Bounty Dog 【14Days】 108-111

108

 ヒュウラは俊足で通路を駆けた。空気を爆発させる鼠の亜人の威嚇を手掛かりにして、鼠を探す。追われているが、追いもしていた。足の速さを含む運動神経は、己の方が遥かに優っている。
 右手で掴んだ瓶の中の酒が振られて揺れた。左手が腰に巻いた赤い布からずり落ちそうになっている、柄だけになった巨斧を掴んで支える。ライダースーツのような黒い服のズボンに柄の尻を押し込んで無理矢理支えを増やすと、ポケットから新聞紙を取り出した。
 酒の蓋を開け、捻った新聞紙を瓶の口に突っ込む。紙に染み込んでいく酒が放つ強烈なアルコール臭が鼻を攻撃してくるが、更なる武器になるモノも目の前に現れた。
 ヒュウラは無表情のまま、難なく幅跳びでソレを飛び越える。振り返る事無く直進して直ぐに、探し物を視界に捉えた。
 脅威であり、獲物でもあるローグの子供を発見する。
 鼠の亜人は此方に背を向けて歩いていた。最上捕食者が持つ威圧的なオーラを纏いながら余裕綽々の態度で歩いている。雪のように真っ白い肌をした、細くて小さい裸足の足裏が床に付いては離れてを繰り返す。ペタペタ音を立てて歩きながら狼を探している鼠の背後から、狼は鼠に突進した。
 瞬く間に急接近して、飛び越える。進行方向に先回りして相手に姿を見せると、踵を返してローグの目の前で立ち止まった。

 第2戦の開幕に、ローグは歓喜した。探し物が眼前に現れて、待ち望んでいたプレゼントを受け取った人間の子供のように瞳をキラキラ輝かせる。
 目の色が様々な色に変わった。赤から真紅に、水色に、黄色に、黄緑に、灰色になってから赤に戻って、真紅になって固定される。空中に漂っている”己だけが”見える存在の数を心の中で数えると、鼠の亜人は狼の亜人に向かって歯を見せながら笑った。
 可愛らしい中性的な顔をした幼児は、大量殺人鬼の狂気染みた笑顔を張り付けながら暴力的な言葉を口から出す。
「見付けたー!次はさっさと壊すよ!!あははははははは!!」
 ヒュウラは返事しない。睨み目をした。だがローグの顔は見ていなかった。
 手元の酒を見て、通路の奥を見てから、動き出す。鼠を無視して脇を通り過ぎ、来た道を逆走し始めた。

109

 不可解な行動を取り始めた相手が何を思ってそうしたのか、ローグの子供は全く理解出来なかった。姿を見せてきたのに直ぐに離れていった狼の亜人の背中を眺めながら、不思議そうに首を傾げて口を尖らせる。
 狼は途中で立ち止まって、此方に振り向いてきた。虹彩が金、瞳孔が赤色の不思議な目に感情が篭っていない。機械人形のような不気味な目を見て、鼠は再び恐ろしさを感じた。恐れの念は直ぐに消える。
 狼の亜人が再び走り出した。己の視界から消えないよう、ワザと遅く走っているような気がした。が、鼠は相手の策略なぞ無意味だと思った。絶対的な自信による我慾(エゴ)で、鼠は狼を『弱者』と決め付けていた。
 鼠は、ペタペタ音を立てて歩き出しながら呟く。
「うきゅう。また逃げるの?逃げても無駄なんだけど。凄い無駄!無駄って馬鹿だけがするんだよ!!はい、あいつやっぱり馬鹿ー!!」
 笑い声を上げて走り出す。白い肌の何も履いていない足でダボダボに大きい黒いローブの裾を引き摺りながら、鼠は狼の追跡を開始した。
 ローグは甲高い声で延々と笑う。絶対的な自信を醜い笑顔と言葉で示し、無表情で眼前を走っていく獲物を狩る為に、人差し指を伸ばして追い掛ける。
 ローグは笑い続けた。己の種の足は亜人種の中でも『特に鈍足』であるのだと微塵も知らずに。眼前の存在が、己が思っている以上に手加減をして走っている事にも、勿論気付かずに。足が余りにも遅い鼠は走りながら笑い続けた。呼吸の仕方も下手糞で、走りながら笑うせいで息が苦しくなってくる。
 ヒュウラは何の反応もせずに、ローグを誘導する。通路の中程で大きく跳ね飛んだ。突然の走り幅跳びを見せられたローグも、反射的に同じ動作をした。だが鼠の亜人は足が亜人種の中で最も遅く、人間よりも遅い。
 飛距離もスピードも勿論足りなかった。床に直ぐ付いて、”ソレ”に足を滑らせて盛大に転んだ。

