Bounty Dog 【Muchas gracias. Te amo.】 3-4

3

 ジャック・ハロウズと名乗った少年は、ナシューと同じ7歳だった。誕生日も偶然だが、同じ6月5日。背丈も殆ど一緒で、髪の色と顔の造形以外は、まるで双子のように2人は似ていた。
 その日は、ジャックとナシューの誕生日だった。ダッチオーブンの中から玄関にまで香ばしい匂いが漂ってくる丸鶏のグリルは、今日6歳から7歳になった己の為に準備してくれた御馳走なのだと、ジャックは心の底から思って喜んだ。
 半分真実で、半分偽りだと彼は知らなかった。事前に誕生日を義両親に教えていたので、ジャックの義両親になるタラルとビアンカという名前の大人は、ジャックが”実の息子”と全く同じ誕生日だと知っていた。
 情報を知るや否や正しく”影武者”に相応しい子だと、ナシューの両親は喜んで彼を養子に選んだ。勿論ジャックには”実の1人息子”をこの家に隠しているとも教えていない。
 あくまでタラルとビアンカにとっては、ジャックは”実の1人息子の身代わり”以外の何者でも無かった。

 葡萄ジュースで作られたノンアルコールサングリアと人参のマリネサラダ、トマトのガスパチョ、そして焼きたての丸鶏はどれも絶品だった。デザートはオレンジの丸い大きなショートケーキを義母は用意してくれた。
 ジャックは大いに喜んだ。美味しい食事と一緒にジャックへの誕生日プレゼントとして、彼の将来の夢も事前に聞いて知っているビアンカは、警察手帳に似せて作られた子供用の文房具をジャックに渡した。
 キャーキャー喜びながらビアンカにお礼を言った礼儀正しい養子に、タラルは微笑みながら食事が済んだタイミングで、ジャックを2階の書斎に連れていく。
 食事は飲み物も含めて全ての料理が1人分残されていた。ビアンカが其々を器に乗せて、携帯用の酸素ボンベをエプロンのポケットに入れてから食事を何処かに運んで行った。

4

 タラルに連れられて家の2階に上がっていく間、ジャックは壁という壁に飾られている軍用の銃火器を繁々と観察した。水鉄砲しか手に持って使った事が無い幼い少年は、弾を込めて生き物を撃つと撃った生き物が傷付いて最悪死んでしまう、悍ましい人間の道具の本物がズラリと並んでいる光景に、少し圧倒される。
 書斎に到着すると、玄関と違って南京錠が1つも付いていない扉が現れる。部屋の中に入ると、極々普通の書斎部屋が現れた。ただし奥にある窓は分厚いカーテンで締め切られていて、玄関同様に大きな南京錠が幾つもぶら下がっている。
 まるで家の中に居る何かが逃げ出さないように、徹底的に閉じ込めているようだった。
 書斎の本棚に並べられた本の背表紙を見て、ジャックはまたキャーキャー興奮する。並んでいたのは警察関係の本だった。本棚にある本の殆どは軍隊関係の本だったが、一角に収められている夢の情報が書かれた本達を、鶯色の瞳をキラキラ輝かせて見つめる。
 タラルは警察官になりたがっている養子を、書斎の中央に読んだ。何処かから帰ってきたビアンカが、冷たいチョコレートドリンクを持ってきてくれる。至れり尽せりのもてなしをしてくれる里親達に、ジャックはすっかり信頼感を抱いていた。孤児院での暮らしも人に恵まれて幸せだったが、新しい家族と過ごす今の時間も、とても幸せだと感じていた。
 しかも憧れの職業に、義父が就いている。最高に幸せだった。タラルは妻が一緒に持ってきたホットコーヒーを一口飲んでから、棚の隙間に置いていた大きなボードゲームを取り出す。数十枚のカードが入ったケースと数十個の駒が入れられているケースと一緒にジャックの目の前に置いたタラルは、アナログゲームの準備をしながら、新しい養子の少年に話し掛けた。
「折角だから俺からも、君が養子に来てくれた感謝と君の誕生日を併せて、プレゼントを渡したい。嬉しいね。自分の仕事に憧れてくれている子を養子に出来るなんて」
「うん!ぼくもタラルお義父さんが警察官って聞いて、凄く嬉しかったよ!!警察って凄く格好良いもん!!」
 ジャックは尊敬の眼差しをタラルに向けた。鶯色の目が宝石のように澄んで輝いている。
 タラルは”あの子”と同じ色の目をしている少年から浴びせられる賛同の眼差しを受けて、微笑を浮かべた。
 準備が出来たゲームのセットを挟んで、少年と向かい合う。祖国の陸軍の紋章が描かれたマグカップに入ったコーヒーをもう一口飲むと、ジャックがタラルに話し掛けた。
「ぼくは国際警察官になりたいんだ!世界中の悪い奴を逮捕して、牢屋に送って『悪い事をしてごめんなさい』って反省させるんだ!!」
「インターポールになりたいのか……」
 タラルの目が丸くなった。タラルも瞳の色は明るい緑色だが、妻のビアンカは茶眼である。故に”あの子”の目の色は、両親の目の色を混ぜたような鶯色だった。
 同じ目の色をしているジャックを、実の息子のように思えてくる。タラルは世界中の犯罪者を捕まえられる特殊警察官を夢見ている養子に向かって、小さな溜息を吐いてから呟いた。
「そうだな……俺達の国は兎に角”自由”だ。だから2回目の犯罪以降しか、俺達警察は逮捕が出来ない」

