Bounty Dog 【Muchas gracias. Te amo.】 20-21

20

 己達が結婚して直ぐに建てたあの一軒家は、町から離れた場所にある小さな森の奥にあった。幽閉している1人息子について『あんな場所に閉じ込めなくて良い。家の外に庭を作って、外で遊ばせたら?』と提案した事があった。だが相手は『息子が外の景色を見る事で庭の外に興味を持ってしまう』と言って、提案を速攻で却下した。
 『窓があるから外を見てしまう』という理由で、ありとあらゆる場所に念入りに鍵を掛けてカーテンを閉めてから行く旅行中以外は、息子を家の中すら自由に歩き回らせなかった。趣味の兵器集めに関しては結婚する前から非常に危惧していたが、始めは壁に飾っているだけの唯のオブジェにしていたので、気にしない事にした。
 とても優しい人だと思って数年付き合い、プロポーズされて結婚した。警察という職業は、半ば機能をしていない此の国でもブランドのように世間から扱われる職業だった。己の両親は警察官との結婚に万々歳した。相手の両親も己に対して文句を一切言わず、トラブル1つ無く穏便に夫婦になった。
 純粋に相手を愛していたからこそ、相手の子供を産みたいと強く想い、長く苦しかった不妊治療を経て念願の子供を身籠った。誰よりも幸せになると思っていた。それなのに結果は己も、息子も、夫も幸せにはなれなかった。
 ビアンカ・カスタバラクは己達の不幸を、決して息子のせいにはしなかった。それは夫のタラルもそうだと確信していたが、タラル・カスタバラクの奥底にあった狂気的な本性が、息子のナスィルとナスィルの保護の為に用意する”影武者”の子供達への扱いを通して、メッキが剥がれるように明らかになってしまったとも確信していた。

 ビアンカが手に掛けた殺人は、これで20人目になった。20人目の犠牲者は、子供に氷菓子を売っただけのジェラート屋の店員だった。
 凶器のショットガンを、夫が運転している警察車の座席に放り込む。犯行前に夫婦2人で周囲に誰も居ない事を念入りに確認してから、先ず生きていた時の店員に”紙袋を頭に被った男の子”を見ていないか夫が尋ねた。
 店員は陽気な態度で明るく興奮しながら、己の店のジェラートをハーフ&ハーフで買った少年の横に居た、該当の少年について喋り出した。
「何故か息が出来なくなって気絶してしまったが、あの子はビックリするくらい理想の顔だったよ!!あの子は成長したら、人間が滅ぶまできっと歴史で語り継がれる!!此の国自慢の美男になる!!」
 其処まで言ってきた所で、夫に指示されてビアンカは店員をショットガンで撃ち殺した。
 殺した店員の男が言った2人の子供はジャックとナスィルで間違いなかったが、何故取り調べをしているだけなのに相手を皆殺しにしているのか、ビアンカは疑問に思い続けていた。だが夫のタラルは部下である他の警察官達が動いてこないように、この殺人に関しても”初犯で容疑者の自由を尊重する為に逮捕出来ない事件”だと、無線機越しに平然と嘘を吐いていた。
 ビアンカはジェラートケースに覆い被さるようにうつ伏せになって倒れている、血塗れの死体を見ながら全身を震わせていた。手が血で汚れ切っている己が作る料理を、息子や”影武者”の子供に本当は食べさせたく無いと何時も思っていた。だが夫のタラルは市販品を口に付けず、誰かが作った手料理しか一切食べない。ナスィルがオレンジ好きだと知るや否や『息子に好物のオレンジを毎日食べさせてやってくれ』と指示してきたのも夫だった。
 タラルは1人息子を溺愛しているが、愛情の注ぎ方が異常で執着のようになっていた。タラルは過剰に誘拐を恐れてナスィルを屋根裏部屋に幽閉していたが、ビアンカは例え誰も彼もが窒息してしまう程の美貌を息子が持っていようとも、たった1人の息子を他の子供や人間達と同じように”自由”を与えて育ててやりたかった。
 ナスィルをあの部屋から出して外の世界に連れて行ってくれたジャックに、密かに感謝もしていた。だが彼女も後戻りが出来ない場所まで罪人の道を歩んでしまっていた。
 夫と添い遂げるしか選択肢が無かった。そうしないと己は夫に間違い無く殺されてしまう。己が死んでしまうと大事な1人息子を”人間を沢山殺せば殺す程に祖国の自由へ貢献出来るから”というエゴ極まり無い理由で軍人を夢見ていた、歪み切っている正義感を持っている残虐な夫から保護出来なくなってしまうと確信していた。
「……行き先、聞いてないわよ。どうするの?」
 ビアンカは無線機のスイッチを切ったタラルに尋ねた。タラルは面倒臭そうに顔を顰めると、素っ気無い態度で言ってきた。
「子供の足だから近くに居るだろ。ナスィルもジャックも直ぐに見付かるさ」
 今殺したジェラート屋の店員は、全く意味が無い殺人だと思った。夫がまるで、息子と影武者の脱走を理由に無差別殺人を楽しんでいる食人鬼のようだと心底に思った。
 店員の男の前に殺した孤児院の院長が最期に呟いていた言葉を、ビアンカは己も心の中で呟いた。
 ーー己の存在は消えても良い。己の存在と引き換えにナスィルのこれからの生涯に、己達とは別の”真っ当な保護者”が現れて多くの幸があるように。ーーと、神と、西洋宗教で崇めている遥か昔に実在していた神の代弁者に願った。

