Bounty Dog 【アグダード戦争】23-25

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 武装集団の隊長らしきアグダード人の男がした己の部隊の紹介を聞いて、シルフィは首を傾けた。合点がいかないと吊り上げた目の形で相手に伝えながら、眼前に座っているヒュウラを見下ろす。狼の亜人は中東の代表的な食べ物である、豆料理のフムスから立ち上る湯気を顔に浴びていた。
 独特であるが食欲がそそられる、とても良い匂いがしていた。だがヒュウラは料理の香りを嗅ぐなり、鼻を摘んで目を激しく吊り上げる。不安そうに亜人の様子を見ている料理を持ってきた黒布に、シルフィは相手が極度の偏食持ちだと短い言葉で説明した。
 銀縁眼鏡のレンズに覆われた青い目を吊り上げたまま、首の角度を戻す。腕を組んで仁王立ちをしたまま、何の味付けもしていない生のトマトを食べ始めたヒュウラを不思議そうに眺めている、浅黒肌の男に再び話し掛けた。
「貴方、軍曹って呼ばれているじゃない」
「あー、それか?手下の野郎どもが、勝手にそう呼んでくるだけだ。俺が今の隊長だからだろな!!」
 男は爽やかな態度で楽しそうに笑い出した。怪訝そうに眉を寄せたシルフィに、ケラケラ笑いながら言葉を続ける。
「俺達は、アグダードの其処ら中に散らばっている”ゴミ”を焼いて捨ててる掃除部隊だ。掃除するゴミは『腐れド一流』から『ド三流』。だけど『ド四流』と『ド五流』も良く掃除してんな。ゴミはデケえのから、ちっちぇえのまで幅広えからな」
「軍曹は大型の掃除しかやりたがらないじゃ無いですか」「そりゃデケえド一流を燃えるゴミに出しちまえば、一気に綺麗になるじゃねえか」傍に立っている薄紫色の目の黒布男と会話をしてから、浅黒肌の男は再びシルフィに顔を向けて話し出す。
「ヒュウラとテメエらと会ったあの街は、ド一流中のド一流ゴミの1人が散々やりたい放題してる所の1つでな。ヤベエくれえ凄え汚ねえから、取り合えず目立つモンを幾つか掃除してたんだ。あんなゴミダメの街でテメエら、良く生きてウロチョロしてたな」
 シルフィは組んでいた腕を解いた。後方で相棒の前に並ばれている料理を物欲しそうに見ているリングを羽交い絞めにしているミトと、並んでいる料理を殆ど無視して生トマトだけを齧り食べているヒュウラを背中から抱えている、軍曹と呼ばれているアグダード人の男を順に一瞥してから、口角を上げて呟くように言った。
「成る程。貴方達は要するに、此の土地に住んでいる腐った人間達を”ゴミ”として処理している武装部隊なのね。非常に素敵だわ」
(何が素敵なの?ゲリラ殺人集団じゃない)
 眉間に深い皺を寄せて、ミトは心の中でシルフィに毒付いた。同時に視線をヒュウラに向ける。ヒュウラを抱えている水色目の浅黒肌男は、胡坐を掻いて座っている己の足元に汚れたアサルトライフルを倒し置いていた。周囲にも武器や爆弾が散乱している。己達の周りを取り囲んでいる黒い布を被ったアグダード人の男達も、全員武装していた。
 ミトはリングを背中から抱えたままヒュウラを凝視する。男は上機嫌にケラケラ笑いながら、ヒュウラの頭を背中越しに撫でている。ヒュウラが相手の命を救った事がキッカケだが、彼は相手のお気に入りにされて、マスコットかペットのようになってしまっていた。
 大人し過ぎる絶滅危惧種の狼の亜人を見つめながら、ミトは想った。
(ヒュウラをあの人間から取り戻して、此処から早く連れ出したい)

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 ヒュウラがトマト以外の料理に全く口を付けないので、浅黒肌男が料理を食べ始めた。男が己の仲間と一緒に保護官2人とリングにも料理を食べるかと勧めてきたので、食いしん坊の猫は喜びの鳴き声を上げて、フムスをガツガツ食べる。
 浅黒肌男は己が食べる料理の全てに、片手で握り潰したライムの汁を掛けてから食べていた。並んで鉄串に刺されているライム果汁掛けのケバブを歯で引き抜いて食べながら、食事を断って己の正面に立っているシルフィに向かって会話を再開した。
「俺達は此の土地に住んでる民間人の集まりだ、大した事ねえ底辺集団。俺の名前も教えてやらねえが、唯の虫ケラだから何とでも好きなように呼べ」
