Bounty Dog 【14Days】 8-11

8
 
 深夜の山中は、正しく闇だ。生き物の気配は何も感じられず、木々のそよめきが恐怖を誘発させる。ヒュウラの手に掴まれているランタンの光を頼りに、ミトは空間の把握をしながら歩を進めていく。
 次第に水のせせらぐ音が耳に聞こえてくると、狭い獣道から広い道に出る。左手に小川が流れる人が整備したらしき障害物の無い小綺麗な土道を暫く歩くと、
 突然照明を切ったヒュウラは腕の手錠の鎖を引っ張って、ミトを強引に川の水辺に連れて行った。
 漆黒の中に、ぼんやりと大きな明かりが見える。ミトは目を凝らして前方を見ると、数メートル先に松明が2本立った、集落の入り口が見える。
 山の中腹にある、名付けられているかは知らない人間の村。周りを丸太を組んで作った巨大な壁で覆っており、高さは十メートル程あって、道具が無いと越える事は出来ない。入り口に村人らしき男が2人立っていて、村は道を塞ぐように存在している。麓へは其処を必ず通らないと向かえないようで、左手に伸びている川は水位が深くて流れが早く、泳ぐ事は出来なさそうだった。
(こんな時間まで見張り?習慣?リーダー達が此処でお世話になってるのかしら?)
 顔に感情を表さないヒュウラは、無言で左手を自分の服のポケットに突っ込んで鏡を掴み出す。消していたランタンを付けて鏡で光を反射させると、村人の1人の目に当たるように、角度を調整して点滅させた。
 男が光に気付いて、視線を向けてくる。
 無表情のままヒュウラは身を屈ませて縄をポケットから出し、鏡と一緒に地面に置く。手錠の鎖を掴んでミトを引き寄せてから、彼女の口を突然塞いで担ぎ上げると、ランタンを手に持ったまま俊足で疾走した。
「ちょっとすまん、一緒に来てくれ」
 見張りの男が2人とも動く。影のように走る亜人は秒で人間の横を川辺側から通り過ぎ、道に入って背の後ろに回り込む。気付かれないまま2人は風のように村に侵入すると、元居た場所に着いた男達は足で地面を数回蹴ってから、持っている懐中電灯で縄と鏡を照らした。
「……蛇?いや、これはロープだな。それと鏡。何でこんな物が落ちているんだ?まあ良いや」

9

(何で?ヒュウラ。この村の人達は、絶滅危惧種の保護に協力的だって言ったわよ?)
 音を立てずに高速で移動する青年に、ミトは拉致されながら懸念を抱く。村の内部は静寂に包まれており、外壁に沿うように建っている灯りの無い木造の民家達は、宵闇に溶け込んで不気味な雰囲気を漂わせている。
 中央の広場に、人の背丈と同じくらい巨大な斧が1本、丸太に刃を突き立てて置かれている。雨避けになのか透明なビニール布が上から被せられているが、短い鎖が付いた持ち手は巻かれた布が年季で解れかけており、1メートル半ほどある刃の先に、赤い錆がこびりついていた。
 布の端が風に煽られて、武器の存在を示すように靡いている。
 ヒュウラは斧に興味を持たずにミトを抱えたまま広場を通り抜けると、家々に挟まれている狭い土道を駆けてから、最奥にある古い倉庫の前で止まる。終始動きが止まっていた、手からぶら下がっているランタンが慣性の法則で大きく揺れると、漸く解放されたミトが口を開く前に、引き摺るように彼女を鎖で引っ張りながら、扉を開けて中に侵入した。

10
 
「ヒュウラ、どうしてこんな事するの?私に見せたいものって何なの?」
 手錠の鎖で強引に歩かされながら、ミトは声を掛けてみるが無視される。1階建ての深夜の倉庫は窓の無い木造で、頭より遥か上にある縦横に組まれた角材が屋形天井を支えている。
 内部も外観同様に古めかしく、埃とカビの臭いが鼻を刺激する。壁には、淡く青い光を出す蛍光灯に照らされて古い縄や網、動物の罠に使う道具とナイフが掛けられており、逆さにすると頭から被れる深さのトタンバケツが重ねて置かれている。
 隅にある年代物の本棚には、上の段に液体の入った大きな瓶、下の段に真新しい書類用のファイルが神経質な程に綺麗に整って並んでいる。中央に置かれている巨大な木製テーブルに飛び乗ったヒュウラは、茶色い染みでマダラ模様になった天板の中央まで歩いてから視線を向けてきた。
「良く物を取る。人間の道具は便利だが、初めて見た」
 ーーこの集落に良く来ては、人間の物を頻繁に盗んでいるようだ。そして最後の言葉に関しては小屋にあったテレビの事を言っているのだろう。ーーテーブルに沿うように移動しながらミトは推測する。最先端の流行りである鎧は付けていないが、彼の服装は人間が着る物に非常に近く、新たに伝えてきた情報は想定内だった。
 自分が持つ、亜人の知識とも照らし合わせる。
「ええ。亜人は、人間の物を貰いながら暮らしている種が多いわ。数が少ない絶滅危惧種だってそう」
 真顔でミトは、再び質問する。
「この倉庫に、一体何があるの?」
 ヒュウラは、返事せずに金と赤の瞳で無表情に見つめてくる。直ぐに視線を外してテーブルから飛び降りると、鎖を引っ張ってミトを引き寄せてから、背を力の限り押した。