 この国は世界中に向けて”約束された最も自由な国”だと謳っている。しかし蓋を開けると、少し蓋をズラしただけでもこの国の自由は歪んでいた。
 自由が度を越していた。犯罪すら、1回だけならどんな重罪でも、複数の犯罪を一度に纏めてしても大抵が許される。独特の価値観によって犯罪を民衆が簡単に隠蔽する中央大陸の大国、犯罪をしないと生きる事が出来ない紛争地帯と一部の国に次いで、他の国々の人間達には非常に平和な国であると思われているが、事実は犯罪率が異常に高い国だった。
 この国で1番多い重犯罪は強姦殺人だった。女が加害者で男が被害者であるパターンも非常に多かった。産まれて直ぐの赤ん坊から年寄り、人間以外の生き物まで被害者の幅も非常に広かった。その次に発生が多い重犯罪は誘拐殺人・強盗殺人。些細な喧嘩での殺人も多かった。
 何かと理由が付けられた殺人を、この国の殆どの民は起こしていた。殺す理由は”許されるから”という甘えからか、余りにも下らないものばかりだった。その場の小さな衝突で発生したような喧嘩ですら口で言い合いを一切せずに、サッサと何方かが相手を銃で撃って殺してしまう。其れが当たり前に、未遂を含めて毎日何百件も発生していた。
 光と闇が両方クッキリと濃い国がこの国だった。タラルの将来の夢は、警察官では無く軍人だった。国の”自由”を始めから純粋な形で護れる、非常に名誉ある誇り高き職だと強く憧れていた。正義感が強いタラルは思い通りに犯罪者を根絶やしに出来ないこの国では弱過ぎる立場である警察よりも、敵国から祖国を護れる強い軍隊に入隊する事を、幼少期からずっと夢見ていた。
 唯、軍人を夢見ている人間はタラル以外にも大勢居た。軍人は祖国では他の職と比較しても圧倒的に人気が高く、男も女も誰も彼もが軍人に成りたがった。特にタラルが成りたかった祖国の軍で1番名誉ある屈強な部隊だと称されている『陸軍第1部隊』は、入隊希望者数が余りにも多過ぎて選考倍率が非常に高く、タラルは書類選考で落ちて、夢が履歴書と一緒に破れた。
 家中に飾っている大量の銃火器は、タラルの破れた夢への強い強い未練達だった。妻のビアンカは、始めは悍ましい兵器を家中に飾る夫の趣味を猛反対した。だが余りにも相手が言う事を聞かない上に”警察官ですら1度だったら重犯罪をしても良い”という、この国の異常な自由の犠牲になる事を恐れて、黙認せざるを得なかった。
 そんなこの国で暮らしているタラルとジャックは、タラルの書斎部屋の中央に置かれたボードゲームを見下ろす。真っ赤なフカフカの心地良い肌触りをしているカーペットの上に置かれたボードゲームは、数ヶ月前に発売されてから世界中で空前の大ヒットをしている、チェスを媒体にして人狼ゲームとトランプ・ルーレットを用いるカジノのゲームを併せたような、現在風擬似戦争アナログゲームだった。
 タラルは煙草を吸わない大人だった。だが酒とコーヒーが好きでブラックコーヒーも酒のように何杯も煽る。1杯目を飲み干して直ぐに、妻が一緒に持ってきていた大きなステンレス製のピッチャーから湯気を出している熱々のコーヒーをマグカップに注ぎ入れると、不敵な笑みをしながら養子の少年に話し掛けた。
「君にあげたいのは玩具じゃ無い。特別な物なんだ。だから悪いけど条件がある。このゲームで君が勝てば、プレゼントにあげよう。手加減はしないよ、挑戦するかい?」

