Bounty Dog 【14Days】 68-70

68

 保護した鳥の亜人を部隊に渡して、デルタとヒュウラは山頂付近まで移動した。見事な自然の美しい景色が一望出来るその場所は、岩が水圧で削れて作られた掘の間を澄んだ清らかな水が流れていた。幅の広い川が地の殆どを這っており、水の中にさまざまな生き物達が楽園を形成している。
 川が流れるプールのように楕円形になっている広場の真ん中で、デルタはヒュウラを停止させた。川の淵に並んで立った人間と亜人のコンビは、勢い良く流れる川の様子を見つめる。水面から飛沫が吹き上がり、水の粒が宙を踊って散り落ちる。小さな虹が幾つも現れると、デルタは銀縁の眼鏡の位置を指で調整しながら口を開いた。
「ターゲットはお前と同じSランク『超希少種』。この国のこの川でしか確認出来ていないレッドリスト常連の亜人種だ。種の名前は『白鮎族(はくでんぞく)』。その名の通り、全身が白い魚の亜人だ」
 ヒュウラは無表情のまま川を凝視している。水面から人間のような腕が伸びた。真っ白い鱗に覆われた腕に小さなヒレが並んで付いており、訪問者達を歓迎しているように水掻きが付いた手を大きく振っている。
 デルタは眉間に皺を寄せてヒュウラを見た。ヒュウラも顔を向けてくると、デルタは説明を続けた。
「性格は非常に穏やかで人懐こい。が、1つ大きな難点がある。ターゲットは川の中にいる。見えるか?」
 ヒュウラは再び川を見る。彼方の水面から伸ばされていた腕が引っ込むと、1秒も経たずに手前の水面から伸びた。澄んだ水の中に見える腕の主は、腰まである白いトウモロコシの髭のような細くて艶やかな髪を靡かせながら、ヒュウラに向かってニッコリと笑っている。足が尾鰭になった人魚のような見た目をしている容姿端麗の青年で、雪のように白い肌をした顔に、温和な印象を与える青い目が付いている。
 上半身に象牙色のストールのような衣服を巻き付けている青年は、水中で身を捻り、背を向けて泳ぎ出した。大魚は楕円形に繋がった水路を数秒足らずで何度も周回する。再び手前で止まって片腕を水面から出すと、ヒュウラと握手をしたがっているように、水掻き付きの指を曲げ伸ばしした。
 無表情のまま、ヒュウラはデルタの顔を見て呟く。
「早い」
 デルタは説明を加えた。
「そうだ、この種は強靭的に泳ぐのが早い。だから追うのは先ず無理だ。捕獲する為に少し知恵を絞ろう。来る途中の山小屋で道具を拾っていただろ?出してくれ」
 ヒュウラは無表情のまま、腰に巻いた赤い布に覆われている、膨らんだポケットから道具を出した。体を回してデルタと向き合うと、お互いが立っている間の野原に、道具を並べて置く。
 漁業用の網2枚、太めの電気コード数本、イルミネーション用の豆電球が無数に付いたコードが2本。
 デルタはヒュウラの拾い物を暫く見つめると、顔を上げて広場の端に移動する。厚手の木の板とアウトドア用のポータブル電源BOXを掴んで戻ってくると、ヒュウラの拾い物の横に置いた。
 無表情で新しい人間の道具を見ているヒュウラに話し掛ける。
「実は俺も、道具を拝借した。ヒュウラ、お前泳げるか?犬掻き程度だったら、泳げないと言えよ」

