Bounty Dog 【Muchas gracias. Te amo.】 13-14

13

 制限時間が迫ってきたので、ジャックは己の部屋に戻っていった。ナスィルもベッドに入って一先ず眠る事にする。
 未だジャックもナスィルも2人共に幼い子供だった。生活の事やお金の事といった大人が常に悩み抱えている人間世界で生き続ける為の必要不可欠な事柄についても、その生涯を金や名誉を利用して誰よりも豊かで幸せにしたいという承認要求の補填や野望の達成といった、そんな”己で己を極めて不自由にするモノ”には一切縛られていなかった。
 後先を何も考えていなかったが、極めて純粋に”自由”を求めた願いと行動だった。ナスィルはジャックが居たハロウズ孤児院がどんな所なのか、孤児院の先生はどんな人間なのか想像しながら眠った。
 一方でジャックは、孤児院の先生に会うのは不味いと思った。彼は少し頭が良かった。ナシューには度を越して過保護な両親が居る。ほぼ確実に己とナシューが居なくなっている事がバレたら、先ず己が居た孤児院に連絡すると思った。
 ジャックを育ててくれたハロウズ孤児院は西洋宗教の教えを忠実に全うする立派な孤児院で、子供達にとって非常に暮らしやすい極楽のような場所だった。故に己を拾って育ててくれた先生達に迷惑を掛けたく無かった。
 ナシューに申し訳とも思ったが、別の作戦を練った。追跡相手……ナシューの親で特に父親は役職持ちの警察官という非常に厄介な存在なので、彼の管轄外である遠く離れた町にある孤児院に行こうと思っていた。

 ジャック・ハロウズがナスィル・カスタバラクと出会って3日目。この日、家の近くにある町の警察署に勤めている警部補タラル・カスタバラクは仕事が休みだった。
 タラルは非番の時には昼まで寝ているが、今日は珍しく朝早くから起きてダイニングに居た。丸々としたオレンジが小山のように乗っている籠が中央に置かれているテーブルで、ブラックコーヒーを飲んで新聞を読みながら、向かいに座っている妻のビアンカと雑談をしている。
 ビアンカは時々視線を感じて、リビングでクレヨンを使ったお絵描きをして遊んでいるジャックの方に顔を向けた。ジャックは此処でも、数分間だけ働いた前職の”忍者”で手に入れたスキルを使う。
 元情熱の国の忍者は見事なアモーレ(愛)の力で、ビアンカの監視を擦り抜けていた。アモーレは全てを容易にする、強大かつ偉大な力である。無論、東の島国にいるらしい本物の忍者は、アモーレという謎の力は微塵も持っていない。
 真の忍びは大いに苦笑する、謎の能力を勝手に追加して使うだけ使っている自由と情熱の国の小さな元忍者は、クレヨンで国際警察官になった将来の己と、赤く塗られた手錠と犯罪者達の絵を描きながら、リビングで話し合っている義父母の言葉に耳を傾けた。タラルとビアンカは旅行の話をしていた。ーー近い内に”ナスィルを除いて”家族旅行に行く予定を立てているようだった。ーー
 ジャックは、旅行についても昨晩ナスィルからトランプゲームをしている時に雑談の中で話を聞いていた。カスタバラク家は1人息子を延々と屋根裏部屋に幽閉しているが、何故か年に3回のペースで2泊3日の旅行に行くらしい。親が養子を迎えている事について、ナスィルはジャックに会うまで養子の存在自体を全く知らなかった。
 ジャックは孤児院に居た時に、お別れの晩餐会で大好きな海老料理とコーンとホウレンソウのバター炒めとスパニッシュオムレツを一杯食べさせてくれた先生達から既に忠告を受けていた。
(ジャック。何となくだけど、あの里親達は怪しい。充分に気を付けなさい。何かあれば直ぐに帰ってきなさい)