 ジャックは何の迷いもせずに挑戦すると伝えた。タラルがチェスボードの中央に付いた、1から10までのローマ数字が書かれたルーレットの取手を指で掴む。駒は白黒で判別されているがチェスと違って始めに回すルーレットの偶数と奇数で先後を決めるこのボードゲームは、先進国で生きている乳児以外のほぼ全ての人間達が遊んでいて、遊ばれる国によって、ゲーム開始時のルーレットを回す時に出す掛け声が、国によって其々変わるのも大きな特徴だった。
 ジャックとタラルの産まれ住んでいる国でも、独自の掛け声があった。”約束された自由の国”と散々謳ってはいるが「情熱の国」だと他の国々から認識されているこの国での、ゲーム開始の掛け声を2人共に大きな声で言った。
「バイレ・アパシオナド(情熱的に踊る)!!」
 タラル先攻でゲームが始まった。ゲームを始めて2ターン目から、タラルは敵国駒の異様な動きに焦り出した。僅か5分、10ターンにもならない状態で、手も足も出せなくなって『王』の駒を取られて負けた。
 ジャックはこのゲームが大得意だった。孤児院で積み重ねていた無敗記録を、里親の家でも更新する。
 義父に圧倒的な強さを見せ付けた。自軍の進行と自国の治安の維持、紛れ込んでいるスパイを見つけ出して排除する3つの闘いをしなければいけない高い戦略性が必要になる、非常に奥が深くて思い通りに動かすのが難しいと評判のゲームで子供にアッサリ負けた事が信じられなかったタラルは、数回ジャックに再戦を申し込んで受けて貰った。 
 だが何度対戦しても『諜報員』の駒が分からず、10分以内に己の軍隊と国が喪失した。

 10戦しても全て簡単に負け、己の完全敗北を認めざる負えなかったタラルは、渋々だが約束通りのプレゼントを渡す事にした。
 本棚の近くの壁に移動すると、ハンガーに掛けていた警察官の制服の中から、鉄製の道具を取り出す。ボードゲーム用の駒達をケースにしまっていたジャックの元に歩み寄って身を伏せると、無敵の戦争王に道具を渡す。
 ジャックは受け取った道具を見るや否や、キャーキャー喚いて大いに喜んだ。
「うわあああ!本物の手錠だ!!タラルお義父さん、グラシアス(ありがとう)!!」
 タラルは苦笑しながらジャックに伝える。
「本当は見せるだけにする予定だったんだけど、君がこのゲームが物凄く強いなんて……。今は危ないから、手錠の鍵は預かっておくよ。もう少し大きくなったら渡してあげるね。それまでは玩具として持っていなさい」
 ジャックはブンブン音が鳴るくらい大きく頷いた。憧れの職業の人から憧れの品を貰って再び目をキラキラ輝かせる。人生で最高の誕生日を過ごしていると思っているジャックに、タラルは暫く養子の顔を眺めてから、
 唐突に咳払いをした。不思議そうに首を傾げた養子に、タラルは後片付けが殆ど済んだボードゲームを一瞥してから話し掛けた。
「君にお願いがあるんだ。君はこれからもジャックと呼ぶけど、コレだけはお願いだから絶対に守ってね。
 屋根裏部屋には近付くな。彼処には物凄く危ない鳥が住んでいるんだ。ロック鳥っていう鳥」
 ジャックの目が丸くなった。両手に持っている閉められた手錠から金属音が鳴り響く。
 タラルが言った『ロック鳥』は、空想の存在である最強の鳥だった。象を餌として喰い、1羽だけで人間の船を簡単に沈めてしまう、余りにも巨大で脅威的な猛鳥。
 鳶だったタラルとビアンカは、鷹なぞ瞬殺して数十羽を纏めて丸呑みで餌にしてしまうような異次元の鳥を産んでいた。ジャックはタラルが言った幻想の鳥を全く知らない。
 幼児用の絵本には載っていない巨鳥を教えた義父は、真顔で15人目の”生贄”に向かって忠告した。
「その鳥は、会うだけで窒息して死んでしまうくらい危険だ。だから屋根裏部屋には近付くな。絶対に近付くな」