Bounty Dog 【アグダード戦争】21-22

1つ失うと1つ以上新しいモノが手に入る。何であっても、損でも得でも。

21

「そうか、お前はヒュウラっていうのか!良い名前だな!お前にピッタリだ!!」
 此の星で生きているあらゆる絶滅危惧種を保護する事を目的に活動している国際組織『世界生物保護連合』3班・亜人課の現場部隊長シルフィ・コルクラートが人間の保護官1人と亜人の特別保護官2体を連れて実行している、南西大陸中東部『紛争地帯アグダード』での保護任務は、現地に入ってから未だ日が浅い内に、想定を遥かに超えた緊急事態に陥っていた。
 現地の武装集団の隊長を、特別保護官兼超希少種である狼の亜人ヒュウラが死の脅威から救った事で、縁が生じてしまっていた。
 亜人に救われた人間である水色交じりの白髪と浅黒い肌をした若いアグダード人の男は、ヒュウラの肩を抱いて相手を押しながら、黒い布を頭から被って身を隠している人間達の先頭を歩いて行く。ヒュウラから名を聴いて、男は澄んだ水色の目をキラキラ輝かせた。興味深々にアレコレと尋ねてくる人間の男に、ヒュウラは仏頂面のまま口だけ動かして尋ね返した。
「お前の名は?」
 男はケラケラ笑う。ヒュウラの質問には答えなかった。

 ヒュウラと水色目の男以外の黒布達と保護官達と猫の亜人は、街の地下に掘られていたトンネルの中を歩いていた。崩れた建物の壁の一部が塀のように連なっている此のアグダードの街には、爆弾や地雷から身を守れるように地下通路が幾つも掘られているのだと、シルフィは己の隣を歩いている黒布の1人から教えて貰った。
 水色目の浅黒肌男の背に連なって歩く黒布達の群れを掻き分けて、ミト・ラグナルは列の先頭に居るヒュウラに近付こうとする。リングもミトの後からニャーニャー鳴きながら付いてきた。人間と亜人の女は共に目を吊り上げて、ヒュウラを押しながら無理矢理歩かせているアグダード人の男を警戒する。
 列の最後尾を歩いているシルフィも、銀縁の眼鏡を掛けた青い目を吊り上げていた。白銀のショットガンを背負い、組んでいる腕の右手に通信機を握っている。
 布達の間からヒュウラの様子を伺った。肩を掴んで押しながら延々と狼に話し掛けている人間の男に対して、5W1Hが無い言葉で時々質問に応えているヒュウラの顔は”正常”の無表情だった。
 ヒュウラをアグダード人の男は随分と気に入っているようだった。シルフィが亜人と人間の様子を観察しながら、独り言を呟く。
「ヒュウラは”正常”でも、何かさせると予想外の行動を取る子だと私も知ってる。だからこの任務でも、多少は問題が起きる事は想定内だった」
 トンネルについて先程教えてくれた、隣を歩いている背が高い黒布に話し掛ける。
「だけど、貴方達と縁が出来てしまったのは余りにも想定外だわ。あの街に住んでいる人間達は最低だったけど、それでも此の土地の人間達が暮らしている普通の街。そんな場所でも平気で地雷原にしてミサイルをぶつけて火の海にするなんて、やっぱり此処が世界一危険な紛争地帯だからでしょうね」
 シルフィは苦笑と冷笑を同時に顔に浮かべる。シルフィに話し掛けられた黒布は、独自語交じりの敬語で言葉を返してきた。
「サッハ(正しい)とは言えませんね、あなたのその解釈は。あの街は普通では無い。”敵”によって歪みきっています」
「そう。だったら尚更、この地帯はとてつもなく危険だわ。貴方達も得体が知れないし」
 シルフィは睨み目をしたまま目に掛けている銀縁眼鏡の位置を指で調整した。背負っている白銀のショットガンの銃身を後ろ手で掴む。
