Bounty Dog 【Muchas gracias. Te amo.】 18-19

18

 ジャックも、食事の前は何時もお祈りをしていた。育った孤児院の院長は西洋宗教の熱心な信者で、強制はされていなかったが彼も祖国の大勢の人間達と同じように洗礼を受け、絵本と一緒に聖書を読み聞かせて貰う生活を送っていた。
 神と、食べ物になってくれた命と、己達が食事を食べられるように関わってくれたジェラート屋の店員を含めた全ての命の行為に感謝を言葉にして捧げた。西洋宗教の信者では無いナスィルは、少し溶けてきたジェラートの前で手を組んでぶつぶつ小言を言っているジャックを物珍しそうに眺めている。
 木のカップに入っている、黄緑色と濃い茶色をした柔らかい氷菓子が溶けて水のように溜まってきている。混ざり溶けたジェラートの色は、ジャックとナスィルの目と同じ鶯色をしていた。ジャックはお祈りを終わらせて伏せていた顔を上げると、ジェラートに刺さっているやや傾いた木のスプーンを1つ抜いて、ナスィルに手渡しながら話し掛けた。
「テ・イセ・エスペラール(お待たせ)。じゃあナシュー、一緒に食べよ」
 祖国の独自語では、料理や菓子を食べる時は作った相手に「シルバンセ(召し上がれ)」と言われないと「グラシアス(頂きます)」と己は言えない。自由を謳う祖国の言葉は少し不自由だった。ジャックとナスィルは1つのカップに入った2種類のジェラートを一緒に食べる。ジャックはとても苦いハイビターチョコに顔を顰め、ナスィルは不思議な味がするピスタチオに顔を顰めた。
 2人は向日葵畑の中にいた。祖国は”世界一の自由”を謳っているが、”情熱の国”として他の国々に認識されていた。
 国のイメージに関しては、植物を用いても人間達は良くイメージする。東にある小さな島国は”桜”と”菊”という固有種の植物。北東大陸の南部にある自然豊かな国は”メイプル(砂糖楓)”。北東大陸の北部から中部にある連邦国家は”薔薇”。北西大陸の北部にある中規模の国は”アイリス”。南西大陸は”チューリップ”を国花にしている国が多いが、大勢の人間達が崇拝している偶像の無い偉大な神に、赤と白の薔薇を捧げる。そして西洋宗教では白百合を、平和への願いと共に神への忠義を示す為に捧げていた。
 ジャックとナスィルの住んでいる国も、他国から持たれるイメージの花は”情熱”の意味を人間達に込められている赤い薔薇だった。だが事実は”カーネーション”が国花であり、国花では無いが現在ジャックとナスィルを囲んでいる大きな向日葵の花達も、情熱という意味を人間達に込められている花だった。

 ナスィル・カスタバラクは生涯、外出や任務以外で何処かの建物の中に居る時は、向日葵の花を数輪花瓶に差して、己の部屋や”大佐”とシェア暮らししていたアパートでも常に傍に置いて飾っていた。34年後にヒュウラという狼の亜人がミディールというモグラの亜人を中に入れて持って行った、アグダード地帯の南西の端に作っていた生物兵器用特別施設に置いていた大きな壺にも、向日葵の花が大量に差し込まれていた。
 向日葵を見ると、ジャック・ハロウズを思い出すからだった。生涯たった1人だけの”友”だったジャックは、鮮やかな黄色い花弁をした向日葵のように非常に明るくて存在感が大きく、神を示す偶像の1つである太陽に向かって時々祈りを捧げていた印象が、とても強く残り続けた少年だった。
 彼は早過ぎる晩年、中東の紛争地帯に建てていた私邸の隠し部屋に己の過去を思い出す物を纏めて捨て置いていた。だがその部屋にジャックを思い出す向日葵と”ある物”は捨てていなかった。

