Bounty Dog 【14Days】 112-113

112

 空中に作られる爆弾は、空中に作られる電磁砲になった。小さな白い手が放つ指弾きが銃の引き金のように、電撃の球から矢を撃ち出して飛ばしてくる。その電磁砲も”魔法”だった。充電の必要は全く無く化学技術も設備も一切必要無く、指で宙を叩いて指で宙を弾けば、電撃の矢が宙に生まれて駆けていく。
 創作御伽話に登場する魔術者達も皆が消魂するだろう、魔力も詠唱も特別な道具も才能も修行も全部要らない”全ての存在の源が起こす最強の魔法”を、幼い鼠の亜人は指と文字だけを使って披露する。亜人が操る目に見えないこの世界の最小物質が放つ超自然現象が、同じ亜人である青年を無慈悲に襲っていた。
 ヒュウラは目を見開いたまま、避ける。ひたすらに避ける。戦況が逆転する。ローグの子供は自信を過剰にした。ゲラゲラ、ゲラゲラ笑いながら『雷の原子』が作った電磁砲を撃ち続ける。
 ヒュウラは電撃を避けながら、天井を見た。四角い穴に格子になった換気口の金具が付いている。穴の奥に居る影を見付けた。影を一瞥して、ローグに視線を戻して、表情を無に戻して、逃げた。
 ローグはゲラゲラ、ゲラゲラ笑いながら走り出す。鼠は狼を電磁砲で焼き殺そうと、弱肉強食の摂理を逆転させて追い掛けた。

 天井の中に潜んでいたリングが、換気口の隙間越しにローグを見下げながら睨み付けていた。ヒュウラを援護する機会を窺っていたが、機会を逃した。ヒュウラが彼方へと逃げていく。
 ローグが笑いながらヒュウラの後を追い掛けていく。置いてきぼりにされた猫の亜人は、誰にも聞こえないよう小さく一声鳴いた。思考に耽る。己が取るべき行動を考える。
 換気口を開いて通路に降り、2種の亜人を追おうと考えたが、目線を正面に向けて通気口を這った。ヒュウラが向かうだろう場所を推測して、天井から先回りを狙う事にした。
 手に打撃式の麻酔針を握っていた。猫の亜人は移動しながら、武器をローグの首に刺すイメージを頭の中で延々と描いた。

 ヒュウラは無表情で逃げた。全力疾走でローグを引き離していく。壁を蹴り壊してショートカットも幾度かした。ローグは非常に鈍足だが、笑いながら人差し指で文字を書いて指を弾き、電撃の矢を何度も何度も己に向かって撃ってくる。
 電撃の矢はヒュウラよりも、どんな生き物よりも遥かに動きが早かった。ヒュウラは首を背後に固定したまま、指が弾かれる度に襲ってくる俊速の電磁砲を反射的に伏せて、飛んで、避ける。
 電撃は壁に当たる度に、2つに割れて天井と床をそれぞれ暫く這って消える。天井から断続的に音が聞こえてきた。リングが通気口から己を追ってきている事に、ヒュウラは既に勘付いていた。
 それでも今の戦況は完全に不利だった。ポケットの中で3枚のコインが振られて揺れる。腰布とズボンの間に挟んでいる、木の柄だけが残った巨斧が振られ揺られて斜めに傾く。
 ヒュウラは仏頂面のまま、ローグと電磁砲を見つめながら打開策を考えた。横壁を蹴って壊す。横に跳ねて、壁に作った大穴から向かいの通路に入って逆走する。ローグが笑いながら追ってきた。壁の穴の縁に両手を引っ掛けて、小さな身体をゆっくりと通らせていた。
 術者の身動きが遅い事が救いだった。俊足で走って更にローグから距離を離す。曲がり角を高速で曲がり過ぎると、過ぎたと同時に電磁砲が飛んできた。振り上がった赤い腰布の先に電気が当たって、布が齧り食われたように消滅する。
 ヒュウラの顔は変わらず仏頂面だが、冷や汗が全身から滲み出ていた。動悸もしていた。人間の保護官が此の場に居たら、今のヒュウラの生体数値が異常だと判断して護衛に来たのかも知れない。それが出来る2人の保護官はヒュウラの傍に居なかった。1人は支部の外に、もう1人は此の世の外に居た。
 逃げる。逃げながら打開策を考える。人間の道具を2つ持っているが、己が知っている人間の道具の活用に関する知識では最善の利用方法が思い付かなかった。ローグの甲高い笑い声が聞こえてきた。淡く光が瞬く。雷電の光が瞬く。また電磁砲が飛んでくる前に逃げる。新たな道具を見付けるか、方法が思い付くまで逃げようと決意した時、
 首輪から突然、”良く知る”人間の声が聞こえてきた。