 飛ぶように前方に動いたミトは、倒れそうになった体を本棚の枠を掴んで支える。鎖が伸び切って引っ張られたヒュウラも歩き出すと、数歩で動きを止めてから、扉が閉まっている入り口を凝視した。
 バランスを整えようと身を立て直したミトは、目線の先に並んでいる厚手のファイル達の背面を不思議そうに見つめる。
 数十年前から半ヶ月前までの日付が書かれた其れらは、風化して埃まみれになっている他の物達と比べて異様な綺麗さを保っている。
 後ろから物が飛んでくる。本棚にぶつかって地面に転がったランタンを見ると、手で掴んで起こし置いてから電源を入れる。照明器具から出る淡い光で辺りが照らされると、数冊を本棚から引き出して、床の上に広げる。大判の紙面に書かれているのは表で、文字と数字が羅列していた。
「コレは?」
 ミトはポケットから手帳を出してファイルの横に広げると、貼っている組織が作ったデータのスクラップと照らし合わせる。
 ファイルには、数多の生物名と、その動植物から採れる素材、市場価格、そして市場取引数が記載されている。
 ーー数字は、どれも月を経る毎に右肩上がりに増えていた。
(これは生物素材の取引帳簿?何故こんなに数が増えているの?それに此処に書いてる生物名って……)
 哺乳類や鳥類、爬虫類、昆虫、植物などの生物と共に、チラホラと亜人の種族名が書いている。油性インクで幾つも赤い囲い線が加えられているが、其れらは全て亜人のデータに施されていた。
 別のファイルを引っ張り出して重ね広げる。背面に何も書かれていない黒塗りの冊子は、他のファイルと異なって非常に年季が入っており、長期保存が出来るよう動物の皮で作られた特殊な紙には、
 各亜人種の狩りの仕方が、図と文で詳しく書いていた。
 這うようにしゃがんでいたミトは、目線を本棚の上側に向けてみる。地面に置いたランタンの光がギリギリ届く位置の段に、大きいコルク栓の瓶が並んで置かれている。瓶は全て液体で満たされており、光を受けながら不気味に揺れ動いている。
 色は、黄色と黄緑と深緑色が揺れる度に、当たる光の角度によって入れ替わっていく。
(アレは……!?)
 ミトは直ぐに正体に気付く。強アルカリ性のその液体は、無機物の消毒にも使う事が出来ない猛毒の薬品であり、この世界では、ある種から生物素材を採取する際にのみ使われている。
 ミトが知っているその種である”彼”は、背の後ろに立って扉側を見つめている。
 足が、動き出した。
(この村は!!)
 ミトは、肩に掛けた紐をドラム型の弾倉が付いたサブマシンガンを構える。脳から出始めたアドレナリンで高まっていく興奮を理性で抑えながら、振り返ろうとすると、
 腕が引っ張られる。もつれそうになった足を戻して、ミトは前進しながら手錠の鎖の先にいる亜人を見る。ヒュウラは無表情のまま出入り口まで歩いていくと、観音開き扉を押し開けて、
 草刈り鎌を持って立っている、3人の男と目を合わせた。