 黒布は切り取られている目元の部分から露出している、浅黒肌に付いた朱色の目を緩ませた。苦笑している事を目の動きだけでシルフィに伝えてくると、周囲に聞こえる程の大きな声で、シルフィに向かって布に覆われた口を動かして言った。
「私達の事は兎も角として。先程からこの土地の事をカタル(危険)だカタルだと仰っていますが、聞き捨てならないです。勘違いが甚だしいですよ。ねえ?軍曹!?」
 朱色目の黒布が、ヒュウラを押しながら列の2番目を歩く水色目男の背を見つめた。話を促された『軍曹』と呼ばれた水色目の男は、短い水色交じりの白髪に紺色のアラビアターバンをヘアバンドのように巻いている頭部を後方に向けてきた。
 ヒュウラの肩を両手で掴んで押しながら、列の最後尾で腕を組みながら歩いている朱色目の黒布に向かって、不敵な笑みをしながら返事した。
「んだな!でも俺は、ヒュウラだけがそう思ってくれたら良い!!まあでもテメエが教えてえんだったら、他の外の奴らにも違ってんだと教えてやれ!!」
 黒布も朱色の目を緩めて不敵に笑った。男に答える。
「ええ、喜んで!!」
 黒布達の群れが動きを止めた。ミトとリングとシルフィに其々が顔を向けると、布から出ている浅黒い肌に付いた様々な色をしている目達が、全て緩んだ。目の下の布が擦れる。黒布達が唱和した。
「マルハバン(ようこそ)!世界一の楽園地、アグダードへ!!」
 ミトとリングは驚いた。シルフィも目を丸くする。ヒュウラも仏頂面のままだが、己の肩を掴んでケラケラ笑っている、唯一布を被っていないアグダード人の男を凝視する。
 男はヒュウラに満面の笑みをしてから背後に振り返って、狼の亜人への態度から豹変させた憫笑顔をしながら補足した。
「此処では楽しい楽しい”ゴミ掃除”が好きなだけ出来る。外じゃあ味わえない最高の娯楽を満喫し放題の場所だ。長話は此処までにしろ、寝ぐらに行く!テメエら、ちゃっちゃと付いて来い!!」
 ミトは再び目を激しく吊り上げた。ドラム型の弾倉が付いたサブマシンガンを掴んでいる両手に力を込める。だが銃口を水色目の浅黒肌男に向けなかった。男と己を取り囲んでいる黒布達は、全員男で己よりも大柄だった。
 敵意は誰からも感じなかった。浅黒肌の男の傍に、周りよりも少し小柄な黒布男が1人走り寄ってきて、浅黒男に話し掛けている。男は適当に返事してから小柄な黒布を己の後ろに付かせると、ヒュウラの肩から手を離した。
 ヒュウラの背中を手で押す。速度UPの前進を促すと、無表情で従った亜人の青年に、男はケラケラ笑いながら上機嫌で言った。
「ヒュウラ!お前には、寝ぐらに着いたら礼を存分に振る舞うからな!!」

22

 保護官達と亜人達は、武装集団の”寝ぐら”に向かった。随分と長い時間歩いたので、街からは恐らく脱出していると思われた。だが、己達が何処に居るのかは、アグダードの外から来た存在達は誰も全く分からなかった。
 ミトは通信機で、組織の3班情報部に連絡して位置を特定して貰おうとしたが、浅黒肌の男と黒布達を警戒して通信機を操作する余裕が持てなかった。どのみち連絡は出来なかった。後にだがシルフィに、支給した通信機に外部との連絡機能も付いていないと彼女は知らされる。
 “寝ぐら”は、地下トンネルから梯子を登って地上に出て、障害物の無い赤茶色の土と岩に覆われた荒地を一気に駆け抜けた先にあった、大きな岩の隙間の中に作られていた。一目では唯の岩にしか見えず、ほぼ完璧なカモフラージュが施されている。
