Bounty Dog 【14Days】 64-65

64

 ミトは首を縦に振って応答し、銃撃を開始した。大国の狩人達も意気揚々と撃ち返してくる。デルタは通信機を耳に挟んで側面のスイッチを押し、他の保護官達に連絡をした。両手で構えたショットガンが幾度と火を吹く。狩人が何人も吹き飛んで倒れる度に、リングの目が輝いた。
「こちらコルクラート。大勢の敵と応戦している!直ちにラグナルと私を援護してくれ!!」
『了解しました、リーダー!直ぐに其方に向かいます!!』
 男の保護官が応答し、通信が途切れた。程なくして無数の銃弾が狩人達に襲いかかる。
 3班保護部隊が到着すると、リングの目は益々輝きを増した。両の拳を握ってピョンピョンその場で跳ね出すと、一声鳴いて、勢い良く駆け出した。
「ブニャー!ニャー、こいつら、皆んな倒す!!」
 ヒュウラは立ったまま、微動だにせずに彼方を見つめている。目が若干、釣り上がっていた。
 猫の鳴き声が山の奥から聞こえてくる。

 リングは狩人の1人に向かって突進する。手前にいる別の男が、猟銃の口を獲物の眉間に向けてくる。
 口角を上げた男が、ショットガンの弾で吹き飛ばされた。リングは足首の関節をバネのように動かして、大ジャンプする。
「ブオニャー!!」
 叫ぶように鳴きながら、宙から狩人に飛び掛かる。狩人の掴んだ猟銃が火を吹くと、リングの頬に一筋の裂け傷が出来た。赤い三角形の模様が付いた肌から鮮血が飛び散ると、橙色の目が釣り上がる。
 狩人を仰向けに押し倒して、即座に首を両手で掴む。骨を折ろうと捻りかけて、
 リングは即座に手を離して後ろに跳ね飛んだ。
 目の前に大勢の人間が銃を向けてくる様子が見える。大量の火柱が上がって大量の銃弾が此方に向かって飛んでくると、
 横から振り投げられた巨斧が、リングの目の前で突き刺さった。銃弾を全て防いだヒュウラの愛用武器は、拝借しているデルタの手に掴まれて、地面から刃を引き抜かれる。
 デルタは斧とショットガンを片手ずつ持って構えながら、リングに目を向けた。リングの目は釣り上がったまま、拳を握って戦闘体制を取る。狩人達が再び銃撃してくると、デルタは斧の刃を盾のように構えながら、ショットガンを脇に挟み、通信機のボタンを素早く押す。耳と肩で機械を挟んで、指で通話ボタンを押す。探し物をするように周囲に視線を這わせながら、専用の回線を通して相手の名を呼び、指示をした。
「ヒュウラ。この銃撃を防ぎ切ったら、お前の武器を直ぐに返す。斧で弾を防ぎながら、隠れられる場所で隠れて待機していてくれ。お前が何もしなくても、我々保護部隊が直ぐにこの脅威を終わらせてーー」
 返事が一言も無い。デルタは正面に向き直ってショットガンで2、3回発砲すると、再び周囲を見渡した。側面からリングが飛び出し、鳴き声を上げながら狩人達に襲いかかる。リングを銃で援護しながら、デルタは延々と探し物をした。探し物が見つからない。
 デルタは通信機越しに相手の名を呼ぶ。
「ヒュウラ?」
 機械からも、周囲からも返事が聞こえなかった。デルタはミトに通話相手を変更して短い指示を与える。斜め後方で他の保護官達と共に銃撃に徹していたミトは驚愕したように大きな茶眼を開いて通信を終えると、周囲を見渡した。ミトも探し物を見付けることが出来ない。
 ミトは、サブマシンガンで応戦しながら懸命に探した。
 ヒュウラの姿が何処にも無かった。