 ローグの子供は床に撒き散らかされていたミトのフェイスパウダーを全身に浴びて、キラキラした粉まみれになる。美容成分は未だ要らない幼児は呆気なく罠に引っ掛かると、隙だらけの起き方をしてから機嫌を損ねた。
「うきゅうう。何コレ?くさーい」
 高級化粧品の独特の匂いを、亜人は皆で嫌悪する。ローグは粉塗れになった髪と髪飾りを首を振って粉を落とし、ローブを掴んで大きく上下左右に振って粉を落とす。服にしつこくへばり付くキラキラの臭い粉を振り落とそうと、更に大きく激しく振ると、
 銀色に光る平たい円形の金属が3枚、ポケットから落ちた。
 カイ・ディスペルに貰った100エード硬貨を落とした事に勘付かず、鼠の亜人は粉と格闘を続ける。ヒュウラは鼠と粉の戦いを少し離れた場所から仏頂面で眺めていた。縦向きになってコロコロ床を転がりながら己に近付いてくる人間の道具に直ぐに勘付くと、足で踏み止めた3枚を全て手で掴んで、ポケットに入れた。
 友に貰った人間の金を盗まれた事に勘付いていない鼠に向かって、ヒュウラはゆっくり歩いていく。至近距離に達した所で足を大きく振り上げると、鼠の脳天から踵落としを放った。
 ローグは間一髪で、奇襲に気付いて回避した。床が踏み潰されて大穴が開く。超強撃即死キックに最凶の亜人も驚愕した。仏頂面のまま、ヒュウラは更に蹴りを放つ。
 ローグが慌てて避けると、足がぶつかった壁が砕け崩れた。駆け出したローグがヒュウラと十分に距離を取ると、キラキラした臭い粉が未だ微量に付いているダボダボの服の袖を捲って、両手の人差し指を伸ばした。
 目の色が真紅に変わる。高速で『炎の原子』を叩き、文字を書き、両の手の指で弾いた。ヒュウラの首輪の周りを包むように空気から赤く光る粒が複数現れると、『炎の原子』が爆発する前にヒュウラは俊足で跳ね飛んで回避した。
 衝撃波と熱気で、2種の亜人は再び吹き飛ぶ。
 壁に叩き付けられたローグが独特の鳴き声で悲鳴を上げた。鼠が起き上がってくる前にヒュウラは突進する。ローグに向かって右手に掴んでいる酒瓶を投げ付けようとして、
 袖の中で文字を書いている白い指を見て、手を止めた。
 敵から身を素早く離し、進行方向を直角に変える。己に対して右側に向かって走り出した亜人の青年に、ゆっくりと起き上がったローグは悔しさを覚えた。反撃を勘付かれて回避された鼠は口を尖らせて、ワザと速度を急激に落としながら走っていく狼の背中を見つめながら憤怒する。
「うぎゅううう!ボク、あいつ大嫌い!!さっさとあいつを壊して、此処も全部壊して次の所に行こう!!」
 指を弾いた。空間が爆発する。反撃を不発で完了させて、ローグはヒュウラを再び追い掛けた。