「虫ケラ……」シルフィは眉を顰めた。肉を食べながらサッパリと自虐してきた男に、トマトを食べ切ったヒュウラが振り向いてから、口だけを動かして言った。
「お前の名前はグンソウか?」
 男は笑い出す。
「冗談か?カカカ、違えよ。でも面白えから、それに改名しても良いぞ」
 ヒュウラは首を大きく傾げる。正面を向いてから茶色い手袋に染み付いたトマトの汁を無表情で眺めると、ヒュウラの目の前で身を伏せたシルフィが亜人に説明をしてやった。
「ヒュウラ。軍曹っていうのは『軍隊』という人間が人間等と戦う為に作る集団で使われる階級の1つだけど、指揮官でもあるの。群れの長のようなもの。私やデルタが『リーダー』と呼ばれているのと、似たようなものよ」
 返事も反応もせず、ヒュウラは己の膝の上に広げられている青布に乗ったライムを3個纏めて手に持った。緑色の果物を腰のポケットに入れて、代わりにテレビのリモコンをポケットから取り出す。操作ボタンが並ぶ機械の表面を見つめた。
 次第に金と赤の目が剥かれた。大好きな電源ボタンを触らずに見ている心が壊れた亜人を、ミトは厳重に監視する。
 ”軍曹”がシルフィに向かって訊ねた。
「テメエも隊長なのか?てっきりどっかのお偉いさんの秘書って奴だと思っちまってた」
 見た目はオフィスレディだが”現場”で仕事をしているシルフィは、口角を上げて自己紹介をする。
「私はシルフィ・コルクラート。此の世界のありとあらゆる絶滅危惧種を保護する国際組織『世界生物保護連合』の、亜人を保護する課の現場部隊長よ。宜しく」
 相手に握手は求めなかった。相手もシルフィと握手をしようとせず、食事を続ける。
 シルフィは、リモコンを掴みながら顔を俯かせているヒュウラを微笑みながら見つめた。ミトはヒュウラからシルフィに視線を移すと、相手を激しく睨む。
 保護官の少女は未だ目の前の女を、保護官だとも『リーダー』だとも認めていなかった。

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 料理は結局、猫の亜人が殆ど平らげてしまった。食いしん坊猫のリングとシルフィはアグダードの武装集団と打ち解けているようだったが、ミトだけは警戒心を全く解かなかった。
 軍曹という男と大勢の黒布達に囲まれながら、胡座を掻いて手に掴んでいるテレビのリモコンを延々と眺めているヒュウラを見つめる。ミトはヒュウラに少しずつ接近した。軍曹が直ぐに勘付いたが、接近に勘付いただけで何も反応せずに、ヒュウラを背中から抱えながら黒布達と雑談に耽る。
 ミトはヒュウラから少し離れた位置で一度停止すると、サブマシンガンが結び付けられている肩掛け紐を手に掴んだ。何時でも”奪還戦闘”が出来るように準備をしてから、一気に距離を縮める。
 軍曹と黒布はミトが急接近しても、何もしてこなかった。ミト・ラグナルはヒュウラの目の前に立つと、息を大きく吸って大きく吐き出してから、大口を開いて自己紹介した。
「私の名前はミト・ラグナル!『世界生物保護連合』3班・亜人課の保護官!ヒュウラは最重要保護対象『超希少種』の亜人よ!私が保護してる!!彼を今直ぐに返して!!」
「あー、ヒュウラの事は、さっきシルフィから聞いたぞ。通りで滅茶苦茶な動きをすると思った。あとコイツ、凄え可愛いもんな!犬の亜人なんだろ?」
「狼です」薄紫色の目を黒布から出している男が、軍曹に指摘した。「どっちだって良い。可愛いんだよ」軍曹は即座に言い返してから、背中からヒュウラに抱き付いて頬擦りした。
 絶滅危惧種の狼の亜人は、紛争地帯でも現地の人間達から甘やかされている。軍曹の寵愛を受けるヒュウラに、1人と1体の周りを囲んでいる他の黒布達も様々な色をしている其々の目を緩めながら、頻繁に話し掛けていた。
 軍曹の傍に立っている薄紫色の目の黒布だけが、ヒュウラに一切興味を持たない。腕を組むとミトを睨んできた。ミトも睨み返して身構える。街での光景、あの奴隷売買所で見た状況が彼女の脳裏に思い描かれた。
 ミトが彼らの『女の価値観』を勝手に決め付けてしまう前に、先読みをしたように軍曹が告げた。
「ヒュウラは雄だが、俺は同性愛者じゃねえぞ!で、テメエ達の事も、そういうモンはどうでも良い。ただ、強えだろうなとは思ってる。あのゴミダメの街をウロチョロしてたんなら」
