Bounty Dog 【And end run.】 11-12

11

 トカゲと狼は丘に囲まれている某国の端まで移動した。隣の国との国境がある大きな谷に、人間が作って整備しているアスファルトの道路が伸びている。
 四つん這いになって蛇のように奇抜な動きで進んでいくトカゲの亜人の後を、狼の亜人は二足歩行で駆けながら付いて行く。2種の亜人は谷の頂上付近に辿り付くと、崖の上に並んで身を伏せて、道路の一角を見下ろした。
 デニムの作業服を着た50代と70代の人間の男2人が、地面に積み上げている段ボール箱を持ち上げては、手分けしてトラックの荷台に運んで積み直している。唯の荷物の搬送作業にしか見えないが、トカゲは荒い鼻息を立てて長い蛇舌を口から出して引っ込めると、隣にいる狼に話し掛けた。
「お犬ちゃん、うっちの目的、教えちゃる。うっちはあいつらに仕返しするの。あいつら、実は密猟者なのよ!うっちの仲間をいっぱい狩って、あの小さな箱の中に入れて大きな箱にも今置いているのよ!人間は最低よ!!許さないのよ!!」
 トカゲは目をクルクル回してから、その目を限界まで吊り上げた。指に水掻きが付いた茶色い鱗に覆われている手を伸ばしてくると、ヒュウラの首輪をベタベタ触ってくる。トカゲの手は粘液が纏わり付いていて非常にヌルヌルしていた。ベタベタ触られたヒュウラの首輪もヌルヌルになる。
 首をヌルヌルにされたヒュウラは、抵抗も反応もせずに仏頂面のままトカゲの横顔を眺めていた。黒いズボンの右側に付いているポケットを弄って、テセアラ・ルキス保護官から強奪した細い鎖を取り出した。
 首輪の隙間に鎖を通して、端を手で掴む。首輪から粘液付きの手を離したトカゲはヒュウラに振り向くと、知的な顔をしながら言った。
「という訳で、お犬ちゃんは此処であいつらを見てて。うっちはそっちに回り込んで、あんにゃろう、ボコッボコにしちゃるわ」
 ヒュウラは返事も反応もしなかったが、心の中で思った。首輪越しに亜人達を監視していたデルタも、全く同じ事を心の中で思った。
 ーー鼬よりも騙し方が凄く下手糞だな。ーーと。

 トカゲは無関係の人間を密猟者に仕立て上げて、ヒュウラの隙を突いて何かしようという、至極分かりやすい嘘の作戦を開始しようとする。
 ヒュウラは勿論騙されなかった。デルタは、嘘のレベルが余りにも低過ぎる故に(寧ろ物凄くレベルが高い真の罠を水面下で張られているのでは?)と、深読みをし始めた。
 トカゲが、己から全く視線を逸らさないヒュウラを睨みつけてくる。
「早くそっち向いて、見張るのよ!!」
 トカゲに怒鳴られても、ヒュウラは返事も反応も視線外しもしなかった。
 ヌルヌルになった首輪が非常に不快だった。今直ぐ外して貰って、首輪を良く洗って良く拭きたいという願望だけが、狼の思考を支配していた。
 崖の上に居る亜人達に全く勘付かない人間達が、作業を終わらせて車に乗って去っていった。トカゲは舌打ちをしてからヒュウラを激しく睨むと、大声で怒鳴った。
「もう!逃がしてもうちょるじゃないの!お犬ちゃんのせいよ!!」
 ーーさっさと早く捕まえよう。ーーヒュウラとデルタは思った。

 トカゲはヌルヌルの両手でヒュウラの首輪を掴んできた。トカゲの指から粘液が出て、首輪のヌルヌルが増大する。
 ヒュウラの首輪を含めて亜人課が扱う発信機は、水中で活動する亜人にも付けられるように高度な防水加工を施している。幾ら粘液でヌルヌルにされようが故障する心配は無かった。だが粘液の粘り気が強くてスピーカーとカメラの機能が正常に機能しなくなった。通信機が拾う発信機の音にノイズが混ざり始める。カメラを半透明の粘液が曇ってしまう。
 デルタはモヤが掛かったような状態になっている通信機の画面を見ながら、眉間に皺を寄せた。ヒュウラも不快感に限界が近付いていた。茶色い手袋を嵌めた手が、トカゲの手を掴んで首輪から引き離そうとすると、
 トカゲの左手首から、発信機が消えている事に気付いた。
 己の発信機を谷底に捨てていたトカゲは、ニヤリと笑って首輪の背面に手を回す。
「えへっ!騙されましたねー、お犬ちゃん!!」
 指が器用に、首輪を上下にスライドさせた。粘液で非常に滑りが良くなった機械の輪が難なく外れてヒュウラの首から離れると、トカゲは口で首輪を咥えて、ヒュウラから首輪を奪い取った。

