Bounty Dog 【14Days】 37-38

37

 アスファルトの道路は程なくして途切れた。『行き止まり』と人間が使う世界共通語で書かれている縦看板を横切って、影は浅い崖を滑り降り、小さな森の中に入る。木々の間を駆け抜けてなだらかな丘を走り登っていくヒュウラは、腰を落として前のめりになった姿勢で、両手を後ろに伸ばして獣のような速さで疾走する。
 顔に表情は何も浮かんでいない。黙々と走り続ける亜人の青年が付けている首輪から、デルタ・コルクラートの声が聞こえてきた。
『幸か、不幸か』
 独り言を呟いてから、デルタは話し掛けてくる。
『ヒュウラ、見せた地図は覚えてるか?情報を頼りにターゲットが居る、おおよその場所を特定している。案内するから、俺に従ってくれ』
 ヒュウラは返事をしない。暫くの沈黙。背負っている巨斧の刃が、舞い飛んでくる草葉を触れる度に切断する。丘は急斜の道になってから、左右が崖になった狭い道に変わる。速度を落とさず風のように音無く疾走するヒュウラは、眉一つ動かさずに前方を見つめていた。
 首輪から聞こえるデルタの声が、指示を始める。
『今、F47地点。其処からF60まで直進しろ。多分大きな木が崖の手前に生えている。其処までだ、其処の手前で左に曲がれ』
 ヒュウラは無言で前を見つめる。小さく見えていた木の影が大きくなり、木の奥には数十メートルの底の深い崖、木の手前で道が90度開いて二手に分かれている。
 崖の先に、片足が乗せられる程度の幅をした背の高い岩が2つ距離をおいて並び、その先の向かい側に丘が広がっている。ヒュウラは速度を落とさずに木に急接近すると、
 幹を片手で掴んで押し退けるように回り込み、崖の淵から跳ね飛んだ。
 飛び上がったヒュウラは岩の柱を踏み台にして、更に跳ね飛ぶ。2つ目の岩には片足のみを乗せて跳躍すると、難なく向かい側に着地して駆け出した。
 首輪から発せられるデルタの声に、やや冷静さが失われる。
『曲がれと言った。随分とショートカットしたな。だが危険だから飛ぶのは止めてくれ』
 前方に再び、崖が現れる。向こう岸までに途中の岩は1つだけ。崖下には川が流れている。流れは異様に早く、落ちれば命が危うい。
 ヒュウラは躊躇なく飛び跳ねる。岩を踏み台にして軽やかにアクロバットな移動をすると、デルタの声に怒りが篭った。
『止めろと言った。言う事を聞けヒュウラ。返事もしろ』
「御意」
 ヒュウラは時代劇みたいな独特の返事をする。
 更に崖が現れたので平然と飛び越えた超希少種に、保護官の声から優しさが消える。憤りを押し殺しているデルタの声は、震えていた。
『もう良い加減にしろよ。次飛んだら怒るぞ、F104から左に曲がって一旦道を出ろ。其処から』
 ヒュウラは無視して崖を飛ぶ。岩の踏み台を勢いよく跳ね飛び、割り崩して空高く跳躍したヒュウラは顔を下に向けると、
 地上に広がる原っぱの真ん中で、驚愕したように天を仰いでいる青年と、目が合った。

38

 小さな灰色の目を飛び出しそうな程に広げている青年は10代後半の見た目で、絹のように艶やかな白い髪を首元まで伸ばしており、白シャツに紺色のマウンテンパーカー、黒い長ズボンと茶色のスニーカーを履いている。どの服も古着だと分かる程に草臥れており、同様に使い古された鳶色のキャスケット帽子を被った頭は面長で、捲れた袖から覗く黄色い肌の腕には、白い艶やかな短い毛が生えていた。
 原っぱの中央で跪いている青年を大きく飛び越えて、ヒュウラは原っぱに両足で着地する。目で追いかけてきた青年は突然現れた人物に警戒するように身を強張らせていたが、暫くすると視線を逸らし、横にある、草を抜き取って土が露出している地面の上に作られた小さな焚き火に注目した。
 組んだ枝が赤々と燃える焚き火の上に乗っている錆びた鍋の中で、雑草と小動物らしき肉のぶつ切りと数種類の木の実が水に浸されて煮込まれている。青年は手に持っている長方形の紙箱から四角い茶色の物体を取り出して鍋に割り入れると、独特の香辛料の匂いが辺りに漂い始めた。
 ヒュウラは無表情で鼻を指で摘む。
 青年が指に料理の汁を付けて味見する。暫くしてから鍋に蓋を被せて焚き火を消すと、再びヒュウラに目を合わせた。眉間に少し、皺が寄っている。
 袖を捲って手の生えた腕を隠すと、青年は大声で話し掛けてきた。
「あんたが誰だか知らないけど!おれの飯はやらないぞ!!用はおれが飯食ってからにしろ!!何かコレと合う美味い食い物を持ってたら、分けてやっても良いけどさ!!」
「見付けた」
 一言だけ発したヒュウラに、青年は不思議そうに首を傾ける。原っぱが暫しの沈黙に包まれると、首輪から発せられたデルタの声が静寂を打ち消した。