11
 
 金と赤の瞳に、凶器を振り上げた人間の狂気に満ちた笑顔が写る。眉一つ動かない顔と胴を繋ぐ首に向かって、月光に照らされた刃が下されると、
 サブマシンガンの銃口を向けながら、ミトが駆け出した。
「ヒュウラ!しゃがんで!!」
 身を引いて斬撃をかわしたヒュウラの首を覆う黒い服に、浅い切り傷が付く。直ぐ様その場に伏せた事を合図に、ミトは銃の安全器を”連射”モードにして、輪が2つ並んで付いたような照星”フロントサイト”を覗きながら引き金を引く。
 無数の弾丸が乾いた音を出しながら放たれる。扉ごと奇襲者達を削り倒すと、入り口に辿り着いたミトは、起き上がったヒュウラの横に立って外を見た。
 麻の服の上に鎧を着た数多の老若男女が、ぞろぞろ此方に向かって歩み寄ってくる。目は虚ろで、全員が刃物を握りしめている。
 首を斬り落とせる刃渡りの、鋭利な凶器達。
 敵に聞かせてやる程の大きな舌打ちをして、ミトは銃の照星を覗く。通路と家々の隙間から1人、2人、3人ーー、迫ってくる数多の脅威を撃ち崩す事を最優先に、保護種を守りながら村を脱出する最適な方法を考え始めると、
 手錠の鎖が強く引っ張られる。横に大きく幅跳びしたミトは照星から目を離すと、銃を支えていた腕の片方が掴まれた。
 ヒュウラは飛ぶように、ミトを肩に担いで疾走する。

 吹く風のように倉庫から通路を過ぎ、瞬く間に人間達の隙間を駆け抜けていく。俊敏な動きに狂人達は驚きながらも、標的が自身に接近する度に、手に持つ刃物を力任せに振り下ろす。
 照星を覗き込んだミトが、サブマシンガンの引き金を引く。雨のように降り注ぐ鉛の粒が数人に命中し、身が倒れる度に地に転がっている生活道具が宙に跳ね上がる。
 右に曲がって直ぐに行き止まりに差し掛かる。速度を落とさずに振られた脚が木の壁を破壊すると、無理矢理新しい道を作りながらヒュウラはミトを担いで走り続ける。土埃を浴びながらミトはポケットから無線機を取り出すと、落とさないように手に神経を集中しながら、呼び出しボタンを押して口に当てた。
「こちら、ラグナル保護官!リーダー、応答ください!」
 無線機は沈黙している。
「こちらラグナル!襲撃されています!麓の近くの村です!助けに来て!リーダー!!」
 壁が破壊される爆音と少女の声だけが響く。無線機をポケットに入れて再び銃の照星越しに目を凝らしたミトは、後方に飛んでいく木片を眺める余裕が持てない。
 ーー胴を掴まれているので両足が浮き、まるで飛んでいるようだ。自分を連れて魔の手から逃げている超希少種は、どんな表情も顔に浮かべていない。ーー
 無知と罪悪感に、胸が張り裂けそうになる。
「ヒュウラ。この村はあなたの方が詳しいと思うけど、麓へは入り口と逆方向にある、もう1つの出入り口を抜けたら直ぐよ。私の所属する3班『亜人課』の部隊が待機している。其処まで行けば安全だから」
 ーー直感だが、この村に仲間は居ない。ーーその判断をミトは信じる。ヒュウラは反応しないが言葉は通じているのか、向きを変えて麓の方角へと走り始める。
 壁が再び、壊される。割れた木の塊が地面に撒かれて踏まれ、襲ってくる村人達も同じ物を踏み付ける。人が出す声とは思えない獣のような絶叫を上げて、刃物を手にした男も女もゾロゾロと四方から走り寄ってくる。目の前に現れた若い男が散乱銃を構えたので、ヒュウラは走りながら軽く弾みを付ける。難なくジャンプで生きた障害物を飛び越えると、撃たれた弾丸が別の村人の胴を、水風船を割ったように砕いた。
 ミトは後ろ向きにサブマシンガンを構え、銃撃して狙撃者を倒す。背後と前方双方から来る敵達に弾丸の雨を当てながら、震えながら結んでいた口を開いた。
「ごめんなさい。私達は、余計な事をした」
 返事も反応も無く、少女の目は涙で溢れる。

