Bounty Dog 【14Days】 39-40

39

 割り削れて不安定になっている崖の上から離れていき、原っぱの中央で向かい合って立った2種の亜人は、双方無言で日の光と微風を体に浴びる。小さな花弁が吹き舞う平和な丘は静寂に包まれていたが、ヒュウラの首輪越しにデルタ・コルクラートが声を出すと、白髪の青年は目を釣り上げた。
『ヒュウラ。ターゲットは保護したか?麻酔を使わずに話し合いで済むなら、その方が良いが』
「ごめん。ちょっとだけ黙っててくれる?何処からか聞こえてくる、声さん」
 デルタは沈黙する。
 白髪の青年は深呼吸をして、睨み顔でヒュウラを凝視する。瞳孔が赤、虹鮮が金色の宝石になる目が無機的に見つめ返してくると、表情は変えないが満足そうに首を縦に振り、青年は会話を始めた。
「ん。よーし、じゃあ2人っきりで話をしよう。あんたは外来種だけど、おれを殺しはしない。しない。……本当にしない?」
 ヒュウラは無言で首を縦に振る。青年の顔の筋肉が若干緩んだ。
「そうか分かった。凄え疑うけど、まあ信じるわ。でもな、おれはさっきも言ったが『助けろ』と人間に頼んで無い。だから正直、保護とか余計な事をしないで欲しい。おれは取り敢えず、あの置き去りにしてる鍋の飯を食いたい。きっと美味いと思う」
 ヒュウラは無言で被りを振る。青年は眉をへの字に寄せて嘆くように呻いた。
「マジかよ、駄目かよ……どうしても連れて行くの?見逃してくれないの?」
 ヒュウラは同じ動作をする。肩を落として半泣きになった青年は、相手の手に視線を移す。麻酔針をポケットに仕舞ったヒュウラの両手は今は何も握って無く、代わりにポケットがある腰部から、赤い布を持ち上げて3本の列車の吊革の輪が顔を覗かせていた。
 大きく嘆き声を上げて首を左右に振ってから、青年は前に歩き出す。ヒュウラの眼前で止まると、ほぼ背丈が同じ小柄な茶髪の青年に、小柄な白髪の青年は微笑をしながら返事した。
「分かったよ。だけど1つ、条件があるんだよな」
 反応をしないヒュウラの肩を掴んだ白髪の青年は、背後に振り向かせてから前進をするよう促す。指示に従って移動を始めたヒュウラは、暫く歩いてから隣で同行する青年に首だけを向けると、顔に表情を浮かべず口だけを動かして質問した。
「タとは何だ?」
「あータンマ。最近ようやく意味が分かってようやく覚えた言葉。だけど、人間には既に凄く古くなった言葉みたい。あいつら飽きる程長く生きる癖に、度々訳の分からないものを作っては、食い潰すのが早過ぎると思う」