 岩の隙間の中に入る為に横向きになって、ヒュウラが最初に、次に浅黒肌男の順で入っていく。男の後に連なって岩の中に入る黒布人間と黒布人間の間に挟まれたミトが、滑る様に狭い通路を抜けて広い空間に出ると、武装集団のアジトが目の前に現れた。
 其処は少女の想定内で、想定外の空間だった。
 赤茶色の土壁に囲まれた部屋のような空間で初めにミトの目に入ってきたのは、汚れた皿の上に乗っている、高々と積まれた緑色の果物だった。果物は小ぶりで、レモンに似た形の柑橘類だった。ライムのようである。ライムの小山が乗った皿が、茶色い中東式の絨毯が敷かれた床の中央に置かれている。
 ライムの周りに、様々な武器が乱雑に置かれていた。ダイナマイト、手榴弾、サバイバルナイフ、アサルトライフルと専用の銃倉。狙撃銃も数丁置かれている。小さなスコッチの酒瓶も、中身が無い状態で複数転がっていた。女に飢えていた街の野人達の住処で見た光景に似ている気がしたが、散らかっている物達から肉欲は微塵も感じなかった。
 代わりに物達から感じたのは、怒りだった。生き物の命を奪う力を持っている無機物達から、染み入るような怒りと憎悪を感じた。故に、武器に囲まれている水々しい新鮮なライムの小山が、余計に異様な存在に見えた。
 ヒュウラを部屋の奥の壁側に座らせた浅黒肌の男は、後ろに付かせていた小柄な黒布人間から青い布を受け取る。己が脱ぎ捨てていた光沢のある青い布を、胡座を掻いて座ったヒュウラの膝にブランケットのように乗せると、男はヒュウラの膝に乗った青布の上にライムを3個乗せた。
 男は満面の笑みをしながら、ヒュウラに話し掛ける。
「此処にある食いもんで、いっちゃん美味えのがソレだ。とりあえずソレ食ってくれ。後はちょいと待ってくれたら、お前を腹一杯にするくれえの飯は用意してやっからな」
 群れの中に居る黒布の1人が、男の話に割って入った。
「軍曹。酸っぱいライムだけを食べさせるのは」
「んじゃあ、ちゃっちゃと飯を用意しやがれ。ヒュウラを持て成せ。コイツは俺の恩人だ」
 吊り上がった水色の目に睨まれた黒布が、慌てて部屋の奥にある洞窟のような穴の中に入って行った。ミトは膝の上に乗せられた3個のライムを繁々と観察しているヒュウラを観察する。ヒュウラは無表情だった。”何時もと同じ”無表情で、生まれて初めて見るのだろう緑色の酸っぱい果物を眺めている。
 浅黒肌の水色目男はヒュウラの背に回って抱えるように胡座を掻いて座ると、ヒュウラの頭を豪快に撫で始めた。ざんばらな茶髪を浅黒い肌をした人間の手に乱されながらライムを掴んで首を傾けたヒュウラに、男は上機嫌で話し掛けた。
「ソレはライムってんだ。美味えぞー」
 ミトは目を吊り上げながら思った。ーーヒュウラが拘束されている。ーー
 ヒュウラの顔を見て、ミトは目を更に吊り上げた。男の顔を覗いていた顔が己が居る側に振られた時に、彼の金と赤の目が大きく剥かれていた。
 ヒュウラは未だ壊れていた。剥いた目をする壊れたヒュウラは、紛争地帯の武装集団に捕まってしまっていた。大勢の黒布達が、ヒュウラを後ろから抱きながら頭を撫でている隊長の男と会話をしている。数人の黒布はヒュウラにも話し掛けていた。どの布がする質問に対しても返事も反応もせず、目を剥いたままライムを手に持って頭を撫でられている亜人の青年に、ミトは心配の念と強い危機感を抱いた。
 行動しようとして、躊躇する。後方の出入り口付近に立っているシルフィは、腕を組んだまま様子を眺めているだけだった。上司面を未だする眼鏡女に相変わらずの不審感も抱きながら、ミトは硬く結んでいた口を動かそうとすると、
