Bounty Dog 【アグダード戦争】 1-2

アグダード戦争

1

 ミトと9人の保護官は、全員が同じ反応を示した。スクリーンに映し出された画像を見るなり、全身から血の気が引いた。
 シルフィは部下達の顔を見るなり憫笑した。亜人の青年は画像に興味を持たず、見ようともせずに胡坐を掻いて座ったまま何の反応もしない。だが1人の人間と1体の亜人以外の全員が画像に目を釘付けにされていた。
 ミトと9人の人間達が同じ事を想う。ーー自分達にこんなモノを見せてくるこの女は、ローグが中途半端に破壊した亜人課現場保護部隊を此の世から完全に喪失させようとしている。ーー
 プロジェクターが壁に掛けられている白布に転写している画像は、此の世界にある”地獄”の光景だった。砂漠化が進んでいる荒れた土地で、岩と土を材料に用いて独特の建築方法で作られた伝統的な建物が並んでいる一方で、建物は殆どが半壊もしくは全壊しており、地と瓦礫の彼方此方から炎と黒煙が吹き荒れている。
 画像を凝視しながら、1人の女性保護官が顔面を蒼白させながらシルフィに尋ねた。
「り、リーダー。あ、あの、アグダードって?」
「何故知らないの?貴女は先ずこの画像の町のように、自分の頭の中に咲いている無知というお花畑を徹底的に焼き払うべきね」
 ミトは会話を盗み聴く余裕が無かった。他の先輩保護官と同じく冷や汗を掻きながら”此の世にある地獄”の画像を見ている。破壊し尽くされている異国の土地の画像は、亜人ローグが”魔法”を使って昨夜暴れていた時に、この支部に起こっていた状況に似ていた。だが画像と支部の状況は似ているが、画像の方が余りにも破壊の規模が大きかった。
 シルフィが部下達に、画像で示した土地について説明を始める。
「南西大陸・中東部にある『紛争地帯アグダード』。西区・東区・中央区の全域で2000年内戦を続けている世界一危険な場所として余りにも有名よ。内部は国と呼べるモノが遥か昔に喪失(ロスト)してる。幾多もあるらしい勢力のどれがどの地区をどれだけ制圧しているのかも、外からは一切分からなくなってる」
 シルフィはヒュウラを見た。亜人の青年は相変わらず顔を伏せて床ばかりを眺めている。
「後で平手打ち3発追加よ」呟いて、シルフィはプロジェクターが映す紛争地帯の画像をリモコン操作で切り替えた。数人の戦争カメラマンが己の命と引き換えに撮影した現地の様子を画像で写し出す。地雷で粉々になった人間らしき存在の、八方に飛び散った残虐な死体の写真。ディスターシャと呼ばれる中東の民族衣装を着ている浅黒い肌をした幼い子供が、胴に無数のダイナマイトを巻き付けてライターを片手に持ちながら棒付き飴を舐めている様子を遠くから撮影した写真。
 更に悲惨極まりない写真も次々と写し出された。どの画像も己達が今生きて暮らしている場所の常識からは、余りにもかけ離れている光景だった。
 目を瞑って画面を見る事を拒絶する者、強い吐き気を感じて我慢している者が複数居たが、シルフィは部下が示している反応を無視して説明を続けた。
「今まで何度も何度も、外部の人間達が自分達の国の軍隊を入れて内戦の終結を試みては、内部の勢力に蹂躙され、軍隊を潰しに潰されて撤退を余儀なくされている。戦争地に赴いて現地の情報を伝えるジャーナリストすらが、地に足を付けた瞬間に死ぬと判断して誰も一歩も近付かない。内部の状況が今どうなっているのかは、5年前から一切不明よ」
 シルフィは部屋の入り口を指差した。扉は開け放たれている。『任務が嫌なら出て行け』と彼女が手を振ってジェスチャーすると、
 保護官が5人、我先にと退室した。

 ミトは動かなかった。今はシルフィの足元で顔を伏せて座っているヒュウラの姿に目が釘付けになっており、悲惨なアグダード地帯の画像からは視線を外していた。
 ミト・ラグナルを含めて残り5人になった部下達に、シルフィは説明を続ける。
「此処で行う任務は勿論、殉職覚悟の最高難易度。ただし、此処で保護する対象(ターゲット)の希少ランクはE『安全種』以外の全種。可能な限り多くの亜人種および、その他の絶滅危惧生物達を保護する事」
 銀縁の眼鏡のレンズに覆われた青い目が吊り上がる。眉間に皺を寄せると、シルフィは部下達に警告した。
「そしてコレは肝に銘じておきなさい。戦争を終わらせようとは、絶対にしない事」

