【読切】即席ヒーローズ

「お母さん。ぼくね、ヒーローになる!」
 テレビに齧り付きながら、何回言っただろう。かつての自分の、憧れていた将来の夢。
 思い出すのは、未だセピア色ではないが、やや色あせたフルカラーの空間。空は薄いオレンジ色。辺りにぼんやりとだけ覚えている、懐かしい家に置かれた家具や玩具。
「ヒーローになる!」
 未だ片手で数字を表せるくらいしか歳を取っていなかった頃だろうか。すこぶる若々しい自分の母親と近所に住んでいたおじいちゃんに、毎週日曜日の朝に会える赤いヒーローの玩具を見せつけながら、自分は何度も夢を声に出して伝えていた。
「ぼく大人になったら、絶対に仲間を見つけて、ヒーローになる!!」
 何度も何度も言った、何度も。あの時は本気で願っていた、無垢な自分の夢。

 ――今はただの、思い出したくもない、黒歴史としての夢。

 ―即席ヒーローズ―

 1
 ――不規則に身体が揺れている。時々聞こえる車の排気音らしきものに混じって、誰かの話声が聞こえてくるような気がする。
 世上正義(せがみ まさよし)は、冷凍マグロのように眠っていた。着ている縦縞のパジャマの上に、厚めの冬用布団が乗っかっている。
 ガタガタ小刻みに揺れながら、夢の中から目覚めようと目が開く。いつもの平凡な朝を元気にけだるく迎えようと、徐々に目覚めの時が迎えられると、
 瞳に唐突なサンシャイン攻撃が浴びせられる。失明はしないだろうが危険を感じた身体がオーバー気味に捩れ悶える。亀が首を甲羅の中に引っ込めるように、乗っかっている布団に無意識に身を引き込もうとした時、
 何者かに、最強防具を引き剥がされた。
「!!」
 パジャマと下着だけの全身が冷たい風に吹きさらしになる。強引に目覚めタイムが終了した正義は気配の感じた方角に振り向くと、
 灰色の壁に囲まれた空間の中央に、1人の女が仁王立ちをしていた。
 色白の肌に、クリーム調の金髪をポニーテールにした女は、不敵な笑みをしながら青い目で此方を見つめている。明らかな外国人であろう相手は光沢の付いたピンク一色の服を着ているが、どことなく特撮ヒーローの雰囲気を感じる手袋とブーツを合わせて身に付けている。
 女は布団を遠くに投げ飛ばすと、腕を組んであくどい笑みを浮かべてくる。戸惑っている少年の姿を見つめながらクスクスと笑い声を立てると、赤い口紅を付けた口を大きく開けた
「気付いたようね、レッド!待ちくたびれたわ!!」
「!!……??」
「フッ、不思議そうな顔をしてるわね、レッド。良いわ、とりあえず此処が何処か教えてあげましょう。此処は……
 何処よ此処?!」
 オーバー気味に女が振り向くと、背後にある運転席から外を凝視する。運転している角刈りの大男がハンドルを掴んだ右手の人差し指を伸ばして交通の案内標識を差すと、薄汚れた緑の板が現在位置を提示していた。
『新宿まで5キロ』
「多分此処、渋谷辺りよ!」
「……」
 鼻息を立てて自信満々に答えた謎の女は、腕を組んで再び仁王立ちする。異様な格好と空気に戸惑うばかりの正義は目線を左右に動かすと、微かな光に照らされたシャッターのような壁と積まれた段ボール、木の板の敷かれた床を確認した。
「……トラックの中?」
「そう。そっちの意味だったのね!」
「ていうか、あなたは誰ですか?!何で俺こんな所にいるんですか?!一体これは何なのですか!?何なんですか!!」
 声を荒げた正義は、パニックになりそうな感情を抑えながら再び周りを確認する。女の背後にいる青い服を着た男は黙々と運転を続けており、車が右折左折を繰り返す度に、慣性の法則で体が重力に引っ張られる。
 ガタガタと震える荷物がぶつかってこないか不安になりながら、正義は女を睨み付ける。防御力ほぼ0を着込んだパジャマ少年をみつめていた女は小さな笑い声をあげると、自信満々に答えた。
「あんたを布団ごと、夜中に運んだわ!」
(誘拐!!)