 ハロウズ孤児院は、真面な人間達が経営している施設だった。先生達からも危険を感じた際は帰還しても良いと許可を得ていた。だがジャックは、そんな心優しい先生達を、己がこれからする危険に巻き込みたく無かった。
 事実、カスタバラク家の旅行は幽閉している溺愛の1人息子をより”洗脳”する手段の1つだった。実際に旅行はするが、旅行中に養子を2人の何方かが殺害する。そして”影武者”がエゴイストの人間に誘拐された事にする。”脱走して行方不明になった”と役所に毎度届けるが、実の息子に万一旅行の意味を尋ねられた時には養子の存在を知らせると共に、”養子が頻繁に誘拐される”と伝える事で、日頃から教えている『家の外にはお前を狙っているエゴイストがウジャウジャいる』という洗脳に、より拍車を掛けていた。
 タラルとビアンカはこれまでに14人、養子にした子供を殺害していた。此の国が保証している”自由”によって警察官であっても重犯罪を1度するのは許される。だがタラル・カスタバラクとビアンカ・カスタバラクは、2人合わせても12回も罪として扱う事出来る重い犯罪をしていた。
 実際は、2人を死刑に出来る裁判所に立たせる為に逮捕するどころか、2人が幾ら子供を殺しても捜査すら一切されなかった。タラルが役職付きの警察官という職権を利用して、事件を全て”1度目の罪を犯した人間による誘拐”に隠蔽工作していたからだった。

 大人達は、2週間後に予定している”影武者殺し”旅行の場所と準備について話し合っていた。一方で子供達も、お互いに脱走の準備をした。
 ジャックは昼寝をいつも以上に長くした。おやつに出てきたオレンジピール入りの手作りクッキーを1枚だけ食べて、残りは非常食としてハンカチに包んでパーカーのカンガルーポケットに隠した。
 ジャックは孤児院の先生達からお手伝いをするとお小遣いを見返りに貰っていたので、世界通貨『エード』を使っている祖国の100エード銀貨を10枚ほど、小さな子供用の財布に入れて持っている。ジャックは人間だったので、己が持っているお金を素材として使って、脅威から脱したり何かを倒そうとは微塵も考えなかった。
 一方で、ナスィルはお金という物の存在を、この時には未だ知らなかった。使う機会が全く無いので、親からお金を貰う事も、お金を見る事も無いまま毎日を過ごしていた。
 お金は一銭も持っていないし知らないが、代わりに知っていて頻繁に浴びていたのは、軍人になりたかった父の頭の中で延々と降っている、未練という凍える程に冷たい雪が時折強い風に乗って起こる吹雪だった。物であれば強請ると何でも買って貰えるが、強請ってもいないのに父は己の部屋にある玩具箱に、本物の銃火器を大量に隠し入れていた。
 己が間違えて撃って事故を起こさないように細工がされていたが、細工は非常に甘くて弾倉が抜かれている程度であり、撃とうと思えば撃てる状態の物ばかりだった。己の玩具箱の中に変なモノを時々入れてくるので、毎晩会いに来る時は窒息しないように酔っ払っている事が多い父に、母が居ない時に尋ねた事があった。だが何時も『子供だから知らなくて良い』と、はぐらかされた。
 父は酔っ払っていると、今関わっている警察官の仕事は上辺だけの話題にして、残りは憧れだった軍人の話しかしない。父は軍人の話をすると、頭の中で降る未練の雪に汚染される。雪は麻薬のように依存する未練を延々と溶け出し続け、父を軍人という決して叶わない夢から醒まそうとしなかった。
 雪という存在も絵本でしか知らないナスィルにとって、そんな父の姿は余りにも情け無く見えた。父は今この場で人間達に求められている己の今持つ能力を最大限発揮して生きていない。踏めない道の土の感触を想像しても口に出してみても全く意味が無い事に、警察官という別の道に歩いていく方向を変えて何年経っても、未だ気付かない。
 軍人じゃ無くても、何なら警察じゃ無くてもナスィルにとって父のタラルはタラルという唯一無二の存在だった。経歴や職業という”不自由”まで咎のように背負って生きなければならない大人は極めて、極めて可哀想だと、かつてのタラルやジャックのようなキラキラ輝いて魅ている間は幸せに生きられる糧になる将来の夢を全く抱いた事が無いナスィルは、夢というモノは寝てる間に見る幻以外は一切不要だと、この時は常に思っていた。
 現実だけしか全く見なかった少年は、そんな哀れな父の夢が詰まったガラクタ達に1つだけ好きだと思うモノがあった。光の当たり具合によって薄い綺麗な若葉色に染まる、プラチナ製の拳銃。リボルバー式で、銃身が長くサインが描ける程の大きさもあった。
 そのお気に入りの拳銃を、パジャマしか持っていない己の服のポケットの中に入れた。弾は1発も撃てないが、御守りとして持っていく事にした。
 ジャックに1度も勝てない、あの擬似戦争ボードゲームも。脇に挟んで持っていく事にした。

