Bounty Dog 【14Days】 95

95

 ミト・ラグナルとリングは、支部から少し離れた丘の上まで避難していた。周囲に支部から逃げてきた他の保護官達が固まって立っている。
 皆が崖の下に見える支部を心配そうに眺めている。建物の一部が爆発した。窓が割れて炎と黒煙が噴き出る。
 ミトは目を見開きながら、たった1体の亜人に破壊されていく己の職場を凝視していた。隣で身を伏せて同じものを見ているリングは、一声鳴いてから呑気に呟く。
「ニャー。皆んなの住処、爆発、してる。ニャー」
(住処では無くて職場兼宿舎だけど……まあ良いや。ヒュウラとリーダーも無事で良かった)
 ミトが心の中で反応すると、支部の違う場所が爆発した。ミトは建物から目を逸らして、背後に座っているデルタ・コルクラートとヒュウラを見る。上司のデルタは三角座りをして顔を身体に埋めるように伏せていた。小刻みに震えているので、表情は見えないが泣いている事がミトにも分かった。
 ヒュウラは、デルタの傍で片膝を付いて座っていた。ミトからは完全に背を向けていて後頭部しか見えない。耳の上にうっすらと金属の棒が乗っているように見えたが、ミトの意識は瞬時に再び上司に向いた。
 右足が血塗れで悲惨な事になっていた。それでも生きて脱出してくれて、ミトは心の底から嬉しかった。

 ヒュウラは瞼を閉じていた。デルタの眼鏡を奪って自分の目に掛けている。度が入ったレンズのせいで目が開けられないので、ヒュウラは眼鏡を外した。両手に持って繁々と観察すると、目に掛けて、目がクラクラして、直ぐに外して、リングが持ってきた自分の荷物を置いている場所に行く。
「ヒュウラ、俺の眼鏡を返せ」
 座り込んで俯いたままのデルタが啜り泣きながら言ってきた。ミトも片眉を上げて此方を見つめてくるが、全てを無視してヒュウラは無表情のまま唐草模様の風呂敷を広げる。デルタの眼鏡を荷物に加えると、
 風呂敷を包もうとして、手を止める。暫く静止すると、口だけを動かして呟いた。
「リモコン」

 ローグの子供は、ミトの部屋を物色していた。溢れる程散らばっている菓子袋の1つを開封して、菓子を頬張っている。
 チーズ味のスナック菓子を鼠のように前歯で細かく齧り食う。徐に食事の動きを止めると、子供は首を傾げて独り言を呟いた。
「うきゅ?ちーずのような、ちーずじゃないような。不思議な味がする。ボソボソするけど、結構美味しい」
 あっという間に菓子を全部平らげる。アルミフィルム加工が施された空の袋を放り捨てると、小さな手を伸ばして新たな菓子袋を掴んだ。
 海苔付きの醤油煎餅が沢山入ったビニール袋を開封して、煎餅を一枚握って口に入れる。前歯で噛もうとして直ぐに動きを止めた。顔を顰めて黒い大きな獣耳を上下に振る。煎餅を口から離して、悲鳴のような声を出しながら呟いた。
「うきゅうう。コレ固過ぎー。歯が痛いよう、しょっぱいし。もう食べなくて良いや。えーい、ぽーい」
 ローグは煎餅を袋ごと捨てる。煎餅袋は中身を数枚放出しながら、床に置かれているテレビのリモコンの上に乗った。

 ヒュウラは支部の通気口を潜っていた。匍匐前進で、狭い通路を少しずつ移動していく。
 膨れた腰のポケットの上に覆い巻かれている、赤い布が強く引っ張られた。ヒュウラは仏頂面で背後に振り向くと、追跡してきていたリングが一声鳴いてから声を掛けてきた。
「ヒュウラあ、何処、行くニャ?此処、爆発してる、危ない」
「リモコン」
 ヒュウラは口だけを動かして即答した。リングはもう一声鳴いてから更に話し掛ける。
「ニャー。リモコン、忘れたニャ?リモコン、ある、テレビ、無い。テレビ、此処いる。爆発するニャよ?」
 リングの指摘に、ヒュウラは暫く静止してから言葉を返した。
「テレビも持っていく」
「ニャー。大荷物ニャ。ニャー、手伝うね」
 ヒュウラは床に設置された換気口をズラす。四角い穴から支部の通路に降り立つと、リングを連れて照明が殆ど破壊された薄暗い道を歩き出した。

