Bounty Dog 【14Days】 93-94

93

「ヒュウラ、駄目よね。それだけは絶対に駄目。だけど……だけど」
 支部の自室に居るミト・ラグナル保護官は、額に巻いているパイロット用のゴーグルを外す。ゴーグルの下に巻いていた青いバンダナも外すと、カーキ色の迷彩服の上に着ていた鎧も脱いだ。サブマシンガンを壁に立て掛けているヒュウラの巨斧の横に置くと、リモコンを掴んでテレビを消す。
 スナック菓子の袋が其処彼処に散らばっている汚れた部屋の中央に、胡座を掻いて座っていたヒュウラが顔を向けてきた。見ていたテレビを突然消されて、金と赤の不思議な目が若干釣り上がっている。
 ミトは眉を寄せながらベッドの上のスナック菓子を掴んでは床に放り投げる。掴んで、放り投げる。全く反応しない雄の亜人が仏頂面で見つめてくる中、ミトのベッドの上から袋菓子が全て消えた。
 ミトは深く深く深呼吸をしてから、靴を脱ぎ、身を更に軽くしてから、何時でも相手に飛び掛かれる体勢になった。
(もしかしたら、もしかしたら駄目じゃないのかも知れない)
 心の中で思う。目の前の絶滅危惧種である、種の数が少ない雄の亜人の顔を見てから、組まれている足を見て、
 抱えられている日本酒の一升瓶を凝視した。
 『櫻國・妖殺し(淡麗・辛口)』と角々した独自文字でラベルに書かれている、東の島国で作られている独自酒を、ミトはヒュウラに飛び掛かって強引に奪い取る。土産を1つ喪失(ロスト)して、狼の亜人は目を見開いた。不思議そうに首を傾けてきた亜人に、人間の保護官は怒り顔をしながら言った。
「やっぱりどう考えても絶対に駄目でしかないわよ、リーダーのお酒を勝手に持って行くのは。ついでに私のフェイスパウダーも盗んだでしょ?返して。アレ、隣の国のデパートで争奪戦に勝って手に入れた限定品なの」
 ヒュウラの目の感情が無になった。全ての顔のパーツが無になると、口だけを動かしてミトに訊いた。
「闘いか?」
 ミトは即答した。
「ええ、余りにも激しい闘いだったわ。デパコス争奪戦。それは人間の女達の欲望と金の力が渦巻く戦争であり、これ以上無いほど戦利品が素晴らしい祭りでもある」
「祭り」
 ヒュウラが即座に反応する。考え込むような動作をすると、口だけを動かして再びミトに訊ねた。
「神輿でお前は狂ったのか?」
 ヒュウラは突然、真横から襲われた。
 リングに押し倒されるなり、背中から抱えられて床の上をゴロゴロ転がされる。下敷きになったスナック菓子の袋達の中身がバリバリ音を出しながら潰れて粉々になると、猫の亜人が横回転しながら機嫌良く鳴き声を上げた。
「ニャー。ニャオー、ニャオーン。ニャー」
 戯れ付く猫に狼は延々と振り回される。リングは揺り籠のように仰向けになってヒュウラと一緒に左右に揺れると、鳴き声を上げながら床をまたゴロゴロ転がる。
「ニャー。ニャニャーオ、ニャオーン。ヒュウラ、迎え、来ない。別れ、前、ニャーと遊ぶ。此処、地面、スベスベ。転がる、楽しいニャ」
 リングは床を愛している。
 ミトは潰されたスナック菓子を回収すると、猫女に向かって言った。
「あーあ、目を回しちゃう。リンちゃん、止めて頂戴。施設に連れて行くまで、ヒュウラを絶対怪我させたく無いの」
 リングはミトに背中を向けて静止すると、首だけを180度回して振り向いてきた。首をへし折られた死体に見える不気味な恰好になりながら、橙色の愛嬌のある目を釣り上げて、一声鳴いてから反論してくる。
「ニャー。ミト、お前、寝床、片付けろニャー。ベタベタ、固い、食べ物いっぱい。危ない、汚い」
 ミトが即座に抗議する。
「駄目よ。私からお菓子を取るのは死活問題。お菓子は私の主食よ。私という魂を維持するのに最も大切な栄養素よ。だけど、だけどねえ」
 ミトは口を閉ざして強く結んだ。眉間に深い皺を掘ると、リングは半回転してヒュウラをミト側に向けてきた。
 ミトはゆっくりと口を開いて、泣きそうな声で呟く。
「本当は痩せたい。麗しきスリムボディになりたい」
「食うな」
 猫では無く狼が反応してきた。仏頂面で言い放たれた正論に、ミトは感情を激しく昂らせて言葉を返した。
「ヒュウラ、それは真実よ!もう言わないで!!」
 ヒュウラは反応しない。暫く部屋が静寂に包まれると、デブを気にするのにデブの素を食べる人間のエゴイスト女に正論を叩き付けてくる悪魔の亜人が、沈黙を破って言った。
「食う」
 最後の1文字を言って意味を真逆にする前に、ヒュウラは口に海苔付き煎餅を突っ込まれた。部下の自室に上がり込んできたデルタ・コルクラートが、破いた煎餅の包み紙を放り捨ててから剣幕顔で怒鳴ってきた。
「ヒュウラ!此処から今直ぐに逃げるぞ!!ソレをやるから絶対に動くな!!」
 返事も反応もする間を一切与えられず、ヒュウラはリングから引き剥がされた。デルタに片腕で抱き上げられる。デルタは踵を返してヒュウラを連れて早々にミトの部屋から出た。超希少種を拉致したままショットガンを背負って松葉杖を右足に巻き付けながら強引に走り出した班長に、部屋に取り残されたミトとリングは驚愕した。
 訳が分からず一声鳴いてから、友を奪われた事にブニャブニャ怒り始めた猫の隣で、ミトは震え出した自身の通信機をポケットから取り出す。応答すると、機械からデルタが怒鳴りながら命令してきた。
『ラグナル保護官、リング!君達も此の建物から今直ぐに出ろ!!』