 リングは天井の中から追い掛けていたヒュウラとローグを見失った。誰にも聞こえない小さな声で鳴くと、動きを止めて呆然とする。
 橙色の愛嬌のある目に涙を浮かべて、困り顔をしながらこの後の行動をどうするか考えた。先回りをしようとしていたが、ヒュウラの足が速過ぎて後追いの形になっていた。
 もう一声鳴く。地上に降りようかと考えた。鼠の亜人は猫の亜人から見ても、とても足が遅いと思った。ただ、鼠が空中から作って撃っている電撃の矢が非常に怖かった。
 更に一声鳴く。リングは換気口の出入り口がある場所まで這って行った。格子上の金具から地上を見下げると、通路を走っていく1つの影を発見した。
 リングは非常に驚いた。影の正体を知って、思わず大きな声で鳴いた。

113

 ヒュウラは己の耳を疑った。聞こえてきた声は、聞こえてくる筈が無い声だった。
 デルタ・コルクラートにそっくりの、やや音調が高い声が、首輪越しに自分に向かって話し掛けてきた。
『ヒュウラ、突然ごめんなさいね。苦戦しているようだから、指示が必要だと思ったの』
 声は女のような話し方をした。実際に声は女の物だった。だが余りにもデルタに声が似ていたので、ヒュウラは仏頂面のまま内心で混乱していた。 
 声は一方的に話し続ける。
『貴方に直接連絡するのは初めてね。先ずは名乗っておくわ、私はシルフィ。シルフィ・コルクラート』
 ヒュウラの目が動いた。金と赤の目が限界まで吊り上がると、表情が不機嫌を示したまま固定される。
 シルフィと名乗った人間の女が吐いた小さな溜息の音が聞こえた。女は抑揚の無い声で説明をしてきた。
『そう、コルクラート。声も似てるでしょ?私はデルタの双子の姉よ。事情があって、彼には私の代わりに班長をして貰っていたの。『世界生物保護連合』3班・亜人課の現場部隊は、元々は私の部隊。亜人の扱い方は誰よりも心得ているわ』
 ヒュウラは返事も反応もせずにローグからの逃亡を続けた。背後から子供の甲高い笑い声が聞こえてくる。光の瞬きは無かった。電撃が届かない距離まで敵を離している。
 シルフィと言う名のデルタの姉が出す、荒っぽい息遣いが首輪越しに聞こえてきた。相手も何処かを走っているようだった。お互い走りながら会話を続ける。何の言葉も発しないヒュウラに、シルフィは遠慮無く要件を伝えた。
『早速だけど、貴方に保護官として指示を与えるわ。Lランク『絶滅種』、亜人・ローグの保護を任せる。”殺さ”ずに捕獲しなさい。これは絶対命令よ』

