Bounty Dog 【アグダード戦争】17-18

17

 其の建物の内部は、人間の”野生”が充満していた。叩き割られた酒瓶が中身を撒き散らして土床に幾つも幾つも転がっており、乾燥大麻(マリファナ)だろう燻された麻薬の臭いが空気中に漂っている。
 触れたく無い部類の汚物とゴミ達と一緒に、女物の服と下着らしき布達が、千切り破れて酒と半透明の白い液体が混ざった水溜りの中に沈んでいる。何かが何かを幾多に殴って飛び散ったような赤黒い染み汚れと窪みが壁の至る所に付いており、血溜まりらしき赤黒い水溜りも酒に混ざって地べたに広がっていた。強烈に臭い”生き物が体から出した血以外の”液体も、地べたで幾つもの小さな水溜りを形成している。
 シルフィ・コルクラートは”素晴らしい程に理想的である”野蛮な飲み会現場を見て、口角を上げた。部屋の中に数十人程居る人間の男達の視線を浴びながら、広い部屋の中を見渡す。扉の傍に倒れて置かれている蓋の無い大きな木製の酒樽を見付けた。独特のデザインをした菱形の吊り下げ式の照明器具が天井にぶら下がっている事も発見した。
 ”使えそうな”人間の道具を2つ把握してから、シルフィは白銀のショットガンを片手で構えながら、悠々とした態度で男達に話し掛けた。
「地雷が素敵な火を出す程に良い天気ね。貴方達、お酒を凄く飲んでるわね。中東の宗教では御法度では?」
 建物の入り口から離れた壁の傍に居るミトは、シルフィの状況が見えずに分からなかった。何となくだが彼女に近寄ってはいけない気がして、手に持っている手錠と鎖で自由を預かっている亜人と、彼の傍で鳴き声を上げている別の亜人と共に待機を続ける。
 シルフィは横目でミト達を一瞥してから、部屋の中に居るアグダード人の男達に向き直った。半壊した木製のカウンターテーブルに固まって座っている、男達が漏らし出した”野生”の言葉達に耳を傾けた。
「イムラァ(女)」「イムラァ」「イムラァだ」
 シルフィは憫笑した。己も独特の言葉で返事をする。
「ウィ。セ・ヴレ(ええ。その通り)」
 野人達の身に、狂暴の火が付いた。浅黒い肌と白髪をした男達の殆どが立ち上がると、爛々とした目をして麻薬と栄養失調で抜け溶けた隙間だらけの黄ばんだ歯を見せながら悪魔のように笑った。
 シルフィに襲い掛かる。
「イムラァああああ!!捕まえろおおおおー!!」
 シルフィは、銃を掴んでいない側の腕を横に伸ばす。顔を真横に向けると、肘から上を曲げ振って”彼”に向かってジェスチャーした。
「おいで、ヒュウラ」

18

 ヒュウラが指示に従った。俊足でシルフィに接近する。ミトは手錠の鎖越しに引っ張られた。リングも小さく飛び上がると、鳴き声を上げながらヒュウラとミトを追い掛ける。
 野獣のように狂暴化した人間の男の1人が、シルフィに向かって飛び掛かった。シルフィは身を捩じって奇襲を難なく避けると、獲物を逃して路地に勢い良く飛び出した男が、地雷を踏んで粉砕死する。
 背後で起きた虐殺を、シルフィは微塵も気にしない。建物に沿って走ってきたヒュウラに視線を向けると、人差し指で建物の中を示した。『箱』への入室を指示されたヒュウラが金と赤の目を剥きながら人間の姿をした”野生動物”達と対峙すると、
 シルフィは、ヒュウラに引き摺られて飛び込んで来たミトの肩を掴んで停止させた。白銀のショットガンから発射した弾丸でミトとヒュウラが繋がっている手錠の鎖を砕き切ると、ミトを部屋の中に押し込んで、ヒュウラを横に向かって突き飛ばした。
 ヒュウラは扉の左横に倒れ置かれている樽の中に飛び込んだ。シルフィは走り寄ってきたリングもミトと同じく部屋の中に向かって突き飛ばしてから、着ているスーツの上着を脱いだ。樽の口に放り投げて、蓋のように被せる。