 ミトとデルタは、共に通信機でヒュウラの居場所を確認する余裕が無い。デルタは給弾(リロード)したショットガンで目の前にいる敵を吹き飛ばしてから、耳に挟んでいる通信機で特別保護官兼超希少種に呼び掛けた。
「ヒュウラ!ヒュウラ、返事しろ!何処に居るんだ?!」
 反応が無い。と、思いかけた。数十秒間流れた沈黙後に、機械から声が聞こえてきた。
 ヒュウラの声が、淡々と一言だけ発する。
『捕まえてくる』
「何?何を一体捕まえるの?!ヒュウラ!」
 銃と手の間に通信機を挟み持ちながら、ミトが反応した。銃に無数の弾を吐き出させながら、首を左右に振って亜人の青年の姿を探す。
 粒の大きさですら、相手を見付けられない。デルタは通信機越しに怒鳴りながら命令した。
「ヒュウラ!勝手に単独で何処にも行くな!今直ぐ戻ってこい!!此の地は危険極まりない!!」
 返事はいくら待てどもされなかった。デルタは襲いかかってくる敵にショットガンで発砲して叫んだ。
「お前は絶対に、喪失(ロスト)してはいけないんだ!!」
 狩人を足蹴りで地面に叩き付けたリングは、ヒュウラの行動に気付かない。
 遠くから、また猫のような鳴き声が聞こえてきた。
 ミトは数人の狩人を撃ち倒してから、サブマシンガンの照星から目を離した。銃を片手に掴み、通信機を空かせたもう片方の手でしっかりと掴む。
 通信機の画面を見た。側面に付いたボタンを数回押してから、サブマシンガンを構えて、顔を上げる。
「ヒュウラを護衛します!此処はお任せします!!」
 ミトはデルタと同僚に向かって大声で伝えると、彼方へと走った。少女の背中を何本もの猟銃の口が狙う。同僚の保護官達が銃が火を吹く前に新人保護官を脅威から救った。ミトは通信機を掴んだ片手を上げて、感謝を伝えてから走る速度を上げた。
 デルタはリングに撃たれる銃弾を巨斧で防いで護衛する。リングは助走を付けて勢い良く飛んだ。狩人の首を足で挟んで地に叩き付けて倒すと、叫ぶように鳴いた。
「ニャアアア!ニャー、仲間、守る!!」

 ミトは通信機に表示される発信機の情報を見ながら、ヒュウラを追跡した。画面の中を高速で進んでいく赤い点を頼りに、人間の少女は全速力で追い掛ける。
 燃えるように赤い夕陽の光に、視界を奪われそうな程の強い刺激を目に浴びる。通信機を耳に当てて側面のスイッチを押したミトは、機械を通してヒュウラに呼び掛けた。
「ヒュウラ、ミトよ!今あなたを追い掛けているわ、お願いだから教えて!一体何処に行くの!?」
 待てど、待てども返事も反応もされない。ミトは通信機を耳から離して、画面に写る赤い点を時々見ながら走り続けた。
 猫の鳴き声と共に、甲高い銃声が聞こえてくる。
 木々に覆われる山中の獣道は、人による舗装が一切されていなかった。伸びきった野生の木々が網のように視界を覆い、着ている短い鎧と迷彩服、掴んでいるサブマシンガンに、髪の毛と、頭に巻いた青いバンダナと、その上から付けているパイロット用ゴーグルに枯葉と枝枝と小さな傷が無数に付く。
 光と緑に阻害されながらも、ミトの走る速度は落ちなかった。通信機の赤い点は動きを止める。広い空間の一角で静止している赤い点を追って、ミトはラストスパートを仕掛けた。
 銃で木々を掻き分けて、獣道から抜け出す。人工的に作られたらしき土山が犇めき合う場所に足を踏み入れると、
 最奥の山に掘られた穴の前に、ヒュウラが背を向けて立っていた。
 ヒュウラは顔を伏せて地面を見ていた。黄色い土に刻まれている無数の足跡を眺めている。
 ミトはヒュウラにゆっくりと近付いていく。気配を察知する素振りを見せない相手は顔を横に向けると、無表情のまま再び歩き出した。ミトは助走を付けて走り出す。ヒュウラが気付く前に背の後ろに回り込むと、
 勢いを付けてジャンプし、ヒュウラの背に飛び乗った。
 突然におんぶをさせられたヒュウラは目を見開くが、反応は刹那に無へ戻される。ミトは通信機を見せて自分の存在を伝えると、再び足を動かし出したヒュウラに、耳元で声を掛ける。
「ヒュウラ、何を捕まえたいの?」
 返事されずに、歩みは徐々に駆け足になり、疾走になる。遠くから猫のような鳴き声が何度も聞こえた。程なくして、耳を劈くような銃声が何度も轟いた。
 ミトはサブマシンガンを紐越しに背中に回し付け、振り落とされないようヒュウラの胴を手と足で抱える。土山を去り、山の中を高速で走っていく狼の亜人は、人間の少女を背負ったまま崖を飛び越える。数回のショートカットをして山を2つ跨ぐと、
 岩が左右に積まれた登り道に、リングによく似た容姿をした猫の亜人の群れを見つけた。


