Bounty Dog 【14Days】 105-107

105

 支部から突然、狼の遠吠えのような声が響いた。
 支部の外に居るミト・ラグナルが通信機を耳から離した。驚愕しながら建物を見る。吠え声は何かに怒っているように聴こえた。ローグが出したものではないと直感で想った。
 支部の中に居るリングも、吠え声を聞いて驚いた。身を飛び上がらせると、直ぐに目をキラキラ輝かせて、鳴き声混じりに呟いた。
「ニャー。ヒュウラ、吠えた。ヒュウラ、吠えられるのニャね。
 ブニャー!ヒュウラ、クソガキ、一緒に倒す!あいつ、懲らしめる!!ブニャアアアア!!」
 ローグの子供も、少しだけ驚いた。通路の角を曲がって直ぐに異変に気付くと、反射的に声が響いてきた方向に振り向く。目の前にある壁を暫く見つめると、見開いていた赤い目を直ぐに元に戻してから首を肩に頬が当たるまで傾げた。
「うきゅ?」
 独特の鳴き声のような口癖を呟く。不思議に思いながら傾げていた首を元に戻して歩こうとすると、
 目の前の壁が、爆発した。
 ローグは心臓が止まりそうになる程驚愕した。何も”お願い”をしていないのに、壁が突然瓦礫になって吹き飛んだ。
 轟音と風圧が小さな身体を容赦無く襲う。”魔法使い鼠”は眼球が飛び出そうになるまで目を見開きながら慌てて退避した。”魔法”のように崩れ壊れた壁から十分に距離を離してから、首を四方八方に動かす。
 前、斜め上、真上、斜め下、真下を見て、背後を見る。不気味に鎮まり返っている空間の中で、ローグは再び首を傾げた。独り言を呟く。
「うきゅうう……何?一体全体、いきなり何?ボク何もしてないよ?『原子』がしたの?『術式』が無くても暴れられるの?」
 安息は瞬く間に喪失した。少し遠い場所の壁が爆発する。次々、壁という壁が爆発して砕け散っていく。支えを無くした天井の一部が落ちて地に潰されながら倒れる音も聞こえてきた。
 ローグは自分が操る”術”よりも乱暴な破壊攻撃を繰り返している、謎の存在が突然現れた事が理解出来なかった。頭部に銀色の髪と一緒に生えている黒い大きな獣耳を前向きに折ると、周囲に意識を集中しながら警戒する。また壁が爆発した。徐々に近付いてくる。隣の壁が崩落すると、人間のような影が姿を現した。
 切り揃っていないざんばらな短髪と腰に巻いている長い布が印象的である小柄な影は、目が人間のモノでは無い異質な色をしていた。右腕に身長よりも遥かに大きい異質な片手斧を掴んでいる。
 斧が間髪入れずに鼠に向かって振り下ろされた。驚愕した鼠が慌てて避けると、刃が床に突き刺さる。
 奇襲を受けたローグは、術を使う事を忘れた。いきなり襲われたショックと恐怖を感じて反射的に逃げる。彼方に向かって逃げる。
 影が斧を、ブーメランのように振り投げてきた。横向きに回りながら飛んできた人間の武器に更に驚いて、ローグは慌てて耳を前向きに折り曲げて身を伏せる。小さな身体が更に小さくなっても、斧は数ミリ高く身を伏せていたら鼠の脳を頭蓋骨と耳と髪ごと纏めて斬り飛ばしていただろう位置で、何も斬らずに回転しながら飛んでいった。
 斧が通路の壁に突き刺さると、俊足で動いた影がローグを飛び越えて、壁まで走っていった。斧の柄を掴んで引き抜き、踵を返して走ってくる。
 ローグは逃げ、ようとして辞めた。目の色を赤から真紅に変える。人差し指を伸ばして高速で空気を5箇所叩き、文字を書いて指で弾く。2つの『原子』が『術式』に反応して火の玉になった。更に指で空気を弾き、火の玉が発射されると、影が再び動いた。
 斧の刃の腹で火の玉を受け止める。炎を吸収して真っ赤に燃えた刃でローグに頭から両断する一撃を放ってくる。慌てて後方に跳ね避けたローグは、床に叩き刺さった巨斧と一緒に影に視線を移した。影の正体を知ると、
 ローグの心を支配する感情は、恐怖から余裕になった。

 目を限界まで吊り上げているヒュウラが、斧を引き抜いてローグを襲う。ローグは振り下ろされた斬撃を身を捻ってかわすと、後方にピョンピョンと跳ね飛んだ。両指の先の腹同士を合わせて顔の前に掲げる独特のポーズを取る。後ろに跳ね飛びながら、口を開いた。
「あいつ、凄く馬鹿そう」
 ヒュウラが鼠の頭部に向かって巨斧を振ってくる。空気を切り裂く真紅の刃から炎が吹き上がった。柄に巻き付けられている細長い布が、刃に宿っている熱で焼け焦げて千切れた。木で出来ている柄の表面が露わになる。
 斬撃が繰り返される度にローグは余裕綽々で避けた。横向きから縦向きに動きが変わった巨斧の刃が鼠を左右に二分割しようと振り下ろされると、鼠は身を半回転して軽々と回避する。
 鼠の亜人は己も目を吊り上げて、呟いた。
「ボク知ってる。ああいう奴って馬鹿なんだよ。ボク、馬鹿には構いたくないんだけど」
 ピョンピョン小さく跳ねて後退する。頭から生えている黒い獣耳を上下に振りながら、右手の人差し指を腕ごと前に伸ばすと、ローグは溜息を吐いた。余裕綽々の態度で呟く。
「仕方無い、危ないからさっさと壊そう。あの犬みたいな馬鹿」