2

 ミトはシルフィを見た。大きな茶色の目を限界まで吊り上げた人間の少女は、唾が口から噴き出る事も厭わずに声を張り上げて抗議した。
「あなたはさっきから何を言ってるの?!任務をする現場もだけど、ヒュウラも絶滅危惧種!それに心が喪失(ロスト)してる!!保護任務なんか出来やしない!!」
 直ぐに視線をシルフィからヒュウラに戻した。人形のように俯いたまま微塵も動かない亜人の青年は、ミトの擁護にも一切反応を示さなかった。
 シルフィは、睨み顔を向けるミトに笑みを返す。嘲笑顔をしながら言葉を返した。
「そうね。この子は”今”は使い物にならない。だから古いテレビのように叩いて叩いて、直ぐに使えるようにするわ」
 ミトの反応を待たずに、更に言葉を続ける。
「この部隊を此処まで腑抜けにさせてしまった”あの子”も大罪者ね。貴女も、人間の価値観を人間以外もそうなのだと決め付けるエゴイストなら、今直ぐに私の部隊から去りなさい」
(お前はどうなんだ?)ミトだけでなく他の保護官達も、彼女と同じ感情を抱いて同じ心の声を発した。
(亜人は道具なの?自分の弟ですら、あなたにとっては道具だったの?)
 ミトは目に涙を浮かべて悔しがった。姉である彼女が崩壊させた部隊を立て直し、彼女を慕って常に助力していたらしいデルタ・コルクラートを哀れな人だと心底に思った。
 3人の保護官がシルフィに軽蔑の眼差しを向けて、退室した。残りはミトを除いてたった1人。純粋さが姿に滲み出ている10代後半の若い男性保護官だった。
「見てた?分かったでしょ?この部隊の人間達が持っている貴方への感情なんて、所詮そんなモノだったのよ」シルフィはヒュウラを言葉で折檻した。
 ーーあの女がしている虐待を止めねば、ヒュウラを直ぐに保護せねば。ーーミトは行動を起こそうと決意した。
 同時に、ヒュウラと同じ亜人のリングが此の場に居ない事に勘付いた。

 ミトはヒュウラの救出を保留にした。怒りの念を落ち着かせてから己と歳が近い男性保護官と顔を見合わせた後で、シルフィに向かって話し掛ける。
「コルクラート保護官。任務地については承知しました。唯、やはり何故、最高難易度の任務に超希少種のヒュウラを連れて行くのですか?私は納得出来ません」
 シルフィは上機嫌になった。不機嫌顔から微笑顔になる。己に敵意を向けてくる入隊2週間の新人保護官の少女に、心中で語り掛ける。
(ミト・ラグナル。入隊初日にヒュウラを単独で保護した子で、デルタが将来性に期待して個別で指導していたらしい娘。貴方を育ててくれた上司も、同じコルクラートよ。私に対して皮肉でも込めているのかしら?
 ……素晴らしい子だわ、とても)
 シルフィは真顔になった。リモコンを操作してプロジェクターを停止させ、アグダード地帯の画面を白い布から喪失させる。背負っていた白銀のショットガンを手に掴むと、スーツのポケットから出した実弾数発をハンドリロードで込めてからヒュウラの後頭部に銃口を押し付けた。
 『立て』と、銃で後頭部を押して無言の命令をする。ヒュウラは従った。シルフィの隣に並ぶと、顔を俯かせたまま両手を胴の前にダラリと垂らす。
 シルフィはポケットから弾と一緒に新品の茶色い革手袋を取り出していた。片腕で銃を相手の頭を押し付けたまま、開けた方の腕でヒュウラに手袋を嵌めてやる。
「斧は無いわ。現地で代わりの物を見付けて頂戴」
 銃をヒュウラの頭から離したシルフィは、鬼の形相をするミトと困惑顔をしている男性保護官に向かって、声を張り上げて言った。
「この任務の指揮は私、シルフィ・コルクラートが取る!責任も私が全て取るわ!貴方達も私に付いてきなさい!!」
「それは何の答えにもなっていません!!」
 ミトが吠え返した。だが上司面する目の前の女に、当然のように無視された。
 ヒュウラが俯いたまま呟く。
「何をするんだ?」
 シルフィは即答した。
「そうね、貴方がするのは2つだけよ。生きなさい。そして導きなさい」
 ヒュウラは、暫く静止してから、返事した。
「御意」
「ヒュウラ!その理解出来ない命令で納得するの!?」
 ミトはヒュウラに抗議した。だが、心が喪失している目の前の亜人にも、当然のように無視された。