 ナスィルは周りにジャックしか居ないので、紙袋を頭から外していた。ジャック以外にも大きな黄色い花を咲かせている植物が無数に生えているが、己で酸素を作り出せる植物も『生きた窒息兵器』の顔を見ても何の問題も無いようで、2人の背丈よりも大きな太い茎を天に向かって真っ直ぐに伸ばして、元気な状態のまま先端に咲いた大きな花を太陽に向けて満開にしている。
 ナスィルはこの時産まれて初めて見た向日葵の花々に、ジャックと同じ好意的な感情を抱いた。脇に挟んで持って来ていた擬似戦争ボードゲームを原っぱの上に広げる。
「ゲームするの?したいの?」
 食べ切ったジェラートのカップとスプーンを纏めて持っていたジャックが尋ねてきた。ナスィルは首を横に振ると、並べていた駒の中から適当な駒を選んで、ボードの中央に重ねて置いた。
 ジャックが不思議そうに首を傾ける。ナスィルがパジャマのポケットから若葉色の拳銃を取り出すと、拳銃を傍に置いて違う物を2つ取り出した。
 ナスィルが出したのは、軍隊用の無線機だった。父親のタラルが玩具箱の底に隠し入れていたモノで、子供の掌よりも大きな長方形の機械だった。”離れたら此れで連絡が取りたい”と伝えてから、使い方を教えて2台ある無線機の1台をジャックに渡すと、ナスィルは機械で写真も撮れる事もジャックに教える。
 ジャックは産まれて初めて手にした小型機械に興奮しながら、パーカーから手錠を取り出して向日葵と一緒に写真を撮った。ナスィルはボードの上に置いた擬似戦争ボードゲームの『僧侶』の駒に『諜報員』のシールを貼ると、小山にした駒の上に乗せてから、機械のカメラで写真を撮ろうとする。
 ジャックがカメラの前に手を伸ばしてきた。ニコニコ笑いながら、ナスィルに言った。
「手なら誰も息出来なくならないよ。ぼくも一緒に写って良い?」
 ナスィルは少しだけ微笑んで、ジャックの手の甲に己の手を平を重ねた。
 ボードゲームと一緒に写真を撮った。彼はこの写真を己とジャックの専用にしていた通信機の待ち受け画面にしていたが、34年間肌身離さず持っていたのは、ジャックにあげた方の物だった。