 『世界生物保護連合』3班・亜人課の支部は、保護対象の亜人に破壊されるという極上の皮肉を味わっていた。時々激しい爆発音と、衝撃波と煙と炎が巻き上がる。
 絶滅種兼大量殺人爆弾テロリストの攻撃は、未だ起こされていた。通路の天井に取り付けられている割れたLED灯が尖った硝子の破片を、其処を通るモノ全てを無差別に刺し切り殺そうと振り落としてくる。
 人工の氷柱を避けながら歩いていたヒュウラは、唐突に足を止める。腰のポケットを弄ると、ミトがデパートの一角で勃発した美を振りかざす欲と金の戦争に勝って手に入れた限定品のフェイスパウダーを取り出す。
 美しい上品な絵が描かれたガラス製の容器に指の圧力でヒビを入れてから、蓋を開けてパフと一緒に放り捨てる。穴が開いたシリコンカバーも引き抜いて、キラキラした美容成分入りの粉を通路に撒き散らした。元の持ち主に発狂という苦しみを与えない”見ていない所で密かに犯行する”という無意識の優しさを持って、22000エードの高級化粧品を唯の罠にした。
 化粧品の価値も意味も分からない雌の猫の亜人は一声鳴いて、キラキラした粉を足で満遍なく床に擦り込む。パンプスのような平べったい靴の裏に付いた粉をブンブン足を振って乱暴に落とすと、一声鳴いてからヒュウラに話し掛けた。
「ニャー。この粉、鼻、攻撃してくる。凄く臭い。靴、洗うニャ。リモコン取る、行く」
 ヒュウラは再び歩き出す。夜闇の中に居るような不気味な暗さに包まれた空間は、静寂では無かった。前振りも無く何かが突然爆発して轟音が響く。何度も何度も何かが爆発して、轟音が響く。
 一切の反応を示さず、ヒュウラは仏頂面のまま十字路をゆっくり直進する。同じ速度で友の後を付いて行くリングは、右手にある部屋の中に入ったヒュウラを追い掛けて入室した。
 『洗濯室』と人間の文字で書かれた案内板が扉に付いている部屋の中は、人間の衣服を洗濯する白い巨大な箱のような形の機械が横並びに置かれていた。花に人工の化学物質を混ぜた独特の臭いが、部屋の中の空気に溶け込んで充満している。
 ヒュウラは鼻を摘まんで洗濯機の1台の前に立つと、踵落としで機械を上から強引に踏み潰し壊した。鉄とプラスチックで出来た瓦礫と化した洗濯機だったモノの中から半濡れの衣類を引っ張り出していく。インスタントラーメンの袋のイラストが施されたダサいデザインのボクサーパンツを両手に掴んで繁々と観察してから、仏頂面のまま後ろ手に放り捨てる。白い大きな布に絡み付いている人間の衣類も引き剥がして全部捨てると、余計なモノが全て喪失(ロスト)した白い布を繁々と観察した。
 リングは、一声鳴いてヒュウラに話し掛ける。
「ニャー。ソレ、布。大きな布。ヒュウラ、ソレ、忘れ物?」
「違う」
 ヒュウラは口だけ動かして答えた。デルタに返していない草臥れ支給品シーツは、風呂敷から持ってきていない。半渇きの白いシーツを適当に丸めてポケットに突っ込むと、無表情のまま部屋を出て通路を歩き出した。
 暫く歩くと、ヒュウラはまた寄り道をした。
 扉の無い小さな部屋に入ると、部屋を一望する。保護した亜人を登録する際に使う撮影室は、白い壁の四面に大小の紙が貼られており、空間の端に小さなパイプの机と椅子が置かれている。
 机の上に一眼カメラと、その横に『S』『A』『B』『C』とそれぞれ書かれた4枚の木の板が積み重ねられて置かれている。登録処置がされていないリングは繁々と木の板を観察すると、ヒュウラは板の横に畳まれていた新聞を掴み上げて開いた。
 今日付の一般新聞に書かれている記事の殆どは、ローグが引き起こした連続爆弾テロ事件についてだった。不安を仰ぐ陰湿な見出しが並ぶ中、8面紙の7面の端に、小さなインタビュー記事が載っていた。
『シリーズ連載・未来を作る偉人達。第35回・北東大陸の天才教授に聞く”原子操作術”の魅力。古の亜人・ローグの技術再現に取り組む18歳好青年の宝物は”弟”』
 人間の字が余り読めないヒュウラは、仏頂面のまま新聞を丸めてポケットに追加する。部屋をもう一度眺めてから一言だけ呟いた。
「リモコン」
 リングが反応して、ヒュウラに言った。
「ニャー。リモコン、テレビ、取りに行く。ミト、汚い部屋、直ぐ先。行くニャー」
「御意」
 ヒュウラは無表情で返事すると、部屋の外へと歩き出す。扉の無い出入り口をくぐり抜けて通路に出ると、
 突然目の前に現れた人影に、突然攻撃された。

