Bounty Dog 【Muchas gracias. Te amo.】 5-7

5

 ジャックは義父の約束を守って、2階の端に梯子と扉がある屋根裏部屋に近付かずに、新しい家で暮らした。義父に貰った開かない手錠を宝物にして何時も手に持って眺めては、大人になって国際警察官になった未来の己を想像した。
 未だ小さな切り込み1つ入っていないキラキラした将来の夢は、ジャック少年の心を物凄く幸せにしてくれていた。養子として己を迎えてくれた義理の両親もとても優しい人で、毎日がとても幸せだった。とても幸せだった。義両親はとても優しい人。そう信じて、ジャックはタラルとビアンカ夫妻を微塵も疑っていなかった。
 空前のヒットをしていた擬似戦争ボードゲームは、製造販売した玩具会社が名付けていた筈の本来の名前も何時の間にか変えられて、各国での名称も其々異なっていた。実際は模倣品も非常に酷い数で出回っており、劣悪な模倣品による事故も多数起きていた。
 安全性の問題と版権関係で、ゲームは発売されて僅か数ヶ月しか経っていないのに何十回も起訴と裁判沙汰になっていた。だがこの世界は我々が生きている世界と同様に、クリエイティブなモノに関してはどんなに優秀な作品でも、作品が人間や生き物であっても”今この場で金を大量に実らせる木に成るか成らないか”だけでしか物差しで測られて天秤に掛けられず、一銭の金にも成らさないのであれば賞賛を受けるどころか、理不尽な理由を付けられて存在を抹消される。逆に金に成ればなるで、盗用・悪用が後を断たない。酷いと元は抹消されて皮だけを被っている偽物に擦り変えられる。”本物は誰にも気付かれずに既に喪失している”作品は、この世界も我々の世界も数え切れない数のモノがあり、今も延々と増え続けていた。
 人間はどの国に住んでいるモノでも非常に悍ましい生き物だった。中東地帯に住んでいる”金喰い悪魔”と同様に、金で己の私腹だけを肥やす為に他の存在の命や運命を簡単に不幸にする人間達も、世界中に老若男女で大勢いた。
 この世界は34年以上前から、気が遠くなる程に遥か昔から全体的にも酷く歪んでいた。そんな思考が狂っている『ゴミ人間』達がするエゴの毒牙に散々襲われていた擬似戦争ボードゲームだが、ジャックは専業主婦で昼間も家に居る事が多い義母ともこのゲームで遊んで、タラル以上に早い時間で倒してしまっていた。
 僅か7歳の『無敵王』が持っている無敗記録も切り込み1つ入らない。ジャックが余りにもゲームが強過ぎる為、義父母はゲームに対する意欲を喪失してしまい、ボードゲームの一式も『無敵王』にプレゼントした。
 ジャックはボードゲームを貰ってから、手錠と一緒にゲームの一式も何時も持ち運んで大事にしていた。この家の養子になってから、1週間があっという間に過ぎた。相変わらず屋根裏部屋には近寄らず、壁に掛けられている銃火器達も見慣れて気にならなくなっていたが、ジャックはこの家で過ごしている内に、別の違和感を幾つか抱いていた。
 この家に養子はジャック1人しかいない。己を含めて3人家族の筈である。だが食事が終わって少し寛いでから皿洗いを手伝う時、何時も食器が1人分多かった。
 そして、食事にオレンジがやたらに出る。朝ごはんは毎日オレンジジュースと切ったオレンジとマーマレードジャムが塗られたパンという、オレンジ三昧だった。加えて、義両親は夜中になると毎晩、何処かに行って居なくなる。義母に関しては、昼間もたまに暫く行方不明になっている事があった。
 オレンジ三昧以外を、ジャックは次第に不審に思い始めた。
 ジャックが家にやってきて3週間後。彼は遂に、約束を破った。

