Bounty Dog 【Muchas gracias. Te amo.】 29-30(了)

29

 唯、同じ部屋で何年も何年も独りぼっちで過ごすのが嫌だった。
 唯、1人じゃ無くて誰かと一緒に遊びたかった。
 唯、家の外の世界を知りたかった。
 外にいる大勢の誰かと、遊んだり関わりたかっただけだった。
 何故自分だけが其れをする事が出来ないのか、何時も不思議で堪らなかった。そんな時、奇跡のように出会った”彼”が喜んで己の望みを叶えてくれた。たった其れだけ。たった其れだけの事だった。
 そんな”生物史上最も美しい”超希少種である人間の少年が、今から34年前に望んだ小さな願いが招いた結末で喪失してしまったモノは、少年が大人になり『生きた幽霊』が正体である義父の軍将校と出会い、陸軍の軍人になって最高司令官である義父がする指揮の元で祖国の為に闘いながら、義父の趣味に他の隊員達と一緒に振り回され、やがて長い時が経ってから狂ってしまっていた思考が爆発して隊員と義父を惨殺し、世界中のエゴイストを抹殺する王として、紛争地帯アグダードで己の勢力を立ち上げた。
 そして少し時間が経ってから超希少種の亜人と偶然関わり、亜人に興味があって勢力を立ち上げて直ぐの頃から通信機器でコンタクトを取るようになった、人間世界の闇の底にある大きな組織に貰った情報と”黒い本”を元に亜人を大量殺戮兵器として利用しようとしていた彼は、己の顔に付いている窒息呪いが効かない第2の存在にも電話越しに出会ったが、義父が遺したテープとモグラの亜人達が言った戯言で強い思い込みをした末に、絶望して己で己の生涯に幕を閉じた。
 ナスィル・カスタバラクの生涯は”彼”に比べると、遥かに長い年月を生きられた。其れでもあの時からずっと、ずっと彼の心の中では決して止む事が無い雪が降り続けており、決して溶ける事が無い未練の結晶が、冷たい雪の中に埋まって凍え続けていた。

 ジャックとナスィルは町の外にある向日葵達が生えた丘の上に辿り着いた。太い茎と大きな葉の間を潜り抜けて、昼間にジャックとボードゲームを広げて写真を撮った原っぱまでやって来る。
 向日葵の花が数輪、銃弾を受けて砕け散った。ビアンカが「ナスィルに当たる」とタラルに向かって叫んでいる声が聞こえてきた。其れでもタラルはショットガンで何発も弾を撃ってくる。向日葵の花がグチャグチャに砕けて、バラバラになった花弁が地面に落ちた。
 向日葵には”情熱”以外にも花言葉がある。”あなただけを見つめる”という意味を人間達から付けられていた。深い愛情を込めてプロポーズにも用いられる花であるが、独占的で支配的な思考をするエゴイストが好む花だとして、その大き過ぎる花弁が不気味であるとも捉えられて”最も嫌いな悪魔の花”だと思っている人間達も、世界中に大勢存在していた。
 “独占”という意味が付けられた花である向日葵は、無垢な子供達を守ってくれなかった。折れた花達の間から、己に付けられた意味と同じく独占欲に満ちた2人の人間が姿を現す。
 ビアンカ・カスタバラクの後ろからやってきたタラル・カスタバラクは、ビアンカと同じような格好をしているが返り血を浴び過ぎて、ジャックとナスィルが見てもまるで食人鬼のようだった。
 ナスィルは紙袋越しに見た事が無い恐ろしい父親の姿を見て、強い恐怖を感じた。ガタガタ震えながらジャックの背に隠れる。
 隠れる時に、脇に挟んでいたボードゲームの盤を落とした。タラルが血塗れのブーツでアナログゲームの戦場を踏み割ると、ナスィルを庇っている養子の少年に、充血した緑色の目を激しく吊り上げながら言った。
「ナスィルを返せ。シャイターン」