 数十もの猫の亜人達の群れは、どの個体も頬に付いた赤い三角形の模様が土と汗で酷く汚れている。皆が意を決したように橙色の目を釣り上げて歩きながら、大きな声でそれぞれ鳴き声を上げた。
 進もうとしている道の先から同じような声が聞こえて、直ぐに轟くような銃声が響いてくる。
 ミトを背負ったヒュウラは、猫の群れの向きと逆方向に踵を返して走り出す。延々と続く猫達の列の途中で盛り上がっている箇所を見つけると、ヒュウラは猫達を掻き分けた。ミトは振り落とされないようにヒュウラにしがみ付く。青年の手が猫達を押し退けて進んで行くと、
 2体の猫が担ぐ簡易な駕籠に、長いおさげ髪を撫でている年老いた猫が座っていた。
 ヒュウラは真顔で老猫に声を掛ける。
「クク。見付けた」
「ミャー。ヒュウラ君、また会うなんて思っていなかった。背中のお嬢さんは人間ミャ?迎えが来たんだね」
 一声鳴いたククはヒュウラとミトに顔を向けると、ニッコリと満面の笑顔を向けてくる。ミトはヒュウラの肩の上から深くお辞儀をすると、ククは益々嬉しそうに笑った。
 皺だらけの皮膚に付く愛嬌のある橙色の目に、ミトは深い哀愁を感じる。
 ククは駕籠を担ぐ猫の亜人達に指示をして、移動を止めた。ククとヒュウラ達を囲む大勢の猫達は、歩みを止めずに彼方へと進んで行く。
 鳴き声が聞こえて、列の後方から銃声が聞こえた。ククはミトの顔を暫く眺めると、首を縦に振ってから一声鳴いた。
「ミャー。とても優しそうな人間だミャ。ヒュウラ君、お嬢さんと早く私達から離れるミャ。私達と居ると、巻き込んでしまう」
「巻き込むって?」
 ミトはククに尋ねた。ククもヒュウラも反応しない。
 耳元から大きな大きな猫の鳴き声が聞こえた。道の左右に積まれた石の上で数体の猫が、天に向かって鳴き声をあげている。
 銃声が立て続けに聞こえてくる。ミトは再び尋ねた。
「一体、何を?」
 ヒュウラがククに言った。
「リングを連れてくる」
「ミャー。ヒュウラ君、それは駄目だミャ。そうしてしまうと、あの子がまた人間を倒して私達を守ってしまう。そうなると、私達はまた逃げなければいけなくなるミャ」
 ククは大きく鳴く仲間達の声に耳を傾けた。鳴き声と同じ数の銃声が響いてくると、満足そうに何度も頷く。ミトは不可思議な光景に、ヒュウラの肩越しに眉を寄せながらククに視線を注ぐ。
 ククは、独り言を語るようにヒュウラに話し掛けた。
「ミャー。ずっとずっとあの子は、群れを人間達がする理不尽から守ってくれているミャ。だけど私達はもう、この生き方に疲れた。生きている全ての命は今、人間のモノになっているミャ。だから私達亜人や他の生き物は、人間に従わないといけないんだミャ」
「そんな事は」
 ミトは反論するが、ククは無視して言葉を続ける。
「ミャー。人間は私達が多過ぎるから、殺して数を減らしている。だったら減らないといけないんだミャ。リングは私達の命を守る為に強くなった。あの子のお陰で私達は今まで生きられた。だけどもう、人間に刃向かうのはコレで終わりにするミャ」
 ミトの目の前で、鳴いた猫が撃ち殺された。目を見開いた少女を背負っている亜人の青年は何の反応も示さない。
 ククは招き猫のように指を曲げて、外に向かって手を振った。退避を促す老猫に、ミトは何度も何度も被りを振って拒否の意を示すと、
 ヒュウラは、仏頂面のまま口だけ動かして答えた。
「そうか」
 ミトは固まる。ククは、満面の笑顔をした。
「ミャー。それで良い。ヒュウラ君、ありがとうミャ。本当に巻き込んでごめんミャー。最期に、私もヒュウラ君にお願いを聞いて欲しいミャ」
 ヒュウラは無表情のまま、ククを見つめる。ククは丸めていた手の指を伸ばすと、満面の笑みをして言った。
「君は人間達と繋がっている。彼女も、リングも繋げてあげて欲しいミャ。猫は我儘な生き物。人間は今でもそう思ってくれている」