 先に猫の亜人の口が大きく動いた。
「ニャー!お前、ヒュウラ、返せ!!」
 リングが、ヒュウラを抱えている浅黒肌の男に大股で近付いていった。猫が仁王立ちをして鼻息を吹き上げると、愛嬌のある橙色の目を限界まで吊り上げた。憤った猫が一言鳴いてから、怒鳴り声を上げる。
「ブニャー!ヒュウラ、ニャーの友!友、返せ、ブニャー!!」
 ヒュウラの腕を掴んで力尽くで引っ張る。浅黒肌の男もヒュウラを抱える手の力を強めて、引っ張られないように抑えた。怒り顔をし合う人間と亜人が始めた争奪戦に巻き込まれて、ヒュウラの目は”正常”になってから、若干丸くなった。
 ミトが遂に動いた。サブマシンガンから手を離して紐越しに背中に担ぐと、リングの背に近付いて羽交い締めにする。ヒュウラから強制的に引き離されて、猫は大きく鳴き声を上げた。
 剥かれた目をしたヒュウラの手からライムが落ちる。薄紫色の目をした小柄な黒布人間がライムを拾って、ヒュウラの手に再び持たせた。浅黒肌の男が奪われかけた恩人を取り戻して、頭を再び撫でる。お気に入りと化している亜人の青年に男は背中から抱き付くと、リングに向かってぼやくように呟いた。
「いきなり何だよ、テメエ。猫みたいに喋りやがる奴だな……そういや猫、全然見ねえな」
 シルフィの隣に立っている、朱色の目をした黒布が男の独り言に便乗する。
「言われてみれば、そうですね。地上の爆弾は人間以外にも反応しますから、地下や岩の隙間に潜っているのでは?私達のように」
「猫って穴掘れるのか?」「さあ」男と朱色目が雑談を始める。シルフィは腕を組みながら小さく溜息を吐いた。ミトに羽交い締めにされているリングも、悲しそうに一声鳴く。
 猫が人間達によって此の世界では既に絶滅させられている事を、アグダードの人間達は己達の事で精一杯で全く知らないようだった。無知に罪は無いが、猫の亜人は”友”を奪い取っている男に向かって、睨み目をしながら何度も挑発的に鳴く。
 男はリングを無視して、ヒュウラの肩を揉んだ。マッサージされて、剥かれた目が元に戻って、瞑られる。お気に入りの狼だけに構う人間に対して、猫の怒りは頂点に達した。
「ブオニャアアアア!!ニャー、無視、するニャー!!」
「リング。お黙りなさい」
 沈黙していた保護部隊長が口を開いた。腕を組んだままヒュウラと男の目の前まで歩いていく。ヒール靴の底に付いていた野人達の半乾きの血が汚れた絨毯の上に点を描いた。リングが抗議代わりの鳴き声を上げると、奥の穴から戻ってきた黒布がヒュウラの前に料理を並べる。
 次々と置かれた、簡易的だが独特の中東料理の数々を眺めるだけで一切手を付けようとしない亜人の青年を一瞥してから、シルフィは浅黒肌の男に向かって話し掛けた。
「美味しそうな食事でこの子をお持て成しして貰っちゃっている所、悪いけど。貴方達は結局一体何者なの?何処の国の、何て名前の軍隊?」
 質問への回答は黒布人間が行った。シルフィが移動するまで彼女の横に立っていた朱色の目の黒布が口を開こうとしたが、男の傍に立っている薄紫色の目の黒布が、先に言葉を発した。
「我々部隊は何にも所属していません。名前も無い。”敵”に存在を知られないよう、ワザと名付けていないのですが。一般の民達にも存在を知らせない、完全秘密の民間武装部隊です。要するに」
 薄紫色の目が言葉を途中で切ってから、シルフィを睨んだ。目の形を変えられずに視線を向けられた浅黒肌の男が、不敵な笑みをしながら部下の代わりに言葉を続けた。
「神出鬼没の”お掃除”部隊」