Bounty Dog 【14Days】 66-67

どんなに水を堰き止めても川の流れは変えられない。いずれダムは壊れて、水が自然のままに流れていく。

66

 この土地で吸う空気は、支部のある丘よりも遥かに澄んでいた。木々の艶めきも、草花の鮮やかさも、水の輝きも、人間には作り出せない圧倒的な美を放っている。
 『世界生物保護連合』3班・亜人課の現場部隊は、北西大陸にある水郷地帯で保護任務を行なっていた。世界的に有名である巨大な河川から木の枝のように分かれた無数の小川が、それぞれ個々の形にくねりながら周囲の山の中へと伸びている。
 清らかな川の水が小さな滝になって落ちていく音が延々と響く野山の一角で、人間のような1つの影が高速で移動していた。柿の木が左右に繁る沼道を走りながら一点を見つめる目は鋭く釣り上がっており、湿った土を靴を履いた足が踏んで離す度に、細かな飛沫が宙に散り飛ぶ。
 近くから、甲高い生き物の鳴き声が上がった。目線の先の木々を飛び移りながら移動する大きな影から、柿の実が数個飛んでくる。
 地を走る影に柿がぶつかる。胴にぶつかって1個目が砕ける前に、2個目の柿が頭に当たる。2回攻撃された影は果汁を浴びた顔に付く目を更に釣り上げた。走る速度を上げて、木を飛び移っていく影を追跡する。
 木の上の影が動きを止めて、振り返った。鮮やかな青い髪に真っ赤な太い眉毛と黄色い長い尻尾を持った、緑色の毛が覆う手足の長い猿のような亜人は甲高い声を上げると、木の枝にくっ付いている柿の実を両手と尻尾を使って大量に抱え込んだ。
 柿の木の根本に近付いてくる、人のような影を見下げて、猿は鳴き声混じりに挑発する。
「キャキャキャー!しつこいしつこい!喰らえ!柿、喰らえ喰らえ、キャー!!」
 抱え込んだ柿を1個1個掴んでは、影に向かって投げ付ける。打撃による腫れ傷と共に砕けた柿の実と汁を全身に浴びながら、影は猿の亜人が乗っている木の幹を力任せに足蹴りした。細い木の幹が瞬く間に折れて、音を立てて倒れる。
 猿の亜人は、柿を放り捨てて隣の木に飛び移った。枝に付いている別の柿の実を掴むと、ボールのように投げ付けてきながら逃げて行く。影は柿をぶつけられながら猿を追いかけた。追う方も追われる方も、速度が急激に上がっていく。
 影から声が響いた。身に付けている発信機兼通信機の機能を持つ金属製の輪から、ミト・ラグナル保護官の声が指示をした。
『現在F45からF55までBランク『虹猿族(ぐましらぞく)』を追跡中。其処から先は直ぐ崖よ!気を付けて!!』
「キャキャキャー!良い事聞いた!聞いた、キャー!!」
 指示を盗み聞きした猿が、木の上から手を叩いて小躍りを踊る。柿をマシンガンの弾のように延々と投げ付けてくると、影は攻撃を受けながら再び木の幹を蹴ろうと片足を振り上げる。
 突然、柿が止んだ。猿が木の上から飛び付いてくる。奇襲に驚いてバランスを崩した影が、地面から足を離すと、
 半回転した猿に身を振り投げられた。
 宙を飛んだ影は、柿の木の隙間から崖の底へと落ちた。猿は崖の端まで近付いて底を眺めると、シンバルを振り鳴らすように手を叩いて笑い声を上げた。