 ストレートに答えられて大衝撃を受けた正義に、女は満足げに首を上下に振る。女は腰に手を当ててポーズを取ると、屈託の無い笑顔で少年に再び口を開いた。
「とりあえず、自己紹介しないとね!はじめましてレッド!私はピンク!名前はレイナ。ジャスティス国家から来た正義の使者!人は私の生まれ故郷の国を!!」
「アメリカ合衆国ですか?」
「そうとしか言いやがらない!!」
 地団駄を踏んだレイナという名の金髪女は、トーンの高い声で猿の悲鳴のように文句を言い始める。面倒臭さを感じた正義は聞き流そうと努めてみるが、吸い込まれるようなサファイアブルーの目で睨み付けられると、何事も無かったかのように直ぐに笑顔を向けられた。
「まあ良いわ、レッド!早速だけど、私とヒーロー、するでしょ?」
「は?」
「するの?!しないの?!どっちよレッド。レッドレッド」
「あの、さっきから言ってる『レッド』って何ですか?!俺の名前は世上正義。どこにでもいる、普通の高校生です!
 ……この名前、あまり好きじゃないけど」
「なるほど。そうとも言うのね、あなたは」
「そうとしか言わないでよ、自分の名前」
 あだ名って正直虐めにしか思わないから自分は嫌いだ。親は「良い名前付けたなあー」と今でも思ってるだろうけど、「世の上の正義」って書くからキラキラネームみたいで正直嫌だった。けれども、『ノッポ』とか『チビ』とか見た目だけの理由で、好感度を上げたいから付き合う程には魅力を感じないモブの同級生どもに笑われながら呼ばれるあの酷いあだ名よりは断然マシだから、歳を取る内に妥協が出来てきていた所だ。
 レイナは暫く沈黙していたが、真顔の正義を見つめると、何故か満足げにゆっくりと首を縦に振る。ピンク色のグローブをはめた手で少年の手を突然掴むと、微笑みを浮かべながら優しく返事をした。
「そうなのね。世上正義っていうのね。あなた……
 まあそんな事はどうでも良いし!あんたは私にとってはレッドでしかないもの!だからね、レッド。私とヒーローを今すぐしましょう!」
「いや!!いやだから、レッドじゃなくて俺は世上!!」
 車が大きく左折する。
 引っ張られた2人はトラックの壁に勢いよくぶつかる。レイナに片手ラリアットをされて首に衝撃を受けた正義は悶え苦しむが、豪快に無視したレイナはずんずんと運転席に近付くと、ハンドルを大きく切っている男を睨み付けた。
「ちょっと、ブルー!曲がる時は何か言いなさいよ!!」
「……」
「……まあ良いわ!あ、レッド、こっちは門崎鉄雄(かんざき てつお)!ブルーであんたの先輩よ!滅多に何も言わないし何考えてるのか分からないからブルーなの!よろしくね!!」
 顔を振り向かないミステリアスなブルーの角刈り頭を正義が何分も凝視する。よく見たらレイナと同じような青い服とグローブとブーツを着込んでいる。朝のテレビに出てくる特撮ヒーローを思わせるヘルメットが、助手席の上に牛乳パック型のコーヒー飲料と一緒に置かれている。
 ガタガタ不安な音を出し続けるトラックの中で揺られながら、正義は目の前で車を運転している男の後頭部を見つめ続ける。丁寧に刈られた艶のある黒髪と、何故か自分のボサボサになった跳ねっ毛を触りながら見比べていると、次第と相手に尊敬の念を抱き始めた。
「……」
「……」
「……………………」
 言葉の無い謎の意志疎通が終わると、ブルーこと門崎鉄雄は大きくハンドルを切る。金切り音を上げながらトラックが大通りから狭い路地に曲がり入り、幾つもの信号機を過ぎて安売りスーパーの前を通り過ぎ、塀の上の猫が叫び飛び、犬が吠え上がり掛け回り、ベビーカーを引いている母親が女を捨てた大きなあくびをすると
 築50年は過ぎているだろう、古びた木造のアパートの前に止まった。

 2
「……??」
「あら!良い所ね、流石ブルー」
 停車したトラックの後部扉を勢いよく開いたレイナは、めいいっぱい入り込む外界の光を全身に浴びる。そのまま正義の腕を掴むと、強引にトラックを降り、アパートへと歩かされていく。