6

 ジャックは知能が少し良かった。孤児院から通わせて貰っていた学校での勉強で苦手な科目が何も無く、国語も算数もすんなり出来た。体育の成績も良かった。
 だが、彼は未だ7歳の少年である。己達と同じ食事を食べている生き物は、3週間前に義父のタラルに言われた、屋根裏部屋に住んでいる『ロック鳥』だと思った。
 ロック鳥は見た事が無いので姿が一切分からない。空想のモンスターだが、空想のモンスターも現実世界で普通に生きて暮らしていると強く信じていた。
 ジャックは幼い子供だった。サンタクロースは居て、ハロウィンのお化け達も居て、悪魔や天使や妖精や精霊や魔法使いや魔物やゾンビも居ると本気で信じていた。神様はこの国では産まれた瞬間から殆どの人間が入信する西洋宗教を己も信仰していて絶対に居ると信じていたが、ジャックにとっての神様のイメージは何時も”優しいお爺さん”だった。
 子供なので、空想と現実がごちゃごちゃになっている精神世界から未だ抜け出ていない。そんな彼は純粋で心がとても優しい性格だった。モンスターを、怖い存在では無く此方が悪い事をしなければ決して悪い事をしてこない鏡のような生き物だと思っていた。凄く強いモンスターらしいロック鳥にも、彼は勿論同じ感情を抱いていた。
 だが敵意を向けられてしまうと、己は憧れの国際警察官になる前に襲われて食べられて死んでしまう。其れを避ける為にジャックは、身の安全を確保する装備を整えて、ロック鳥と安全に会うタイミングを見定める事にした。

 彼は盾を構えながら剣を振って闘う勇者になる前に、虫眼鏡を使って何でも繁々と観察する探偵になる。
 先ずは義母のビアンカがする行動を事細かく観察した。ビアンカは、朝5時に起きて身支度をしてから夫に持たせるお弁当を作り、朝食も一緒に作る。朝6時に起きてくる夫のタラルに朝食を食べさせて身支度を手伝い、アルムエルソ(朝10時の食事)用と昼食用のお弁当を持たせて、朝7時に送り出す。タラルは少し格好良いデザインの普通乗用車で、この家の近くにある町の警察署にシフト制で通勤していた。
 夫を送り出してから、ビアンカはジャックを起こす。ジャックは2階にある夫婦と別の部屋で寝起きしていた。
 後に”彼”はこの部屋で11年間、”己の影武者”と”その処分用の業者”を操る為の小型通信機を親の財産で買って設置して、1日の殆どを過ごす事になる。そんな未来を知らないジャックは、ビアンカに毎朝必ず7時半ピッタリに起こされた。
 ビアンカも生真面目な性格だった。タラルも少しだらしないが、真面目な性格をしていた。朝7時半ピッタリに起こされて、ジャックは1階のダイニングルームで用意して貰っているオレンジ三昧の朝食を食べる。その後でぬるめのチョコレートドリンクを飲みながら寛いでいる間、ビアンカは1人分の朝食をお盆に乗せて、朝8時半に必ず上の階に上がって行った。
 ピッタリ朝8時半。毎日ピッタリ朝8時半に、1回居なくなる。次に居なくなるのは、ビアンカが専業主婦業である洗濯・掃除等の家事をして、6月後半から9月前半まである学校の夏休み中であるジャックがオレンジ三昧のアルムエルソを食べてから直ぐ。ビアンカはアルムエルソも、朝食と同じように1人分を一式お盆に乗せて、上の階に運んで行った。
 朝食の時もアルムエルソの時も、運んで行く時に付けているデニム素材のエプロンのポケットの中に、携帯用の酸素ボンベを入れていた。ジャックは敏腕探偵ごっこをしながら、3週間前にタラルからされた忠告を思い出す。
(その鳥は、会うだけで窒息して死んでしまうくらい危険だ)
 ビアンカはロック鳥への食事を運んでいると確信した。装備に酸素ボンベが必要だとも知る。次にビアンカが己の傍から消えるのは、昼食時とティータイムのおやつの時と、夕食時だった。消え方は朝食時とアルムエルソの時と全く同じ。食事を1人分持っていく。酸素ボンベを一緒に持っていく。そして食事は何時もオレンジ三昧。肉系の食事の時は、ソースにオレンジが使われていた。
 ロック鳥用の装備にオレンジが必要なのか不要なのかは、全然分からなかった。唯、規則正しい時間でビアンカは居なくなる。居なくなってから戻ってくるまで、此方は多少時間が変わったが、おおよそ30分程度だった。
 そして夕食後2時間くらい経って、義父のタラルが警察署から帰ってくる。タラルは警部補という役職付きだが夜勤も良くあるらしく、夜勤の時は夕方まで寝ていた。夫が夜勤の時はビアンカも朝6時半近くまで寝ている。だがジャックを起こす時間は、必ず朝7時半だった。
 義父母がする毎日のルーティンを繁々と観察していた、勇者転職間近で今は探偵をしていて将来は国際警察官になりたい少年は、観察を始めてから1週間が経った日に、遂に”ロック鳥・安全接近可能時間”を見定めた。

