Bounty Dog 【清稜風月】48-50

48

 ヒュウラは深夜遅くまで、山の頂上付近にある日雨の家の縁側で胡座を掻いて座ったまま月を眺めていた。顔は相変わらず仏頂面で、だが心の中で半生という己だけの記憶の世界を巡っていた。
 此の国の今の季節も、砂漠地帯よりは穏やかだが気温差が激しかった。日雨に引き寄せられて周囲で鳴いている春の虫達の大合唱が喧しく聞こえても、冷たい風を体全体に受け続けても、彼は頭の中で記憶の世界を旅する事を辞めなかった。
 ーー俺には、日雨にだけ伝えた過去がある。ーー
 同種が居ない1体だけで過ごすようになった時の記憶は、彼の頭の中でも今でも鮮明に残っていた。己は日雨のように何かに気を取られて迷子になったのではない。己はあの日、何の前触れも無く群れから突然捨てられた。
 覚えているのは、闇、土、そして息苦しさ。約10年と半年前。今のような真夜中で、其れまで皆で住んでいたのは、あの場所とは違う山だった。
 ーー俺にも”あいつ”と呼んでいる存在が居る。其れまではあいつの背中に何時も背負われて過ごしていた。群れの中で暮らしていた時からあいつにずっと『私以外を微塵も決して信じるな』と言われて生きていた。そんなあいつ以外の群れの同種の亜人達に、未だ体も小さな子供だった頃の俺は寝ている間にあの山に連れて行かれて、足で掘られた深い穴の中に放り込まれて生き埋めにされた。そのまま放置されて、群れは何処かに行ってしまった。あいつはあの時、何処にも居なかった。
 俺は日雨と同じ歳だった頃に同じように見捨てられて孤独になった。だが俺は日雨と違う。同種に殺され掛けて、自力で土の中から登り出て、ミトとデルタ達に会うまで自分だけの力で、あの山の中で人間の道具を盗んでは使いながら生き抜いた。
 仲間に殺され掛けた理由は分からない。今でも全然分からない。分からないからこの事も、無闇に伝える意味は無いと思って伝えていない。ミトにも、シルフィにも……デルタにも。ーー

49

『その国ではあの子が好きなお煎餅を好きなだけ食べさせて帰らせるだけのつもりだったのに……今は凄く心配なのよ、ヒュウラが』
 一軒家の縁側で月を延々と見上げているヒュウラを少し遠くの位置から監視している『世界生物保護連合』3班・亜人課現場部隊保護官のコノハ・スーヴェリア・E・サクラダに、上司のシルフィ・コルクラート保護部隊長が通信機越しに呟いた。コノハは双眼鏡で”推し”の人間と極めて酷似した見た目をしている狼の亜人を見ながら、片耳と肩の間に挟んでいる通信機越しに上司に返事する。
「リーダー、私もヒュウラ君が凄く心配です。だって彼……護衛担当は本来ミトで」
『思いっきり脱線しないで頂戴。私の話だけを聴け、サクラダ』
 声だけで機嫌が悪くなっている事が分かった上司に、コノハは即座に空気を読んで黙った。櫻國から遠く離れた場所にある支部の一室から、シルフィは深い深い溜息をしてからコノハに改めて話し掛けた。

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