14

 ジャックがナスィルに出会った時間は、午前0時5分だった。日が経ってしまっていたのはジャックが扉の前に付いている大量の南京錠を外すのに手間取って、30分以上作業をしていたからだった。
 ザッと計算すると事実は4日間、2人は一緒に居た。だが人間が時の流れを把握する為に作っている時間を示す数字を当て嵌めると、未だ72時間、4320分、259200秒未満だったので”2日”しか、この時は未だお互い認識した状態で一緒に居なかった。

 正式な”3日目”になったその日の深夜、午前1時にジャックはナスィルを迎えにやってきた。鍵束をもう1つ持ってきている。リビングの棚の中に置いていた、玄関用の南京錠を外す鍵達も一緒に持ってきていた。
 準備を整えたジャックは、準備を整えていたナスィルに部屋から出るよう促す。ベッドの布団の中に玩具では無く父親の銃火器を入れるだけ入れてカモフラージュもしておいたナスィルは、笑顔で伸ばされた友の手を、微笑しながら掴んだ。
 ナスィル・カスタバラクは子供の頃から、明らかな表情で滅多に笑わない。過度に笑う事すら一切不要だと思って生きてきた。遠い未来で出会う狼の亜人は笑い方を根本的に知らなかったが、人間の彼は”笑う”という表現を、狼の亜人が『面倒臭いから』という理由で殆どしない”会話”と同じように、ジャックと出会うまでは思っていた。
 必要になれば”せざるを得ない”が、普段はしない。ジャックに出会って以降も、彼ともう1人にしか冷笑と嘲笑以外で笑った顔を見せる事は、滅多に無かった。
 ナスィルを屋根裏部屋から出して、ジャックは扉を閉めてから南京錠を全て施錠する。ジャックに誘導されて、ナスィルはボードゲームを持った状態で足音を立てずにゆっくりと1階まで降りた。
 ジャックは音を一切立てない見事な忍び足を披露した。ナスィルは彼が己と初めて会う直前、数分間だけエセ忍者を勤めていた事を知らない。
 ナスィルの両親も、異変に気付かないまま2人共に2階の寝室で眠っていた。玄関まで辿り着くと、ジャックはナスィルと手分けしながら数十個もある南京錠を全て外す。外し終わると、ナスィルをその場に置いてリビングに行った。
 棚の中に2つの鍵束を戻す。ジャックは再び玄関に戻ると、鍵が付いていた鎖を取っ手から途中まで引き抜いて、南京錠をワザと全て施錠した。
 小さな子供が潜れる長さを作り、扉に付いているサムターン式の鍵を摘んで捻り開けてから、チェーン付きの扉をゆっくりと開ける。未だ外は真っ暗だったが、ナスィルは産まれて初めて、家の外の世界を扉越しに見た。
 初めに感じたのは、乾いている祖国の暑い夏の風と、少し生臭い草花の香り。扉の隙間を通って家の外に出たナスィルは、手伝いながら扉から出てきたジャックに手を掴まれて、牢獄のようだった己の家から走って離れて行った。
 ジャックは懐中時計の側面に付いている小さなフラッシュライトの光を頼りに、闇に覆われた森のような道を友達を引っ張りながら走っていく。
 暫く2人で走っていると、家が建っている小さな森を抜けて、町の入り口に辿り着いた。
 ナスィルは産まれて初めて見る町の店の看板達から出ているネオンの光を、絵本に描かれた妖精達が出す、人間の頭を少し変にする光のようだと思った。町に入ってから、運動不足で体力が無いナスィルは疲れて身動きが取れなくなる。
「ナシュー。もっと運動しなきゃね」
 ケラケラ笑いながら、ジャックは友達と物陰に隠れて休憩した。持ってきていたビアンカの手作りクッキーを一緒に食べる。非常食を早々に食べ切ってから、2人共にウトウトして、その場で少し寝てしまった。
 自由だった。実に自由な時間を過ごした。ナスィルは産まれて初めて、真の”自由”を手に入れた。短時間の睡眠から目覚めると、彼はふと空を見上げる。
 太陽が、未だ星粒が残っている空を赤と黄色に染めながら照っていた。時刻は早朝で朝焼けは未だ薄暗かったが、ナスィルは産まれて初めて見た本物の太陽の光を、凄く眩しいと思った。