 リングは地上に降りて通路を走っていた。目の前を疾走する人影を追い掛けながら、仕切りに鳴き声を上げる。
 猫の鳴き声に気付いた影が振り向いてくる。ミト・ラグナルが険しい顔をしながらリングと目を合わせると、直ぐに正面に向き直って走った。
 リングはもう一声鳴いて、ミトに呼び掛ける。
「ニャー!ミト、お前、何処行くニャ?!クソガキ、デルタ、殺した!!危ない!出て行け!!」
「だからこそ!だからこそ保護しなきゃ!!」
 ミトは正面を向いて走りながらリングに答えた。塩水の粒がリングに向かって飛んできた。ミトは恐怖と激しい後悔の念を心に抱えて、泣きながら走る。麻酔弾の詰まったドラム型の弾倉が付くサブマシンガンを片手で構え、もう片方に赤い点が画面に表示されている通信機を掴んでいる。
 ミトは涙で潤んだ茶色い目で、目標を捉えた。保護対象(ターゲット)の姿を初めて見たミトは、その姿に驚愕した。身体の小さな小さな銀髪の幼児は頭部から黒い獣のような大きな耳が生えており、上司を殺害した凶悪な鼠の亜人・ローグだと、背中越しに見ただけで確信した。
 ミトはターゲットを追う。ローグは人差し指を天に向けて伸ばした。曲げた人差し指を親指で押さえてから、勢い良く弾く。空中に発生した電気の塊が稲妻になって前方に撃ち飛ばされた。
 絶滅種が追い掛けている絶滅危惧種の姿は見えない。ローグの子供は己の背を追ってくるミトの気配を察知した。足を止めて、振り返ってくる。
 ミトと、背後から追ってきていたリングも急停止した。ミトはローグの子供の顔を見て、また驚愕した。中性的で真っ白い肌に大きな赤い目を持つ、非常に可愛い顔をした子供だった。
 独特の鳴き声のようなものを呟いた幼児が、瞳孔の濁った目で此方を見つめてくる。ミトは散漫になり掛けていた意識を取り戻すと、眉間に皺を寄せて、サブマシンガンの銃口をローグに向けた。ヒュウラと繋がっている通信機をポケットに入れて、片腕で照星(フロントサイト)越しにターゲットを凝視する。
 子供のダボダボに大きい黒いローブに隠れている細い首に十字の中央を当てる。ミトはターゲットを睨み付けながら、片腕を上げて手の甲を相手に見せた。揃えた指を内側に向かって振りながら、大声で言う。
「ローグ!おいで!!私はあなたが憎んでいる人間よ!!」
 リングが悲鳴のような鳴き声を上げた。無謀な行動を取る人間の少女を止めようと走り寄ってくる。
 ミトは、前方への誘引から後方への静止にジェスチャーを変えて、リングを拒んだ。リングが困り顔をしながら止まると、手の動きを元を戻す。ローグを再び誘引すると、絶滅種の鼠の亜人は口を尖らせながら首を傾げた。
 ミトは叫ぶ。
「私はリーダーの死を無駄にしない!おいで!!”お前”も保護する!!」
 ローグの子供はミトを見て、黒い大きな獣耳を上下に振った。真顔で新参者達を眺めると、大きく口を開閉して口パクで言ってくる。
「あとで」
 踵を返して、彼方へと走って行った。ミトが追おうとすると、リングが肩を掴んで引き留めてきた。子供の姿が消えると、消えた方角から雷鳴が瞬く音と光が空間から漏れ出てきた。笑い声も聞こえてきた。鬼ごっこを楽しむ、子供の燥ぎ声が聞こえてきた。
 ローグはヒュウラの討伐を優先した。ミトは説得してくるリングの手を振り払ってローグとヒュウラの追跡を行う。
 リングは眉を寄せながら一声鳴いて天井を見上げると、ミトと反対の方向に向かって走って行った。

 ヒュウラの目は、吊り上がったまま戻っていなかった。シルフィが口を閉ざしてから、随分と時が経っていた。
 ヒュウラは支部の通路を外回りにグルグル走り続けていた。デルタの部屋の前を何度も通ったが、ドアノブに飾られた犬のぬいぐるみはそのままにしていた。新たな道具は未だ見つけられていなかった。ポケットに100エードコインが3枚、腰に斧の柄が1本。ヒュウラの今持っている人間の道具はそれだけだった。
 ローグの笑い声が聞こえてくる。雷光も背後から仄かに浴びた。光が徐々に強くなってくる。自分の足は非常に速いが耐久走には適していないと悟る。
 シルフィ・コルクラートは黙ったままだった。ヒュウラは部屋の1つに入ると、棚から物を掻き出しながらデルタの姉だと名乗った人間の女に向かって口を開いた。
「あいつは殺す」
 首輪から銃声が聞こえた。ショットガンの銃弾が何かを撃ち壊している。撃たれたモノが壊れる鈍い音も聞こえてきた。音が止むと、シルフィが漸く返事をしてきた。
『そうね、そうしたいと思うのは当然。あの亜人はデルタの仇。私にとっても弟の仇。ずっと好き勝手に暴れているわ。じゃあ』
 シルフィの声の音量が上がった。機械の先で何故かクスクス笑い始めた。一頻り笑ってから、彼女はデルタが決して言わない不可解な指示をしてきた。
『こっちも、暴れに暴れて懲らしめて良いわ。それは喜んで許可する。思う存分に貴方の気が済むまで、あいつを叩きのめしなさい』
 ヒュウラの目の形は変わらないが、口角が上がった。物を掻き回していた手を止めて、棚から腕を引き抜いた。其の場で身を伏せて、扉の先の通路を見つめる。ローグが笑いながら部屋の前を横切っていった。暫くして、ミトが部屋を横切っていった。が、ヒュウラは何の反応もしなかった。 
 シルフィが首輪越しに指示をしてくる。
『ターゲットを殺すのは禁止。だけど、殺さないのなら何をやっても良いわよ。絶滅危惧種は保護するのが、この組織の絶対ルール。コレ”だけ”守って、あいつを貴方の好きなように扱いなさい』
 ヒュウラは返事しなかった。ポケットから100エードコインを2枚取り出すと、右掌の中に握り締めて部屋を出た。