 ジャックも震えていた。パーカーの右胸に付けている手作りの国際警察官風バッジが小刻みに揺れる。
 向日葵畑も一部が燃えていた。背中に抱き付いている少年は、紙袋に開いている目の穴の部分から大粒の涙を流していた。目の前の父親が怖くて堪らないのだと態度で訴えてくる。
 ジャックも正直、タラルが物凄く怖かった。だが己を慕ってくれる親友を脅威から護りたいという想いの方が、遥かに優っていた。
 未来の国際警察官を志す少年ジャック・ハロウズは、大量殺人鬼タラル・カスタバラクに向かって言葉を返す。
「シャイターン?何それ、ぼく知らない。魔法使いの名前?」
「悪魔だと言ったんだ!!ウチの家の先祖の言葉だ!!この国の言葉でも言ってやる、ディアブロ(悪魔)!!俺の息子を今直ぐに返せ!!」
 タラルが大声で怒鳴った。手に掴んだショットガンでジャックを撃ち殺そうとする。
 ビアンカが背後から慌てて止めた。
「あなた、言ったわよ!ナスィルも殺しちゃう!!」
 ビアンカはタラルを抑えながら、鶯色の目で激しく睨んでくるジャックを凝視した。ジャックはビアンカの目を見て、仄かな哀愁を感じる。まるで己にこれからする事に対して、先に目線を使って謝ってきているようだった。
 其れでもジャックは、もうビアンカも”良い人”だと微塵も思っていなかった。人殺しを目の前でした、タラルと同じ極悪人。そうだとしか、もう彼女の事も認識していなかった。

 ナスィルはこの時、未来の己の姿を見ていた。倫理観が歪み切って壊れた未来の己のようである実の父親は、己がこれまで見続けて知っていた正義の使者でも優しい親でも、軍人に未練タラタラの酒浸り男でも、ボードゲームが弱くてブラックコーヒーが好きな負けず嫌いの人間のどれでも無かった。
 玩具箱に本物の銃火器を度々隠すこの危険極まり無い男は、超えてはいけない一線を軽く超えて己の脱走を理由に大量の命を理不尽に殺害していた。タラルの真の姿を知ったナスィルは、父の心から噴き出る悍ましい未練の吹雪を浴びて、通っている血まで全て凍らされたように身動き1つ取れなくなっていた。
 余りにも余りにも相手が怖過ぎて、被っている紙袋を頭から外して両親を呪いで窒息させてから、ジャックを連れて逃げるという手段が全く思い付けなかった。この事を未来永劫、彼は大罪として己で己を責めては延々と苦しみ続ける事になる。だが彼はこの時、未だ幼い子供だった。怖いものを”怖い”と素直に想って酷く怖がる、純粋で綺麗な心を持っていた子供だった。
 そんな時、同じ子供である筈のジャックは、態度が真逆だった。己に振り向いてきて笑ってくる。
 まるで鮮やかな黄色い向日葵の花のように明るく笑ってから、ナスィルが引っ付かせていた身体を離して、あの道具を手渡してきた。
「コレ、ぼくの宝物。君が持っていて。ぼくとナシューは、ずっとメホル・アミーゴ(親友)」
 ジャックが渡してきたのは、彼のパーカーの右胸に付いていた国際警察官風の手作りバッジだった。言葉通りに彼は己の1番大事な宝物を親友に預けてから、タラルとビアンカに向かって言った。
「あんた達はとんでもない悪党。ディアブロはあんた達だ、ぼくが此処で逮捕してやる」
「逮捕?未だお前は警察官でも何でも無いぞ」
 狂った警察官タラルは、ジャックという子供が言った戯言に大笑いしながら言葉を返した。ビアンカは無言でジャックを見つめている。背後にいるナスィルも見つめた。紙袋を頭に被っているナスィルは星と布で出来たバッジのような物を両手で大事そうに持っているが、取り上げようと思わなかった。
 代わりにナスィルはジャックに、ポケットから道具を取り出して渡す。ナスィルがジャックに渡したのは、タラルが玩具箱に隠していた光が当たると若草色に輝く白銀製の拳銃だった。
 立派な拳銃だったが、弾が1発も入っていない役立たずの銃だった。だが弾というモノを知らない子供だったナスィルは、其れで親友の命を救えると本気で信じていた。