 ミトの吊り上がっていた目が丸くなった。反射的に敬語で尋ねる。
「本当に何とも思わないのですか?私、女ですよ」
「しつけえ。今俺がテメエに思ったのは、それだけ」
 軍曹は薄い澄んだ水色の目を吊り上げた。少々機嫌が悪くなる。
「俺達の部隊が求めてんのは、足手纏いにならねえ、1人でも十分に戦える強さがある事。それ以外はどうでも良い。女でも人間じゃ無くても、何なら幽霊でも化け物でも強けりゃ何でも良い。幽霊なんか最高だな!もう死なねえし、ヤベエくれえ凄え強そうだ!!」
「でもヒュウラさんと軍曹は、何だか」
 真横で唐突に言ってきた、のほほんとした雰囲気を醸し出している黒布男を軍曹はすかさず顔面パンチした。ヒュウラは会話にもパンチにも一切反応しない。両手で掴んだリモコンを、大きく剥いた金と赤の目で延々と見つめていた。
 狂犬のような顔をしている亜人をミトはこの時、見ていなかった。布で覆われた鼻の部分が鼻血で濡れている黒布が泣きながら何かを言おうとする度に怒りの吠え声を上げている軍曹を代わりに見ているミトは、サブマシンガンの紐から手を離して、内心で呟いた。
(この人、逸脱してる。こんな壊れた場所で生まれ育っているのに、私達と同じような価値観を持ってる)
 ヒュウラに視線を戻した。リモコンをポケットに戻していたヒュウラの顔は、何時の間にか元の仏頂面に戻っていた。

 ミトは別の視線を感じて振り向いた。アジトの入口近くに移動して立ちながら朱色の目をしている黒布と話していたシルフィが、腕を組んだ体制で己を睨んできている。
 ミトも即座に睨み返した。軍曹の方に向き直る。ヒュウラを取り戻す為の交渉を始めようと口を開きかけて、
 直ぐに閉じた。己に敵意を向けてきていた薄紫色の目の黒布を呼び寄せた軍曹が、相手を己の傍に伏せさせてから二言三言会話をして、ミトに向かって話し掛けてきた。
「ヒュウラはテメエにやらねえぞ!分かってると思うが、外は無闇にウロチョロすると危ねえからな!ゴミ掃除が一通り終わるまでは、俺がコイツを守ってやらあ!それが俺の、コイツへの礼!!」
 サッパリと宣戦布告をしてきた。ミトは片眉を上げて売り言葉を買おうとする。
「あなた、何を勝手に」
「あー、あと」
 軍曹は無視して話を続けた。ヒュウラから右腕を離す。隣に伏せさせている薄紫色の目の黒布に向かって腕を伸ばすと、
 相手の頭頂部を鷲掴みにして、黒布を剥ぎ取った。部下の姿を余所者達に晒した軍曹は、嘲笑顔をしながら言ってくる。
「俺の名前は教えられんが、こいつの顔と名前は教えてやる。ガーズィー・ヘルマンダ」
 突然姿を晒されて、ヘルマンダという名の男は困惑する。ミトも酷く困惑した。
 ガーズィー・ヘルマンダは、浅黒い肌に薄紫が混ざった白髪を短く切っている、若いアグダード人の男だった。黒いズボンに灰色の半袖シャツ、半壊したアルミ製の鎧という軍曹に良く似た格好をしており、頭と腕には何も巻いていないが、赤いアラビアスカーフをケープのように広げて上半身を包んでいる。
 ヘルマンダは薄紫色の目を限界まで釣り上げた。ミトは露わになっているヘルマンダの姿を見て、更に困惑する。
 人身売買所で人質を殺した男が、己の目の前に居た。
 ミトとヒュウラは相手の姿をハッキリと見ていたが、ヘルマンダも軍曹も、他の黒布達も、ミトとヒュウラには何もしなかった。軍曹はケラケラ笑いながらミトに話し掛ける。
「ミトって言ったな。テメエらも、此処に居たけりゃ好きなだけ居座ってて良いぞ。出てっても良いけどな!運が凄え良ければ、生きてアグダードから出られるかもな!!」
 ミトは返事も反応もしない。軍曹は睨み目を向けてくるヘルマンダを無視して、他の黒布達に向かって声を張り上げた。
「んじゃあ、今日はもう寝るぞー!見張りの時間になったら起こしてくれい!!ヒュウラの寝床も、ちゃっちゃと作れ!後の奴らはオマケだ、適当で良いからな!!」
 軍曹はヒュウラを解放した。ヒュウラは微動だにせずに無表情でミトを見つめてくる。ミトが微笑み顔を返してやると、
 ヒュウラは金と赤の目を大きく剥いて、保護官を怖気付かせた。
 心が壊れた狼の亜人は、テレビのリモコンをポケットに戻した。立ち上がって周囲を見渡してから、軍曹を見て、仕切りに己に向かって鳴いてくるリングの元に向かって行った。