 ーー切り札(カード)は使わない。ーー保護組織で手続きをしてから行う正規の任務だったら、手続きの段階で上層に報告しておく文言だ。だが今は”お偉いという事だけしか能が無い屑どもに”報告する義務は無い。
 紺色のスーツの上着と樽の口の隙間から、ヒュウラがシルフィを覗いてくる。暗がりの中に浮かぶ虹彩が金、瞳孔が赤い宝石の目が、眼球が飛び出る程に見開かれて魔獣のように人間の女を凝視すると、シルフィは口だけを動かして暗闇の中から浮き出ている魔獣の目に言った。
「ヒュウラ。ダウン(伏せ)、ステイ(待て)。其処で大人しく待っていて頂戴、貴方は”未だ”何もしなくて良い」
 指を揃えた左の掌を魔獣の目に向ける。飼い犬に行う静止の命令を口と手で行うと、シルフィはヒュウラに向かって聖母のように微笑んだ。
「これは貴方を知る為に私達がする擬似体験(レッスン)。少しだけになっちゃうけど、貴方が乗り越え続けている脅威を味わってみるわね」
 銀縁眼鏡のブリッジを指で摘まんで位置を調整する。白銀のショットガンを右腕から左腕に移した。右手で着ている白いブラウスの第1から第3までのボタンを外してラグジュアリーブランドの下着を付けた胸を露出させると、金と赤の目が暗がりの中に消えた。

 ミト・ラグナルとリングは汚れ切った野獣の部屋の真ん中で、背中合わせになりながら固まっていた。ワザと性を強調させた格好をしたシルフィが、部下の少女と雌猫の亜人に歩み寄る。横向きにした白銀のショットガンを両肩に乗せて後頭部に回し置くと、両肘で銃を抱えながら野人達に挑発した。
「さて、獣勢達。私に野蛮さで勝てる?」
 アグダードの男達が、興奮して雄叫びのような歓喜の声を上げ出す。
「3人!イムラァが3人もいるぞ!!」
「眼鏡のイムラァ!乳でけえ!!」
「俺は乳と背が小さいイムラァが良い」
「いや、金髪!金髪が滅茶苦茶、ジャミール(可愛い)!!」
 複数の野人達が涎を垂らしながらリングを見る。1番人気の雌猫の亜人が、大きな声で悲鳴を上げた。
「ギニャアアア!!こいつら、気持ち悪いニャー!!」
 シルフィが指示をする。
「ラグナル、攻撃を許可する!リングもよ!自分の身は自分の力だけで守りなさい!!」
 ミトは返事をせずに従った。
 ドラム型弾倉付きサブマシンガンを構えて、銃に付いている照星(フロントサイト)を覗き込む。己に飛び掛かってくる大柄の男の胸に狙いを定めると、安全器(セレクター)を連射(フルオート)にして、サブマシンガンの引金(トリガー)を引いた。
 無数の弾丸(バレット)がドラム型の弾倉(マガジン)から銃身(バレル)を通り、銃口(マズル)から吐き出されて男の胸に向かって飛んでいく。男は銃弾を全て受け止めた。胸と胴から細かい血飛沫が飛び散る。
 ミトは異変に勘付いた。ーー銃撃した時の感覚が何時もと全然違う。ーー
 異変の正体にも直ぐに勘付いた。己の銃に今付いている弾倉の中身が、麻酔弾では無く実弾だった。
 アグダード人の男は何の薬液も入っていない鉛玉を浴びて、夢の中では無く冥土での永遠の眠りに就いた。前のめりになって絶命する。ミトは己のメンタルに大きなヒビが入った。目を見開きながら大粒の涙を流した。
 人間を殺してしまった人間の少女に、脅威は微塵も同情せずに引き続き襲い掛かってくる。シルフィは実弾を入れたショットガンで当然のように敵達を撃ち殺した。吹き飛んでカウンターに叩き付けられてから動かなくなった仲間を見て、欲望を怒りに変えた別のアグダード人の男が殺気を放ちながら襲ってくる。
(レッスンが本格化したわね。素晴らしいわ!)