『ターゲットだな。ヒュウラ、渡している麻酔針を使え。首に横から刺せば一撃で眠らせられるだろう』
 ヒュウラは腰に巻いたの赤い布に覆われているポケットの中から太い注射針を取り出す。透明な液体が入った打撃で刺す保護具を右手に握ると、仏頂面のまま青年を見つめる。
 青年は眉間に深い皺を寄せる。徐々に後退りを始めた希少種『絹鼬族』の亜人がヒュウラの金と赤の目を睨み返すと、
 デルタが首輪を伝って、指示をした。
『保護をしろ』
「御意」
 返事をして、ヒュウラは駆け出す。
 驚愕した青年は、くるりと背を向けて一目散に逃げ出す。鍋の料理を置き去りにして原っぱで開始された鬼ごっこは、鬼の足の速さが優勢で、徐々に獲物との距離を近付けていく。
 青年は走る向きを急に変えて、左折してから森の中に侵入する。不規則に生える太い木々が進行を邪魔する空間に入り込んだヒュウラは、足を止めて離れていく保護対象の背を一瞥すると、
 注射針を口に咥えて背負っていた巨大斧を両手で掴み、大股で斧を力の限り横に振った。
 木の幹が次々と斬り飛んで切り株と木材に変化する。瞬殺した植物を跨いで再び走り出したヒュウラは斧で次々と自然の障害物を斬り殺しては屍を飛び越えていく。
 首だけ振り返ってきた青年は、血の気が引いた青白い顔をしていた。
(マジかよ。あいつ狩人なの?)
『斬るな、保護だ、ヒュウラ。針を首に刺すだけで良い』
「御意」
(木も頼むから喪失”ロスト”させないでくれ。8班に目の敵にされる)遥か遠くの道路で、手錠で拘束した番人の男に椅子のように乗りながら、通信機の画面で状況を見ていたデルタは冷笑する。
 独特だが返事をするようになったヒュウラは左手に注射針を持ち、右手で斧を振り上げて絶滅危惧種を追いかける。追いかけられる絶滅危惧種の青年は運動の汗に混じって噴き出る冷や汗で全身を濡らし、森から飛び出して原っぱを走りながら考えた。
 何故、謎の男と突然に鬼ごっこをさせられているのか。その理由について。
(あいつは何者なんだ?何でおれを追いかけてくるんだ?何か姿が見えない人間っぽい男と喋ってたみたいだけど、あいつも人間?いや、目が……人間と全然違う。おれと同じ亜人だ。
 だけど何で追いかけてくるの?男の声が『保護』とか言ってたけど……噂は聞いた事あるぞ。人間が作った、おれ達亜人を保護する組織。……だとすると、あの見た事ねえあの亜人は)
 全力疾走しながら後ろに振り返ると、金と赤の不思議な目をした茶髪の男が、無表情で斧を振り上げたまま迫ってくる。何を考えているのか一切不明のロボットみたいな顔に、青年の心の中が恐怖に溢れる。日の光に照らされて斧の刃が煌めくと、刃先に付いている血のような赤黒い錆が見えた。
 青年は前方に向き直り、確信した。
 ーー分かったぞ。そう、あいつは。ーー
(人間が送り込んだ最凶生物『外来種』!!)
 恐ろしい存在でしか無い、人のような姿をした化け物が、訳が分からない程にデカい斧を掴んで追ってくる。希少種の青年は悟った。ーーどうやら人間がしたいのは、おれの保護ではない。口では保護と言いながら、あの外来種を解き放って、おれを虐殺するのが狙いだ!!ーー
(エゴの極み。やられてたまるか、やられてたまるか!!)
 まごう事なき勘違いをして希少種の青年は意を決し、両腕を垂直に曲げて大きく振る。上半身の動きに勢いを付けると、下半身が連動して走る速度が倍増した。