 ヒュウラはミトを背負ったまま、猫の亜人達の群れから離れていった。ミトは背から降りようと仕切りに身を動かすが、猫達に圧迫されて殆ど動く事が出来ない。
 列から出た途端にヒュウラの背から落ちたミトは、身を起こして直ぐに戻ろうとする。が、サブマシンガンを結ぶ紐を引っ張られて停止させられた。ミトを妨害したのはヒュウラだった。ヒュウラの顔は、目が若干釣り上がっている。
 群れの中から、ククが大きく一声鳴いた。狩人の銃は反応しなかったが、ククは更に一声鳴いてから、大きな声で群れに呼び掛けた。
「ミャー!皆んな、行くミャ!ヒュウラ君とお嬢さんと、リングにお別れを言おう!リングに今まで守ってくれたお礼を伝えるミャ!!」
 猫の亜人達が、一声ずつ大きな鳴き声を上げた。猫の声はやまびこになって、何度も山中に響いた。
 銃声が首を突っ込んでくる。数発撃たれて、数体が弾に脳を貫かれて倒れた。周囲に血と火薬の匂いがしてくる。ククは皺だらけの手を高々と伸ばして、ヒュウラ達にも見えるように大振りで別れのジャスチャーをした。
 一声鳴いて、群れに呼び掛ける。
「ミャー。私達はこの世界で今まで随分とお世話になったミャ。リングはヒュウラ君達が幸せにしてくれる。安心して皆んな、命を人間に差し上げるミャ」
 ククを乗せた駕籠が動き出した。猫の群れも満足そうに笑いながら歩いて行った。延々と続くかと思われた列は、次第に尾の部分が見えて、最後尾の猫達も彼方へと去っていった。
 空間に取り残されたヒュウラとミトは列の向かった道の先を眺める。ミトは、込み上げてくる感情に息を詰まらせそうになりながら思った。ーー可笑しい。だけど、これは彼らの価値観。人間のエゴに巻き込まれて、歪められて張り付いてしまった彼らの価値観。
 受け続けた理不尽の果てに疲労と絶望で歪んでしまった、命の価値観。ーー
 大勢の猫の亜人達が、大声で鳴きながら山の中を進んで行く。猫の声に惹きつけられた狩人達の1人が列の存在を知ると、伝達を受けた大勢の人間が、猟銃を掴んで後を追いかける。
 ヒュウラは道の端に移動すると、高々と積まれた石の上に腰掛けて無表情で山の奥を見つめる。後を追ったミトはヒュウラを後ろから抱えると、肩に顔を埋め、目を硬く結んで閉じた。胴に結んでいた手を解いて、ヒュウラの耳を覆おうとする。
 金と赤の色をした独特の目を釣り上げて、ヒュウラはミトの配慮を手で払い除けた。感情の表現を再び無にした亜人の青年と、青年に抱き付きながら恐る恐る目を開いた人間の少女は、程なくして耳に無数の銃声を聞く。
 何度も何度も、雨のような銃声が鳴り響いた。
 命が消されていく音は、次第に長い長い静寂に変わった。