 影は崖を真っ逆さまに落ちていく。宙でくるりと回転して頭を上にすると、土壁に向かって身体を近付けていく。
 底が、みるみる内に迫ってきた。地面に叩きつけられる数秒前まで接近すると、発信機からミトの声が響く。
 その声も、聞く影の態度も、余裕だった。
『現在F58、オーバー。ターゲットは油断しているわ、チャンスよ!』
 影の口元が緩んだ。壁のスレスレまで身を近付けて、足の指を土に当てると、
 足首の関節を捻った。足裏を壁に付けた状態で身体を一気に90度傾ける。重力を無視した向きになって壁走りをする長い金髪をポニーテールにした雌猫の亜人は、手を叩いている猿に向かって大きく鳴いた。
「ニャー!!」
 猿は異変に気付いた。崖の下から猫の鳴き声が響いてくると、壁を登り切って飛び上がったリングに驚愕する。
「キャ!?ギャギャアアア!!」
 悲鳴を上げて踵を返して逃げようとする猿に、リングは空から襲い掛かった。猿の両肩に乗ると、足で首を挟んで身を逸らす。
 大きく鳴いた猫が、後ろ向きに半回転して猿を地面に叩き付けた。前面を強く打ち付けられてうつ伏せで気絶した猿から離れて直ぐに、リングは猿を担ぎ上げる。
 もう一声鳴いて、リングは野道を走り出した。右の手首に付けたブレスレット型の通信機に向かって更に鳴くと、機械越しにミトに話し掛けた。
「ニャー!ミト、猿、捕まえたニャ!!」
『リンちゃん、流石よ!早い、凄い!!』
 通信機を通してミトが賞賛の言葉を掛けると、リングは上機嫌で保護対象を輸送する。道を走り続けて川の麓で待っていたミトの元に到着すると、新人保護官が用意していたロープで、猿をぐるぐる巻きにして縛り上げた。
 ミトは気を失っている保護対象(ターゲット)に発信機を手早く付ける。身体の前面に無数に付いている打撲痕を見ると、背後で跳ねているリングに注意した。
「リンちゃん、任務を手伝ってくれてありがとう。だけど捕獲の時は麻酔針を使ってね。次からは絶対にお願い」
 リングは一声鳴いて生返事をする。道着のような服のポケットから麻酔液が入った打撃式の注射器を取り出し、宙に投げては掴んで、投げて掴んで投げてを繰り返して遊んでいると、
 意識を取り戻した猿が、尻尾に掴んでいた柿をリングにぶつけた。
 頬に付いた赤い三角形の模様に砕けた柿の果肉と果汁がへばり付くと、リングは注射器をポケットに戻して猿に睨み目を向ける。地に転がった柿を拾い上げて猿に近付くと、鳴きながら怒鳴り声を上げた。
「ブニャー!お前、食べ物、投げるな!柿、美味しい。投げるニャー!!」
 リングの鬼の形相を見て、猿はケラケラ笑い出す。怒りに顔を真っ赤にしながらリングは手に掴んだ柿を口に入れて齧った。瞬間に、電撃を受けたように毛を逆立たせて硬直する。
 動きが停止した猫に、猿は悪どい笑顔をしながら説明した。
「ソレ渋くて不味い柿。ハズレだから投げて良い柿、キャキャキャキャー!!」
 リングが口から柿を離す。キャーキャー甲高い鳴き声を上げて笑い続ける猿に向かってニャーニャー鳴いていると、ミトがリングの手から柿を取り上げる。
 齧り痕と砕け痕が付いた不味い柿を一目見て、微笑みながら口を開いた。
「渋柿ね。干すと甘くなって、凄く美味しくなるのよ」
 猿と猫は鳴くのを止める。同時に振り返ると、人間の少女を凝視してからキャーキャーニャーニャー騒ぎ出した。

 数キロメートル離れた山道の一角で、デルタ・コルクラート保護官は1人で待機していた。足元に渋柿が十数個積み上がっている。
 畳まれた『8班・植物課用』と書かれている袋を果物の上に置くと、ポケットの中の通信機が振動した。デルタは機械を取り出して側面に付いた応答スイッチを押すと、ミトからの報告に耳を傾ける。
『こちらラグナル。リーダー、ターゲットを保護しました。そちらはどうですか?』
 デルタは柿の木が並んだ道の先を見ながら、答える。
「コルクラートだ。早いな、リングが加わってから任務が本当に楽になった。彼女の力は重宝する」
 道の先に、生き物は柿の木以外に1体も居なかった。気配もしない静寂した空間で、デルタはミトに短く指示を伝えて電話を切り、通信機の画面を見た。数字と折れ線で表示された1体の生き物の生体値が全て正常である事を確認すると、機械を口元に当てて、正面を見た。
 機械から青年の声が淡々と響いた。
『デルタ。捕まえた』
「良し。ヒュウラ、そのまま保護してくれ。但し、絶対に無茶苦茶な事はするな」
『御意』
 独特の返事が聞こえて、機械は沈黙した。デルタは機械の画面を切り替えると、黒い背景に網のように貼られた黄緑の線の上に、赤い点が表示される。
 点は高速で動いていく。建物を示す黄緑色の箱の中を真っ直ぐに移動すると、箱から飛び出した。