 通信機越しに状況を見守っているデルタは、機械の側面に並んだ小さなボタンの1番下のものを指で押す。ヒュウラの首輪に内蔵している小型カメラで保護対象の亜人の背中を確認すると、全力で逃亡する相手の運動神経に関心した。
『あいつ、物凄いスピードで走ってるな。あの種はあんなに俊敏だったろうか?ヒュウラ、追いかけて捕まえろ』
「御意」
 斧を背負い、ヒュウラは走る速度を上げる。

 高速で疾走する2つの影が、原っぱを直進する。背の低い草花が踏み潰されて細い即席の獣道が作られていく中、限界を突破した速度で走る鼬の青年の頭からキャスケット帽子が脱げる。首を傾けて帽子をかわそうとしたヒュウラの首輪のアンテナに帽子が引っかかると、その場で暫く耐えてから遥か後方へ飛び落ちる。
 平地での追いかけっこは途中まで青年が優勢だったが、地形が垂直になった時に、ごく普通の足をした丘陵育ちと、超的脚力持ちの山岳育ちでの能力の差が明白になる。崖が見えてくるなり低速し、恐る恐る足場を探してゆっくり崖を降り始めた青年に対して、ヒュウラは速度を落とさずに崖を飛び越えると、
 振り返って青年を見下ろし、対岸の崖の縁を足で踏み割った。
 巨大な土の塊が頭上から落ちてくる。青年は大きな深めの窪みを見つけて中に飛び込み、帽子を無くして跳ね癖のある白い髪が露わになっている頭部を両手で抑えると、土が目の前で落ちていき、地面にぶつかって崩れ散った。
 デルタは首輪越しに叱咤する。
『潰すな、ヒュウラ。傷付けずに保護をするんだ、言う事を聞け』
「御意」
 返事をしたヒュウラは、指示を無視して更に土を蹴り割り落とす。容赦の無い攻撃を何度もしている内に崖が斜めに削れていき、窪みの真上に立つ格好になったヒュウラは、腰を下ろして極太の注射器を下に振り下げると、青年の鼻から数センチ手前の位置で止めた。
 恐怖に顔が青ざめている保護対象の眼前で、ブンブン何度も注射器を振り上げては振り下ろす。が、寸前の所で届かない。注射器が青年の視界から消えて暫く経つと、茶色い手袋をはめた両手が伸びてきて、青年の草臥れた上着を乱暴に掴んだ。
 無理矢理、手で引っ張ろうとするヒュウラに、青年は抵抗しながら大声で抗議する。
「ちょー!タンマ!タンマタンマ待ってくれ!!あんた亜人だよな?目を見たら分かる。突然何だよ?!何の恨みがあるんだよ!!」
 返事も反応もせず、ヒュウラは青年を窪みから崖の上に引き上げた。

 荒息を吐きながら地面に伏せている青年の背後で、仁王立ちをするヒュウラは無表情で青年を見下ろしている。青年が被りを振ってから立ち上がり、振り向いてヒュウラに睨み目を向けると、
 首に向かって振られた注射器を掴み防いで、再び抗議した。
「だからタンマだっつーの!てか、おれに一体何の恨みがあるんだよ!人間に命令されてるの?おれを殺せと!?」
「保護だ」
 ヒュウラは無表情で首を横に振って答える。眉間に皺を寄せた青年は、更に質問をした。
「保護?やっぱりあんた、亜人の保護をしてるって噂の人間達を手伝ってるの?おれは別に『助けて』って誰にも頼んでないぞ。あんたは分かるよな?」
 ヒュウラは暫し沈黙してから、無表情で答える。
「俺も無い」
「だったら、じゃあ何で手を貸してるんだよ?寧ろ逃げろよ、手を貸す理由は何なんだ?」
 眉を潜めた困惑顔を見せる青年は、注射器を持ったヒュウラの右手から自身の手を離す。お互いが向き合った状態で静寂に暫く身を任せていると、
 ヒュウラは表情の無い顔で、答えた。
「何となく」
「は?変わってるなあ、あんた」
 呆気に取られている青年から目を離し、ヒュウラは手に掴んでいる注射器を凝視する。透明な麻酔液入りの打撃式の保護用道具は、波のようにガラスの中で液体が揺れ動くと、直ぐに腰のポケットに仕舞われた。