 ジャックが見定めた”安全接近可能時間”は、真夜中から早朝だった。探偵ごっこを始めて7日目、時期に勇者に転職する最終職業は世界を駆け巡って犯罪者達を逮捕する国際警察官の予定であるジャック・ハロウズ(7歳)は、義父母が1日の最後にほぼ必ず2人共に居なくなる時間と、就寝時間を完全に推理した。
 義父のタラルに関しては夜勤の時は夜、仕事に出掛けて家に居ない。義母のビアンカは毎日ほぼ同じルーティンを繰り返しているが、夜に居なくなる時間はジャックを寝かし付けてくる午後9時から午後10時。タラルも昼勤の時はその時間、妻と一緒に居なくなっていた。その後夫婦もしくは義母は寝室に行って、就寝する時間はピッタリ午後11時だった。
 毎晩ほぼ必ず、23時に寝る。タラルも昼勤の日は同じ時間に寝ていた。夫婦なので大人なスキンシップをしている時もあったが、そういう日も大抵午前1時くらいには2人揃って寝ていた。
 確実に義父母にバレずに”ロック鳥”に会える時間は、午前1時から午前5時の間の4時間。子供にとって4時間は、物凄く長く感じる時間だった。
 この4時間の間にロック鳥に会おうと決意したジャック・ハロウズ(7歳)は、探偵ごっこを7日で辞めてこの家に来てから4週間目に、名探偵ハロウズから光の勇者ジャックにコッソリと転職した。

7

 行動は勇者になって次の日に実行した。先ずはロック鳥から敵意を向けられてしまった時に使う、携帯用酸素ボンベを手に入れる。
酸素ボンベは、キッチンの戸棚の中に大量に置かれていた。酸素ボンベを入手するのは、ビアンカがアルムエルソを何処かに運んで行ったタイミングで実行した。
 手に入れた酸素ボンベは、パーカーに付いているカンガルーポケットの中に入れて隠した。リビングのソファーの傍に置かれている、勉強する時に使っている大きな木製のテーブルの上に丸々としたオレンジの実も小山のように乗っていたが、オレンジは装備に加えない事にした。
 そして、腹ごしらえもしっかりと済ませておいた。相変わらず祖国の典型的な食事回数である5食で出るほぼ全ての料理がオレンジ三昧だったが、養子である己は義母に文句を言える立場では無いと、子供ながらに彼はきちんと空気を読んでいた。
 パーカーの中に仕込んだ酸素ボンベは吸えない空気を吸う為に使うモノだとは、全く勘付いていない。昼寝も長めに取ってしっかり寝て、逢着対象(ターゲット)のロック鳥に会っている間に、眠くならないようにもした。
 モンスターにも気を遣う心優しい勇者は、義父母に勘付かれ無いように普段通りを装った。学校で出されていた夏休みの宿題は早々に終わらせてしまっていたので、時間潰しはトランプで遊んでいた。得意の擬似戦争ボードゲームは2人専用ゲームで1人では遊べない。1人でも遊べる神経衰弱や七並べをして時間を潰した。夕方になり、夜になり、その日の夕食はアクアパッツァとサラダとパンだった。オレンジが一切入っていなくて心の中で歓喜する。だがデザートがオレンジピール入りのチュロスだった。心の中で絶望する。
 ジャックは約1ヶ月続いている地獄のオレンジ三昧生活でオレンジが若干トラウマになっていた。己が着ているオレンジ色のパーカーも、お気に入りだった筈なのに今は少し嫌いになっている。オレンジは違う意味でも装備に加えないと、オレンジを拒絶し始めた勇者ジャックは決めた。
 夜9時にビアンカに寝かし付けられて、ビアンカがベッドの中にいるジャックの部屋の電灯を消して去っていく。ジャックは枕元から小学校入学祝いに孤児院の先生達から貰った懐中時計を取り出して、30分計って経過してから服を着替える。酸素ボンベを装備して念の為に深呼吸を数回すると、ボードゲームの一式も持って部屋から出た。