 門崎がその後ろから音も無く付いてくる。踏み崩れても誰も文句言えない程に薄い木の板が張られた階段を上らされ、通路の一番手前のドアの前に立たされると、
 ポケットから何かを探り始めた門崎とレイナが顔を見合わせた。
「ブルー。この部屋で間違いないの?」
「……ああ。此処が俺達の基地だ、間違いない」
 針のような細い金属の束が取り出されると、その内の1本が鍵穴に差し込まれる。細かい金属音が暫く聞こえると、短くて重い音と共に、扉が開錠した音が響く。
 門崎はドアを勢いよく開くと、正義の背中を強く押す。力強い鍛えられた腕が闇に覆われた室内へと少年を入れながら、無表情だった顔に、初めて僅かな微笑を浮かべた。
「ようこそ、レッド。此処は俺の家では無い。が、俺の家だと思ってくつろいでくれ」

 3
「誰の家ですか?此処は」
「……」
「だ・れ・の・家・だ、此処は?!」
 緑色の畳が敷かれた居間の緑色の座布団の上に正座しながら眉間に皺を寄せている正義を無視して、誘拐犯2人は室内を物色し始める。値段の高そうな緑茶のパックを見つけると、キッチンに移動して電子ケトルに水を入れて沸かし、戸棚から見つけた緑色の茶筒から渋い緑色の日本茶葉を緑色の急須に注ぐ。
 緑色の湯飲みを3つ緑色のテーブルの上に置くと、門崎とレイナは茶を煤って小休止する。湯飲みを手を付けない正義は辺りを慎重に見渡すと、某アイドルグループの緑担当の少女のポスターが緑色の某超有名ロールプレイングゲームの半分溶けた毒スライムのぬいぐるみの背後に飾られており、深緑の洒落たテレビを挟んで、数々の観賞植物がみずみずしい緑の葉を茂らせていた。
「緑ばっかりね。この家」
「そうだな。緑しかないな」
 再び戸棚を物色し始めた門崎は、食品らしき物が入った大きめの箱を持ってくる。テーブルの上に置かれた箱のラベルには切株なのか平たいキノコなのか平たいウサギなのか平たいタヌキなのかは分からないが平たい地球外生物なのだけは確かな緩ーいデフォルメのキャラクターがなんとも言えないポーズを取っているイラストの頭上に、 『緑がいっぱいの青汁~まずいかどうかは飲んでみろ~』とメイリオ調のフォントで書かれていた。
「決まりだわ!グリーンよ、此処の家の住人!」
「思わぬ所でグリーンが決まったな。良い調子だ」
「だから!誰の家なんだよ此処おおお!!」
「さて、グリーンも決定した事だし!」
 何事もないようにレイナは正義に目を合わせると、湯飲みの茶を一気に飲み干す。 「宇治茶が良かったわ」と小声で文句をつぶやいてから、やや釣り上がった大きな青い瞳に目の前の高校生を写した。
「では、遅くなったけどヒーローが集まったんで、早速作戦会議を」
「いや!いやだから、さっきからレッドとかヒーローとか何言ってるんですか?あなたがアメリカ人で、此処が他人の家だって事しかさっぱり分からないし、一体全体何なんですか?!あなた達は!?」
「言ったわよ。『ヒーロー』って」
 2杯目のお茶を急須から注ぎながら、真顔のレイナは正義を凝視する。隣に座っている門崎は戸棚から見つけてきたらしいヨモギ大福をほおばっている。さっきからこの家全部緑じゃねえか。家主の事は全然知らないが、グリーンって呼ばれてもおかしくないなーーと、正義は妙な納得感に浸った。
「あんたの採用はブルーよりも先に決まってたわ。ヒーローだったんでしょ?小さい頃の夢」
「……はあ」
「世上正義、いえ、レッド。あんたの事は、私のおじいさまから聞いていたわ。昔住んでいた家の隣家の子供だったあなたが、いつも嬉しそうに『大きくなったらヒーローになる』って聞かせてくれたと」
 自信満々に相づちを打つレイナを見て、正義は過去の記憶を蘇らせてみる。……ああ、ぼんやり覚えている。5歳くらいの時だっけ。当時テレビで放送していた5人戦隊に憧れて、その主人公――赤色になりたいと本気で思ってた事がある。