69

 斧を脱ぎ置いたヒュウラは、軽く屈伸運動をしてから川に向かって走る。流れるように水中に飛び込むと、幅の広い清流を水の流れに沿って泳ぎ出した。慣れたように水泳する狼の亜人は、前方でゆっくりと泳いでいる白い魚の亜人の後を追う。
 翡翠色をした美しい尾鰭のヒレを上下に振って、魚の青年は異常なまでに低速で移動を続けていた。ヒュウラは無表情のまま暫く追跡をしていたが、息が苦しくなって水面へと浮き上がる。
 水から顔を出して、川辺にいるデルタの方に向く。2本のコードが付いた電源BOXの側で膝を折って伏せているデルタは、通信機を口元に近付けた状態で首を上下に振った。
 首輪越しに、特別保護官に指示をする。
『作戦開始だ。先ずはパターンAで攻めろ』
 ヒュウラは「御意」と返事して、息を大きく吸って再び水中に潜る。ポケットから打撃式の麻酔液入り注射針を取り出して、右手に掴みながら平泳ぎで魚の追跡を再開すると、魚は突然振り返って停止した。宝石のような綺麗な青い目でヒュウラを見ながら微笑んでいる。
 宝石になる金と赤の目に感情を込めずに見つめ返したヒュウラは、仏頂面のまま更に潜った。小石と苔が敷き詰まった川底にカーキグリーンの革靴を履いた足の裏を付けると、
 川底を足で力の限り蹴った。強靭的な脚力に破壊される物は何も無かったが、ヒュウラは弾丸のような速さで魚の亜人に急接近すると、右手に掴んだ麻酔針を振り上げ下ろした。
 整った顔に付いた小さな口の端を上げて、魚の青年はヒュウラの奇襲を身を捻って難なく避ける。空振りさせた腕と逆の手に、魚はニッコリと微笑みながら握手をしてきた。
「お手柔らかにね」
 魚は口の動きで伝えてから、ヒュウラから離れて彼方へと泳ぎ去る。一瞬で見えなくなった相手の姿に、取り残されたヒュウラは無表情のまま暫く前方を眺めてから、息が苦しくなって再び水面へと浮き上がった。
 顔に付いているどのパーツも全く動かないが、俯き気味になった青年に疲労の色が見える。様子を見ているデルタは、通信機でヒュウラの身体情報を確認した。息切れしているので心拍数が跳ね上がっており、水に浸かっているので体温が下がっているが、その他はほぼ正常値だった。
 デルタは真顔のまま、次の指示を出す。
『パターンBに切り替える。姿が見える前に、早速実行してくれ』
「御意」
 小さく呟いたヒュウラは、息を大きく吸ってから川底まで一気に潜る。逆手に持ち変えた麻酔針を両手で掴んで胴の前まで引き寄せ、顔を水面に上げて、その場で待機した。
 通り過ぎていく小さな魚達と、流れていく小石と草の葉と泡を無表情で見つめる。底に両足を付けたまま微動だに動かない。無駄に動いて肺の酸素を減らさない。
 水の世界の静寂と共存しているように、音を立てずに魚の亜人が近付いてきた。水面に近い位置で優雅にゆっくりと泳いでいる。
 相手はヒュウラに気付いていない素振りを見せて、のんびりと泳いでいく。視界の中心に移動してきた瞬間に、
 ヒュウラは川底を強く蹴った。
 人魚の腹目掛けて下から高速で襲いかかる。注射器を片手に掴んで勢い良く振り上げると、魚の青年は尾鰭を一度振って身を捻った。
 横回転した身体の傍を注射器が空振りする。奇襲を難なくかわされたヒュウラの目が若干見開かれると、手から注射器が滑り落ちて川の底に落ちていく。
 魚の青年はニコニコ微笑みながら、ヒュウラが落とした注射器を川底から拾い、戻ってきた。茶色い手袋を嵌めた指を広げさせて、武器を再び握らせる。
「今のはヒヤリとしたよ」
 口の動きで伝えてくると、魚の亜人は腕を掴んで水の底に身を引き摺り込み、ヒュウラの頭を撫でた。口から空気の泡を吐いたヒュウラを抱えて水面まで持ち上げていくと、水から顔を出されたヒュウラが目を瞑りながら激しく咳き込み出すと同時に、青年はヒュウラから離れて彼方へと泳ぎ去っていった。
 デルタは目を丸くしながら川辺から様子を眺めていた。苦しそうに咳き込んでいるヒュウラの身体情報を通信機で確認する。折れ線で示される心拍数が、針のように鋭い山を無数に並べて流れていた。体温も急激に下がっている。
 溺れかけている絶滅危惧種を見つめながら、デルタは通信機を口に当てて、首輪越しに声を掛けた。
『ヒュウラ、絶対に無理をするな。休憩しよう、戻ってこい』
 ヒュウラは俯きながら大きく被りを振った。乱れた水濡れの茶髪から水飛沫が飛び散ると、デルタは暫く沈黙してから口を開いた。
『未だやるのか?……分かった。次は道具を使う、パターンCだ』