94

 支部の入り口で、2人の保護官が銃を手に掴みながら門番をしていた。平和な丘の風を浴びて、眠気眼を肘で擦る。
 遠くから何かが焦げているような臭いが鼻を付いた。保護官の誰かが焼き菓子作りに失敗したのかと始めは思ったが、臭いはこれまで嗅いだ事が無い悪臭に変わった。
 片方の保護官が渋い顔をして鼻を摘むと、もう片方の保護官が、前方から歩いてくる人影らしきものに気付いた。
 影は、物心が付いて間が無い年頃の幼い子供だった。
 黒いダボダボのローブを着た子供は、フードを被っているので頭部がスッポリと覆われていた。上機嫌にクルクル回りながら歩いてくる。
 保護官達は怪訝な顔をして、突然の訪問者を迎える徐々に姿が明らかになると、子供は瞳孔の濁った赤い大きな目を此方に向けてきた。かと思えば、徐に天を仰ぎ出して、ブツブツと独り言を呟いている。
「此処の『原子』達は、凄く能天気。困ったなあ、お願い余り聞いてくれなさそう」
 首が正面を向いた。真顔の子供が被っているフードが膨らんで、縮む。膨らんで、縮む。血色の無い肌をした不気味な子供が保護官達の目の前まで近付いてくると、歩みを止めて、両手を後ろ手に組んで可愛らしくモジモジ上半身を動かしながら話し掛けてきた。
「ねーねー。ボク、其処に入りたい。入らせてー」
 保護官は子供を見つめながら、ポケットから通信機を取り出す。真顔で機械を操作してから耳に当てると、数回コール音を聞いてから相手に繋がった。
 班長のデルタに連絡する。
「リーダー、すいません突然。ご相談なのですが、今、支部の入り口で小さな子供が建物に入りたいと言ってきています。どうしましょう?」
 通信機から即座に怒鳴り声が返された。
『絶対に入れるな!!そいつはローグ!ローグは子供だ!!』
 保護官は機械を耳に当てたまま、黒ローブの子供の顔を凝視した。ニッコリと可愛らしく笑う中性的な子供に反応せず、隣の保護官に目線を向けた。隣の保護官が銃を構えて子供の眉間に銃口を向けると、通信をしている保護官がデルタに返事をした。
「了解しました。リーダー」
 銃を子供に向ける。黒ローブの子供は首を傾げた。音調の高い可愛い声で話し掛けてくる。
「うきゅ?駄目って事なの?乗り物に乗せてくれたおじさん達は、ボクに人間がいっぱい居る場所に連れて行くって言ったよ?此処でしょ?入っちゃ駄目なの?何で?」
 保護官達は返事も反応もしない。子供は不機嫌そうに怒り顔をしながら声を荒げた。
「ねー何で?何で言う事コロコロ変えるのー?ねーねー何で?!何でー?!」
 保護官達の構える銃が金属音を鳴り響かせた。引き金に指を掛けると、子供は納得した。
 赤い目を見開いて、歯が見えるくらい大口で言葉を発してくる。
「あー、ボク分かったー。はい、それボク知ってる。人間大得意のアレ」
 人差し指を伸ばす。高速で空気を叩きながら、子供は目の色を真紅に変えて不気味な笑い顔をした。
「はいはい!はいはい!!掌返しいいい!!」
 指が文字を書き、弾かれる。空気中に赤い光の粒が3つ現れると、空気が燃えて大爆発した。