12

 ヒュウラは、機械の首輪に守られていた己の首が露わになった。包帯が巻かれているが包帯に覆われている黄色い肌は、宝石になる目を宝石にする為に行う加工の第1工程となる、斬首を行おうとした密猟者達に付けられた無数の切り傷が付いていた。
 機械がしていた最も重要な役割が喪失(ロスト)して、無防備になったヒュウラの目が丸くなった後で吊り上がった。トカゲは口から手に首輪を移すと、嘲笑顔をしながら高笑いした。
「ほほっほほほ!ほほほほっほー!!うっちの狙いは、初めからこれでしたー!!」
 骨と関節が無い軟体動物のようにクネクネ全身を動かして、四つん這いになってからヤモリのようにヒュウラの周りを動き出す。崖を這い下りて谷の道路の上に乗ってから、また崖を登って崖まで戻ってくると、デルタの声が首輪から響いた。
『ヒュウラ、あいつとお前の動きが可笑しいぞ』
「盗まれた」
 ヒュウラは首輪をしている時は首輪の下の位置まで開けているライダースーツのような服のジッパーを顎下まで完全に閉めて、好き勝手に這いずりま回るトカゲを睨みながらデルタに返事した。
 トカゲは頻りに聞こえてくる人間の声に勘付いた。声の出元を探して這いずりながらキョロキョロ辺りを見回す。首輪に通話機能が付いている事を、ターゲットに未だ勘付かれていなかった。
 広場の中央で片膝を上げて伏せていたデルタは、亜人達の状況を直感で把握した。背後に立っているテセアラ・ルキスに向かって、目と手を使って『助力を頼む』と無言の指示をする。ライフル銃を掴んでいるルキス保護官は、親指を立てて『ラジャー、リーダー』と上司に無言で伝えた。
 ルキスがライフル銃に亜人・人間捕獲用の強力な麻酔弾を込めていく。デルタは通信機で亜人達の位置を素早く確認すると、足元に広げていた指標を書き込んでいる丘の地図の端の1点に、地面に倒し置いていたボールペンで丸印を付けた。
(15分弱だな)
 現場までの最短ルートでの到着時間を計算してから、通信機を操作する。マイクとスピーカー機能をONにしたまま、デルタ・コルクラートは現場担当保護官は”班長以外”誰もやり方を知らない緊急時の特殊操作をした。
 亜人課の情報部に”首輪の持ち主が極めて危険な状態だ”と信号を送る。発信機のデータを統率している情報部が信号を確認次第、担当の課の現場保護官全員に”他の全ての任務を中止して発信機の持ち主を至急救助する任務に移れ”と要請する手筈を行う事が、各課の情報部で設定されている緊急誘導マニュアルの1つだった。
 トカゲは狼から強奪した首輪を、特上の美物を見るようにウットリと眺めてから、先が縦に裂けている長い舌で舐めた。デルタは通信機が写し出している赤い点を凝視しながら、銀縁眼鏡の位置を指で調整して、背負っていた白銀のショットガンを手に掴んだ。
(ヒュウラ、今こそホウレンソウだ。未だ首輪を捨てられていないが、ルキスと其方に行く。どうやってこれから逃げるあいつを捕まえるか、直ぐ捨てられるだろう首輪を取り戻すか、側で直接手助けしてやる)
 地図を折り畳んでポケットに入れ、白銀のショットガンに麻酔弾を込める。狙撃時に銃から出る爆音から耳を保護するヘッドフォンを装着したルキスの準備も整っていた。デルタは通信機を片手に掴んだまま立ち上がる。ルキスと向き合って頷き合うと、ヒュウラの援護に向かおうと足を一歩踏み出した。
 踏み出したと同時に通信機から、高笑いをしながらヒュウラに向かって言い放ったトカゲの声が聞こえた。
「おほっほほほー!お犬ちゃんの宝物!コレ返して欲しければ、うっちの言う事を聞くのよ!!」
 ヒュウラは吊り上げていた目を元に戻して、無表情になった。
 デルタは、起こした身を再び伏せた。ルキスも静止させる。ショットガンを手から離して背負う。何とも言えない気持ちになった。情報部に出していた緊急信号も『誤報』を加えてから直ちに停止させた。
 やはりトカゲは鼬よりも知能が遥かに低かった。首輪を捨ててヒュウラも処分して追跡不能の状態で逃げるのかと思いきや、単純に首輪を脅しの道具として使い始めた。