 それを母親と近所のおじいちゃんに頻繁に言っていて……よく思い出したらあのじいさん、すこぶる見事な青目で金髪な外国人だった気がする。用事も無いのにコーラをしょっちゅうせがみに来ていたから、「コーラおじじ」というあだ名で呼ばれていたような――。
「ブラックおじいさまは、私の尊敬する家族で」
「コーラが好きだったからですか?」
「ええ。いつも程良く黒いシュワシュワに喉を潤していたわ。まあそれはともかく、おじいさまも私も、実は偉大なるアメリカンヒーローの末裔なの!」
 テーブルをひっくり返す勢いで立ち上がったレイナが胸を大きく突き出すと、自信に満ちた顔付きで天井にぶら下がった電灯に視線を注ぐ。依然として言われた言葉の意味が分からない正義は無意識に門崎を見るが、無表情の大男は黙々とヨモギとアンコと餅のハーモニーを楽しんでいた。
「えーと。レイナさん。ヒーローの末裔って言いましたけど……スー●ーマンとか?」
「ノン!」
「●ットマンとか、ア●ンジ●●ズとか?」
「ノンノン!そんな漫画や映画と一緒にしないで!」
 地団駄を踏み始んだレイナは正義を数秒だけ睨んで直ぐに自信満々の笑顔に戻る。自意識過剰なのか超絶ポジティブ人間なのか、レイナは地踏みで揺れ動いた電灯を手で押さえ止めると、胸を再び突き出しながら腰に手を当てた。
「私とおじいさまはジャスティス国家創立前から、世界の平和を悪から守っていたスー パーヒーローの一族!だけどここ最近ヒーローは密かに存続危機が訪れている。何とかヒーローとして悪を根絶し、人々を未来永劫守らねばと、おじいさまにヒーロー大国と教えていただいた、この日本にやってきたの!!」
 門崎を見つめると、ヨモギ大福を綺麗に平らげてお茶をすすっている。――この女の言う事が全く信用出来ない。――正義は饒舌になるレイナを面倒臭そうに眺めた。
「で!色々調べた結果、この国のヒーローは5人くらいのチームで悪をやっつけるのがベターらしいわね!我々ヒーロー族の輝かしい新たな一歩の為、私はヒーローであると同時に採用官として、その場で良いと思う人材を仲間として迎えているのよ!」
「……で、門崎さんはそうやって仲間にした感じなんですね」
「そう!宅配便を頼んだ時に配達員として荷物を持ってきた彼は一目でブルーだったの!!で、あなたはブルーよりも先に、むしろ最初からレッドって決まってた!そう……確か、10年くらい前から!!」
「もう時効にしろよ。時が経ち過ぎだよ」
「私の夢。それは!!」
 人の話を聞かないレイナは益々饒舌になる。
「私の夢。それは!!ヒーロー戦隊を作って悪い奴から日本と世界を救い!そして、
 国民からお礼のお金を貰って貰って儲けたお金で湯船を満たして、お金のお風呂でうひゃうひゃする事!だから私の野望を叶えるのを御願いだから手伝って頂戴!レッド!!」
「もう凄くあんたに関わってはいけないじゃん俺!糞正直になんで本音を言ったのあんた!!」
 犯罪者のレッテルを完全に相手に貼り付けた正義は、逃走ルートを確認する。6畳半の狭いワンルームのアパートは通路から玄関まで一直線だが、しなやかな宅配便で鍛えられた筋肉を持つ門崎が目の前を陣取っており、もみ合ったら確実に自分が死亡する自信しかなかった。
 門崎はティータイムを終えると、リモコンを使ってテレビを付ける。完全に他人の家でくつろぎ始めた誘拐犯を無視したもう1人の誘拐犯は、ポケットから手紙らしき紙切れを取り出した。
「忘れてたわ。ちゃんとあんたのご両親から許可は貰ってるから」
「あ?」
「これが証拠よ」
 正義は、見慣れた活字と丸字が書かれた紙切れを眺める。
『正義へ。お前ももう高校生だ、大きな夢があるのならば何でもしたいように自由にしなさい。ただし……門限は7時だからな。父より。
 お母さんから。特価で買った挽肉が冷蔵庫にあるんだけど、今日消費期限だから食べないと駄目なの。今夜のおかずを麻婆豆腐かハンバーグ、どっちが良いか帰るまでに決めておいてね』