 獣の足跡ばかりが残る原っぱを横断すると、ヒュウラは青年と共に、人間が慣らした道に足を乗せる。土を固めただけの簡易な人工の道をなぞるように歩いていくと、次第に広いアスファルトの道路に変わる。
 ヒュウラと横並びに歩いていた青年が突然踵を返すと、道の端に規則正しく縦列で駐車されているトラックの隙間を潜って道路から外れていく。少し歩いてから振り返って停止しているヒュウラを手招きで呼び寄せると、「この辺で良いや」と呟いてから、声を掛けてきた。
「さっき言った条件っていうのはだな、あんたに頼みを聞いて欲しいんだ。この先にある、人間が作った大きな箱の中におれの仲間が捕まっている。彼らを助けて欲しい」
 青年が横目で道の先にある、遠くの丘の上に建っている1軒の建物に視線を注ぐ。顔を暫し伏せてから面長の顔に付いた小さな灰色の瞳が懇願するように見つめてくると、ヒュウラは眉1つ動かさない無表情で青年を見返した。
 希少種の亜人の青年は、目に涙を浮かべて口を開く。
「これはおれが頼んでるんだから聞いてくれよ。あんたはおれを保護するのが仕事なんだろ?駄目なのか?」
 ヒュウラの顔は何も反応しない。右手を上げて首筋にある、首輪の裏側のスイッチを指で押すと、自分をサポートする人間に指示を仰いだ。
「デルタ、受けるか?」
『そうだな。保護が出来る数が増えるのは非常に有り難い。対応してくれヒュウラ。俺も現場に、部隊を連れて直ぐに行く』
 希少種の亜人の青年が微笑む。ヒュウラは微動だにせずにその場で立ったまま、首筋から手を離す。仏頂面で延々と見つめてくる茶髪の青年に、白髪の青年は不思議そうに小さな目を細めると、デルタの声がヒュウラの首輪越しに青年に話し掛けた。
『絹鼬族の君、こちらも1つ頼みがある。彼に危険な事をやらさないでくれ。乱獲されている種である君なら分かってくれると思うが、彼は片目5億エード、『エード』は人間の使う金の単位だ、の価値があると、人間に付け狙われている絶滅危惧種だ』
 ヒュウラは僅かに目を釣り上げると、直ぐに仏頂面に戻って青年を見る。青年はヒュウラの首を密猟者から守る為に取り付けられている機械の首輪を凝視すると、首を縦に振って返事をした。
「分かったよ、声さん」

40

 トラックの陰から出てきた2種の亜人が道路を横並びに歩いていくと、丘の上の建物に徐々に近付いていく。灰色のコンクリート壁が丸裸になっている工場のような建物の入り口は、車が数台駐車出来る広々とした空間で、荷物を置くスチール製の巨大な棚が縦横に並んでおり、紐で縛られた大きなダンボールの束が幾つも立て掛けられている。
 建物の傍に生えている木の陰に伏せた2人は、入り口の様子を伺う。『絹鼬族』の白髪の青年は前方を凝視しながら、真顔のまま隣でしゃがんでいる『獣犬族』の茶髪の青年に声を掛けた。
「人間を待たなくても良いぜ、2人で侵入しよう。……だけど」
 直ぐに口を閉じ、白髪の青年は入り口を睨む。棚の奥に茶色い作業服を着た人間の姿が4、5人見える。それぞれが棚の間を移動しながら、ダンボール箱を押し込んだり引っ張り出したりしている。顔を見合わせて雑談をしている者もいたが、荷受けのトラックを待っているのか、外に目を向けている者もいた。
(あの人間の見張りどもが邪魔だな。入り口は此処しか無いし、だけど見張りの数が多いし、どうしようか)
 小さな灰色の目が更に空間を観察すると、天井付近に張り巡らされた鉄骨から大型のシーリングファンがぶら下がっており、くるくると回るファンの近くの天井に、大きな四角い穴が空いている。が、
 1番近い棚からでも距離があるその場所は、足場が無い為に容易に入るのは不可能だった。青年は早々に諦めた。
 ヒュウラは同じ場所を無表情で見ている。