21

 己達が関わった人間達の命が理不尽に消されている事に気付いていない2人の人間の子供は、人間以外の存在に”魔法使い探し”の協力を求める事にした。
 再び町に戻ってからパトカーを避けて歩いていたジャックは、紙袋ロボットになっているナスィルを連れて路地裏に入ると、突然動物のようにニャアニャア鳴き始めた。
 毎日毎日食べ過ぎてとっくに飽きて嫌いになったオレンジの匂いを嗅いでいる果物屋の紙袋を被ったエセロボット・ナスィルは、エセロボットの状態で首を大きく傾けながら友の姿を見つめる。
 ジャックは屋根と屋根の隙間を見上げながら仕切りにニャアニャア鳴いていた。暫くすると1匹の小さな獣が屋根の間から降りてきて、同じような鳴き声をジャックに向かって出してきた。
 動物の猫だった。この時は未だ動物の猫も生きていた。最近世界中の人間に飽きられてしまい、これまで何千年も人間達に甘やかされて南西大陸北西部にある砂漠の国では動物の神とまで崇められていた筈の猫は、数年前から人間達に突然掌を返されて、ゴキブリや蚊のように見付けられたら無感情に殺されていた。
 ジャックは神の化身から悪魔の獣にされた哀れな猫を殺さずに背中を優しく撫でてから、逃した。再び屋根と屋根の隙間に向かってニャアニャア鳴く。また暫く経つと、今度は大きな生き物が降ってきた。
 ナスィルは驚愕して、ジャックの背に隠れる。2人の眼前に現れたのは、人間のような見た目をしているが、人間では無い生き物だった。