 ヒュウラは、ローグの行く方向と逆に向かって走った。目を釣り上げた亜人の青年に、人間の女が首輪越しにターゲットの情報を伝える。
『ローグの『原子操作術』には、必要な物が3つあるの。先ず力の根源となる見えない物質『原子』。それに命令をする為の『ローグの術式』と呼ばれる特殊な文字。そしてコレが1番大事なものよ。この術の作業は、全部手の指を使ってするの』
 シルフィは口を閉ざした。直ぐに口を開いて次の言葉を発する。
『指よ。指を潰しなさい』
 ヒュウラは返事しなかった。代わりに一言だけ、返事では無い言葉を口にする。
「雷」
 シルフィは、直ぐに言葉の意味を察知して答えた。
『ええ、使う術が”貴方のお陰で”爆弾から雷になっているわね。もう1つ教えるわ。ローグが使う、その術は』
 言葉は直ぐに続けられる。
『世界中の人間が科学として研究しているらしいの。科学っていうのは物体を観察して、物体の法則、つまり”決まり”を見付けて応用する技術よ。ローグの雷がする動きを良く見なさい。それで貴方なら攻略出来る筈』
 ヒュウラはローグの進行方向に先回りした。見付からないように壁側に伏せて、前方からやってくる鼠の亜人の動きを観察する。
 鼠は可愛い顔で醜く笑っていた。空中に光が発生する。ヒュウラは目を凝らしてローグの指弾きを合図に発生した雷の球と電磁砲の流れを見る。
 雷の球から飛び出した電撃の矢は通路を真っ直ぐ飛んで、己の身の直ぐ脇を通り過ぎた。電撃には標的を己が追い掛けて襲うという意思はどうやら無いようだった。一度も曲がらずに一直線に飛んでいく。壁に当たると、2つに分裂した。天井と床をそれぞれ這って、小さくなりながら這い進んで、途中で消え去った。
 轟くような発砲音が、近場からと首輪から二重に聞こえた。シルフィが己が居る場所から近い通路の壁を壊したようで、瓦礫が崩れる音が二重に聞こえてきた。
 ローグが反応した。己がしたと誤認して、崩壊音がしてきた方向へと笑いながら走っていく。床を硬い物が断続的に叩くような音がする。シルフィはヒール靴を履いていた。複数の音を出しながらローグの子供を誘導しつつ、シルフィがヒュウラに向かって首輪越しに指示をしてきた。
『ヒュウラ。人のエゴから外れたやり方を、私に見せて頂戴』
 ヒュウラは動いた。ミトはヒュウラが突然眼前に現れて、驚きと安堵の両方の感覚を持った。1人と1体でローグを追う。ミトはヒュウラを護衛する為に銃を構える。ヒュウラはミトに勘付いていなかった。
 右手にコインを2枚隠し持つ。左手で斧の柄だった木の棒を腰から引き抜いた。
 ヒールの音が首輪から断続的に響く。シルフィが大声で言った。
『あなたの思うままに、やりなさい!!』