「すぐ帰ってくると思ってるじゃないの、両親」
 親の字だとコンマ数秒で気付いた正義は燻しげにレイナを眺める。自信たっぷりに頷いたレイナは、キラキラした目で正義を見つめてきた。
「……あなた達に付き合ってあげたら、とりあえず家には返してくれるんですか?」
「ええ、そうね!別に住み込みの仕事でもないし、アジトは今決まったけど」
「……」
「決まりね!じゃあよろしくレッド!!ようやくヒーローが3人揃ったわ!!」
 大手を振って喜ぶレイナに、門崎は満足げに頷き始める。意味不明な言動を繰り返している誘拐犯達だが、不思議と妙な親近感が沸いてくる。
 レイナと門崎はテレビのチャンネルを変え合う。バラエティ色が濃い暇な主婦の為に作られたらしい情報番組と、暇な老人の思い出を掻き立てる為に作られたような昔の日本を特集した番組を何度か行き来してから、受信料問題でいつも話題になっている某番組のニュースで画面を止めた。
「レッド。悪っていうのは何時の世でも掃いて捨てる程いるものよ。だから情報さえ確認しておけば、今の時代は悪なんて直ぐに見つかるわ!」
「……」
「ほら!早速極悪情報よ!!」
 ――自分の誘拐の特集をされているのかとほのかな期待を寄せるが、ヨーロッパのファッションショー並に感情のない真顔で原稿を朗読するキャスターの口からは、自分の事は微塵も語られなかった。
 淡々と、世間で発生した犯罪事件の数々が2行の文章で画面に表示される。
『指名手配の万引き犯か?またもやコンビニで被害続出』
「ふん、雑魚ね」
『自転車のチューブを立て続けに盗んだ容疑として、付近に住む男に事情聴取を――』
「駄目、これも雑魚」
『ネットのまとめサイトに手当たり次第に漫画の誹謗中傷を書き込み続け――』
「あーもう!雑魚ばっかり!この国は雑魚級の悪しか存在していないの!?」
 怒りの余りにテーブルを叩き始めたレイナを脇目に、門崎は空になった湯飲みに青汁の粉末を注ぎ入れる。水を入れて掻き混ぜられるスプーンの軽い金属音が、テーブルの打音と混ざって不快な音楽を響かせる中、
 ぼんやりとニュースを眺めていた正義の目に、『緊急速報』の赤い文字が写った。
『たった今入った速報です!本日、昼前に△△町で――』
「ピンク。良い感じの悪さ具合だと思うが」
「あ!あー!!これよこれを待っていたの!!」
 音を鳴り止ましてレイナがテレビを見つめると、大型銀行の支店に強盗が立て込んでいるという速報ニュースが流れている。相当凶悪な犯人なのだろうか、警察が「全く近寄れない」とニュース番組の現地スタッフに向かって嘆いていた。
「よし、これに決まり!では早速出動するわよ、レッド!ブルー!!」
「え?!」
「3人揃った訳だし!ヒーローとして世間にお披露目するわよ!待ってなさい悪の化身!!私の万札風呂ドリームの第一歩よ!!」
 お茶を飲み干したレイナは立ち上がってテレビをリモコンで消すと、正義の腕を掴んで玄関まで引っ張っていく。
 後ろでのんびりと腰を上げた門崎は使用した湯飲みを丁寧にキッチンで洗って戸棚に直すと、アパートのドアを閉めてから、自分の仕事先であろう宅配便会社の壊れ物表記シールを貼った。

 4
 猛スピードでトラックが銀行前に止まると、現場に集まっている人混みのざわめき音に混じって、時々硝子が割れる音がする。強盗が暴れているのだろうか。子供の割れるような泣き声が響くと、強烈なカメラのフラッシュが一斉に瞬き、テレビ局の実況アナウンサーらしき男女が巨大ビデオの前で熱弁を振るっていた。
 人の隙間を縫うように、ビニール袋を担いだレイナ・正義・門崎は銀行の裏口へと移動する。慣れた手つきでドアをピッキングした門崎が勢い良く扉を開け放つと、満足げに微笑むレイナの横で、正義は燻しげにつぶやいた。
「やっぱり犯罪者はあんた達では?」
「ピンク。此処から中に入り込み、悪の前に3人の勇姿を見せつけるぞ」