 デルタは黙った。首輪から人間の声が出ている事を、トカゲに一応悟られないようにした。
 トカゲは相変わらず高笑いをしながら、機械の首輪を持ち主の前で振り回す。苛めっ子が苛められっ子の私物を奪い取って目の前で弄り回すという、人間の子供同士が良くやる低能な苛めを、成体の亜人が成体の亜人に向かって唐突にやり始めた。
(もういっそ、やーいやーいと言え)
 デルタは心の中で毒付いた。ヒュウラも同じ事を思っているのかは、誰も分からない。ヒュウラはトカゲの挑発に一切反応しなかった。無表情で、自分の首輪から垂れている細長い鎖を眺めている。
 トカゲは上機嫌になって、もう一度首輪を長い舌でベロベロ舐めた。目をクルクル回してから、口を大きく開けて言い放った。
「うっちは、お家に帰るのよ!お犬ちゃんは、うっちのバン!えっと、あの、バンほにゃにゃって奴になるのよ!!」
(番犬か?)
 デルタは心の中で代わりに返事した。
(それは家を守る犬で、お前を護衛するんだったら使役犬だろ)とも心の中でツッコんだ。
 ヒュウラは無表情のまま、手に掴んでいた鎖の端に指の力を込める。トカゲに気付かれないように右腕を己の背の後ろに隠すと、左腕を伸ばして、人差し指でトカゲの後方を指さした。
「人間」
「え」
 トカゲが言葉の罠に引っ掛かる。相手が背後に振り返って隙だらけになると、ヒュウラは仏頂面のまま右腕を背から外側に向かって勢い良く引っ張った。
 鎖で繋がった首輪が、簡単にトカゲの手から離れてヒュウラの手に戻ってきた。首輪を取り戻したヒュウラは首輪から鎖を外してポケットに戻してから、機械の首輪を地面に擦り付ける。地面から生えている草花でヌルヌルを取ろうと努め出すと、トカゲが賢い狼に向かって騒ぎ出した。
 トカゲに謎の呼称「お犬ちゃん」と連呼される。ヒュウラは首輪を擦りながら「御意」と一度だけ言葉を返した。返事が謎でしか無かったが、トカゲは何故か安心したように微笑みながら狼に言った。
「そうよ。そうなのよ」
(俺には全く理解不能なのだが。亜人のコミュニケーションはアレで成立するのか?)
 デルタはポケットからメモを取り出して、亜人同士の謎会話も一応記録しておいた。
「お犬ちゃん、宝物を返して」
 トカゲは困った顔をしながら、宝物の持ち主であるヒュウラに頼んだ。何処から切り込んで綺麗に纏めてやれば良いのか分からない支離滅裂な状態になっているが、ヒュウラは仏頂面のまま伏せていた顔を上げて金と赤の目でトカゲを見つめると、口だけ動かして言った。
「毒」
「え!?」
 トカゲが固まる。次第に全身を震わせ始めた。ヒュウラは顔を伏せて、首輪のヌルヌルを取る事に全神経を集中させる。
 トカゲは狼が放ってきた言葉の意味を理解した。理解して、恐怖してから、悲鳴のように大声で叫んだ。
「ほみょああああ!!そんな!!お犬ちゃんの宝物に毒が塗られていたなんて!!うっち、うっち舐めちゃったわ!!死ぬの?」
(俺が思ってた以上に、どうしようもなく馬鹿だな。こいつ)
 デルタはライフル銃をケースの中に戻しているルキスの背中を一瞥してから、メモ帳にボールペンで追記した。
『立蜥蜴族。知能→並以下× 、凄く低い○』
 ヒュウラの努力によって首輪が粗方綺麗になった。粘液を移されてヌルヌルになった草花を放置して、狼の亜人は立ち上がる。感情が微塵も浮かんでいない仏頂面のまま、半泣きになっているトカゲの亜人を凝視した。
「俺の言う事を」
 狼の言葉を聞いて、トカゲは息を呑んだ。ヒュウラは強い威圧感を放ちながら、更に言った。
「聞けば死なない」
 ヒュウラは最底辺の嘘を吐く。
 デルタは通信機を操作して、首輪のスピーカーとカメラ機能をOFFにした。赤い点だけ画面に写された機械をポケットに入れて、ルキスに『檻を持ってきてくれ』と無言で指示をする。
 トカゲはワンワン泣き出した。嘘を真実だと純粋に信じて、真の苛めっ子に向かって命乞いを始めた。
「うわおおおん!わわーんわんわん!ぎゃーぴー、分かったわ!!うっち、お犬ちゃん、いや、お犬様の言う事を聞きます!!未だ死にたく無いの!!」