 シルフィは笑いながら紺色のヒール靴を脱いで、靴の踵で男の顔を殴った。浅黒い皮膚が破れて赤い血が噴き飛ぶ。相手の反応が何であっても、シルフィは靴と銃を使って反撃を続けた。
 敵が倒れる度にシルフィは上機嫌になる。人間同士でする暴力を楽しんでいる国際保護組織所属の保護官は、固まってしまっている部下の保護官に向かって喝を入れた。
「ラグナル!貴女は彼らに大人の遊びをして貰いたいようね!?言った筈よ、自分の身は自分の力だけで守り抜きなさい!!」
 ミトは直ぐに反応した。シルフィの居る方向に目を向けるが、
 涙濡れの茶眼が見たものは、シルフィでは無かった。

 1番大勢の人間達に襲われているリングは、悲鳴を上げながら股関節を360度捻って大車輪のような回転蹴りを放つ。アグダード人の男の1人の脳天に踵をぶつけて気絶させると、”大人の遊び”をする為に飛び掛かってくる浅黒肌の人間達の頭上を跳ね飛んで避けてから、壁に向かって走り出す。
 強靭的に全身の関節が柔らかい猫の亜人は大きな鳴き声を上げながら、足首の関節を90度近くまで捻って垂直の石壁をスイスイ登った。天井の近くまで難無く登ってから、屋根の中央から釣り下がっている大きな照明に向かって勢い良く跳ね飛ぶ。菱形の照明に飛び付くと、ニャーニャー鳴きながら照明の上で静止した。
 照明の下で、男達が喚きながらリングに向かって跳ね飛ぶ。別の男から振られた握り拳を避けてヒール靴で返り討ちにしたシルフィは、戦闘放棄をしている猫に向かって叱咤した。
「リング。降りてきて戦いなさい」
 リングは照明と一緒に揺れながら抗議する。
「ウニャー。ニャー、嫌ニャー」
 猫と一緒にユラユラ揺れる照明の下で、人間の男達が化け猫を手に入れようと仕切りに飛び跳ねる。シルフィは言う事を聞かない猫に向かって溜息を吐いてから、再びミトを見た。
 ミトも言う事を聞いていなかった。目を吊り上げて実弾入りの銃で人間を撃っているが、己に襲い掛かる人間では無く樽に近付こうとする人間を撃っていた。
 ミトは己よりもヒュウラを優先していた。己が幾ら脅威に晒されても、絶滅危惧種の亜人を優先して保護していた。
 シルフィは再び溜息を吐いた。部下に襲いかかる野人を、部下の代わりに己が掴んでいるショットガンで撃ち倒す。
(レッスンになっていないわ)眉間に皺を寄せて、少し位置がズレた銀縁眼鏡を指で調整する。アグダード人を1人殴り倒してからヒール靴を履き直して部下の少女に近付こうとすると、
 アグダード人の男の1人が、突然笑い出した。
「あーもう面倒臭え。後は冥土で一緒に楽しもうぜ、イムラァども!!ぎゃはははははははははははは!!」
 狂い笑う。男の仲間達の数人が、我に帰ったように踵を返して部屋から出て行った。空気がキナ臭くなる。シルフィの目が吊り上がると、狂った男が突然仲間の男を捕まえて、何時の間にか手に掴んでいたダイナマイトを1束咥えさせた。
 泣き叫ぶ男が咥える爆弾に、オイルライターで火が付けられる。狂人化したアグダード人の男は、建物の入り口近くにいるミトと天井にぶら下がった照明の上で揺れているリングを交互に見てからターゲットを選ぶと、リングの下に向かって爆弾を咥えたアグダード人の男を突き飛ばした。
