Bounty Dog 【清稜風月】33-34

33

 勝手に屋根に登って走り去っていった狼の亜人を追い掛けて、道の角で人にぶつかってしまった睦月は盛大に転んだ。同じく相手も盛大に転ぶ。相手から高い音量で悲鳴が上がった。
 睦月も若干悲鳴を上げる。ヒュウラの視線を頭上から一瞬感じたが、傍迷惑な馬鹿犬はサッサと己を見捨てて、屋根伝いに何処かへ走り去って行ってしまった。

 化け狼に見捨てられた人間の青年は、愚痴を溢しながら身を起こそうとする。相手は先に身を起こしていた。中腰になって、手を差し伸べてきている。
 相手の姿を見て、睦月は目を限界まで見開きながら身構えた。敵として警戒したのでは無く、身分違いの相手に対して委縮していた。
 目の前で己を立たせようとしている人間は女で、己よりも遥かに若い。ヒュウラと同じ19歳の櫻國人の女は、香染(こうぞめ)色の艶やかな髪を日雨のように腰まで長く伸ばして先を真っ直ぐに揃えて切っているが、和紙を細長く折り畳んだような髪飾りを巻いて一つ結びにしている位置が高く、ポニーテールのようにしていた。
 もみあげの髪が内巻きにもなっておらず、耳の直ぐ下の位置で短く切っている。象牙色の短い袖が付いた上衣に燻んだ赤茶色の馬乗袴と白い足袋・雪下駄を履いており、肩から腰にかけて胸当ての代わりに斜め掛け式の和製鎧が付けられていた。
 女は右手に付けている茶色い弓がけと鎧、背負っている和弓の一式以外は民間の櫻國人と同じような格好をしている。だが睦月は栗色の大きな目をしている、やや童顔で薄化粧ながらも非常に美しく知的な雰囲気を纏った相手の顔を凝視しながら固まっていた。
 女は小さく溜息を吐いてから、屋根を一瞬見上げて、ヒュウラが居ない事を確認してから睦月の腕を無理矢理引っ張って身を起こさせた。睦月は立たされても、固まったままである。
 女に眼前で猫騙しをされると、漸く意識を取り戻した睦月は慌てふためきながら相手に謝罪した。
「わ!!め、めめ、面目無い!!ヒュウラが……あ、あの、御怪我はーー」
「アレはやはり妖(あやかし)か?此の国の妖は、清らかなる地に住もうとる虫の者しか私は存じぬが……」
 女は再び屋根を見上げた。睦月も見上げる。ヒュウラは完全に影も形も無くなっていた。
 同時に顔を下げた2人は、お互いを見つめ合う。睦月はやはり緊張していた。
 女が睦月に話し掛ける。
「此方こそ不注意故に、かたじけのう。其方(そなた)の名は?」
「睦月、睦月(むつき)・スミヨシ。マタギ……猟師です。あの……あなたの事は、大変御高名故に存じておりますのでーー」
 恐縮している睦月に、独特の喋り方をする謎の女は微笑み顔をした。相手を安心させるように言葉を返す。
「いえ。其方が私を知ろうが知るまいが、名乗らせたのなら此方も名乗り返すのが礼儀」
 女は笑みをしたまま、自己紹介した。
「私は甘夏(あまなつ)・カンバヤシと申す。睦月殿、私には”様”も”殿”も付けるで無い。特別扱いなぞせぬとも良い。
 私の一族の権力は、とうの昔に消えておる。民が力を合わせて生きておる此の国にはもう蘇る必要が無い、古(いにしえ)の象徴です」

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