70

 デルタは着ている青い迷彩服の上に付けている白銀の鎧を外して地に置いた。愛用武器である麻酔弾が装填された白銀のショットガンも肩紐を外して鎧の横に置くと、救援の準備を整えてから電源BOXから伸びている2本のコードを片手ずつに掴む。
 コードの端にはそれぞれ漁業用の網が結び付けられており、網には重り用の石と豆電球が無数に付いたコードを結んで這わせている。デルタは加工した道具達の塊2つを川に投げ入れた。電源BOXの傍に戻って、ダイヤル式の入電スイッチを指で摘む。
 ポケットから通信機を取り出して口元に添える。機械の側面に付いた通話ボタンを押して、ヒュウラに指示をした。
『罠を入れた。設置しろ』
 ヒュウラは肩から上を水から出して、荒れた呼吸を整えている。瞑っていた目を開いてやや釣り上げると、喘ぐように返事した。
「御意」
 息を大きく吸い、注射器を咥えて潜る。
 川底でゆらゆら揺れている網の塊に腕を伸ばして拾い上げる。コード付きの網を水中で広げると、重りの石を一定の間隔で川底に置いた。柵のように川の端から端まで網で覆うと、もう1塊の罠を川底から拾って、数メートル離れた場所に泳いで移動した。重りの石を一定間隔で川底に設置して、網は広げずに手から離して川底に沈める。
 網から伸びているコードは掴んだまま、ヒュウラは水面に浮かび上がった。仰向けになって体の前面を水から出すと、首輪越しにデルタが話し掛ける。
『設置出来たな、そのまま浮いていろ。動くなよ、勘付かれる』
 弱々しく細まった金と赤の目が空を見上げる。白く柔らかい、煎餅に似た形の丸く平べったい雲の郡が青い空を流れていく様子を眺めていると、
 魚の青年が、ヒュウラの背後を通って泳いでいった。
 設置した網の柵の前で魚が止まる。身体を起き上がらせて、ヒレが並んで付いた腕をL字に組み、右手の指を口に添えて考察しているようなポーズをする。穏やかな青い目をやや見開いてから、身を捻って来た水路を戻ろうと動いた時、
 ヒュウラは手に掴んでいるコードを引っ張った。沈んでいた網が斜めに起き上がると、デルタも電源BOXから伸びている側のコードを引っ張って網の壁を作り上げた。
 ヒュウラとデルタが同時にコードから手を離す。魚の青年を網と網の間に閉じ込めると、デルタは電源BOXの入電ダイヤルを回した。
「エレクトリック・バリケード」
 電気がコードを伝って、網に通電する。豆電球が灯りを灯すと、瞬く間にショートを起こして電撃の鞭を放つ白い火の玉になった。
 即席電撃柵が川に出現すると、ヒュウラは動いた。身を捻って水の上でうつ伏せになると、川底で立ち泳ぎをしている魚の姿を凝視する。
 川辺からデルタが木の板を投げてくる。ヒュウラの直ぐ側に落ちた板を拾って後ろ手に端と端を掴むと、両足を曲げて板に足裏を付けた。口に咥えている注射器の向きを横から縦に変えて、板から手を離す。
 同時に板を足で強く蹴った。木が粉砕してヒュウラは弾丸のように川の底に落ちていく。魚の青年は顔を上げて、上からの襲撃を避けた。青い目が驚いたように見開かれている。
 ヒュウラは水中で宙返りして川底を足裏で強撃する。V字に高速移動して魚の上半身を包んでいる布を掴み捕らえると、引き寄せた魚の体に口に咥えた注射器を首を使って振り下ろした。
 魚の青年は笑った。温和な青い目の大きさを戻して、注射器を両手で掴んで受け止める。首に僅かな刺し傷を付けた白い青年は、綺麗な顔を微笑ませながら尾鰭を大きく振った。ヒュウラを巻き込んで水面に急浮上する。
 水面から勢い良く出ると、腕を注射器から離してヒュウラを落とした。空高く跳ね上がった魚の青年は目を見開いているヒュウラを一瞥すると、電撃の舞う網を飛び越えた。
 罠を難なく突破した魚は、水に潜ってから直ぐに水面からから顔を出して、横向きに浮かんでいるヒュウラを網越しに見つめる。口が大きく動いた。声を出さずに唇の開閉だけで言ってくる。
「ご挨拶は此処までにするね!」
 ヒュウラは無表情で、川に捨てられた人形のように浮かぶ。電源BOXのスイッチを切ったデルタは小さな溜息を吐いた。水中に姿を消した魚の青年が居た場所を眺めながら、ヒュウラの首輪越しに呟いた。
『彼はかなり手強い、一筋縄ではいかないようだ。……パターンD以降を今から考える。一度川から出て休憩しよう、ヒュウラ』
 ヒュウラは返事も反応もしない。横向きから仰向けになって水に浮かぶと、咥えていた注射器を右手に掴み直して、手足で水を掻いて網の近くまで大雑把な背泳ぎをする。電撃の消えた網を左手で掴むと、首輪の背面に付いた通話ボタンをもう右手の小指で押しながら呟いた。
「デルタ、使うか?」
『網を持って被せて電撃を喰らわすのか?感電して、お前も纏めて喪失(ロスト)だ』
 渋い顔をして被りを振ったデルタは、眼鏡を顔から外して胸ポケットに畳んで入れる。通信機を鎧の上に置いて軽く体操をすると、特別保護官を回収しに向かった。