 ナスィル・カスタバラクは、ジャック・ハロウズという人間が此の世で1番大好きだった。
 ナスィルが産まれた日と同じ日に産まれた彼は、ジャックという名前だけを付けられて、産まれて間も無くハロウズ孤児院の扉の前に捨てられていた。心優しい孤児院長に拾われて、何不自由無く幸せに育てられた。世話好きな少年で、西洋宗教の熱心な信者。正義感がとても強く、将来の夢は世界を全て平和にする為にあらゆる悪党を逮捕して反省させる、国際警察官だった。
 楽観的で明るい性格をしており、勉強と運動もルックスもそこそこ。だが34年前に流行った擬似戦争ボードゲームに関しては、誰にも負けた事が無い『無敵王』でもあった。そんなジャック・ハロウズは正義と保護と自由が歪み歪んで狂気の鬼になった義父母に対して、友を見捨てず、背を向けて絶対に逃げる事もしなかった。
 彼はナスィルに貰った拳銃の銃口をタラル向けながら、勇気を振り絞って命令する。
「ナシューを自由にして、ぼくと警察に逮捕されろ!ディアブロ(悪魔)!!じゃ無いとコレで撃つぞ!!」
「ディアブロはお前だ、ジャック!!お前が何もかも全部悪いんだ!!お前が勝手にナスィルを家から連れ出したから、この町とお前の孤児院の人間は殺されて不幸になったんだ!!」
 実行犯のタラルが支離滅裂な事を喚き出した。共犯者のビアンカは無言のままタラルの横で立っている。
 ナスィルは酷く動揺していた。己が外に出てしまったせいで大勢が死んだと思い込み出す。父の言葉を信じ込んで、己がジャックも不幸にしたと思い込もうとしていた。
 友の全てを理解しているジャックは先回りする。思い込みが激しい性格をしているナスィルに向かって、振り向かずに思い込みを正した。
「ナシュー、あいつの言ってる事、全部違うから。何も君のせいじゃ無い。ぼくは不幸じゃ無いよ、君に出会えて幸せだよ」
「こっちにおいで、ナシュー」
 ビアンカがナスィルに向かって手を伸ばしてきた。ナスィルは首を横に振りながら母に訴える。
「母さん。あのね、聞いて。ジャックはね」
「煩いわよ!!早くそのディアブロから離れて、こっちに来なさい、ナスィル!!」
 ビアンカに怒鳴られて、ナスィルが余りの恐怖でエンエン泣き出した。使えない拳銃を向けてくるジャックに対して、タラルは嘲笑しながら、命を奪える強力な弾を籠めているショッガンを下ろす。
 代わりにズボンのポケットからジャックが持っている型と同じ拳銃を取り出した。弾が全て入っている。シリンダーを開いて全弾充填された弾を見せびらかしてから閉じると、額から汗を垂らしたジャックは、其れでも身動ぎ1つしなかった。
 唯、友を毒親達から救いたかった。ジャックの決意は命懸けであろうとも固かった。一方で恐怖に支配されているナスィルはジャックの警察風バッジを両手で握り締めながら、タラルに向かって呟く。
「父さん。父さん……お願い、ジャックを撃たないで」
 タラルは最愛の存在である筈の息子の言葉を無視した。ナスィルは音量を上げて、再度父親に向かって訴える。
「聞いて。聞いてよ……聞けよ!止めろよ、父さん!!止めろって俺、さっきからお前にずっと言ってるだろ!?」
 タラルが拳銃を1発撃った。撃ったのはジャックでは無く、最愛である筈の1人息子だった。
 右足を撃たれたナスィルは、血を噴き出しながら向日葵畑の地面に仰向けで倒れた。ジャックが目を丸くしてナスィルの傍に駆け寄る。折れている向日葵の茎を使って血止めをした。ナスィルは紙袋を頭に被ったまま、エンエン泣いていた。
 タラルは実の子に向かって、鬼の形相をしながら怒鳴る。
「ナスィル、何だその口の聞き方は!?さっきからグチャグチャグチャグチャ煩いぞ!!お前は黙って屋根裏部屋に戻って、俺の言う事だけ聴いて一生其処で暮らしていたら良いんだ!!おい、ビアンカ。さっさと連れて来い」
「……エンテンディード(分かったわ)」
 ビアンカが動き出した。ジャックが立ちはだかる。が、威嚇でされたショットガンの射撃で噴き上がった土と炎に慄いて、ジャックは道をアッサリ譲ってしまった。
 ビアンカにナスィルが捕まる。涙と鼻水でグチャグチャに濡れている紙袋の上から新しい紙袋を広げて被せられると、タラルの横に連れて行かれる前にナスィルは無意識に、ジャックから貰った警察官風バッジをパジャマのポケットに隠した。
 代わりに通信機を取り出す。ジャックに向かって機械の画面を見せると、拘束してくるビアンカに抵抗しながら、ナスィルはジャックに向かって大声で言った。
「ジャック、逃げろ!!俺は自分で逃げるから、君も早く、早く此処から逃げろ!!」
 ジャックは、パーカーのポケットに入れている己の通信機を取り出さなかった。ナスィルの救出を諦めた訳ではない。唯、己が未だ微力な子供である事と共に、己が産まれ生きていている此の国の歪んだ”自由”を、彼は僅か7歳で理解してしまっていた。
 此の国の警察では無く世界組織の警察官になる事を夢見ていたのは、それをとうに知ってしまっていたからだった。現に目の前に居る此の国の警察官は、此の国の歪んだ”自由”が産み出した犠牲者でもあった。
 全ての真実を知った上で、ジャックはタラルに話し掛ける。
「タラルお義父さん。ぼくはディアブロじゃない。ディアブロはこの世界、この星で生きている、自分勝手な考え方をして他の生き物を散々不幸にしている人間達。ナシューを不幸にしているのは、ぼくじゃ無くてあんた達だ。タラル・カスタバラク。ビアンカ・カスタバラク」
 タラルはジャックに拳銃の銃口を向けた。ナスィルが被せられた紙袋に穴を開けて大声で辞めろ辞めろと父親に命令口調で訴える。タラルはビアンカに目線だけで指示を与えた。ビアンカがナスィルを押さえ込む。ナスィルが口を開く度に、子は父の操り人形と化している母に口と鼻の穴を押さえられた。
 親に窒息死させられそうな親友を前にしてジャックは弾の出ない若草色の拳銃に力を込めると、ナスィルと同じ鶯色の目を限界まで吊り上げながら、大声で言った。
「あんた達はエゴイスト!許しちゃいけない存在、エゴイストだ!!神の雷を直ぐにでも受けて、魂ごと消滅してしまえ!!」