110

 ヒュウラは、ある場所に辿り着いた。異変が起こっている事に勘付くが、顔に付いているパーツの全てが微塵も動かなかった。
 『小会議室A』の部屋の直ぐ傍にある、通路の一角に設置されていた消火器が道の中央に置かれている。道具の背に設置されていた使用案内の看板は、何者かの手によって砕き壊されて小さな瓦礫と化していた。
 ヒュウラは安全ピンが抜けて何時でもレバーが押せる状態になっている消火器の手前で停止する。左手で消火器を拾い上げると、酒と消火器を持って、背後から迫ってくる鼠の亜人に振り向いた。
 息を切らしながら走ってきたローグの子供は、待ち構えているヒュウラと距離を開けて止まる。ダボダボの黒いローブに覆われた小さな胸を小さな手で抑えて、小さな身体を上下に揺らしながら掠れ気味に笑い声を上げた。
「あは……は……ははは!!はいそれ、はい!ボクでも何したいか分かる!考えが浅はかだよ!!それでボクを燃やそうとしても無駄だよ!無駄あああ!!」
 歯を見せて笑いながら、鼠は酒瓶を勢い良く指差す。消火器は無視していた。ローグは人間が作った赤い鉄の筒が何に使うものなのか、知らないようだった。
 ヒュウラは赤い筒を腕で振った。筒の中に入っている火を消す為に作られた化学物質の粉が、シャカシャカ音を出して筒の中で跳ね踊る。
 筒の中には粉を噴き出す為に必要であるガスも詰まっている。ローグは伸ばしていた指を”何かを指し示す”事以外で使い出した。目の色が赤から真紅に変わる。空中に漂う『炎の原子』を見る。獲物が首に付けているアンテナが伸びた金属製の首輪の周りに集まっている、赤い光の粒達を見た。
 醜く笑った鼠が、指で空気を突いた。5つの『原子』を突いて気を惹かせてから文字を書き、
 目を三日月形にして微笑んだ。投げ付けられた酒瓶を、身を捻って避けた。
 床に当たって割れた硝子と一緒に、強烈なアルコール臭を放つ人間の飲み物が一面に飛び散る。ローグは想定通りの行動をしてきた相手の攻撃を避けた己を、心の中で自画自賛した。涙を流して大笑いをしそうになりながら滑稽な攻撃をしてきた馬鹿犬を見て、人差し指で親指を押さえてから勢い良く弾く。
 原子が術式に反応する。ヒュウラは目を吊り上げると、上半身を伏せてから俊足で前進した。
 原子が反応するよりも早く動いた狼の亜人は、狼の首があった場所の空気を爆発させた原子の攻撃を容易に避ける。ローグも狼が放ってきた回転蹴りを難なく避けた。ヒュウラの背後の空中に、獲物を狩りそびれた原子の炎が大きな花火のように咲いて、散る。
 獲物を逃して空振りした狼の足が床を踏み、大穴が開いた床に足を付けたまま狼は踵を返す。ヒュウラは酒瓶の口から引き抜いていた、濡れた新聞紙を素早く丸めると、火の花弁に向かって投げ付けた。火の花の中に放り込まれた紙玉が炎を纏って酒の水溜りに落ちると、
 瞬く間に床が一面、激しく燃え上がった。