「ええ!此処は私達の初舞台!華々しいデビューを飾りましょう!!」
 こっそりとんずらしようとした正義の腕がレイナに捕まれる。真っ正面から見つめてくるにやけ顔に付いた青い目に視線を合わせまいと努めていると、相手が掴んでいるビニール袋から特撮ヒーローを感じる独特のデザインをしたヘルメットが2つ取り出される。
 ピンク色を相手が被り、赤い物を無理矢理被らされる。何時の間にか青い物を被っている門崎が自然に閉まった扉を再び開け放つと、レイナが胸にヒーローっぽいマークが付いた、赤いエプロンが手渡してきた。
「あんたの服はコレよ。あんたを見つけたのは昨日だから、ユニフォームを未だ用意出来ていないのよ。悪いけど今日はソレを付けて頂戴。まあ格好良いから大丈夫だけど」
「……」
 エプロンをパジャマの上から身に付けた正義は、見た目が完全に入院中に唐突にバイクに乗りたくなって病院を抜け出した迷惑患者ライダーにしか見えないが、レイナは 「あんた格好良いわねー」と呟きながら満足そうに頷いている。
 門崎が咳払いをして3度目のドア開けを行うと、正義はレイナに引き摺られながら扉の奥へ移動する。狭くて暗い通路の途中で何十回も正義は逃走を試みようとするが、前方に溢れる光の中に飛び込むまで、帰宅部の高校生・正義の貧弱な腕力では、捕まれた手を解く事が叶わなかった。

 5
 某銀行の受付は、悲鳴と破壊音の嵐となっていた。
 黒頭巾を頭から被った如何にもな『強盗です!!』をアピールしている太めの中年男が、窓口の若気真っ盛りな制服姿の娘に大声で金を要求している。恐怖で溢れ出る涙によって濃すぎる化粧が特殊メイクのようになっている娘の背後で上司らしき生真面目そうな男が説得をしているが、銀行員特有の上から目線での物言いのせいで、口を開く度に強盗の怒りを焚きつけていく。
 近くにあった企業マスコットのぬいぐるみが包丁でギタギタに破り千切られると、客の女に抱かれた小さな男児が「もったいないー!!」と泣き叫ぶ。子供の声に更に興奮した強盗が包丁を振り回して周囲が緊迫した雰囲気になる中、銀行員の男の背後の壁にある、小さなドアがゆっくりと開いた。
(あれ?!誰だ、あの人達?!)
(あ!あれ私知ってる、あれは……!
 テレビのコメンテーターで有名な人じゃないか!!)
 音を立てずに扉を閉めて登場した白髪交じりの紳士に、床に伏せている人質達の視線が釘付けになる。突然現れた謎の紳士・路智原茂雄(みちはら しげお)は、『何処でも神出鬼没に現れる、今最も空気を読まないコメンテーター』としてお茶の間ではアイドルよりも認知度の高い存在となっていた。
「やあやあ。困りましたなあ、トイレを従業員用に間違えてしまいました。おやまあ、これは随分と慌ただしい。面白いコメントが出来そうですね」
「何よあのジジイ?!私よりも目立って!腹立たしい!!」
 路智原の開けたドアの隣のドアから侵入してきたレイナは、自分達より目立っている存在に、何度も嫉妬深い舌打ちをする。
「おや?これはこれは私以外にも入り口を間違えたお方達が……むむ!!」
「ん!なんだテメエは!?」
 レイナを中央にして横並びになった正義と門崎と路智原に、強盗は漸く気付いて怒りの声を上げる。待ってました」とばかりに特撮ヒーローのように決めポーズを取ったレイナと門崎に対し、1人棒立ちしている正義は頭巾強盗に睨み付けられた。
「……そこの赤いエプロンヘルメット野郎!!」
「!!」
「お前も強盗で、俺を邪魔しに来たな!!邪魔しやがるなら、メッタメタにしてやる!!」
 異様過ぎる格好のせいで犯罪者に同類だと思われた正義はレイナを無意識に見るが、嫉妬でヒステリックを起こしているのか、こちらを激しく睨み付けながら地団駄を踏んで悔しがっている。