 矢のように前から後ろへ過ぎ去っていく景色に、状況の認識が追いつかない。照星で慎重に狙っていた標的は、無意識に勘による手当たり次第へと変わる。
 捨て弾の数が膨大になる。鉛の粒を吐き続けて軽くなっていく銃の弾倉に、ミトの焦燥感はますます膨れ上がる。
 木の壁が連続で破壊されて、一方通行になった道の果てに城門のようなものが見える。村を覆っている丸太を組んで作られた壁の隙間に向かって、ヒュウラはミトを掴んだまま走る。眉間に皺を寄せて前方を凝視していたミトは、
 重圧な鉄の扉が、出口を硬く閉ざしている様を目視した。
 ヒュウラは徐々に速度を落として扉の前で立ち止まると、無表情で鉄の塊を眺めている。ーー彼の超越した脚力でも、この厚い金属の壁は壊せないようだ。ーー外壁を壊そうとしない事にも気付いたミトは、自分を担ぐ亜人の能力の限界を理解すると、背後から近付く無数の殺気を全身で察知する。
 ーー此処でジッとしていたら、彼が危ない。ーー
「ヒュウラ!入ってきた方に引き返して!山の中に逃げましょう!無線機で部隊を呼ぶわ!お願い!!」
 頷きもせず返事もせずヒュウラは一度だけ瞬きをすると、ミトを担いだまま後ろにステップを数回踏み、180度向きを変えて疾走する。姿が見えた狂人達の隙間を掻い潜りながら、一本道と化している破壊し尽くされた路地を通り、
 程なく、2人は広場に出た。
 不意にミトは頭上を見上げると、夜空には澄んだ山の空気の中に、金色に輝く大きな満月と、無数の星が浮かんでいる。真夜中の空は不気味な静寂に包まれているが、自然のモノだけが支配している空間に、人間の作り出したモノも、人間自身も存在していない。
 まさしく、天は極楽だ。ーーだが地上は、有象無象の地獄。
 視線を戻したミトは、走る速度を落としていくヒュウラの行動の理由を視覚で理解する。立ち止まった青年の肩の上で身を捻りながら周囲を見渡すと、
 散乱銃と刃物を持った村人達に取り囲まれていた。
(最低)
 軽過ぎる銃を片手で掴み、ミトは腰に付けているファニーパックからドラム弾倉を出して銃に付いているものと素早く交換する。ヒュウラが胴から手を離したので、肩から降りて再び四方に視線を這わせると、
 広場の中央で丸太に突き刺さっている、巨大な斧の存在に気付いた。
 同じものを見ていたヒュウラが、手錠が付いた右腕を曲げて手を数回握り開く。ウォーミングアップを程々にしてから、鎖で繋がるミトを無視して武器へ向かって駆け出すと、
 直ぐに足を引き、地面を削って急停止する。やや釣り上げた金と赤の目が前方を凝視すると、
 筋肉の盛り上がった太い腕が、斧を軽がると引き抜いた。

 2メートル半を超える大男が、広場の中央に現れる。首から下に管が付いた鋼の鎧を付けている巨漢は50代くらいの見た目で、寝癖で乱れた短い青髪を無造作に掻き上げて、巨斧を片手で掴みながら猛獣のように鋭い金眼で2人の若者を見下げる。左後方に立つ人間の少女を一瞥してから、右前方に立っている亜人の青年を凝視すると、2人の村人が駆け足で近付いてきた。
「リカルドさん!お待ちしておりました、よろしくお願いします!!」
「……酷過ぎる」
 男はぽつりと一言発すると、斧を扇のように振って村人を横殴りする。吹っ飛ばされた人間が家の壁にぶつかって気絶すると、残っているもう1人の村人は顔から冷や汗を流した。
「お前達の狩りは、基本すら全く出来ていない。何だその道具は。”この生き物”の生態を理解していない」
「も、申し訳ありません。でもベテランの首斬りリカルドさん、あなたにお任せすれば、素晴らしいウルフアイが最高の状態で採取出来ます!!」
 絶滅危惧種をモノ扱いしている事に、ミトは激しい怒りを覚える。
 同時に、1つの疑問が湧き、銃を構えながら口を開いた。
「首斬りリカルド?」
「俺の通り名だ。狩りの獲物にしている獣犬族達に呼ばれていたのだ、『首斬りリカルド』と。最近はこの山で滅法会うことが無くなっていたが、保護組織というお前達のお陰で、生き残りが居ると知った。未だ仕事が出来そうだ」
 リカルドという名の大男は、ヒュウラを再び見つめる。視線を交えてくる亜人の顔に表情は無いが、正気が満ちた不思議な色の目に、愛おしそうに自身の目を細めながら口を開いた。
「とても綺麗な目をしている。お前には初めて会うな。まあ、俺に会った獣犬族で、生きている奴は1匹も居ないが」
 ヒュウラは、全く反応しない。リカルドは巨大な斧を頭上で振り回すと、赤錆の付いた刃の先を獲物の首に向けた。
(未だ子供……。本当は後20年は待った方が理想だが)
「生業なのでな。運が悪かったと思ってくれ」