 何かが爆発する音が、支部の入り口から聞こえた。約2万平方メートルの広い建物の通路を走っているデルタは、片腕でヒュウラを後ろ向きにして担ぎ上げ、背中に白銀のショットガンを背負って、もう片方の手で通信機を握って耳に当て、建物にいる部下の1人ひとりに脱出するよう指示を与えている。
 松葉杖を包帯で巻き付けて固定した右足を無理矢理動かしているせいで、深い切り傷を縫っている医療用の糸が切れた。傷が開いて包帯に大量の血が滲み出す。激痛に襲われながらも、溢れ出るアドレナリンの方がデルタの頭の神経を支配していた。
 思ったような速度が出せないが、絶滅危惧種を連れて脱出口を目指して走る。右足の悲鳴が絶頂に達した。骨が折れたかと思う程に足がぐにゃりと曲がり、血が吹き出して激痛が走る。
 デルタは肘を突いて静止すると、両手で煎餅を掴んで齧っていたヒュウラの足が地面に付いた。苦しそうに顔を歪ませているデルタを、菓子を飲み込んでから仏頂面で眺める。
 デルタはヒュウラから手を離すと、血が滴り落ちる右足の包帯を強く縛り上げて松葉杖が落ちないようにした。ヒュウラを再び担ぎ上げようとして、
 手が肩の上の空気を掴んだ。
 身体が突然持ち上げられる。ヒュウラが背負ってくると、仏頂面をした絶滅危惧種が首を向けながら口を開いた。
「出るのか?」
 デルタは目を丸くしながら答えた。
「ああ、そうだ。すまない」
 ヒュウラはデルタを背負って走り出した。
 前方から黒い煙が吹き出てきた。血抜きをしていない肉が焦げる嫌な臭いを含んでいる。ヒュウラは煙を吸わないように呼吸を浅くして、入り口から外れていった。グルリと外枠を回るように通路を疾走する。
 非常用出入り口の方向を示す案内看板が、天井からぶら下がっている。看板に描かれた矢印の先に向かって走りながら、ヒュウラは顔を横に向けた。
 壁に付いた窓越しに、支部の入り口の様子が見えた。視線の先に小さく小さく、ローグの子供の姿が見えた。
 崩れて燃え上がる保護官の死体の前で、黒い大きな獣耳を生やした子供がゲラゲラ笑っている。ヒュウラは凶悪な亜人を無表情で観察すると、
 無表情のまま首を正面に向けて、非常口を目指した。
 デルタの右足から血が滴り落ちていた。床に点々と落ちる血痕に、ヒュウラの興味はローグよりも注がれる。脂汗を流しながら俯いているデルタに、ヒュウラは背後から正面に顔を向けて背負っている相手に話し掛けた。
「デルタ。あいつ」
 デルタは返事しない。だが狼の話は聞いていた。誰の事を言っているのかも、瞬時に察した。
 無表情のまま、ヒュウラは足と口だけを動かして言った。
「飼うなと言った」
 デルタは恩人である魚の亜人の遺志を理解した。眼鏡を目から外して手に掴み持ち、ヒュウラの肩に顔を埋めた。
「そうか」
 一言だけ呟く。ヒュウラの胸を覆う白銀の鎧に、細い塩水の滝が流れ落ちた。