 決めポーズを取ったまま動かない門崎は全員に無視されて、正義は敵と味方に憎悪の目を向けられる。緊迫した空気を出されて目が1ミリも反らせられない正義は唯々困り果てるが、その様子を横目で見つめていたコメンテーター・路智原は何かに気付いたかのように、大きく目を開けながら口を開いた。
「成る程。今暴れている頭巾の方はともかく、あの赤いヘルメットの彼、彼とても良い、良ぃ変態ですね!あんな格好をしていますが、あの一般人らしき困り果てている態度。まさしく目を覆いたくなるばかりの素晴らしい変態です!」
「え?!路智原さん、変態ってグレードがあるんですか?!」
「ええ!実は『自分が変態だ』とアピールしている数多くの輩どもは、自称・変態であるだけで大した変態ではありません!真の高ランクの変態は……『自分は変態では無い』と言い、普通の人間を装っているけど空気が凄く変態なのです!!」
 ――俺、これからは凡人を辞めて暴漢になろう。――自由に発言するコメンテーターと人質に、正義は魂の奥底で強い願望を唱える。
 強盗は手に持った包丁を捺印用マットに突き刺すと、幾数回目の「金を出せ!!」を銀行員達に向かって叫び上げる。強盗に投げつけようとしたが全て奪われて隅に積まれているカラーボールの山に目を向けながら、パンダゾンビと化した受付嬢は縋るような目で上司の男を見つめると、引き攣った笑顔を見せた男は受付に置かれている麻の袋を開く。
 金庫から出された万札の束が、次々と袋に入れられていく中、強盗は正義に睨み顔を向ける。完全にライバル(?)だと思われているらしく、すこぶる面倒臭さを感じる正義だが、凶器を手に掴んでいる相手に反抗する勇気は無く、ヘルメットの重さを支えている肩に痛みを感じながらその場に佇んでいた。
「あーこれは駄目ですねー。変態の彼、一体何の為に此処に来たのでしょうか?」
「ええ、そう!私達は悪を倒す為にやってきたの!だからレッド!!今こそ本気を見せる時よ!この武器を、使いなさい!!」
「!?」
 レイナはビニール袋から細長い物を取り出し、正義に向かって投げてくる。マネキンのようにポーズを未だ取っている門崎の目の前を回転しながら飛ぶ物体が無意識に伸ばした右手にキャッチされると、
 身を乗り出して窓口を飛び越えたレイナは、床に伏せている利用客達に向かって決めポーズを取った。
「ほーほほほ!民よ、胸に焼き付けなさい!!我らは地球の平和を守るジャスティス・ヒーロー!!名前は……未だ決まっていない!!」
「……」
「さあレッド、渡したソレを悪に振りかざしなさい!それは、偉大なる『ジャスティス・ブレード』!!」
 正義が手に掴んだ物体に視線を向けると、プラスチックで出来た異世界の勇者の剣のような外見が目に映る。取っ手に付いた丸いボタンを押してみると、何だか格好良い電子音楽と共に剣が七色に光り出す。
 非常に派手でファンタスティックな勇者の武器に、正義は不思議な気持ちになる。ボタンを連続で押しながら、七色のネオンを満足げな笑みを浮かべつつ暫く眺めると、
 側にいた男児に速攻手渡した。
「わーありがとう!凄く子供の玩具だね!」
「ふざけるんじゃないわよ!レッド!!」
「さっきからふざけまくってるんじゃねえよ!テメエ!!」
 パンパンに膨れた金の袋を奪い取った強盗の怒りが頂点に達すると、握りしめた包丁を正義に向ける。ステンレス製の凶器の先がヘルメット少年の頭部に向けられると、
 頭巾男が猛烈な速度で突進してきた。
「もう限界だ!テメエなんか、メッタメタにしてやる!!」
「!!ぎゃああああ!殺されるううう!!」
 間一髪でかわした奇襲は、壁にぶつかってから方向転換して何度も仕掛けられる。イノシシのように突き進んでくる包丁頭巾男に、死の危険を感じた正義は相手の持っている札束が詰まった麻袋を無我夢中でひったくる。
 金を奪われた頭巾男は発狂声を上げて襲いかかってくる。ヘルメットに包丁の先が刺さり、頭が真っ白になった正義は麻袋を力の限り振り上げると、
 頭巾男の脳天に一撃を食らわせた。