111

 火柱が2種の亜人の周囲を包んだ。炎に包まれて逃げられなくなってもローグの余裕は揺るがない。人差し指を伸ばして赤目を再び真紅に染めると、空中を漂う『炎の原子』を5つ突いてから素早く『術式』を書いた。
 指を弾いて『反応』をさせようと曲げた人差し指を親指で押さえると、脅威が襲ってきた。ヒュウラが手に掴んだ消火器を振って殴ってくる。ローグは術を中断して回避した。何度も何度も、赤い鉄の筒が振り上げられては振り下ろされる。
 炎に覆われた土俵の上で、大き過ぎる黒いローブを振りながら、幼い鼠の亜人はピョンピョン後ろに左右に跳ねては身を捻って、伏せてを繰り返して攻撃を避け続けた。腕を伸ばして人差し指を弾く。ヒュウラが高速で動いて原子からの攻撃を避ける。またもや空間が爆発した。炎の花が咲いて、散る。火の花弁が酒の雫に当たって、床の炎が更に勢いを増す。
 ローグは追撃をする為、目の色を再び真紅に染めた。一方でヒュウラは片手で掴んでいる消火器のホースを、もう片方の手で掴んで引っ張る。ホースを持ってレバーを押し込み、ホースから粉が勢い良く噴出されると、ホースを背の側を向けて化学物質の粉を噴射した。
 己の背後の炎を消すと、ホースから直ぐに手を離す。後方に跳ね飛んで宙に文字を書く鼠と距離を十分に取ると、勢い良く粉を噴射する人間の道具を、鼠に向かって投げ付けた。
 宙で弧を描いて飛んでいく消火器のホースから、第一リン酸アンモニウムと硫酸アンモニウムの白い薬剤の粉が勢い良く噴出され続ける。空間を真っ白に染めながら、化学物質を吐き出している重量がある鉄の筒は幼い亜人の顔を叩き潰そうと、宙で弧を描いてから襲い掛かってくると、
 ローグは術を再び中断した。両手を伸ばして、筒をドッジボールのように受け止めた。
 ヒュウラは仏頂面のまま鼠を見つめる。鼠は眉間に皺を寄せながら腕の中の筒を見る。口角をキツく結んで右手の人差し指で筒をトントン叩くと、白い粉を出し続けている人間の道具から目を離して、狼を睨んだ。
 小さな口を大きく開けて、怒鳴るように言ってくる。
「”密集”!密集なんだよね!!コレも!!」
 返事も反応もせず、ヒュウラは火が消えている後方に跳ね飛んだ。ローグは目の色を黄色にすると、消火器を宙に放り投げる。指で赤い塗料が塗られた鉄の筒の表面を5回叩き、文字を書いて、指弾きした。
 鉄の筒が『砂化の術式』に反応する。黄色く光った人工の筒が瞬く間に粉砕すると、
 筒の中で圧迫されていたガスが、一気に放出して大爆発した。
 人間が作った火消し道具が、強力な爆弾になる。ローグは驚愕しながら吹き飛んで倒れた。黒いダボダボ服が炎と衝撃波を受けて破ける。白い小さな足と細い腕が露わになる。
 頭に巻いている数珠飾りが衝撃波で千切れて飛び散った。黒いバンダナ飾りも燃えて破け落ちる。可愛らしい中性的な顔の所々に火傷が出来た。腕と脚にも火傷が出来る。だがそれでも、鼠の心の中に根付いている自信は喪失しなかった。
 仰向け状態から直ぐに起き上がり、仁王立ちをしながら此方を睨んでくるヒュウラに睨み目を返す。燃えている髪と服の一部を手で掻いて火を消すと、心の中で上から目線の文句を言った。
(うきゅううう、あいつやっぱり絶対馬鹿だよ。こんな滅茶苦茶な方法、ボク初めて。あいつに炎と砂の術式を使うのは危険かも。これ以上するとボク、原子がしてくれる攻撃に巻き込まれちゃうよ)
 ヒュウラはローグを睨み付けたまま、微動だにしない。ローグも同様に静止していた。思考に耽て、直ぐに結論付けた。
 ローグは突然満面の笑顔になった。己の”力の源”達に話し掛ける。
「炎の原子、ありがとう。違う原子にお願いするね」
 右手の人差し指を伸ばして、空気を5回叩く。文字を書いて指を弾くと、ローグの目の色が黄緑色に変わった。
 空中に居る新たな『原子』が『術式』に反応する。黄緑色に輝いた光の粒が電気の球に変わると、ヒュウラに向かって飛んだ。
 金と赤の目を大きく見開いたヒュウラは、真横に跳ね飛んで電撃球を避ける。彗星のように尾を引きながら壁にぶつかった電撃の球は、2つに割れて天井と床を高速で這い、途中で消えた。
 ローグの顔は無邪気な子供から殺戮好きの化け物に戻っていた。空間を震わせる程の大声で笑いながら、伸ばした手の指をくねらせて言った。
「雷の原子!ビリビリして壊れちゃえ!!あははははは!!」