪の青年は、ミトに背を向けて遠くの景色を眺めている。
 草木が芽吹く季節の白昼の山は、天から太陽の淡い光が降り注ぎ、強過ぎず弱過ぎない最適な風がマラソンで火照っている身体を心地良く冷やしてくれる。
 数フィート先に対岸の崖がある自然の穴の下は、途中で木々に覆われていて底が見えない。尻尾のように一方が垂れた腰布を風に靡かせている青年の隣に、フードを被った小柄の男が両手を地に付いて跪いている。怪訝に思ったミトは胸ポケットから長い鎖が付いた手錠を取り出して左手に掴むと、右手に持っているサブマシンガンの銃口を突き出した。
 下向きに付いているドラム弾倉(マガジン)の中から、銃弾(バレット)達が鈍い騒ぎ声を上げる。 
『ラグナル保護官。言葉は通じる、説得してくれ』
「了解しました、リーダー」
 無線機を切り、ズボンのポケットに押し込む。引金(トリガー)の前に付いた安全器(セレクター)を”連射(フルオート)”に切り替えると、顔の見えない男の頭部に銃口を向けた。
「動くな!そこの男、手を後ろに組んでうつ伏せになれ!国際法違反により、お前は逮捕する!!」
「うん、そうだねお嬢ちゃん。もう私はこのままだと死んじゃう。どうか今直ぐにこいつから助けてくれ、お願いだ」 
(?)
「この腕の拘束具を壊してくれ。逃げないように自分の腕と繋げたのが悪かった。自主はする、するから頼む」
 フードを脱いだ男は、生傷だらけになった顔を露わにすると、降伏のポーズを自ら取るかのようにうつ伏せになり、ボロボロになった服の袖から出る痣だらけの右腕を上げて左右に振る。草汁と土と血で塗れた手首に鉄製の腕輪が付いており、其処から伸びた太い鎖は、崖の向こう側を立って見ている青年の右腕に付いた腕輪と繋がっていた。
 ーーどうやら推測だが、此処まで散々に引き摺られたようである。
 青年は微動もせずに背を向けたまま遠くを眺めている。
 小さな溜息を吐いたミトは、アピールを続ける瀕死男に向けている銃の標準を頭部から拘束具を繋ぐ鎖に向ける。安全器を”単発(セミオート)”に切り替えてから男の手首に近い位置にある鎖に向かって銃撃をすると、銃弾が鉄とぶつかって火花が散り、3発目が鎖を焼き切った。
 鈍い金属音が響いて千切れた鎖の端が青年の足に当たる。自由になった事に気付いたのか顔が男の方へ向いたが、目は長い前髪に覆われて見えない。
 への字になっている口は、への字のまま動かない。
「あああ、助かった!ありがとうお嬢ちゃん!!」
 涙を流しながら両手を擦り合わせて感謝をし始めた男に、ミトは自身の手に持っている手錠を見せながら近付く。1歩、2歩、3歩と足を動かす間に男は合わせていた両手を離してポケットを探り始めると、
 大振りのサバイバルナイフを取り出し、鞘から刃を抜いた。


 意を決した男は、一点を凝視する。刃を横向きにして逆手に持つと、対象の首に狙いを定めた。
 無表情で見つめてくる青年が着ている黒い服は、喉にチャックのスライダーが付いており、顎の下まで肌を覆っている。
「そう、そうなんだよ!初めからこうす……!!」
 叫んだ男が凶器を振り上げる前に、標的が地から天に向かって振った足蹴りが直撃して男の上半身が砕け散る。豆腐のようになった頭だった肉片が、肩だった肉片と混ざって崖の下に落ちていく。ナイフは音も無く千切れた手に掴まれたまま地面に落ちて跳ね返ると、同じく崖下へと落ちていった。

 突然呆気なく即死した人間の最期の光景に、目を見開いたミトは言葉を失う。何事も無かったかのように腕輪を外して崖に放り込んだ青年に、脳から湧き出るアドレナリンによる興奮と、凍てつく程の悪寒と恐怖を感じる。が、
 乱れ掛けた呼吸を整え、直ぐに理性を取り戻す。ドラム弾倉付きの銃を青年の頭部に向けると、直ぐに銃を下ろして手を離し、両手の平を前に掲げて敵意が無いことをアピールした。
 左手には手錠が掴まれている。銃床(バットストック)に付けている革製の紐(スリング)に引っ張られ、背中ヘ銃が移動する。
 相手は破損した死骸の残りを見ながら、足で軽く横蹴りして崖の底に捨てている。
「どうか私の話を聞いて欲しい。私はあなたを保護しに来た。絶対に殺さないわ、だから安心して」
 掃除が終わったが、声に反応しない。
「Sランク『超希少種』、獣犬族(じゅうけんぞく)。見つけ次第速やかに保護をする対象になってる。私は保護官よ、私と一緒に来て欲しい」
 ミトは足音を立てて刺激しないように、忍足で距離を詰める。漸く訴えが耳に届いたのか、青年が顔を上げて此方に振り向いてくると、
 秀麗な顔に付く虹彩が金色で瞳孔は赤い独特の色をした両目が、少女の姿を写した。
 眉ひとつ動かさない人形のような無機的な表情をしながら、青年は小首を傾げて独り言のように言葉を発する。
「保護官?俺を保護?」
「そう!私はあなたを保護する為に此処に来た!」
 ミトは左手に握った手錠をポケットに入れようと腕を下ろす。何も握っていない右の手を、平を上に向けて迎えるように伸ばすと、
 傾いていた首が真っ直ぐに戻されて、
「そうか」
 一言だけ発すると、ミトを見たまま後方に翔んだ。