 その生き物は、先程屋根から降りてきて逃げていった猫を擬人化したような見た目をしていた。髭の代わりに頬に赤い三角形の模様が付いており、黄味がかった肌に橙色の目、先に茶色い毛が付いている尖った耳と鮮やかな金髪をしている。
 中央大陸を元々の棲家にしているが、増えに増えて世界中に居住範囲を広げていたこの生き物は、人間達から喵人(みゃおれん)と呼ばれていた。殆ど人間と同じ見た目をしているが、全身のあらゆる関節が強靭的に柔らかいのが特徴で、垂直の壁や崖を足だけで難なく登る事が出来る。
 ジャックはミーミー鳴きながらバレリーナのように足を胴と頭部の真横にピタリと付けては離してを繰り返している雌体の生き物に、ニコニコ笑いながら挨拶をした。
「オラ(こんにちは)。突然呼んじゃって、ごめんなさい。ぼく、ジャック。この子はーー」
 ナスィルはジャックの肩を掴んで身を隠していた。ガタガタ震えている。ジャックは拒絶反応をする友を小声で宥めてから、目の前の生き物に向かって話を続ける。
「この子はナシュー。ぼくのメホル・アミーゴ(親友)。猫人間さん、教えて欲しい事があるんだ。聞いても良い?」
 ミーミー鳴く猫のような人間は、ジャックに警戒心を示していた。ミーミー言っていた鳴き声が、威嚇声のフーフーに変わる。
 動物の猫と同じく、猫の亜人である喵人もこの頃から人間達によって理不尽に駆除されていた。威嚇してくる猫の亜人に向かって笑顔を絶やさないジャックは、己にくっ付いているナスィルの背中を片手で摩りながら猫の亜人に向かって喋った。
「ぼく、何もしないよー。ねーねー、猫人間さん。教えて。ネズミ人間さん、何処に居るか知ってる?」
 雌猫の亜人は大きな声で一鳴きした。敵意を全く感じない小麦色の肌をした人間の少年に向かって、もう一鳴きしてから返事する。
「ミー。知らない。ごめんね、人間の坊や。ミー」
 ジャックは首を横に振って笑顔で言った。
「ううん。グラシアス(ありがとう)、猫人間さん!悪い人間に気を付けてね!!」
「ミー!」
 猫の亜人も満面の笑顔をしてから、壁を足だけで登って屋根の上に戻っていった。

 産まれて初めて見た不思議な生き物に、ナスィルはジャックから身を離してからぼやく。
「ジャック。アレ、何?凄く怖かった」
「亜人っていう動物人間さんだよ、ナシュー。不思議な人間さん達」
 ジャックはニコニコ笑いながらナスィルに向かって言った。この世界にだけ居る特殊な生き物”亜人”を『怖い』と思い込み始めている友に、ジャックは勘違いを正すように言う。
「亜人は全然怖くないよ。猫人間さんは世界中に一杯居るんだって。動物人間さんは全然怖く無いよ、ナシュー。ぼくの質問にも応えてくれたよ」
 屋根の上からミーミー鳴き声が聞こえた。先程ジャックの問いかけに応えた猫の亜人が、屋根の上で鳴きながら寛いでいる。
 人間がする理不尽な脅威に晒されているが人間に理不尽な脅威を与えてこなかった、人間のようで人間では無い”亜人”という不思議な生き物を、ナスィルはジャックの言葉を聴いて『怖い』から『面白い』に思い込みを変えた。
 亜人は非常に面白い生き物だと思った。どんな生き物なのかもっと知りたいと、この頃からナスィルは亜人に興味を持った。
 身体を震わせる事を止めて紙袋越しに屋根を見上げているナスィルに、ジャックは目を三日月形にしながら話し掛ける。
「猫人間さんは知らないって言ってたね。犬人間さんなら知ってるかな?ネズミ人間さん。ナシューの呪いを解いてくれる、魔法使い」
 ジャックはナスィルを連れて路地裏から町の大通りに出た。パトカーのサイレンがまた聞こえた気がしたが、気のせいだと思って友と一緒に町の探索を続けた。

 遠い未来。人間によって絶滅仕掛けている犬人間は、仲間を皆殺しにした人間への復讐という理由で世界中の人間達を大量虐殺していた絶滅種であるネズミ人間の生き残りを、己の主人を殺したという理由で半殺し以上にする。
 そんな未来の出来事も、今身近で起こっている悲惨な出来事も全く知らないジャック・ハロウズは、魔法使いのネズミ人間を探して町を1日探索したら、ナスィルと一緒に”優しい義父母”が居るあの家に一旦帰ろうと思っていた。