 リングは、仲間の鳴き声が聞こえなくなった事に気が付いていた。デルタが応対する電話を横で聞きながら、目から涙を流して佇んでいる。
 広場の狩人達は、保護部隊とリングに全滅されていた。麻酔弾と強撃で眠らされている人間達は纏めて網で包み縛られて、一箇所に固めて置かれている。
 リングは嗚咽混じりに一声鳴いた。デルタはリングを一瞥してから、ミトから知らされた猫の亜人達の末路に言葉を返した。
「そうだったのか……ご苦労だった。ラグナル保護官、ヒュウラ。きっとそのククって群れの長は、彼女を群れからワザと離したんだ。この子達を使って」
 デルタは、前方に並べて置かれている子供の猫の亜人の遺体を見つめた。手を組んで仰向けになった男児と女児の顔に、白い布が被せられている。
 デルタはミトとの通信を切らずに、リングに視線を移して言葉を続ける。
「終わらせたかったのだろう、人間からされる理不尽に怯えながら逃げ続ける生涯を。人間に突き付けられた『調整』を受け入れたのかも知れない」
「皆んな、可笑しいニャ!!」
 リングは叫んだ。真っ赤に充血した目がデルタを睨む。デルタはリングを凝視した。唯一生き残らされた猫の亜人に、哀れみの念を抱きながら呟く。
「君は」
 帰還したヒュウラが、リングの前に飛び出てきた。若干、目を釣り上げてデルタに言った。
「リング。俺の友」
「ヒュウラあ!!」
 リングはヒュウラの肩を掴んで強く振る。仲間を失った怒りによる八つ当たりは、相手が振り向いてきてからも続いた。無表情で見つめてくる狼の胴に、猫はパンチを何度も喰らわせる。
 ヒュウラの胸を覆う白銀の鎧から、打撃音が響く。駆け寄ってきたミトがリングを羽交い締めにして攻撃を辞めさせると、デルタは通信機をポケットに仕舞ってからリングに話し掛けた。
「君がリングか。喵人はGランクの中でも最優先駆除対象だ。だけど君はヒュウラの友人で恩人。殺す訳にはいかない」
 リングはボロボロ泣いている。悲痛の叫びのように大きな鳴き声を上げてくると、デルタは真顔のまま言葉を続けた。
「それに”私”は、喵人も他のGランクも安易に殺せば良いものでは無いと思っている。君達を散々辛い目に遭わせた。本当にすまなかった」
「ブニャー!この歪み、さっさと正せ!!」
 リングは泣きながら怒鳴った。羽交い締めにするミトを振り払い、デルタに突撃しようとして、
 ヒュウラに背後から首根っこを掴まれて、デルタの前に突き出された。
 仏頂面のヒュウラは、淡々と一言だけ命令した。
「お前がしろ」
 リングは目を丸くしてデルタを見た。抵抗の猫パンチも猫キックも、背後から掴んでくる狼に届かない。
 デルタは真顔のまま、ヒュウラに抗議する。
「ヒュウラ。彼女にも保護任務をさせたいつもりだろうが、お前が特段に特別なんだぞ。亜人が亜人の保護を手伝っている時点でイレギュラーだ。更にお前の場合は」
 ヒュウラの目が吊り上がった。
「リングは友だ」
(ヒュウラ……)
 ミトは泣き出しそうな顔をして、亜人達と上司を眺めている。
 リングはヒュウラに吊り下げられたまま、橙色の目を細めた。眉を寄せて一声鳴いて、ぼやくように呟く。
「ニャー。……帰る所、無い。ニャーの仲間、皆んな、人間、殺されたニャ」
 弱々しさを見せた顔は、直ぐに強さを取り戻す。釣り上がった橙色の目が獅子のようにデルタを睨み付ける。
「ニャー、お願いしない。無理矢理させる。お前ら、人間、責任取らせる。罪、感じているなら」
 ヒュウラはリングを離した。リングはデルタに接近すると、怒鳴るように決心を伝えた。
「ニャー、お前ら、付いていく!人間、変える!亜人、他の生き物、人間から助ける!!」
 デルタとミトは驚愕した。ヒュウラは仏頂面のまま、リングの背中を見つめる。
 リングは肩で息をしながらデルタを睨み続けている。デルタは目を見開きながら、冷や汗混じりに抗議した。
「待ってくれ。君の保護は勿論するつもりだ。だけど我々の任務は」
 ヒュウラは、口だけを動かしてデルタに言う。
「リングは強い」
 ミトも口を開いて、デルタに促した。
「如何しましょう?リーダー」
 デルタは、周囲で己達の様子を眺めている保護官達の視線に気付いた。興味深々に新たなメンバー候補を見守る部下達を1人1人見てから、デルタはリングに顔を向けて説明する。
「我々は世界中の生き物を保護する組織だが、他の課と違い、うちの3課は全体的に特殊だ。密猟者、理解の無い人間、そして君のような亜人、全てと闘わなければいけない。それには勿論、理不尽も危険も付き纏う」
 リングは態度を変えない。デルタは結論を伝えた。
「それでも良いのなら、世界中の亜人と、うちの破天荒な絶滅危惧種を守ってくれ。勿論君達『超過剰種』も巻き込まれている、人間の歪みを正す事もだ」
 デルタはショットガンを背負うと、リングに片手を伸ばして握手を促す。
 リングはデルタの手を弾いた。背後に立っていたヒュウラを引き寄せて横から抱き付くと、大きく鳴き声を上げてから返事する。
「ニャー!ヒュウラ、友!ニャー、守る!!」
 もう一声鳴いて、目を鋭く釣り上げた。デルタを鬼の形相で睨むと、広場全体に聞こえる声で言った。
「ニャー、お前ら人間、変える!人間、いる、いない、どっちでも平気。他の命、生きる、人間、いらない!気付かせる!!」