 ヒュウラは眉間に強烈な指弾きを受ける。痛いと感じるが、反応は一切しなかった。
 奇襲のデコピンをしてきたのは、目を真っ赤に充血させたデルタ・コルクラートだった。予備の銀縁眼鏡を掛けたデルタは、白銀のショットガンを掴みながら険しい顔を向けてくると、ヒュウラに追撃のデコピンを喰らわした。
 2回攻撃を受けて、ヒュウラの眉間に赤い腫れ瘤が出来る。デルタはヒュウラの背後でブニャブニャ鳴きながら怒り出したリングを見て、目だけで相手を怖気付かせると、恨み節を呟くように亜人達に話し掛けた。
「また勝手に居なくなったと思ったら案の定、通信機で追跡したら予想通りだった。ヒュウラ、リング。今直ぐに支部から出ろ。何の用事があろうと、今直ぐにだ」
 鬼の形相で睨んでくる人間の保護官に、リングは胸をドキドキさせながら一声鳴いて抗議する。
「ウニャー。デルタあ。ヒュウラ、忘れ物、見つけて無い。ニャー」
「デルタ。足」
 ヒュウラは口だけを動かして呟いた。仁王立ちをしているデルタの右足は、吹き出した血に包帯とズボンが塗め上がっており、松葉杖が巻き付けられた赤い棒のように見えた。
 デルタは大口を開けて、ヒュウラに言葉を返す。
「俺の足なんか、もげようが腐り落ちようがどうでも良くなった!ヒュウラ、此処に忘れた物も欲しい物も全部後で買って渡してやる!だから直ぐに此処から出ろ!!」
 ヒュウラはデルタの足から顔に視線を向けて、呟いた。
「あいつは何だ?」
 デルタは目を見開いた。ローグに勘付いていた狼の亜人に抱いた驚きの念を直ぐに隠してから、言葉を返す。
「あの子供の亜人が何であるかも、此処から出たら教えてやる。兎に角もう黙って、俺と一緒に此処から出ろ」
 リングが話に便乗してきた。
「ニャー。ニャーも見た。あのガキ、知らない。デルタ、あいつ、捕まえる?」
 デルタの目が険しくなった。怒鳴り声を出す。
「俺の話を聞いているのか!?アレを絶対に捕まえようとするな!!」
 リングが悲鳴のような鳴き声を上げて慄いた。ヒュウラの背に逃げると、デルタは構わず更に怒鳴る。
「アレは絶滅種で、爆弾魔の化け物だ!!丸腰に近い今の状態で、太刀打ちなんか出来る訳が無い!!」
 大きな爆発音が、直ぐ近くから聞こえてきた。ミトの自室がある方向からだった。大きな舌打ちをしたデルタは煙が流れてくる側の通路を一瞥してからヒュウラの後ろに回り込むと、背に張り付くリングごと押し始めた。
「お前達、早く行け!逃げるぞ!勘付かれてたまるか!!」
 デルタに押されながら通路を滑り歩いていくヒュウラとリングは、黒い煙の量が増えてくる進行と逆側の道を眺めた。煙の奥に、背の小さな子供の影が見えた。
 ゲラゲラ笑っている子供の声も聞こえてくる。頭部に乗る獣のような大きな耳を上下に振っている影を見ながら、リングは呑気に一声鳴いて呟いた。
「ニャー?あいつ、絶滅してる?あのクソガキ、死んでるニャ?」
「死んだのか」
 ヒュウラも呑気に呟いた。仏頂面で子供の影を凝視する。
 ローグの影の目が光った。七色に変わってから燃えるような深紅になった不気味な目を見て、虹彩が金、瞳孔が赤い不思議な目をした青年は呟いた。
「死んでいるなら、雑魚だ」

【14Days】続 96