67

 巨大な斧を背負ったヒュウラは、両手が白い大きな翼になった鳥のような亜人の胴に、腕を回してしがみ付いていた。大木の枝の上に建てられた、朽ち掛けた丸太小屋の窓から飛び出る。
 鳥の亜人はギャーギャー鳴き声を上げながら、バタバタと翼になった腕を大きく振った。翼を風に乗らせて空を飛んだ鳥とヒュウラは、山の木々から飛び出して、遥か上空へと舞い上がる。
 翼を羽ばたかせて更に天へと登っていく鳥の亜人にしがみ付きながら、ヒュウラは口に咥えている麻酔液の入った打撃式注射針を、首を勢い良く振って胴に突き刺した。鳥は甲高い悲鳴を上げてから、人間のような言葉でヒュウラに向かって叫び始める。
 言っているのは悪口でしか無い言葉だったが、激しい風の音に、何を言っているのか全く聞き取れない。麻酔が身体に回り始めた鳥は、力が抜けて羽ばたきを止めた。地に向かって落下していく鳥を掴んだまま、ヒュウラも一緒に落下していく。
 ヒュウラは無表情のまま、迫ってくる山の木々を見つめた。力を失った鳥を背中から抱えて、空中で半回転する。背負っている斧の刃を下にして仰向けになり、膝を曲げて刃の幅の中に鳥ごと身体を収めると、
 棘のように尖った木々の先端を、巨斧が砕き潰した。盾のようにした斧で身を守りながら落ちていくヒュウラは身を捻り、表皮と枝を刃で削っていく木の幹に足裏を付けて跳ね上がる。
 蹴られた部分の木が超力を受けて粉砕し、残った幹が飛び落ちて、周りの木を巻き込みながら倒れていく。数キロメートル程の飛距離を出して飛ぶヒュウラは、腕に抱えられながら騒ぎ喚いている鳥を無視して、前方に近付いてくる巨木の幹を、身を捻って足蹴りする。
 幹が粉砕して、ヒュウラは山の上を更に飛んで行く。巨木を踏み台にした空中飛行を数回繰り返してから、徐々に地面へと近付いていくと、
 道を挟んで左右に並んで生えている柿の木を<(大成り)>(小成り)の動きでへし折り、デルタの見ている道の真ん中で着地した。