19

 17年後に此の世に産まれてくるジャックと同じ能力を持った人間の少女が遠い未来で使う、ナスィルの無線機に貼られていた待ち受け画面は彼が幽閉されていた屋根裏部屋では無く、向日葵畑の中で撮られた写真だった。
 未だ何の罪も犯していない、無垢な子供だったこの頃のナスィル・カスタバラクは、ジャック・ハロウズのようにケラケラ何時も明るく笑うと、きっと己のこれからの生涯は凄く楽しいものになるのだろうと、向日葵に囲まれながら笑っているジャックの顔を見ながらぼんやりと考えていた。
 今は紙袋を外しているが、ジャック以外の人間が己の顔を見ると喉を抑えて”息が出来ない”と非常に苦しむ。家に居る時は親達を散々苦しめ、外に出てからも多くの人間と他の生き物達を苦しめた。
 艶々している通信機の画面に写った己の顔は、全てのパーツが輪郭を含めて完璧な位置と角度と大きさをしている。どんなに不健康な状態でも微塵も決して変わらない美の頂点の顔を持つ少年は、究極の美貌を持っているにも関わらず、他の命を理不尽に狂わせて苦しめる己の顔が、此の世で1番嫌いだった。
 前世の偉大な功績に対して神が与えた褒美は、皮肉にも今世を生きる彼を不幸にしていた。前世の記憶は全く無いナスィルは、今までは両親だけしか接触する生き物がいなかったので”親が己を騙しているのでは”と疑っていたが、”親が言っていた事は本当だった”と町で会う生き物達の反応を見て確信した。
 『親の言う事は全て正しい』と思い込む。己の顔を幾ら見ても全く窒息しない特殊な能力を持っている友に、ナスィルはボードゲームを片付けながら話し掛けた。
「ジャック。俺の顔を見ると、皆んな息が出来ないって苦しむんだ。俺、そんなの全然望んでない。何でこうなっちゃうのかな?」
「呪いだよ。絶対、呪い」
 タラルに貰った手錠を通信機と一緒にパーカーに入れてから、ジャックは即答に近い速さで友の呟きに応えた。
 未だ7歳の子供であるジャック・ハロウズは、真剣な表情と眼差しを向けながら真面目に言う。
「ナシュー、ビックリするくらい顔が格好良いから。魔法使いが君を独り占めにしたくて、呪いを掛けちゃったのかも。呪いは悪い魔法使いが掛けるんだって。だから悪い呪いを掛けた魔法使いは、ぼくが国際警察官になって逮捕するよ」
 幻想と現実がごちゃ混ぜになっている幼い子供の発想だった。ジャックは極めて大真面目に幻想を語る。
「その前に、ナシューの呪いが解ける魔法使いさんを探そう。ぼく、絵本で読んで知ってるんだ。魔法使いは優しい人も居て、何でも出来ちゃうんだって。何処かに住んでる優しい方の魔法使いさんにお願いして、ナシューの顔に付いてる息が出来なくなる呪いを解いて貰おう」
 ナスィルもこの頃はジャックと同じ7歳の子供だった。彼も幻想と現実が、ジャックよりは薄いがごちゃ混ぜになっている。
 『己がこの顔になったのは、知らない魔法使いのせい』だと思い込んだ。幻の存在である魔法使いについて、現実で実際に居るインターポールになる事を夢見る少年は語り出す。
「魔法使いさんは、ネズミみたいな見た目をしてるんだって。ネズミ人間さん、ネズミ人間さんを一緒に探そう。魔法使いのネズミ人間さんに呪いを解いて貰ったら、ナシューは」
 一呼吸置いてから、ジャックはナスィルに極めて真面目に言った。
「映画俳優さんになるんだよ。ビックリするくらい顔が格好良いもん。声も。ナシューは俳優さんになって、国際映画賞の主演男優賞って凄いモノを取って、ぼくは国際警察官になるから、ぼくが君を護りながらレッドカーペットを一緒に歩こう」
「また勝手に決めた。嫌だ」
 ナスィルが不機嫌になった。顰めっ面をするが、その顔すらが栄養過多な目の保養になっている。
 ジャックは驚愕して地団駄を踏んだ。警察官志望の正義感がとても強い純粋で心優しい少年は、史上最高の美を持った友に対しては、極めて自己中心的に接してくる。
 自己中の警察官志望は、将来の夢が何も無い友に我儘を言った。
「えー?!ナシュー、俳優さんになってよ!俳優さんになってよー!!俳優さん!!じゃ無いと勿体無いよー!!」
「嫌だ!!勿体無いって言うな!!俺、その言葉が凄く嫌い!!」
 ブンブン首を横に振って提案を拒絶する友に、ジャックは相手の将来の夢を無理矢理エゴで決めた。
 夏の太陽が、空の真上まで登っていた。小さな2人を日差しから保護してくれている大きな向日葵達の影に隠れながら、ジャックは弾倉が入っていない拳銃を拾ってパジャマのポケットに入れたナスィルに、ボードゲームの一式を手渡す。
 このゲームの負け知らずである『無敵王』の少年は、ゲームを1戦もやらずに友の脇に折り畳んだボードを挟ませた。駒とカードが入ったケースを己のパーカーのポケットに入れてから、2人で一緒に向日葵畑を出た。
 ジャックはニコニコ笑いながら、お昼ご飯を買って食べようと提案する。
「もしもナシューの親に見つかっちゃったら、この向日葵畑まで一緒に逃げよう」
 彼は笑いながら、紙袋を頭に被ったナスィルにそう言った。