106

 ヒュウラは攻撃の手を休めなかった。ローグを殺す為に、便利道具としてこれまで使っていた巨斧を初めて武器として使う。本来の用途である『首斬り斧』に戻った人間の道具を、狼の亜人は縦に振り下ろし、横振りし、斜めに振る。
 鼠の亜人・ローグは絶え間なくされる斬撃を難無く回避した。小さな身体を最大限に利用し、大人の人間よりもHIT範囲が遥かに小さい上に小回りも容易に出来るので、凶悪な首斬り斧の刃は身に纏っている服や髪・装飾品を含めてカスリともしない。
 ローグは横に振られた巨斧を両膝を折り曲げて避けると、頭上を通ろうとする刃を見上げて両腕を伸ばした。刃の腹を手の力で突き上げると、突然の運動変化に斧を掴んでいるヒュウラの身が浮く。
 ヒュウラの目が若干丸くなった。ローグは目を三日月形にしてニッコリ微笑むと、子供に学びを教える大人のように、ゆっくりとした口調で言った。
「コレね、”密集”なんだよ」
 ローグの目の色が黄色に変わった。
 右手の人差し指が斧の刃を5回突く。高速でミミズ字のような『術式』を書くと、親指で人差し指を押さえてから刃を強く弾いた。斧の刃の鉄が元素単位で反応する。刃全体が黄色く光り出すと、
 首斬りの狩人から奪い取った巨斧の刃が、瞬く間に砂鉄の塊と化した。
 ヒュウラの目が限界まで見開かれた。木の棒だけになった愛用品を腰に巻いている赤い布とズボンの間に挟み入れると、『原子』を刺激したローグの指が再び弾かれる前に後方に跳ね飛ぶ。
 お互いの眼前で爆発が起きた。炎が空中で燃え上がると、小柄だが大人体型であるヒュウラの身体と、小さな子供体型のローグの身体が共に吹き飛ぶ。共に地に叩き付けられて床を数回後転すると、ローグが独り言を呟きながら先に起き上がった。
「うきゅうう。ボクの近くで活性化させるのは止めよう」
 ヒュウラも直ぐに片膝を折り曲げた状態で起き上がる。ローグの子供は黒い獣耳を上下に振りながら、赤に色が戻っている目をキラキラ輝かせながら呟いた。
「うきゅ。カイにまた会ったら、もっと教えて貰おう。コレ、ボクの知らない術式だけど、凄く便利!」
 ヒュウラは睨み目をしたまま静止する。脚を開いて立ち上がると、更に後ろに跳ね飛んだ。人差し指を伸ばしてきたローグから距離を離すと、
 そのまま一旦退避する。ローグを放置して、彼方に向かって走り出した。