4

 少女は、宙に浮いた相手に一瞬釘付けになる。瞬く間に落下して姿が消えた時に、反射的に足が動く。
 勢いに任せて飛び込むと、命綱の無いスカイダイブが始まる。数キロメートルあるだろう土壁と土壁の狭間は広く、地面から生えて底を覆う木々の枝枝に、救命クッションの役目は期待出来ない。
 風圧と重力を前面に受けながら、ミトは恐怖を和らげる為に叫ぼうとするが、肺から息が出ず呼吸すら上手く出来ない。目線の直ぐ先で落下していく青年は抵抗する素振りなく、体を半回転させて近い方の崖に背を向けると、両足を曲げて垂直になった地面に靴の裏を付ける。
 右手が上がったので、ミトは飛び込むような姿勢になって手錠を掴んだ左手を勢い良く伸ばす。丸型の拘束部が緩いW字に開いて茶色い手袋を付けている細い手首を覆うと、左手を横に素早く動かし、金属音を響かせて手錠を掛ける。
 直ぐに自分の左手首にも手錠を掛ける。2つの拘束具を繋いだ長い鎖が指から解き放たれると、崖を蹴り込んで下方へ跳ねた青年に引っ張られた。
 >(大なり)<(小なり)の記号を描くように、2つの崖を交互に蹴っては跳ね下がっていく。手首が引き千切れないように腕に鎖を巻き付けて負荷が掛かる範囲を広げながら、ミトは再び両手を伸ばして青年の肩を掴む。おんぶをされるような格好になって首に腕を回して背に張り付くと、
 崖を再び蹴られて、くの字に跳ねられてから木の絨毯の中に高速で突入する。数え切れない枝が折れては頭上の遥か上へ飛び上がる。無意識に目を瞑ったミトが漸く
「ああああああああ!!」
 叫び声を上げると、藻と草が生い茂る地面に青年が滑るように着地する。削れた地面から葉が舞い上がって落ちると、
 おんぶ状態になって顔を肩に埋めているミトの上で、空中浮遊をしていたサブマシンガンが重力を取り戻す。結ばれた紐に引っ張られて鎧を付けた背中にぶつかると、ドラム弾倉から銃弾が踊り跳ねる鈍い音が響いた。

 激痛に顔を顰めたミトが、仰向けに地面に倒れる。武器と鎧が再びぶつかって鈍い金属音が鳴り響くと、草に埋もれた全身が動いて、すぐに上半身が起こされる。
 死を回避した少女が睨み目で見る先で、仁王立ちをしている青年が顔だけを向けてくる。感情が読み取れない無表情の亜人は、土と草に塗れた少女を凝視しながら口を開いた。
「付いてきた」
「こいつアホだって思ってるでしょ!?ええ私は凄くアホよ!死ぬかと思ったわよ!!でもこれくらいして当然!だって私は現場の保護官ですもの!!」
「?」
「私はあらゆる絶滅危惧種を保護する人間の組織、『世界生物保護連合』3班・亜人課の新人保護官!!現場の保護活動は身体と命を張る仕事だって入隊時に散々聞いてるわ!」
 ミトは自分の左腕を前に掲げる。手首を覆っている鉄製の手錠から伸びる長い鎖は、地面に小さな塒を巻いてから青年の足を伝って右腕の手首に付いた手錠に繋がっている。
 顔のどのパーツも動かさずに、青年は自分の手に付けられた拘束具を目の前に上げて眺める。鼻息混じりに下半身を起こしたミトは、膝に付いた土を叩き落としてからポケットに手を入れて、無線機が紛失していない事を触感のみで確認する。
 記憶を頭で少し巡らせてから、青年を見て口を開いた。
「あなたの種は、10年以上前からレッドリストの最重要対象になってる絶滅危惧種。さっきも言ったわ、見つけ次第保護をしなければいけない。悪いけど、保護が完了するまで拘束させて貰った。鎖は長めだから、不自由は感じないと思う」
 反応は無い。
「このまま私の部隊に合流する為に、山から降りる。麓まで行けばあなたの安全は保証されるわ。それまで私が護衛する」
 少し反応がある。ミトの顔を見てきた青年は、腕を下ろして目を瞑る。再び開いた瞳は釣る事も細まる事も大きく開かれる事もないが、死んだ魚のようだとも思えない正気に満ちた金色に覆われる赤い目が、少女を淡々と映し出す。
 ミトは小さな溜息を吐くと、無線機を取り出して右手に掴む。機械に付いている縦横に並んだボタン達を見つめてから、手錠から垂れる鎖を左手で掴んで手繰り寄せた。
「取り敢えず此処から離れましょう。あなたの名前を教えて、何て言うの?」
 鎖が巻き取られて、青年の腕が少し引っ張られる。その場に立ったまま変わらない無表情で暫くミトを眺めていたが、背を向けて歩き始めた相手に再び引っ張られて強制的に歩かされると、独特の色をした目を微々に細めた。
「ヒュウラだ」
「ヒュウラ。私はミト・ラグナル。歳は17歳、宜しくね!」