65

 『世界生物保護連合』3班・亜人課の保護部隊が、新しい仲間を加えて大国から去り、一晩明けた日の午前。
 中央大陸の端にある、とある街道の一角に店が1軒だけ開いていた。世界中の果物を箱の中に積み上げて、道を通る人々に販売している。
 気さくそうな高齢の店主の男が、子供の客の相手をしていた。サイズの大き過ぎる黒いフード付きのローブを着た4、5歳程の見た目の幼い子供が、並べられた木箱の1つに積まれている大きな林檎を見つめると、フードを被った顔を上げる。
 雪のように白い肌に赤い大きな目が付いた中性的な顔に、銀色の前髪と髪飾りがフードの端から垂れている。閉じた小さな口から涎を垂らしながら、黒いローブの子供は林檎を指差して、老人に御強請りした。
「林檎、リンゴ。ねーねー、コレ1個ちょうだーい」
 老人は眉をハの字に寄せて、被りを振りながら返事する。
「んだあ。ごめんだげえどなあ、これやるには、お金。いるんだあよう。売り物なんだべ」
「お金?お金ってなにー?」
 子供は首を傾げながら尋ねる。老人は子供が握っている左手を指差して答えた。
「おめえが持ってる、そのコインだべ」
 子供は、傾けていた首の角度を0°にして自身の左手を見た。指を開くと、100と数字が刻まれた銀色のコインが姿を露わにする。
 100エード銀貨が2枚。頭を覆う黒いフードの中が膨らんで、萎み、また膨らんで、萎んだ。子供は瞳孔の濁った赤い大きな目を輝かせながら、独り言のように声を上げた。
「そうだ!コレで食べ物買えって言われてた!はい、お金どーぞ」
 老人に銀貨を差し出す。老人は眉のハの字の幅を狭めると、大きな被りを振って子供に言った。
「んだあ。ごめんだげどお、2枚じゃあちょーっと足りねえだべよ」
 子供は再び首を傾げる。老人は違う場所を指差した。2人の間に並んだ木箱の、林檎が入った箱から突き出ている看板に、『北東大陸産・大林檎。1個210エード』と書いている。
 老人は申し訳無さそうに目を細めて、安価な別の果物を勧めた。子供はブンブン頭を大きく振って拒否をして、文句を言う。
「林檎食べたいのに駄目なの?何で?ボク、もうお金あげたくない!」
「うーん、そうだどなあー。うちも商売でなあー」
 老人は申し訳無さそうに眉を寄せながら、癇癪を起こし始めた子供を宥める。子供の腹の虫も激しく騒ぎ出すと、
 店の奥から、上品な老婆が現れた。
 老婆は穏やかに微笑みながら、老人に話し掛ける。
「その子んしゃいに、売っちゃりい。たったの10エードじゃあ、ねえが。こんな小さな子、腹ペコのままにさせられないだあ」
 黒いローブのフードが膨らんで、萎んだ。老人は老婆に抗議する。
「だげどよお。こんにゃろだけ特別にしちまうのはよお」
「んだから、なあー」
「んだけど、なあー」
 老夫婦が話し合いを始めると、子供は林檎の山を凝視した。口から垂れる涎の幅が広がる。フードの中が膨らんで縮んで、顔を上げて老人が背中を向けている事に気付くと、
 腕を伸ばして大きな林檎を1個掴んだ。直ぐに林檎の一片を口に含むと、小刻みに歯を動かす独特の咀嚼で食事を始める。
 老婆は口に手を当てて笑い、老人は振り向いて驚愕した。五十音順の最初の仮名を大声で叫ぶと、老婆は老人の肩を叩いて言った。
「食っちまっただい。んだもうね、しゃーねえべ!」
 老人は返事した。
「んだもうー、しゃあねえ。坊主?いや、嬢ちゃん?今回だけ特別割引だべからなあ」
「うきゅ。ありがとう!2人とも優しいから外すね!」
 上機嫌になった子供は目を三日月形にすると、林檎から口を離してお礼を言う。芯まで残さず食べ切ってから、100エード銀貨2枚を老人に渡した。