 大きく被りを振ってからヒュウラに顔を向けた青年は、腰のポケットを弄っている相手を不思議そうに見る。ヒュウラは大きなプラスチックの輪が付いている、切断された吊り革を2個取り出して片手に掴むと、青年の腕を空いている方の手で鷲掴みにして腰を上げた。
 踵を返して歩き出す。建物からどんどん離れていく。
 強引に連れて行かれながら、青年は慌てて抗議した。
「ちょっと、ちょっと何処に行くんだよ?!辞めるんだったら、おれも逃げるぞ!」
 返事も反応もされない。建物から更に離されていく。立ち止まって方向転換したヒュウラは数十メートル離れた建物の入り口を一瞥すると、
 横目で縦列駐車されているトラックの1台が動いたのを確認した。
 背負っている巨大な斧を横に少しずらす。人間の乗り物が建物に向かって走り出すと、ヒュウラは青年を連れてアスファルトの道路から少し逸れて再び止まる。走っていくトラックが建物に入るまで見届けると、
 青年を後ろ向きに肩に担いで、走り出した。
 トラックの横を一瞬で通り過ぎ、荷受けの為に車を迎えようと歩き出した人間達の脇も瞬く間に走り過ぎる。疾風のような速さで立て掛けられた段ボール束を足場にして棚の天板まで跳ね登ると、勢いを付けたまま棚から棚に飛び移り、シーリングファンから1番近い棚の上まで移動する。
 音は殆どしない。人間達はトラックに注意を奪われていて、侵入者に気付かない。その場に伏せて静止したヒュウラは吊り革を持った片手を一瞥すると、担いでいる青年の右足に1つ、輪っかを足首に通して装着する。
 青年は細工に気付かない。ヒュウラは赤い布を巻いた自身の腰のポケットを軽く叩き、麻酔針と共に吊り革が1個収まっている事を確認してから、ゆっくりと回る4枚羽のシーリングファンと、ファンを支える鉄骨、その側の天井に空いた四角い穴を見つめる。
 ヒュウラに背負われた青年は、短い口笛を吹いてから目線を棚の下に向け、トラックから荷物を次々と出している人間達を睨みながら見下ろす。ヒュウラは片手に掴んだ吊り革の輪を強く握り絞めると、青年に声を掛けずに、腰を上げて再び走り出した。
 突然動き出されて白髪の青年が目を丸くすると、ヒュウラは棚の天板で助走を付けてからシーリングファンへと飛び跳ねる。肩からズリ落ちて横倒しになった青年は小さな悲鳴を上げるが、直ぐにヒュウラは足首に嵌った吊り革の輪を片手で掴んで転落を阻止する。掴んでいる吊り革の輪をファンの羽の1枚に通して身を持ち上げると、反対側の羽に足を組んで身を固定し、吊り輪越しに足を掴んでいる青年を投げ飛ばした。
 青年が天井の穴に放り込まれると、ヒュウラはファンと一緒に回りながら、吊り革の輪から羽の側面に、両手で掴む場所を変える。上半身を斜めに捻り、組んでいる足を引いて膝を少しずつ曲げていくと、徐々に重みで外れたファンの根本から、鉄骨の内部を通る太細の電気コードが姿を見せる。
 複数の束であるケーブルが伸びていき、ファンが少しずつ地に向かって落ちていく。ヒュウラは身を逸らしてファンの角度を水平に保つと、足を離して腕の力で身体を持ち上げた。
 ファンの上に軽々と乗り、そのまま羽を足場にして羽を繋ぐ中心部へと跳ねて照明を踏み、大きく飛び上がる。鉄骨を両手で掴み、身を持ち上げて上に乗ると、
 背負っている巨斧で細いケーブルの数本を切り取ってから、鉄骨の上を駆けて天井の穴へと飛び入った。

 穴の中は通気孔になっていた。壁と天井の隙間に余裕はあるが、横並びにはなれず一般的な大人の人間が這って通る事しか出来ない、コンクリートに覆われた光の無い道が伸びている。
 大きなタンコブが出来た頭を摩りながら、白髪の青年が壁を探り探り匍匐前進をしていると、背後からヒュウラが後を追ってくる。
 背負った巨大な斧の刃が壁に傷跡を刻む甲高い音が響くと、音と気配で気付いた青年は目を輝かせながら背後に振り向いた。
「あんた、めちゃくちゃ凄えよ。何あの動き。外来種って凄えんだな!」
 称賛の声を受けても返事も反応もせず、ヒュウラは無表情のまま相手の右足首に付いた吊り革の輪の隙間に、シーリングファンのコードを入れる。先から銅線が飛び出した電気を通す管にポケットから取り出した3個目の吊り革の輪を通し、2つの輪の間を十分離した状態で結んだ。
 輝かせていた瞳を曇らせて、青年は苦虫を噛んだような顔をしながら呻き声を漏らす。
「えーマジかよ、何してんの?足にハマっちゃってるじゃん、コレ後で外してくれる?」
 ヒュウラの斧の柄が、青年の背中に浅く刺さる。鈍い痛みを感じた青年は大きな溜息を吐くと、匍匐前進を再開した。