107

 ローグの子供は、第1戦に勝利した優越感に浸った。亜人の青年が走り去って行った方向を見つめると、歯を見せながら大口で笑い声を上げる。
「わーい!勝った勝った!!あはははははは!逃がさないよー!!直ぐに見付けて壊すから!!」
 目が真紅になる。右手の人差し指で空気を5箇所突いた。文字を書いて指を弾くと、原子が1つ反応する。
 宙を漂う火の玉を、更に指で弾く。追撃弾のように発射された炎が彼方の壁にぶつかる音が聞こえると、ローグはゲラゲラ笑いながらヒュウラを追い掛け始めた。
 ヒュウラは一直線に、ある場所に向かっていた。火の海と化している集会場の前を過ぎ、武器庫の前を過ぎて、班長室の前を過ぎる。班長室から少し離れた場所にある、プラスチックの斧を背負った茶色い犬の人形がドアノブにぶら下がっているデルタ・コルクラートの自室の前で止まると、扉を暫く見つめて、
 そのまま部屋の前を走り過ぎた。
 背後から子供の甲高い笑い声が聞こえてくる。通路が爆発した。背後が何度も爆発する。火の玉が後ろから飛んでくる。ヒュウラは一度も振り返らずに、炎を避けながらワザと遠回りして目的地に向かった。足の速さはローグより遥かに優っている。火の玉は直ぐに飛んで来なくなった。
 ヒュウラはローグを更に引き離して、目的地に辿り着いた。小さな木製の引き戸を開けて、4畳程の小さな部屋に侵入する。扉を開けたまま、アルミの棚と箱が並んで置かれている薄暗い部屋を見渡すと、
 隅に置かれている『リーダー没収品』と人間の文字で書かれた紙が貼り付けられている、木の箱まで近付いた。
 箱の中には、世界中の銘柄の酒の瓶がズラリと並んで詰まっている。
 ヒュウラはデルタが部下から奪われていた酒の数々を、無表情で眺める。手を突っ込んでガチャガチャ音を立てながら物色を始めると、一番端に置かれている1本の透明な液体が入った大きな瓶を引っ張り出した。
 ラベルに人間が使っている世界共通文字で『スピリタス』と書かれている。希釈用のウォッカ。アルコール度数95%。赤い大きな字で”火気厳禁”とも書かれている。
 デルタが遺した最強の酒を、新たな武器として手に入れた。
 ヒュウラは酒瓶の首を掴んで箱の蓋を閉じる。踵を返して部屋を出ようとして、止まった。目の前に人のような影が現れた。影は睨み目をしたヒュウラを暫く見つめると、
 右手の人差し指を伸ばして、独特の鳴き声を上げた。
「ニャー。ヒュウラ、見付けた」
 影が話し掛けてくる。良く知る猫のような鳴き声だった。ヒュウラは無表情のまま影の名を呼ぶ。
「リング」
 姿を露わにしたリングが、もう一声鳴いた。嬉しそうに愛嬌のある顔を微笑ませると、直ぐに眉をハの字に寄せて困り顔をしながら呟いた。
「ニャー。クソガキ、ツウキコウ、無い、困ったニャ。ウニャー。ヒュウラ、場所、知ってる?」
 ヒュウラは口だけを動かして即答する。
「来る時」
「ニャッ?!来る時、通った!ヒュウラ、サンキュー、ニャ」
 侵入経路を忘れていた猫は、最近覚えた軽い言葉で相棒の狼に謝意を伝える。ヒュウラが酒を掴みながら部屋から出ようとすると、リングは辺りを仕切りに見渡してから、首を傾げてヒュウラに尋ねた。
「ニャー。デルタ、居ないニャ。あいつ、足、動かない。隠したの?」
 ヒュウラの動きが止まった。リングは傾けた首の角度をほぼ真横にする。ポニーテールにしている長い金髪を揺らしながら、不思議そうに鳴き声を上げる。
 ヒュウラは首だけを振り向かせた。無表情のまま、口だけを動かして猫に伝えた。
「死んだ」
 リングはショックを受けて、憤怒した。
「ブギャニャアアアア!!クソガキ、デルタ、殺した!デルタ殺したニャ!クソガキ、殺した!デルタ」
「煩えんだよ!!黙れ!!」
 リングが再びショックを受けた。ヒュウラが睨んできていた。眉間に深い皺が寄っている。
 いつもの人形のような無感情の顔が、生き物らしく明瞭な表情をしていた。ヒュウラは首を扉側に向けると、足を動かしながら呟いた。
「黙れ」
 リングを放置したまま、ヒュウラは部屋を出て行った。
 ヒュウラの去った跡を呆然と眺めながら、リングは全身の力が抜けて床に座り込む。遠くから爆発音と子供の笑い声が近付いてきていたが、今の彼女の関心を微塵も惹かなかった。
 リングは心の中で呟く。
(ウニャー。ヒュウラ、怒ってる。凄く怒ってた。ヒュウラあ……お前、大きい声、出せるのニャね)

 ミト・ラグナルも、上司の死を知って強いショックを受けていた。通信機を使ってヒュウラの首輪越しに会話を盗み聞かなければ良かったと、酷く後悔した。
(違うわ、それは私のエゴよ)
 大きく被りを振って、己を叱咤する。肩から紐を通して背中に引っ付いているドラム形弾倉が付いたサブマシンガンを後ろ手で掴み、前方に構えた。意を決すると、新人保護官は先輩保護官達の静止を振り切って、支部に向かって走り出した。

 近接する集会部屋から噴き出る業火の音に支配された武器庫では、仰向けになって胸から上にシーツを掛けられたデルタ・コルクラートの遺体と、影が1つ居た。遺体の傍に跪き、デルタの冷たくなった右手を掴み上げて、両手で包んで握っている。
 影が動いた。伏せていた顔を上げ、胸まである長い青髪を揺らす。遺体の腕を丁重に床に下ろして指を離すと、その人間の女は銀縁眼鏡を掛けた青い目を限界まで吊り上げた。
 遺体の側に倒れ落ちている白銀のショットガンを拾って握る。ショットガンは傷1つ付いていなかった。慣れた手付きで弾の残数を確認する。1発撃っていた。残りは全て殺傷能力が無い麻酔弾が装填されている。
 女は心の中で呟く。
(こんな形で貴方に貸していた私の武器を返して貰うとは思ってなかったわよ、デルタ。ずっと私を支えてくれた最愛の弟。貴方の遺志を継いで果たすわ。だけど手段は、私が考えてするわね)
 女はショットガンの銃口を適当な壁に向けた。発砲する。重厚のある声を幾度も叫び上げる愛銃に排莢と自動装填を繰り返させると、麻酔弾を空にしてからスーツのスカートから実弾を取り出し、銃に詰め込んだ。