 この日、タラルは昼勤だった。ジャックは忍び足で2階の端まで移動する。天井を見上げると、木製の梯子の先に玄関と同じかそれ以上の数で南京錠が付けられている、取手付きの点検口のような扉があった。
 鍵が全て外れている。約束を守って過ごしていた時もたまに近くを通る事があったが、普段は全ての鍵が施錠されていた。今は、南京錠の1つに鍵が大量に束ねられたキーホルダーが差し込まれている。
 ジャックは物音を立てないように梯子を登って、キーホルダーを鍵から抜いた。パーカーのポケットに入れる前に、扉の奥から聞こえる音と声に耳を傾ける。
 少し重い何かが床を擦りながら動くキーキーという音、硝子製のグラスに入ったロックアイスがグラスに当たるカランカランという音、何か紙のような物がガサガサ擦れる音。そして義両親の声だった。
「ーーでな、今日も父さんは犯罪者を逮捕してきたんだ。1度目が許されるからって2度目も同じような重い罪を犯そうとする奴が多過ぎるけど、2度目以降はキチンと手錠をかけて牢屋に放り込むし、犯罪歴も罰も与えるぞ。でも父さんは、本当は軍人にーー」
「あなた、寝ちゃいそうよ。今日はこの辺にして寝かせてあげて」
 ガタガタ足音が天井から響いた。ジャックは慌てて梯子を下りてから、物陰に隠れる。天井の扉が開いて、先ずビアンカが下りてきた。次にタラルが下りてくる。タラルは酔っ払っていた。ビアンカにウイスキー用のグラスと飲みかけのウイスキーボトルを手渡してから、梯子をゆっくりと下りて、寝室に向かっていった。
 ビアンカがもう一度梯子を登って、扉を閉めてから南京錠の1個を凝視した。南京錠には鍵束が付いている。一瞬違和感を持ったが、鍵束を使って全ての鍵を施錠してから、彼女も夫の飲酒の後片付けをする為に1階へと向かって行った。
 ジャックはビアンカを尾行する。ビアンカはウイスキーをリビングにある戸棚の中に置いてから、鍵の束も一緒に仕舞い込んだ。夕食の食器と酒のグラスを洗う為にキッチンに行く。
 ジャックはリビングの影に隠れて、勇者から忍者に一時的に転職した。夢の国際警察官までの間に彼は3回も、内容が全然違う職歴を積んでしまった。国際警察官の面接時に、余りにも期間が短過ぎる転職歴を履歴書で見付けて不審に思った人事担当者に「何がしたかったの?君は?」と尋ねられてしまっても「養子に行った家に住んでいるモンスターに会いたかったからです」と正直に答えてしまうと、問答無用で選考から落とされてしまう。
 憧れの夢に対して大きな壁を作ってしまった事を、履歴書とは何なのかすらサッパリ分からないジャック・ハロウズ(7歳)は、職歴問題を全く心配せずに忍者ごっこを楽しみながら務める。ビアンカはジャックの見事な忍びの隠密で、養子が起きて家中をウロウロしていると全く気付かず、後片付けを終えてキッチンから2階の寝室へと行ってしまった。
 自由と情熱の国の影に潜む愛の忍者、惹句(ジャック)・アモーレ・ハロウズは、忍者から光の勇者に速攻復職する。ビアンカが弄っていた戸棚を開けて、中から鍵束を取り出した。
 盗賊というWワークを無意識にしているが、職歴破茶滅茶問題も彼は全く心配していない。戸棚から鍵束を拝借する時に、別の鍵束が置かれている事に気付いた。ーー恐らく、南京錠が大量に付いている玄関の扉用だと推理する。
 前職の探偵業が大いに役に立った。これで国際警察官の面接で人事担当者に職歴を突っ込まれても「勿論、世界を股にかけて活躍する優秀な警官になる為です。非常に短期間ですが重犯罪者達の速やかな逮捕に繋がるスキルになるように、修行していたんです」と嘘を堂々と吐ける。鍵束を再び手に入れたジャックは、前職の経験が活かされている、磨きが掛かった忍び足で屋根裏部屋に繋がる2階の梯子の傍まで戻った。音を出さないように、慎重に梯子を登る。
 取手が付いた点検口のような扉の隙間から僅かに光が漏れていた。ガチャガチャ硬い物を弄っている音も響いてくる。”ロック鳥”は起きているようだった。少し緊張しているのか、息が苦しくなってくる。
 鍵束を使って、南京錠を1個ずつ外した。少し音を出してしまい、ジャックは慌てて動きを一時停止した。ロック鳥が出していた音も止まる。ーー気付かれたかも知れない。
 最後の鍵を外すと、鍵が付いていた鎖をゆっくりズラして、取手を掴む。音を出さないようにゆっくり開けた。開ける直前に甲高い鳥の鳴き声を警戒したが、鳴き声の代わりに響いてきたのは、ガサガサという紙を弄るような音だった。
 光の勇者ジャックは扉を開けて、屋根裏部屋に侵入した。照明の灯りで煌々と照らされている屋根裏部屋は、子供部屋のような場所だった。窓が1つも無く、中央に大きなロッキングチェアが置かれている。隅に子供用のベッドと、その傍に大きな大きな木箱も置かれている。
 ロック鳥も居た。ジャックは遂に、念願のロック鳥に出会った。
 小さな勇者の目の前に居る未知のモンスター・ロック鳥は、タラルに教えられていた巨大な鳥では無く、人間のような姿をしたロボットだった。