 群になっている人間達の中に爆弾人間が入れられると、人間達が悲鳴を上げた。巻き込まれて全員爆死する。猫は悲鳴を上げながら爆発前に照明から跳ね飛んで生き延びた。衝撃波と熱波と炎が部屋中に吹き荒れる。
 建物の中が地獄になった。爆弾人間を作った人間の男が、燃え盛る死の炎を見ながら歓喜して狂い笑う。ポケットから更にダイナマイトを1束取り出して、自分の口に咥えた。シルフィの側まで慌てて走ってきたリングと、入り口で立ちながら蒼白顔をしているミトが同時に爆弾人間化したアグダード人の男を凝視すると、
 樽の中から、金と赤の目が再び浮き出てきた。
 浮き出た目が瞬く間に剥かれる。壊れた亜人の剥かれた目が、壊れて爆弾化した人間に視線を向ける。
 ミトとリングは微塵も体が動かなくなった。恐怖で思考も動かなくなる。シルフィは樽の中の存在に注視した。樽の中に居る狼の亜人も、爆弾人間の様子を見ているだけで動かない。
 眼鏡のレンズに覆われた青い目が吊り上がった。爆弾人間がダイナマイトを咥えて身を左右にユラユラ揺らしながら狂気的に笑った。建物内に残っている仲間の男達がガタガタ震えながら爆弾男に説得をし始める。中東で使われている独特の言葉も頻繁に口から出されるが、爆弾男は全ての言葉を無視した。
 壊れた人間がゲラゲラ、ゲラゲラ笑う。右手に掴んでいるオイルライターで爆弾の導火線に火を付けた。ミトに狙いを定める。少女の見開いた目を見て、男は更に笑った。ゲラゲラ、ゲラゲラ、ゲラゲラゲラゲラ笑いながらゆっくりと歩み寄ってくる。黄ばんだ劣悪の歯で噛み持っている爆弾の導火線が徐々に短くなっていくと、
 樽の中の狼が、動いた。
 爆弾男が爆発する前に、樽が先に爆発した。天に向かって振り上げられた強靭的な脚が、人間の酒樽を一撃で崩し壊す。
 壊れた樽から跳ね飛んだヒュウラが、宙を舞っているシルフィのスーツの上着を手に掴む。金と赤の目を剥きながら爆弾男に飛び掛かると、地べたに押し倒した男の顔にスーツを被せた。
 ヒュウラとシルフィ以外の全ての存在が驚愕した。視界を突然奪われた爆弾男が、スーツの上着を焼きながら狂乱する。ヒュウラが後方に跳ね飛んで素早く男から離れると、仲間の男達が入れ違うように爆弾男に飛び掛かった。内戦が行なわれる。爆弾男がライターを奪われて捨てられる。爆弾男の口に手を突っ込んだ男が爆弾男に噛まれて悲鳴を上げた。殴られては殴り返すを延々と繰り返す。
 金と赤の目が剥かれたままになっているヒュウラは、ミトとシルフィの胴を片腕ずつ使って脇で抱えた。踵を返して、2人の人間を抱えながら俊足で建物から出て行く。
 リングが大きく鳴き声を上げて、ヒュウラを追い掛けた。建物から飛び出て、建物に沿って走る。途中で茶色い土と岩で作られた塀に跳ね飛び乗った。人間の女2人を片腕ずつで担ぎ、同じ動作を真似しながら追い掛けてくる猫の亜人を背に連れて塀の上を疾走すると、
 後方から激しい爆発音がした。
 爆弾人間が、仲間達を巻き込んで自爆に成功したようだった。