 ジャスティス・ビッグマネーがクリーンヒットして、殴られた強盗男は白目を向いて後頭部から強制的におねんねする。手放された包丁がツルツルの銀行の床に落ちて跳ね返り、子供が飽きて手放したジャスティスブレードも床に落ちると、
 その場にいる人々が、一斉に歓喜の声を上げた。
 コメンテーターの紳士が独自のコメントを独り言でつぶやき、彼のファン達がそれに聞き惚れる。涙を流しながら銀行員達に笑顔で回収される札束袋を物欲しそうに眺めていたレイナは、近付いてくる人間の気配を感じ取る。
 ヘルメットを外し、微笑みを浮かべる英雄・世上正義にレイナは感動の涙を浮かべる。ポーズを止めた門崎と共に手を大きく天に伸ばし、喜びのハイタッチをしようと構えていると、
 正義は猛ダッシュで変態共の横を通り過ぎた。

 ――どこまで走っただろうか?銀行の入り口を全速力でくぐり抜け、人混みを吹っ飛ばす勢いで走り抜け、街中を何処までも駆け抜けて行ったのはうっすらと覚えている。
 後ろを何度も確認したが、レイナと門崎は追いかけて来ない。……非常に長かったが、脱走はようやく成功したようだ。
 俺は光になっていた。そう思ってしまうほど物凄く早く走っていただろう。あの時強盗に殺されるかと思った恐怖と、滅多にしないフルマラソンをしたせいで、全身に滝のような冷たい汗をかいている。
 ずっと裸足だから足の裏が本気で痛い。あの変なエプロンは風にあおられてヒラヒラしてうっとおしかったから、捨てた。――延々と畑に囲まれた人気の無い田舎道を歩きながら、正義は腹の底から笑い声を上げると、
 途中で見付けた自販機にポケットから取り出した小銭を入れてコーラを購入し、腰に手を当てて一気に飲み干した。

 6
 夕焼けが空を赤く染めている。一体何時間、走って歩いてを繰り返しただろうか。
「お母さん、ぼく、ヒーローになる!」
 ――そう言っていた過去の俺よ、お前のせいで今日は散々だった。もう二度と思い出に蘇ってくるな。記憶の溝の底に沈んでしまうが良い。――滲み出るように蘇ってくる幼少期の思い出に、心底そんな憎悪の気持ちを覚えながら前方を眺めると、馴染み親しんだ我が家が見えてくる。
 小洒落た賃貸マンションの隣に立つ古びた一軒家。見た目にかなり昭和臭さを感じるが、この昭和臭い木造の家だからこそ安くマイホームとして手に入ったのだと、金が無い事を微塵も恥と思わない凡人の父は笑いながらよく食卓の会話のネタにしていた。
 呼び鈴を鳴らさずに、シミと指紋だらけの引き戸を開ける。自宅に帰ったら言うお馴染みの4文字の挨拶を口に出しながら、冷蔵庫に入っている麦茶とプリンでもいただこうとキッチンに踏み入れると、
 金髪青目のポニーテール女が、母親と食卓テーブルを挟んで笑い声を上げていた。
「お!帰ってきたわね、レッド!遅かったわね。駄目よ門限ギリギリじゃない」
「おかえりなさい正義。さっきからずっと待っててくださったのよ、レイナさん。知り合いの宅配トラックで先回りされて」
「……」
「薄いです。玉露入り宇治茶が良かったわ」
「あらあら、庶民に失礼な方ね!」
 大声で笑い始めた母親に、笑顔を向けるレイナのピンクのユニフォームのポケットから破れた麻の布にくるまれた万札が数枚顔を除かせている。
 呆然と立ち尽くす正義に、レイナは小さな人形を手渡す。所々塗装が禿げたゴム人形は、子供の頃に熱狂的にハマった某戦隊番組に登場する、一番好きだった赤いリーダーの格好をしていた。
「おじいさまから譲り受けた物よ、元々あんたから貰ったらしいけど。
 まあ、そういう事だからレッド、明日からも一緒にヒーローとしてよろしくね!あ、言っておくけどリーダーはあんたじゃないわよ。私だからね!」
 母親と笑いながら雑談をする誘拐犯は、自分が冷蔵庫に入れていたおやつの4個入りプリンを4個とも平らげている。
 ――悪夢はまだまだ続くようだ。――正義は渡されたヒーロー人形を眺めると、
 誰にも気付かれないように、ゴミ箱へ放り込んだ。

【了】