 遠くから水が跳ね散る音が聞こえてくる。ヒュウラは仰向けで浮かんだまま、デルタの救助を待った。空に浮かぶ煎餅型の丸くて平べったい雲を見る。
 白い煎餅が流れ去り、真四角形のテレビのような白い雲が流れてきた。ぼんやりと3班・亜人課の支部にあるミトの自室を思い出していると、
 胴を掴まれて、ひっくり返される。横向きになったヒュウラの目の前に、魚の亜人の顔が現れた。
 満面の笑顔をする青年に、ヒュウラは目を見開いて麻酔針を握った手を横に振る。青年は頭を水に沈ませて難なく回避した。再び顔を水から出して、口パクでは無い澄んだ高めの声でヒュウラに話し掛ける。
「落ち着いて。君とゆっくりお話がしたい。僕の家に来てくれないかな?」
 ヒュウラは返事をせずに、固まった。
 水飛沫の音に混じって、デルタの声が聞こえてくる。
「ヒュウラ、どうした?何かあったのか?」
「で」
 青年に胴を掴まれて、水の中に引き摺り込まれる。ヒュウラは声をもう出さなかった。無駄な酸素を使わないようにした。
 魚の青年に抱えられて、水底に開いている穴から奥に連れて行かれる。ヒュウラは2度目の拉致をされた。
 デルタは、ヒュウラの居た位置までクロールで泳いでくる。立ち泳ぎに変えて、殆ど見えない裸眼で辺りを見回した。
「ヒュウラ?ヒュウラ何処だ?休憩だぞ、無理だけはするな」
 通信機を川辺に置いて来ているので、通話も追跡も出来ない。デルタは仕切りに辺りを見回した。保護した狼の亜人も、保護しようとしている魚の亜人のいずれの姿も見えなかった。
 胸ポケットから眼鏡を取り出して、目に掛ける。大きく息を吸うと、水音を打ち消す音量で怒鳴り上げた。
「ヒュウラ!ヒュウラああ!!お前また、勝手に何処に行ったんだああ!?」