 空から保護対象(ターゲット)を抱えて戻ってきた特別保護官兼超希少種に、デルタは特に何も反応しない。渋柿の小山の横に置いているロープと発信機を拾い上げると、片手に掴んでいる通信機を口元に近付ける。
 目線の先で鳥の亜人を担ぎ上げたヒュウラに、相手が身に付けているアンテナ付き首輪型発信機兼通信機を通して話し掛けた。
「またとんでもなく危険な事を……まあ良い。Aランク『鷺饒族(りょにょうぞく)』保護完了。お前も流石だな。大分任務に慣れてきてくれて、一安心だ。俺の指示もキチンと聴くようになってきたし」
 ヒュウラは仏頂面のまま鳥を担いで歩いてくる。
 首から上に麻酔が効いていない鳥が、ヒュウラの頭の上で騒いでいた。首輪越しにデルタにも内容が聞こえたが、
 その罵声のレベルは、低過ぎた。
「クソー!チクショウー!何か言えよ!!スカした顔しやがって、この裏切り者!人間に飼われた、ーーーーーーーーーーーー野郎!!」
 文字では表現出来ない醜いの極みである言葉でヒュウラを煽る。ヒュウラは返事の反応もせずに淡々と鳥を担ぎながら歩いた。
 鳥は首をブンブン振りながら、更に騒ぐ。
「無視すんじゃねえよ!ーーーーのーーーーの、ーーー!ーーーーーー、ーーー、ーーーーーーーー!!犬だからいつも人間に尻尾振ってるんだろ!?ついでにーーーーーーで、ーーーーで、オマケにーーーーーーーーーーーーーーーーーーーなんだろ!?ーーーーーー!!この、ーーーーーーー!!ーーーーーーーーー!!あー!本当に、最低だわテメエ!!」
(お前よりも最低な言葉で挑発してくる生き物に会った事が無い)
 デルタは心の中で呟いた。
 ヒュウラが反応を示す。鳥を両手で担ぎ上げたまま柿の木の前まで移動する。枝にたわわと実る渋柿達を無表情で見つめてから、ヒュウラは突然、柿の木を蹴った。
 蹴られた部分の柿の木が粉砕した。
 大穴が空いた植物の上半分が空を飛んで崖の下に落ちていく。鳥は驚愕して黙った。
(またこいつのせいで、俺は植物課の怒りを買った)
 デルタは胸ポケットに入れているウイスキーの小瓶を摩りながら、心の中で毒吐いた。
 ヒュウラは、無表情のまま機械人形のように淡々と鳥を運ぶ。デルタとの距離が近付いてくると、鳥は気を取り戻して再び騒ぎ出した。
 笑い声が加わって、罵声がヒートアップする。
「ハッ!ハッハハッ!ソレで黙ると思ったのか?とんだーーーーーー野郎だな!やっぱりお前、ーーーーーーだわ!!ハッ!ハハハハッハハハッハハハッ!ハッ!!ーーーーーーー!ーーー!ーーーーーーーーーーーーーーーー!!ーーー!!悔しいだろ!?この、ーーーーー!!だから、何か言えよ!この、ーーーーーーの、ーーーーーーーーーーーーーーーーーの、ーーーーーーーーーー野郎!!」
 線でしか表現出来ない最凶の言葉で延々とヒュウラを罵る。鳥は更にデルタに気付いて、醜いの極み言葉で延々と人間の青年も罵り出した。デルタは苦虫を噛んだような顔をして耳を塞ぐ。
 鳥は人間1人と亜人1体を交互に悪口で叩きまくる。デルタの目の前まで歩いてきたヒュウラは、保護官の足元に積まれた渋柿を一瞥してから、保護官の前で片膝を折ってしゃがみ、鳥を地面に下ろした。
 人間に服従を示すような格好をしている狼の亜人に、鳥の亜人は面白いものを見たようにゲラゲラ、ゲラゲラ笑い出す。延々と放たれる最低の罵り言葉を仏頂面で聞いているヒュウラは、仏頂面のまま地面に置かれて騒いでいる鳥に顔を向けると、
 仏頂面のまま渋柿を1個手に掴んで、鳥の口に押し込んだ。
 茶色い手袋を付けた手に口を塞がれた鳥は、濃厚なタンニンの渋みを強引に味わされて、全身の羽と毛を逆立たせた。顎を無理矢理動かされて、強引に咀嚼させられる。口を覆っていた手が離れると、唾液混じりの砕けた渋柿が勢い良く吐き出された。
 鳥は悲鳴混じりに喚き出す。
「うげええ!ヒーヒーえーえーえー……!チクショウ、テメエ!何喰わせてるんだよ!?この、ーーーーの、ーーーーの……」
 2個目の渋柿が口に押し込められた。顎を掴まれて強引に咀嚼させられては、強引に開けられた口から吐かれる噛み砕かれた柿と入れ替えるように、新しい柿が突っ込まれて強引に閉ざされる。
 渋柿を延々と無理矢理喰わされて、鳥は目から涙をボロボロ溢れさせた。鳥が放ってくる懇願の眼差しを狼の亜人は無視して、仏頂面で柿を喰わせ続ける。
 小山の渋柿の最後の1個を口に押し込まれると、鳥は遂に力尽きた。白眼になって地の上で伸びると、閉じた口の隙間から果汁と泡を吹いて気絶した。

 残酷極まりない私刑を目の当たりにしたデルタは、鎮静したターゲットに真顔で拘束具と発信機を付けながら、ぼやく。
「残念だが、俺の一安心は気のせいでしか無かった」
 中に詰まっていた物が喪失した植物課用の手土産袋を回収して、デルタは仏頂面で立ち上がったヒュウラと向かい合う。デルタはヒュウラの顔に右手を伸ばすと、
 強烈なデコピンを食らわせた。
 額に赤い腫れ傷が出来たヒュウラは、仏頂面のまま何の反応もしない。デルタも真顔のまま通信機で部下と連絡を取り始めると、手短に要件を伝えて通話を切り、ヒュウラに向かって話し掛けた。
「ヒュウラ、お前を施設に送る予定日まで残り4日しかない。今日は一気にポイントを稼ごう。次が本番だ、Sランクの亜人保護をする」