 ジャックは言葉を叫んで直ぐに、親友を救おうと動いた。その瞬間にナスィルの目の前でジャックは、タラルに胸を1発、眉間を1発、喉を1発拳銃で次々に撃たれた。
 ジャックはナスィルの目の前で仰向けに倒れた。そのまま暫く全身を痙攣させてから、永遠に動かなくなった。
 ナスィルは親友を親に殺されて、ショックで泣き喚き出す。母親に紙袋の上から更に強く鼻と口を抑えられた。親友を射殺した父は母に指示をして、気絶したナスィルは無理矢理、牢獄の家に連れて行かれて屋根裏部屋に再び閉じ込められた。
 ジャックが殺された場所は、向日葵畑だった。国の民を悪人から守る正義の職である警察官なのに町の住民達と部下の警察官達、そして無垢な子供をまた1人殺したタラルは、ジャックの遺体を其処に埋めて、使った銃と薬莢も一緒に埋めて証拠隠滅をした。

 ジャック・ハロウズは、産まれてから僅か7年と半月でその短過ぎる生涯を終えた。死の原因になった己の友は微塵も恨んでいない、愛していた。その一方で強く恨んだのは、己を悪魔呼ばわりして理不尽に殺した友の親だった。
 警察官に憧れていた少年は、暴走した警察官によって殺害された。余りにも理不尽で、余りにも哀れ極まり無い最期だった。

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