 黒ローブの子供は、街道をのんびりと歩いて行く。何も履いていない裸の足をペタペタ地面に付けては離すを繰り返しながら、鼻歌を歌っていた子供はフードを頭から外した。黒いバンダナの上に大粒の数珠飾りを巻いた銀髪の短い髪と、黒い獣のような大きな耳が露わになる。耳を揺らし動かしながら、亜人の子供は上機嫌に小躍りを始めた。ローブのポケットから銀貨を3枚取り出して、掌に乗せる。
「カイから貰ったお金、あと3枚!」
 掌の銀貨を暫く見つめて、直ぐにポケットに仕舞う。ローブの上からお金をポンポン軽く叩くと、黒獣耳の子供はクルクル回りながら独り言を言った。
「もう絶対使わなーい!次から食べ物は盗っちゃお!人間に見つかっても、『原子』で壊しちゃうから全然平気!!」
 上機嫌に踊りながら移動する子供は、次第に地面の質感が変わった事に気が付いた。街道を暫く歩いて行くと、行く手を遮る金属の柵が目の前に現れる。子供は柵をよじ登り、天辺から反対側に飛び降りると、
 狂った価値観の大国に足を踏み入れた。
 ダボダボのローブの裾を引き摺りながら、子供は歩いていく。黄色い土と霧に覆われた道の途中で立ち止まると、黒い獣のような耳に手を当てて風の音を聴いた。目を閉じて嗅覚と触感にも意識を集中させてから瞼を開くと、
 赤かった目の色が、黄色に変わっていた。黄色は瞬く間に青になり、灰色になり、赤に戻る。子供は自在に色が変わる不思議な目で瞬きをしてから、大きな溜息を吐いた。耳から手を離し、顔の前まで下げて指と指を合わせる。
 独り言のように呟く。
「なんか此処、『原子』が凄く怯えてる。他の人間達が居る場所よりも、不思議な所みたいだね」
 口を噤んで、歩き出す。暫く歩いてから、また独り言を呟いた。
「まあ人間が何処に住んでようが、ボクのする事は同じなんだけど」
 道を歩いていると、子供は人間を発見した。10にもならない歳の幼い男児が、岩の上に鋸のようなギザギザした歯を並べて遊んでいる。
 視線に気付いて、男児が振り向いてきた。子供の頭に付いている黒い獣のような耳を見て、目を輝かせながら燥ぎ出す。
「わー!ネズミ?くろいおみみ、ママみて、ネズミー!!」
「まあ!可愛い化け鼠ねえ。ペットにしましょう」
 子供の側に、母親らしき人間の女が立っていた。男児と同じような顔をしてから、不気味な程にニコニコ笑い出す。
 女は岩の上の鮫の歯を手で乱暴に掴んで、男児の頭の上からばら撒き落とした。黒獣耳の子供は耳を揺らすと、真顔でぼやく。
「うきゅ。ボクはボク」
 母親と子供の、人間の家族が近付いてくる。黒獣耳の子供はダボダボのローブの袖を捲って腕を伸ばした。人差し指以外を折り曲げて数字の「1」を示すような形にすると、
 赤い瞳の色を真紅に変える。人差し指で空気を5箇所叩き、文字を描いて、親指で押さえて、勢い良く人差し指を弾いた。
 『原子』が反応して、爆発音が鳴り響く。家族の世界は真紅に染まって黒になり、永遠の無になった。


 街道の果物屋の店主夫婦は、商品を積んだ箱に被せていた新聞を読んでいた。中央大陸で発行されている本日付の報道紙は、記事の大半が1つの事件の速報を書いている。 
 1面に世界共通の文字でデカデカと書かれた『大量殺人テロリスト 中央大陸でも暴虐。多過ぎる犠牲者に反社会組織も視野に捜査』の見出しを眺めながら、老婆はショックを受けて泣き出した。新聞を両手で広げて見ている老人は、険しい顔をして呟く。
「恐ろしい世の中じゃけえ。絶対罰当たりだげんのう」
 老婆も、声を震わせながら呟いた。
「悪い事したらなあ、必ず罰を受けるんじゃあよお。恐ろしいのにな、憎まれてえなあ」

【14Days】続 66